「……これが失敗するってことなんですね」
「ん?」
「父さんが言っていた。子供の時にしか学べないこと、です」
「ああ、そうだろうな」
マジックは笑う。そんなどこまでも生真面目な弟の口調が面白くて。
「でも、大人だって失敗は、するはずです」
「うん。でも、大人が失敗したら、いろいろ大変なんじゃないかな」
「そう……かも、しれません」
ルーザーは考え込む。その頭の中では、きっといくつものパターンがシミュレートされているのだろう。
それはそれとして、マジックは言う。自分の考えを述べる。
「大人が木から落ちたら、やっぱり格好悪いからな」
「それは……よく、分かりませんが」
「格好悪い、ものなんだ」
――実は僕も、おまえを支えると言いながら、落ちてしまったことは格好悪いと思っている。
――それは多分、僕が兄で、そしてその分、ルーザーよりも大人だからだ、と思う。
マジックはそう考えた。しかしそれを説明するのは難しいとも思った。
いや説明してもいいのだけれど。そうしたらこの弟は、素直にそれを受け入れるだろうけど。
なぜだか、それはやっぱり、少し恥ずかしかった。主にマジック側の問題で。
まあいいじゃないか、そのうち分かるだろう。彼はそう結論づけた。
「兄さんが言うのなら、そうなんでしょう」
ルーザーもそれを受け入れた。
そして二人は笑った。くすくすと。面白くて。何が面白いのか、分からないままに。
でも、この世の中は楽しくて。
彼らはそんな、6歳と5歳だった。
非凡でちょっと変わってはいたかもしれないが、充分に幸福な、6歳と5歳だった。
◆
やがて……。
彼らはある日、父に連れられてガンマ団のラボラトリーに行った。
そこに行くのは二人とも初めてで、緊張しながら特別に用意された子供用の抗菌服を身にまとい、
その手をしっかりつなぎあって、父の後を歩いていった。
ルーザーは興味深そうに辺りにあるものに片っ端から視線を止めていたが、
さすがにいちいちそれを尋ねることはせず。代わりに兄の手をぎゅっと握っていた。……彼は人見知りだ。
マジックはその手を握り返しながら、弟の手に勇気をもらって、胸を張って
まっすぐに父の後をついていった。それが跡を継ぐものとして、自分の取るべき態度だと思っていたから。
「ここだよ」
父は言う。いつものように優しく、決して声を張り上げたりはしないのに、大きくて深い声で。
目の前の扉が空気圧でシュッと開いた。子供達は自然に息をのんだ。
うす暗い部屋。青白い照明が中央に据えられた大きな筒を照らし出している。
そびえるいくつもの機械が、その筒にはつながれており、
まわりには幾人もの技師が、神妙な顔つきで立っている。
父の合図で、その筒を覆っていた殻がすっと下に格納された。
そうして現れたのは、青白く照らし出される液体をたたえた容器。
その中に浮かんでいるのは、生まれる前の命。――胎児。
仄暗い青の光に照らされた、筒型の容器。その中には人工の羊水が満たされている。
そしてその中には生まれるの前の胎児。一人ではなく、二人。
他の人々にとっては、あるいは忌むべき光景かもしれない。
しかしこれこそが――青の一族にとっては、もっとも崇高な場所。命が、生まれるところ。
「おまえたちの、弟だよ」
父はそう言った。
「双子だ。同じ瞬間に命を授かった」
事前に説明は受けていた。それでも、目にしたそれはあまりにも……神秘的で美しく。
大きな頭、丸められた手足。瞳は閉じられているが、きっと青い色だろう。自分たちと同じ。
へそから伸びる赤い血をたたえた緒。トクトクと脈打つそれは、たしかに命を伝えている。
東洋の陰陽の図のように、双子はお互い入れ違うように、頭と足を向け。一つの円を描くかのように。
もう産み月で言えば八ヶ月、体のパーツは全てそろい、今からでも生き始めることが出来る。
いや……もう生きている。ただ、まだ産まれていないだけで。
知っていた。教えられてもいた。
けれども、今こうして目の前にするものは、やはりとても……崇高だった。
――僕たちの弟。
その言葉が、たまらなく幸福だった。
ルーザーも、そうだったのだろう。彼は兄の手を離し、一歩前に出た。
吸い寄せられるかのように、その容器に近づいた。しかし決して手は触れず。
けれどもじっと魅入られたように。
ルーザーが兄も父も押しのけて、そのような行動を取るのは、とても珍しいことなのだった。
「名前ももう決めてある。ハーレムと、サービスだ」
ハーレム、"愛されるもの"の意。サービス、"献身"の意。対になった名前。彼らは愛し、愛される。
マジックとルーザーが対であるのと同じように、そして……。
「おまえ達は、この子たちを守らないといけないよ」
父は言った。
「マジック、ルーザー、私の可愛い子供たち。おまえ達は優れているがゆえに、
誰かを守ることを知らなくてはならない。この子達が、それを教えてくれるだろう」
大きな手が肩を包む。右手でマジックを、左手でルーザーを。
そうして地面に膝をつき、頭の高さを子供達に合わせて、父は教え諭した。
「そしてこの子達も、おまえ達を守ってくれる」
頭を撫でる手。ああ、父は分かっていたのだと思った。
自分たちの悩み。何のために生きているのか。
何のために生を与えられたのか。巨大な力を与えられたのか。
尽きせぬ苦しみ、下ろすことの出来ない重荷。
でもそれも……守るものを得ることで、幸せに変わる。「守るための力」という意味が生まれる。
力に、そして生に。方向性を与え、意味を与えてくれる。力を持つことが、幸福に変わる。
「はい、父さん」
ルーザーは答えた。彼は相変わらず、魅入られたように弟たちの姿を見ていた。
真っ直ぐに背筋を伸ばし、その瞳にきらきらと青の光を反射させて。
「分かりました、父さん」
マジックも答える。そんなルーザーの姿を見、父の手のぬくもりを感じ、
そしてやっぱり羊水の中の弟たちの姿に目を奪われながら。
生の意味。生きる意味……。
確かにここには、それがあった。生命の祝福が。
マジックとルーザーは、その弟たちの生を祝福する自分を知ったがゆえに、
自分たちの生もまた、祝福されたものであったことを知った。
賢い、非凡な子供達は。自分たちもこうして生まれたのだと……分かった。
誰かに祝福されて生まれてきたのだと。
二人は再び手を握り合う。それは、この子達を守るための、誓い。
「ありがとうございます、父さん」
マジックは呟いた。父が、こういう形で、自分たちに生の意味を与えてくれたと思ったから。
「いや……」
父はそっと笑う。
「違うよ、マジック」
耳元で、愛を込めてささやいた。
「おまえ達が父さんに、生きる意味を与えてくれたんだよ」
◆
マジック、ルーザー、ハーレム、サービス。青の四兄弟。
彼らはこうしてこの世に生を受けた。
その人生は、決して輝きだけではなかったかもしれない。苦難に満ちていたかもしれない。
彼らは多くの失敗を犯したし、また彼ら自身も多くの傷を負った。
けれども、彼らは確かに、祝福されて生まれてきた。
そのことだけは、ここに記そう。
――他の何よりも、そのことは記す価値があることだろうから。
2007.2.19
このSSは「甘苦」の蜂夜明鏡様とのやり取りで生まれたものです。
愛らしいちみっこ四兄弟と、ルーザー兄さんの理知的なまなざしを思い出しながら……この拙い作品を捧げます。
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