「ええ」
弟は当然のようにうなずく。
「それは何故?」
兄は尋ねる。そのまなざしにどこか鋭さをにじませて。他の人間なら、多分怖がるだろう。
しかしサービスは怖がらない。決して、兄を恐れたりはしない。
彼は正面から兄の視線を平然と受け止めて、なおかつ幸福そうに笑ってみせた。
「ルーザー兄さんは優しいし、賢いし、強いし、綺麗だし……」
歯の浮く……と形容されるような言葉を平気で並べ立て、指を折って数えていく。
その仕草にどんな意味があるのかは分からなかったが、いかにもサービスらしかった。
他の人間が言えば追従だとしか思わないが、この弟だけは違う。彼は本気でそう思っている。
相手にそれを確信させるだけの何かが、サービスという存在にはあった。
それは生まれつきという単純なものではなく、ただひたすらに嘘をつかずに生きてきたという
積み重ねの上に、初めて成り立つ奇跡で。
……ただ、彼の言葉は偽りなのだが。ルーザーは決してそのような人間ではない。
別に優しくもなければ、綺麗でもない。賢くもなければ、強くもない。普段なら決して思わないことだが、
サービスという鏡の前では、ルーザーはそう思う。弟は幻を見ている。
それはきっと、彼の責任ではなく、ルーザーがそのように振る舞っているからだ。
弟にはそのような姿を見せたいと、願ってきたからだ。
サービスという鏡は……そこまでを映し出してみせる。相手の前に。
あるいはそれは、酷なことかもしれない。相手によっては。しかしルーザーはそれこそを愛した。
◆
「正直で、相手のことを考えていて、上品で、穏和で……素敵だから」
「ふうん」
ルーザーは自分のグラスに口をつける。そこまではさすがに言いすぎだろうと思いながら。
自分に対してそのような形容を用いる人間は、おそらくサービス以外にいない。
けれども彼は本気だ。何故なのだろうと思う。どうしてそこまで……優しいのだろう。
人をとろかす蜜のような優しさ。そこに溺れるときっと、痛い目に合う。でも……。
「可笑しいですか?」
クスクス笑いながら、でも瞳だけは真面目にそう尋ねてくるものだから。
「別に……」
兄は窓の外に視線をそらして、複雑に微笑んだ。あるいはそれは、自嘲の笑みだったかもしれない。
そのようなこと、普段なら決して抱かない種類の感情だが。
「僕は本気ですよ」
サービスは言う、力強く。……すでに酔っぱらっているんじゃないかと、ルーザーは思った。
「でもそれは思い込みかもしれない」
顔は窓に向けたまま、視線をすっと弟の上に戻す。瞳で問いかける。
「違います」
「どうして違うって言えるのかな?」
「……」
サービスはしばし言葉を探したように、視線をさまよわせて、
それからグラスに残っていた酒を飲み干した。
「それは説明すると長くなるんです」
「うん、聞きたいね」
ルーザーは腕を伸ばして、新しく酒を弟のグラスに注ぐ。兄に見られたら、きっと怒られるだろう。
――どうしておまえはそうやって相手を追い詰めるんだ。と言われて。
サービスは紅潮した頬のままに、言葉を紡ぐ。
「だって兄さんは孤独な人だから……」
ルーザーは首をかしげる。
「でも、孤独でいられるっていうのは強いことだし、優しいから孤独なんだし、賢いから孤独なんだし、
だけど孤独だから綺麗なんです……」
――それって説明しているのかな。と思う。
自分の思い込みを思い込みだと補強しているだけなのではと。論の建て方としてはいかにも拙い。
けれども、確かになんらかの説明にはなっていた。奇妙な説得力はあった。
そして何よりも、そう語るサービスの姿は美しかった。瞳は輝き、唇は湿り気を帯びている。
頬は赤く、髪はろうそくの明かりを反射する。なによりもその視線が……強かった。
まっすぐで一途で、少しもこちらからそらそうとしない。ルーザーの視線に少しも負けていない。
まだ足りないというかのように、彼はシャンパンに口をつける。
「それくらいにしておいたら」
ようやくルーザーはそう言った。いかにも遅いと自覚しながら。
「じゃあ信じてくれますか?」
「絡み酒?」
兄は笑う。
「らしくないね、サービス」
「そんなことはありません」
口答えをしてくる。やっぱり酔っているんだなと思った。普段のサービスならば、絶対にしない。
彼は次兄の言葉に反抗するということは、決してしなかった。
「サービス」
軽くたしなめるように言いながら、彼のグラスを取り上げる。残っていた分は、自分が飲み干す。
酒の甘味と、その裏に隠れた苦味を感じながら。……まるでサービスのようだと思った。
「ルーザー兄さん」
「なんだい?」
「ごめんなさい」
「別に謝ることはないよ」
視線を絡み合わせたまま、ルーザーは自分のグラスに口をつける。
自分もいいかげん多く飲んでいるはずだが、まだ酔うことは出来ない。別に酔いたいわけでもないが。
「言い過ぎたかもしれません」
「何が」
「孤独っていうのは、あんまりいい言葉じゃなかったかも」
――気にすることはそこなのだろうかと思った。可笑しかった。けれども、何故か笑うことが出来ない。
むしろ……何か別の感情がこみ上げてくるのを感じた。
それは、切なくて泣きたくなるような感情だった。
たぶんもっと複雑なものなのだろうが、言葉には出来ない。サービスのようには。
ルーザーの至って論理的な頭脳は、非論理の言葉を持たない。それもまた、どういうわけか切なかった。
たぶん、この感情を弟と共有できないことが切ないのだろうと、ルーザーは考えた。
だから彼は言葉を探した。懸命に。
「別に僕は気にしないよ」
「そうですか?」
「うん……。たぶん、それは正しいと思うから」
実は嘘だった。ルーザーは自分を孤独と考えたことはない。
孤独など、ただの自己憐憫だと普段の彼なら思っただろう。
でも、嘘をつく。
それは決して言い逃れではなく、……そうであればいいなと思うから。
ルーザーにとっての孤独と、サービスにとっての孤独は、たぶん違う言語なのだろう。
その上で彼は、そうであればいいなと思う。弟がいうような人間であれば……よかったなと。
偽りだが……偽りでも。
◆
サービスは椅子から立ち上がり、こちらに歩いてくる。思ったより足取りはしっかりとしていた。
自分の椅子の横に立った彼を、ルーザーはそっと膝の上へと迎え入れる。
「飲み過ぎたね」
優しく言った。壊れものを扱うかのように、小さな弟を抱きしめた。
「いえ……酔っていません」
「酔っているよ、おまえは」
「はい……」
素直なのか、そうではないのか。サービスは喉を鳴らして息を吐く。発泡酒の炭酸を吐き出す。
吐き出された酒の香りが漂ってきて、ルーザーの口元にまとわりついた。
そこには人を酔わせる何かがあった。サービス自身の匂いと、酒の香りと。
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