優しい毒 中編


「ええ」
弟は当然のようにうなずく。
「それは何故?」
兄は尋ねる。そのまなざしにどこか鋭さをにじませて。他の人間なら、多分怖がるだろう。
しかしサービスは怖がらない。決して、兄を恐れたりはしない。

彼は正面から兄の視線を平然と受け止めて、なおかつ幸福そうに笑ってみせた。
「ルーザー兄さんは優しいし、賢いし、強いし、綺麗だし……」
歯の浮く……と形容されるような言葉を平気で並べ立て、指を折って数えていく。
その仕草にどんな意味があるのかは分からなかったが、いかにもサービスらしかった。
他の人間が言えば追従だとしか思わないが、この弟だけは違う。彼は本気でそう思っている。
相手にそれを確信させるだけの何かが、サービスという存在にはあった。
それは生まれつきという単純なものではなく、ただひたすらに嘘をつかずに生きてきたという
積み重ねの上に、初めて成り立つ奇跡で。

……ただ、彼の言葉は偽りなのだが。ルーザーは決してそのような人間ではない。
別に優しくもなければ、綺麗でもない。賢くもなければ、強くもない。普段なら決して思わないことだが、
サービスという鏡の前では、ルーザーはそう思う。弟は幻を見ている。
それはきっと、彼の責任ではなく、ルーザーがそのように振る舞っているからだ。
弟にはそのような姿を見せたいと、願ってきたからだ。
サービスという鏡は……そこまでを映し出してみせる。相手の前に。

あるいはそれは、酷なことかもしれない。相手によっては。しかしルーザーはそれこそを愛した。

「正直で、相手のことを考えていて、上品で、穏和で……素敵だから」
「ふうん」
ルーザーは自分のグラスに口をつける。そこまではさすがに言いすぎだろうと思いながら。
自分に対してそのような形容を用いる人間は、おそらくサービス以外にいない。
けれども彼は本気だ。何故なのだろうと思う。どうしてそこまで……優しいのだろう。
人をとろかす蜜のような優しさ。そこに溺れるときっと、痛い目に合う。でも……。
「可笑しいですか?」
クスクス笑いながら、でも瞳だけは真面目にそう尋ねてくるものだから。
「別に……」
兄は窓の外に視線をそらして、複雑に微笑んだ。あるいはそれは、自嘲の笑みだったかもしれない。
そのようなこと、普段なら決して抱かない種類の感情だが。

「僕は本気ですよ」
サービスは言う、力強く。……すでに酔っぱらっているんじゃないかと、ルーザーは思った。
「でもそれは思い込みかもしれない」
顔は窓に向けたまま、視線をすっと弟の上に戻す。瞳で問いかける。
「違います」
「どうして違うって言えるのかな?」
「……」
サービスはしばし言葉を探したように、視線をさまよわせて、
それからグラスに残っていた酒を飲み干した。
「それは説明すると長くなるんです」
「うん、聞きたいね」

ルーザーは腕を伸ばして、新しく酒を弟のグラスに注ぐ。兄に見られたら、きっと怒られるだろう。
――どうしておまえはそうやって相手を追い詰めるんだ。と言われて。

サービスは紅潮した頬のままに、言葉を紡ぐ。
「だって兄さんは孤独な人だから……」
ルーザーは首をかしげる。
「でも、孤独でいられるっていうのは強いことだし、優しいから孤独なんだし、賢いから孤独なんだし、
 だけど孤独だから綺麗なんです……」
――それって説明しているのかな。と思う。
自分の思い込みを思い込みだと補強しているだけなのではと。論の建て方としてはいかにも拙い。
けれども、確かになんらかの説明にはなっていた。奇妙な説得力はあった。

そして何よりも、そう語るサービスの姿は美しかった。瞳は輝き、唇は湿り気を帯びている。
頬は赤く、髪はろうそくの明かりを反射する。なによりもその視線が……強かった。
まっすぐで一途で、少しもこちらからそらそうとしない。ルーザーの視線に少しも負けていない。
まだ足りないというかのように、彼はシャンパンに口をつける。
「それくらいにしておいたら」
ようやくルーザーはそう言った。いかにも遅いと自覚しながら。
「じゃあ信じてくれますか?」
「絡み酒?」
兄は笑う。
「らしくないね、サービス」

「そんなことはありません」
口答えをしてくる。やっぱり酔っているんだなと思った。普段のサービスならば、絶対にしない。
彼は次兄の言葉に反抗するということは、決してしなかった。
「サービス」
軽くたしなめるように言いながら、彼のグラスを取り上げる。残っていた分は、自分が飲み干す。
酒の甘味と、その裏に隠れた苦味を感じながら。……まるでサービスのようだと思った。

「ルーザー兄さん」
「なんだい?」
「ごめんなさい」
「別に謝ることはないよ」
視線を絡み合わせたまま、ルーザーは自分のグラスに口をつける。
自分もいいかげん多く飲んでいるはずだが、まだ酔うことは出来ない。別に酔いたいわけでもないが。
「言い過ぎたかもしれません」
「何が」
「孤独っていうのは、あんまりいい言葉じゃなかったかも」

――気にすることはそこなのだろうかと思った。可笑しかった。けれども、何故か笑うことが出来ない。
むしろ……何か別の感情がこみ上げてくるのを感じた。
それは、切なくて泣きたくなるような感情だった。
たぶんもっと複雑なものなのだろうが、言葉には出来ない。サービスのようには。
ルーザーの至って論理的な頭脳は、非論理の言葉を持たない。それもまた、どういうわけか切なかった。
たぶん、この感情を弟と共有できないことが切ないのだろうと、ルーザーは考えた。

だから彼は言葉を探した。懸命に。
「別に僕は気にしないよ」
「そうですか?」
「うん……。たぶん、それは正しいと思うから」
実は嘘だった。ルーザーは自分を孤独と考えたことはない。
孤独など、ただの自己憐憫だと普段の彼なら思っただろう。
でも、嘘をつく。
それは決して言い逃れではなく、……そうであればいいなと思うから。
ルーザーにとっての孤独と、サービスにとっての孤独は、たぶん違う言語なのだろう。
その上で彼は、そうであればいいなと思う。弟がいうような人間であれば……よかったなと。
偽りだが……偽りでも。

サービスは椅子から立ち上がり、こちらに歩いてくる。思ったより足取りはしっかりとしていた。
自分の椅子の横に立った彼を、ルーザーはそっと膝の上へと迎え入れる。
「飲み過ぎたね」
優しく言った。壊れものを扱うかのように、小さな弟を抱きしめた。
「いえ……酔っていません」
「酔っているよ、おまえは」
「はい……」
素直なのか、そうではないのか。サービスは喉を鳴らして息を吐く。発泡酒の炭酸を吐き出す。
吐き出された酒の香りが漂ってきて、ルーザーの口元にまとわりついた。
そこには人を酔わせる何かがあった。サービス自身の匂いと、酒の香りと。

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