「大丈夫だよ」
ルーザーはそう言って、弟の髪を撫でる。別に中毒を起こしたわけでもない。
ただちょっと酔っただけだ。慣れない酒を飲んで。
「うん……。ルーザー兄さん」
サービスも兄の腕を抱きしめる。まるで子供のように。子供だけれど。もっと小さな子供のように。
彼がまだ、幼かった頃のことを思い出す。その頃もサービスはこうしてルーザーの腕の中にいた。
けれども確かに、一緒にいる時間はどんどん減っていっている。これからも、きっと減り続ける。
それはとても寂しいことだなとルーザーは思った。あまり深く考えず、弟をからかうために言った言葉が、
今になって突き刺さってくる。それもまた……サービスといると、よくあることだったが。
鏡のような子供。……彼自身の幸せはどこにあるのかと考えた。
「僕は兄さんに謝らないと」
「まだ何かあるのかい?」
もう黙っていればいいのにと思った。散々しゃべらせた自分が思うのは勝手だと知りつつも。
「実は……嘘をついたんです」
「……へえ」
それは珍しいと感心する。嘘をついたこともそうだが、ルーザーに悟らせなかったことも。
「……」
サービスはそんな自分自身を悔いるかのように、黙った。
ルーザーもまた、何も言わずに相手の言葉を待った。それは少し苦痛なことだったが、彼は甘受した。
甘んじてその苦痛を受け入れた。優しい苦味を。
「……本当は、分かりません」
「何がだい?」
髪を撫でる。優しく。言いたくないなら、このまま眠ってしまえばいいのにと思いながら。
それが嘘の寝入りでも、ルーザーは黙って受け入れるだろう。
「思い込みじゃないって」
「うん……、それが正しいね」
相手の姿を本当に理解しているかなど、誰が分かるというのだろう。
だからそれは……、聞いたルーザーの方が間違っていた。無意味な問いかけをした。
それでも聞きたかったのは……たぶん、ただの甘えだった。弱さだった。サービスが否定したはずの。
だから強くなどないのだ。ルーザーという人間は。それもまた、苦い現実だった。
「でも、僕はおまえの言葉が嬉しかったよ」
耳元でそうささやく。真実の言葉を。貴重なもの……真実はいつだって貴重だ。
「だから、何も気にしなくていいんだよ、サービス」
そっと力を込めて抱きしめる。大好きな弟を。
「でも兄さん……」
「なんだい」
「信じてください」
「うん」
「兄さんは素敵な人だって」
……また何らかの感情がこみ上げる。苦くて甘い、何か。
確かにそれが本当ならばよかったけれど。ルーザーはサービスを、ずっと騙してきた。
何故だろう。彼には、綺麗なものだけを見て欲しかった。世界も、自分のことも。
それはきっと彼――サービスのためではなく、ルーザー自身のためで。つまりは、エゴで。
だけど、それが、愛だった。やっぱり愛は、いつだって一方的な押しつけだ。
そしてこのように……自分自身にはねかえってくる。その代償は。
――素敵なんかじゃない。そう否定したかった。けれども、言えない。
酒が人を酔わせるように、真綿で首を絞めるかのように、言葉は喉で窒息する。
ルーザーはその苦さを、受け入れた。言葉を飲み込み、無意識に手を伸ばした酒のグラスも、
引き寄せるのではなく逆に遠ざけた。その代わりに弟の髪に口付けをした。
――やっぱりこの子は毒だ。ルーザーの頭脳はそう告げる。
真実を映す鏡、それは人にとってあまりにもまぶしい。強すぎる日の光のように、害になる。
けれども毒は薬でもある。酒もまた、毒であり薬でもある。
だからそれをどう用いるかが大切なのだが、たぶん、ルーザーは失敗している。
愛しているがゆえに。愛しすぎたがゆえに。薬は、そして酒は……多量に摂取すれば、毒なのだ。
――ならばその毒杯をあおろう。
彼はそう決めた。この毒で死ぬことがあっても、僕はサービスを愛そうと。
◆
「ふふ……」
ルーザーは笑う。彼は自分の予測というものは、外れたことがないことを知っていた。
それは予測ではなく直観だったから。真実を見つめる目。これだけは多分、ルーザーの唯一の才能。
ただ思うのは……サービスの幸せだった。
鏡のように相手を映すこの子の、彼自身の幸せを、ルーザーは願った。
自分に与えられるものは何でも与えたいけれども、幸せは本人が願わなければやってこない。
サービスはそれを――幸せになろうとする努力を、知っているのだろうかと考えた。
――たぶん、知らないだろうなと思う。そのように育ててしまったから。
けれども、これから覚えていくことは出来るはずだった。幸せを求める――それは人の本能だから。
雛鳥がいつか巣から羽ばたくように。
「ねえ、ルーザー兄さん」
サービスはささやく。甘く、優しく。毒のように。
「僕は兄さんのことが好きです」
「うん。ありがとう」
「愛しています」
「僕もサービスのことが好きだよ」
他の誰よりも。ずっと。
「理由はいっぱいあるんです」
「ああ。聞かせてもらったよ」
「もっともっと、たくさんあるんです」
「うん……」
窓の外の暗い庭。テーブルの上のキャンドル。遠ざけた酒杯。頭上で輝く星々。手の届かないもの。
サービスのぬくもり。その熱。腕の中にあるもの。
泣きそうな気持ち。心の中にあるもの。
切なくて甘くて優しい、毒。
「ずっとずっと大好きです」
「そうだね。ありがとう」
髪を撫でる。そうしているうちに、この子はきっと眠るだろうと思ったから。
そうしたら、抱き上げて寝室に運ぼう。壊れものを扱うかのように、そっと。
でもその前に……しばらくの間、抱きしめさせて欲しい。ルーザーはそう願った。
いつか失うものだから、せめて今だけはと。
クリスマスも終わろうとするこの時間に、彼はしばし願った。
せめて今だけは、全ての時が止まりますようにと。
「好きです……」
その言葉は、優しい毒。
2007.3.19
|