優しい毒 前編


ルーザーは夜の庭を眺めていた。
今日の月は細く、庭はほとんどが闇に沈んでいる。その代わりに見上げると、多くの星が見えた。

あの星がまだ地上にあった頃のことを、彼は思い出す。それほど昔のことではない。
まだ父が生きていた頃――今から5年ほど前のことに過ぎない。
クリスマスの夜。父は庭を電飾で飾ってみせた。植木や生け垣に這わせたのみならず、
噴水の中にもライトを沈め、芝生の上にも文字を飾った。やりすぎだろうと当時の彼は思ったものだが、
今ではそれも――懐かしい。悪趣味と紙一重の放埒さ。いかにも父らしい趣味だった。
それは多分、兄や弟たちにも受け継がれている。やりすぎは多分、うちの家系だなとルーザーは思った。

そんなことを考えるのは自分らしくないことだが……。たまには息をつきたいこともある。
彼はまだ、ようやく17歳になったばかり。それでももう、ガンマ団の研究所を指導する立場だった。
その就任にはいくつかの引き止め――主に兄からや、危惧――周りの大人達からもあったのだが、
――僕が人の下につけると思いますか?の一言で、皆あっさりと納得した。
それで彼は一人独立した研究室を持ち、短期間の間にいくつもの実績を上げ、
あっという間に人が集まり、その多くはふるい落とされたが、何人かは残った。
彼はすでに部下を持つ立場でもあった。
面倒なことだと思う。どうして誰も彼も、放っておいてはくれないのか。

人はルーザーを嫌い、嫌うくせに光に誘われる蛾のように集まってくる。
自分の顔が窓ガラスに映っているのを眺めた。気むずかしげに眉を寄せた顔。
手に持つのは細長いフルートグラス。その中にはシャンパン。
彼はほとんど飲酒もしなかったが、今日は特別だった。――クリスマスが、終わったから。
12月25日の夜は、どこか寂しい。もちろんイブには兄であるマジックが張り切って、
まだ幼い双子達を喜ばせようと大々的なパーティを企画した。大々的といっても、もちろん家族だけの。
いつもそうだが。だがそれこそが贅沢なことだと――今なら、分かる。

もっとも双子達は、素直に喜ぶというよりは、兄に付き合ってあげているのだという意志を
強くみせていたが。あの子達ももう、そんな歳なのだろう。かつてルーザーが父と祝うクリスマスを、
どこか煩わしく思っていたように。全ての物事は繰り返していく。それが、道理だから。

ドアがノックされる。その音にルーザーは微笑み、立ち上がって戸を開けた。
「こんばんは。ルーザー兄さん」
綺麗な言葉。美しい瞳。はにかむような笑顔。
「こんばんは。サービス」
ルーザーもまた笑った。この弟だけに見せる、特別な笑顔を。

「よく来たね」
弟を、窓の側に置いたテーブルへと誘う。すでに彼の分の椅子も、グラスも用意してあった。
もちろん普段はこんなところにテーブルは置いていない。ルーザーは日光が嫌いな人間だった。
日光は本も変色させるし、試薬にも悪い影響しか与えない。ただ、植物を育てることは評価できたが。
それもまた、兄には怒られる。おまえはもっと、日の光を浴びないとダメだと言われる。
何がダメなのか理屈はよく分からなかったが、確かに兄は太陽の明るさが似合う人だった。
でも自分は違う。その違いを、兄であるマジックは認めてくれない。
ただまあ、それも兄の愛情なのだろう。愛とは常に押しつけだ。それがルーザーの価値観だった。

「兄さんに呼ばれたから」
そう言って微笑む、サービスの笑顔。心の底からの、嬉しそうな笑み。
この子は決して単純な人間ではないが、感情に裏表というものが存在しなかった。
サービスの感情は常に表に出されていて、それでいながら複雑だから、ついずっと眺めていたくなる。
そういう種類の子供だった。たぶん、珍しいことだろう。
学校でもあまり友達がいないのだと、いつか言っていた。
「呼ばれなかったら、来ないのかな?」
「えっと……」
椅子に腰掛けながら、弟は困ったようにうつむく。それでも、その頬は紅潮していた。

「邪魔じゃないなら、いつでも来たいけれど……」
ルーザーは微笑みながら、テーブルから綺麗に折りたたまれたナフキンを取り上げ、
氷水を入れたクーラーからボトルを取り出して、水の一滴もこぼさないように拭いながら、グラスに注ぐ。
ライトキャンドルに照らされたほのかな明かりの下で、淡い金色の液体は泡を立ててはじけた。
量は少なめに、半分ほどにしておく。フルートグラスに立ち上る泡を楽しむには少ないが、
なにせ弟はまだ幼いので。一族の体質としては、酒には強いはずだが。

「少し前までは、呼ばなくても来ていたよね」
椅子に腰掛けながら、少し意地悪く言った。
「それが僕の成長だと思ってください、兄さん」
こしゃまっくれた口をきく。そのくせに、言ってすぐに赤面する。可愛かったし、面白かった。
ルーザー相手にこんな素直な反応を見せる人間は、他にはいない。人は誰しもが取りつくろうとする。
少しでも隙をなくそうと試みる。そんなことは無駄なのに。結果として醜態をさらす。
誰もが何もを分かってはいない。けれど、サービスは違う。

ルーザーは上機嫌でテーブルに両肘をつき、弟の姿を観察する。
「成長したら、来なくなるのは寂しいね」
「寂しいですか?」
「うん、寂しいよ」
言いながらルーザーは自分のグラスを持ち上げる。
サービスもそれを見て、そっと自分のグラスを持ち上げた。兄の仕草を真似ながら、
フルートグラスの細くて短い足を、慎重につまみあげる。
「メリー・クリスマス」
「はい……。メリー・クリスマス、ルーザー兄さん」
グラスはぶつかり合って、軽やかな音を立てた。
本来は乾杯といっても、このような薄いグラスをぶつけ合ったりはしないものだが。
しかし自分たちならきっと大丈夫だろうと、サービス相手ならきっと大丈夫だろうと思ったから、
そして確認したかったから、あえてぶつけてみたのだった。それもまた、観察。そして実験。
思った通り、サービスの力加減は絶妙で、軽やかでありながら慎重だった。

ルーザーは自分のグラスに口をつける。一口というには少し多い量を飲み干す。
自分の機嫌の良さを、どこかで認識しながら。瞳は静かに弟の姿を眺めている。
サービスもまた、一口というには多めの量を飲んだ。喉がこくこくと液体を嚥下する。細い首筋。
「じゃあ……もっと来てもいいですか?」
「仕事があるからね」
しゅんとする、その仕草。
「邪魔しないなら、来ていいけど」
「えっと」
何かを確認するように、サービスは首をかしげた。
「つまり相手は出来ないかもしれないけど、同じ部屋にいるのは構わない」
「はい!」
嬉しそうにうなずく。そうしてまた、シャンパンに口をつける。
そんな早いペースで飲んで大丈夫なのかなとルーザーは思った。発泡酒だし口当たりはいいから、
つい平気なつもりなのだろうが、アルコール度数は決して低くはない。

しかし口には出さない。
なんというか、そのような注意をするのは勿体ない気がしたのだ。雰囲気を壊す、とでも言うのだろうか。
それにサービスならある程度の自覚と自制を持って決して無理はしないだろうし、
酔った弟の姿というのも、それはそれで見てみたい――観察したい気がした。
その結果、酔っていきなり吐くということがあっても、自分は怒らない気がしていた。
たぶん、サービス以外の人間には決して許さないことだが。それが、不思議なのだ。

――僕はどうしてサービスのことが好きなんだろう。
ルーザーは考える。人の愛情には理由はないことも多いだろうが、
それでも他の兄弟達に向ける愛情とは、これは違う気がした。不思議だった。
「ねえ、サービス」
「何ですか?」
「僕のことが好きかい?」

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