記憶の中の彼は、いつだって笑顔だった。
「サービス!」
こちらを見つけるとすぐに、大きく手を振っては満面の笑みを浮かべて駆け寄ってくる。
その様子を、「まるで犬ですねえ」ともう一人の友は表したものだ。
でも彼の屈託のない笑顔を見ていると、自然と嬉しくなって、いつの間にか自分も笑っていた。
「やあ、ジャン」
「いやー、この前はノート貸してくれて助かったぜ」
「風邪を引いて休んでいたんだろう。もういいのかい?」
「ん、ああアレね。嘘。ホントは寝坊しただけ」
罪のない笑顔のまま、あっさりと宣言される。思わず顔をしかめた。
「ひどいな。騙したのか」
「ははッ、そんな簡単に引っ掛かるとは思わなくてナ」
腹立ち紛れにそっぽを向いて歩き出すと、「ごめんごめん」と拝みながらジャンは後を付いてくる。
「お詫びに今度フェンシングの模擬試合で一本取らせてやるからさー」
「普通に戦ったって、私が勝つよ」
「分かんねーぞ、俺最近どんどん上手くなってるし」
「確かにね。でもジャンはまだ剣を振り回しすぎる」
「そっかな?」
「そうだよ。少なくとも私は、フェンシングだけは子供の頃からずっとやってるんだから」
身近に兄さん達っていう手強い練習相手も居たしねと続けると、
彼はそれ以上こだわることもなく、じゃあ別の課目にしようと笑った。
「それにしても、ホントにお坊ちゃんなんだなぁ、サービスは」
「やめてくれよ、その言い方……」
夢はそこで途切れた。
サービスはゆっくりと目を開く。天井を見つめながらぼんやりと考える。
夢の中には幸福が溢れていた。目が覚めて出会う現実は非情だった。
つい、この間までは。
「よ、オハヨ」
さっき夢の中で見ていたそのままの顔が、目の前で笑う。
屈託のない笑顔を見ていると、自然と嬉しくなって、いつの間にか自分も笑っていた。
……なのに涙も溢れてくるのは何故だろう。
「また泣いてるのか。サービス」
ジャンは困ったような顔をして、伸ばした指で涙をぬぐった。
「おまえ、本当に涙もろくなったなあ」
「私を年寄りみたいに言うのはやめてくれ」
とはいえ実際にサービスは歳をとったわけで、対するジャンはあの頃のままで。
考え始めると、どこまでが夢で何が現実なのか時々分からなくなる。
「ま、朝に弱いのは相変わらずのようで。今目覚めの紅茶を入れて差し上げますよー、お姫様」
「……うるさい」
悪態を付きつつもゆっくりと身体を起こして、寝乱れた髪を手ぐしで流しながらぼんやりと、
部屋の片隅にあるミニキッチンで甲斐甲斐しくティーポットにお湯を注ぐ、彼の後ろ姿を眺める。
そうしながら、もう一つの目覚めのためのアイテム、煙草をサイドテーブルから取り上げた。
ライターがどこにあるか思い出せなくて、火を付けないままくわえていると、
お盆にポットとカップを乗せてやってきたジャンが呆れたように言う。
「あーあ、すっかり不良になっちゃって」
「……そういえば、あの頃は吸っていなかったっけ」
最初に煙草を吸い始めたのはいつだったか。
たしかジャンが"死んで"からそう時間が経っていない頃だったような気がする。
「学生時代は、煙草なんてとても吸うようなタイプには見えなかったんだけどなあ」
「……いろいろあったんだよ」
本当に。いろいろなことがあった。彼がいなかった25年間を、口で言い表すのは難しい。
いつかちゃんと説明しないといけないんだろうなと思いつつも、いつも先延ばしにしてしまう。
またぼんやりと思考の淵に沈みそうになっている横で、
軽やかな水音を立ててポットからカップに琥珀色の液体が注がれ、暖かな香が立ちこめた。
サービスはひとまず煙草を口から離し、差し出されたカップを受け取って口をつける。
「どうですか、お味のほうは?」
得意げに聞いてくるので、答えた。
「ちょっと薄いね」
たちまちジャンはしゅんとした顔になる。
「えー、だってこの前は濃すぎって言ってたじゃん」
「あれは夜だったから。朝は濃いめ、夜は薄いめが基本だよ」
「はいはい」
呆れたように、それでも「これからは気をつけますよー」と舌を出す彼に、
サービスは空になったカップを返して、左手に挟んでいた煙草を口に戻す。
「ところで、火はどこにあるか知ってるかい? ジャン」
「俺のお姫様はすっかり女王様になっちゃって……」とぶつぶつ呟きながら、
それでも彼はきちんとライターを差し出して、サービスの煙草に火を付ける。
「ありがとう」と微笑むと、嬉しそうにパッと笑う。変わらないなと思う。懐かしく、そして暖かい。
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