鏡を見る。
このところよく、鏡を見た。
鏡の前に立って、サービスは自分の顔をじっと凝視する。
いつだってそこには血の気のない顔をした若者がいて、陶磁の人形のような左半面とは裏腹に、
右側には赤茶けて生々しい、ひどく醜い傷痕が全面に広がっているのだった。
それを髪を顔に流すことで隠そうとするのが、彼の日課だった。
朝、気だるさの中で目覚めても、まず右の頬に手をやる。
指が滑らかな肌をなぞり、やがては一つの裂け目に行き当たってひっかかる。
しばしためらった後、その裂け目にそって指は下から上へと滑り、流れのみなもとに行き着く。
円を描くようにして空洞をなぞると、いつまでもそうしていられるような気がした。
そこには喪失が形としてあった。
この何一つ確かでない世の中で、そこだけは確かな喪失の形だった。
次にそれを見るのが、鏡の中だ。
顔を洗いたっぷりとした毛足のタオルで拭ってから、髪をとかす。
豚毛のブラシが毛髪をすべらせ、丁寧に丁寧にすいていく。
彼の絹糸のように細い髪はしかし、いつだって簡単にほどけて落ち着いてくれたものだけど、
ある時を境に以前のようにはならなくなった。
ひっかかる、もつれる。強情に。
その度に小さく溜息をつき、苛立ちとは別の感情をもって、またブラシを動かす。
嫌だとは思わなかった。それがふさわしいのだろうと思った。
今の自分の心情に髪はあまりにぴったりだったから、苛立てるはずもなく、
ただ口から漏れるのは溜息だった。
そうしながら鏡の中に自分の姿を見いだす。
右手で顔の右半分に垂れかかる髪の毛の量と流れを、神経質に調整する。
くどくなりすぎないように。しかし傷痕は決して見えないように。
毎朝それに長い時間をかけた。
顔にかかる髪がわざとらしく思えて――いや元々不自然であることはわかっているのだけれど、
それでもなお、不自然でわざとらしくていやらしくて醜くて……。
何度も髪を後ろにはねあげては、また少しずつ落ちてくる髪の量を調節する。
その度に、顔にかかる細い金の隙間から、ひび割れた肉が覗く。
見つめずにはいられないのと同じくらい、目をそらさずにもいられなくて、
そうすると視線は自然と元の形で残された左半面に向けられる。
滑らかな白い頬、整った眉、そして――未だ存在する瞳。
上まぶたと下まぶたの間にからのぞく、水気をたたえて感情を映すかのように細かく震える
眼球を見つめていると、その青い虹彩に吸い込まれそうになる。
ああこんなにも美しかったのだと思ってしまう。
一族の瞳、一族の色。秘石眼ではないが――それゆえ破壊を免れたのだが、
記憶の中にある右眼はこれとほとんど変わらない色をしていたように思えて、泣きそうになった。
否定すべきそれを、美しいと感じてしまう自分の罪深さにおののきながら、
鏡の向こうの瞳から目をそらすことができない。
かつてはこれほど懸命に、自分の顔を見つめたことなどなかった。
それがどんなに美しいものであるのかにも、気付いてはいなかった。
自分が人よりずっと整った容姿をしていることは、散々周りから聞かされていたけれど、
そのことに感慨などもつことはなく、むしろわずらわしくすら感じていてた。
あの頃のサービスには、美しさよりももっと欲しいものが沢山あったから。
今はもう……なにも欲しいとは思わない。
ただ、帰りたい。あの頃に。
まだ世界が輝いていて、自分は美しいだけの子供だったあの頃に。
青ざめながら懸命に傷痕を隠そうとするのは、だからなのかもしれなかった。
傷は失ったものを突きつける。
自分で抉った眼だが、あの場に戻れても自分は何度でも同じことをするだろうけれど、
サービスにとって失った眼はつまり、失われた幸福な過去に他ならず、
失われた二人の人間、とても大切な二人の存在と堅く結びついていた。
一人はその眼によって命を落とし、サービスは彼のために眼を抉り、
一人はサービスが眼を抉ってすぐに、目の前からあっけなく消えてしまった。
すべては傷から呼び起こされ、そして傷に収束する。
一つの顔の中に両方がある。幸せだった頃そのままの顔と、
巨大な喪失が消えない痕となって刻み込まれた顔と。
一つの顔の中に無傷と傷痕が存在しているのは、なんといやらしいことだろう。
二つともがそこにあるのだから、どうしたって比べずにはいられない。
他者だってそうだ。今のサービスの顔を見れば、人はどうしたって右と左を比べる。
他ならぬ自分がそうせずにはいられないのだが、他者にまでそれをされることは、
「失ったのだ」という残酷な事実を、何度も何度も突きつけられることに他ならなかった。
そう、こうなってみて気付いたことがある。
傷のない顔であった頃は、彼のことをただ「美しい」とのみ賞賛していた人々が、
傷の付いた顔には執着する。傷痕を見たがる。
たとえ見えなくとも、何度も何度も髪に隠れた右側に視線をやる。おそらく無意識のうちに。
しかし顔には消せない欲望をにじませて。
……それもやはり自分が鏡の前ですることと同じで、だから分かってしまうのだけど。
欠落は人を惹き付けるのだ。砂糖に群がる蟻のように、腐肉にたかるハエのように。
誰もが見たがり、触れたがり、比べたがる。美しいままの左半面と。……耐えられなかった。
そうして今日も鏡を見つめながら、傷痕を隠そうと懸命な努力を重ねる。
無傷の美しい左半面と見比べながら、自分の顔に調和を取り戻そうとする。
まだ顔に傷がなかった頃、左右対称に調和のとれた顔、調和のとれた平穏で穏やかな世界を。
……取り戻せないと分かっていても。
そうやって今日も鏡を見つめる。
誰に話しても笑われるであろう、くだらない努力を重ねずにはいられない。
鏡を見つめる。
無傷の美しい左半面を見る。醜くひきつれた右半面と、それを覆う金の髪を見る。
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