◆
鏡を見ていた。
木製の大きな鏡台の前で。
「あー、また見てる」
後の彼が指さしてくる。
サービスは振り返ることなく、鏡の中のジャンに向かって首をかしげた。
「悪いか?」
「悪くはないけどさあ」
立ち上がり近づいてきたジャンは、並んで鏡の中を覗き込む。
「何をそんなに見ることがあるのかなと思って」
「癖なんだ」
かすかに微笑んで――あるいは苦笑かもしれないが――サービスは答えた。
対する黒髪の青年は、屈託のない笑顔を浮かべる。
「確認なんかしなくても、おまえが綺麗なことは俺がよく知ってるのに」
「ありがとう」
その時、珍しくサービスはジャンの言葉に対して素直に反応した。
また鏡の中を覗く。
視線はまず若い頃からほとんど変わっていない自分の左半面を見つめ、
次にずっと若いままの親友の顔を見つめた。
そこに二人が経てきた年月の違いを見いだしたりもするけれど、
こうやって二つ並んでいる――いられるという事実の前では、それは淡雪のように消えてしまう。
自然と顔はほころんだ。ジャンの笑顔に並ぼうとするかのように。
「でもおまえ、本当に変わってないよな」
まるで鏡の向こうに本当のサービスがいるかのように、ジャンは手を伸ばす。
「おまえだって全然変わっていないだろ、ジャン」
鏡の中のサービスは、その手をかわすかのように真横を向いた。
「あの頃のままだ」
健康そうに日焼けした若者の顔を、鏡越しではなく見つめながら、残された目を細める。
実際に彼の顔はまぶしかった。失われた時間、失った若さ、そんなものを思わずにはいられない。
さらにそれらを乗り越えて、再び出会えた幸せを。
……こうして何度も確認したがるのは、昔から変わらない困った性格なのかもしれないが。
「そりゃまあ、ね」
ジャンは少し困ったように、人差し指で頬をかいた。懐かしい、彼の癖だ。
「俺はそんな風に作られていたから。だけどおまえはそうじゃない」
番人は振り返って目を細める。そんな時にはふと、彼の人ならざる一面が垣間見えた。
「創造者に美しくあれと作られたものが美しいのは当然だ。……例えば花だとか。
だけど人の美しさっていうのは、そうじゃないだろ。俺にもまだよく分からないけれど」
「よく、分からない?」
「ああ」
うなずいて彼は顔を寄せた。吐息がかかるほどの近さでジャンはささやく。
それは愛する人への言葉というよりは、
少年が発見した自分だけの秘密を打ち明けるような、真摯さと生真面目さだった。
「人間の美しさってどこからくるんだろうと思う。遺伝子によるものだって俺は知っていたけど、
最近はそれだけじゃない気がするんだ……」
彼はサービスの頬に指をすべらせる。
「おまえとまったく同じ遺伝子を持つ存在を作っても、絶対に同じ顔にはならない。
そんな予感がする。そいつはきっと、今のおまえよりも綺麗じゃないよ。絶対に」
「……そう」
思わず言葉に詰まってサービスはジャンから視線をそらし、鏡の中の自分を見た。
――綺麗なんかじゃないよ。
胸の中に溜め込んだ重く堅いものが割れて、本当の心が浮かび上がってくる。
ずっとずっと抱え続けたコンプレックス。
表情を消して鏡を見つめるサービスの横顔に向かって、ジャンはなおも話し続けた。
「俺にとってはその傷だって、奇跡みたいに綺麗だ。だって俺のために抉ってくれたんだろう?」
「おまえのためなんかじゃないよ」
精一杯の強がりをこめて、口の端だけで笑う。
「俺のためだよ」
言葉はきっぱりとしていて、うぬぼれも何もなかったから、咄嗟に拒絶することができなかった。
つまり、彼が差し伸べた手を。
――俺のためだから、悪いのは俺で、だからおまえは何も気にしなくていいんだ。
そういう言葉にならない言葉を。
つい鏡の向こうの表情が崩れそうになって、目を閉じた。
ジャンはいつだって子供のようだけど、こうして時々ひどく大人びた、思いもよらないことを言う。
そんな時には彼が経てきた年月の長さを感じずにはいられない。
ずっと変わらない顔の中に隠されているから、すぐに忘れてしまうのだけど。
サービスは軽く頭を振って尽きることのない思念を追い払い、恋人の顔を眺めた。
彼の顔もまた無二のものだと思う。かつて甥っ子の顔にその面影を見たこともあったけれど、
今では二人はまったく別のものだと分かる。まったく別の、それぞれにかけがえのない存在だと。
――同じ遺伝子でも、絶対に同じ顔にはならない。
◆
「さあ、外に行こう。俺、部屋の中ばっかりだと気が滅入るんだよね」
素早く立ち上がったジャンはそういってサービスの手を引き、彼を鏡台の前から引き離した。
ガンマ団の本部は海に囲まれている。
この元番人はそのことをとても気に入っていた。
海は続いているからだろう、彼の故郷である島と。
潮の匂いを嗅いで子供のようにはしゃぐジャンを見ながら、サービスはその後をゆっくり歩いていく。
海からの強い風によって、髪が巻き上げられた。
右頬にも風を感じたことで、傷痕があらわになっていることが分かる。
だけどそれを隠そうとはしない。
ただ歩いていく。
風に吹かれて。戻れない道を。
年月を積み重ね、傷を負って、それでも戻れない道を。風の下に素肌を晒しながら。
2004.11.8
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