サービスは地上に停めたヘリの座席から、ゆっくりと空を眺めていた。
空は好きだった。気まぐれで勝手で、何一つ思い通りにならない所が好きだった。
ヘリコプターというこの不安定な乗り物も好きだ。
空中を移動したいくせに鳥になる度胸はない、いたって人間らしい乗り物だと思う。
彼は何故か昔から、ヘリとは相性がよかった。
片目がないという圧倒的に不利な条件にもかかわらず、操縦には苦労したことがない。
おかげでいつでもこの不安定な乗り物に乗って、世界中を旅して回ることが出来る。
今もそう。彼は旅先で愛機共々羽を休めていた。
この時だけは自分が自由だと思える。
出発地点でも目的地でもない、空白の場所、空白の時間。
まぶしい空に、ふと昔のことを思い出す。
それはサービスの奥深くに眠る、静かな記憶だった。
ハーレムが怒っている。
18歳のサービスはそんな双子の兄の様子を、どこか遠い気持ちで眺めていた。
抉って間もない右目があった場所の痛みのほうが、ずっと身近だった。
それは多分、体の奥深くから響くその痛みが、親友を失った喪失感や
自分が殺したのだという罪悪感といった諸々の感情と、とても深く共鳴していたからだろう。
そんなサービスを抱きしめて泣いてくれた兄ルーザーにくらべ、
ハーレムの言動は、あまりにも不可解だった。
ハーレムは怒りに瞳をぎらつかせて叫ぶ。
「どうして眼を抉った?」
サービスは、何故兄がそんなことを聞くのか分からない。
「あの男のことが、そんなに大事だったのか!?」
そんなの当たり前じゃないかと思う。
親友だったのだ。大切な大切な親友だったのだ。
「一族よりも大切なのか!?」
いつの間にか心に浮かぶことをそのまま口にしていたらしい。
サービスは溜息をついてから、あらためて兄の問いかけに答えた。
「……どちらも大切だよ」
「どちらも?」
「どちらも同じくらいに。……何か変?」
そこでやりとりは途切れて、二人は見つめ合った。
ハーレムはまだ感情の収まりがつかない様子で、
どうして弟がこんなふうになってしまったのか――それは単に眼を失ったということではなく、
親友のために眼を抉ったことを――理不尽だと憤っている様子だった。
今ならあの時の彼の感情が、多少は理解できる気がする。
ハーレムはジャンのことを知らなかった。
サービスが親友のことをどんなに大切に思っていたのかも知らなかった。
ハーレムはただ、たった一度の過ちのために
一族の証を捨て去ってしまった弟のことが、理解出来なかったのだろう。
父のように一族を守る者でありたかった彼にとって、
それは単に力や象徴としての問題だけではなく、青の一族であること、
兄弟としての結びつきそのものを捨てることにも思えたのかもしれない。
あの頃の自分たちは若かった。サービスはそう考える。
そうして少し、士官学校に通っている黒髪の甥のことを思った。
◆
ハーレムは飛行中の船の中で、いつものように酒に溺れていた。
酔うことは楽しい。感覚が果てしなく広がっていく一方で、どんどん現実からは離れていく。
その飛翔感覚が好きだった。空を飛ぶことと同じくらいに好きだった。
一方で、することのない時間というものはどうにも苦手だ。
戦場に慣れすぎたのかもしれない。
あるいは酒のほうに慣れすぎて、その効き目が弱まっているのかもしれない。
こんな時にはふと、昔の苦い記憶が忍び込んできてしまう。
霧のかかった頭の中で、弟のサービスが誰かの腕を捕まえて懇願していた。
相手は――自分だ。まだ18歳のハーレム。
廊下で双子の兄に追いすがった弟は、たった一つ残った目に必死さを滲ませて口を開く。
「ハーレム! ルーザー兄さんを止めて欲しいんだ」
ハーレムは、顔を強ばらせたままで振り向いた。
弟の右半面は髪で隠れていたが、その下には幾重にも巻かれた包帯があり、
さらにその下には戦場に慣れた自分すら息を飲んだ酷い傷が広がっていることを、
反射的に考えてしまう。
どうしてこんなことになったのか。
急に長兄に呼び出され、知らされた事実。
――サービスが眼を抉った。
――原因は、ルーザーが弟の親友になっていた赤の一族を殺したからだ。
それはハーレムの拠って立つ場所を、根底から突き崩すような出来事だった。
何故そうなのか。当時のハーレムはまだ気付いてはいなかった。
弟と同じく若かった彼は、とにかく混乱していて、
ひたすら嵐のように迫ってくる目の前の出来事に対応するのが精一杯だった。
だからその時も、彼は咄嗟に無意味な言葉を口にしてしまう。
「おまえが止めればいいだろ」
「僕じゃ駄目なんだよ」
サービスの額には汗が滲んでいた。珍しいことだった。
歪んだ顔、取りすがる瞳、乱れてもつれた髪、生気を失った皮膚に生々しく浮かぶ汗。
何もかもが異常で、目を背けたいほどだった。
「何故? あの兄貴のことなら、おまえこそがふさわしいだろうに」
口は勝手に言葉をつむぐ。まるで当てつけのように、そう言ってしまう。
帰ってきて見たもの。サービスを抱きしめて泣くルーザーの姿。
美しい兄弟の形。いつも仲がよかったルーザーとサービス。
サービスがそうなる原因を作った張本人のくせに、ルーザーはしっかりと弟を抱きしめて、
他の誰よりも嘆き悲しんでいて……。ハーレムの怒りは行き場を失った。
「僕じゃ駄目なんだ。何故かは分からないけれど、僕じゃ駄目なんだよ。
でも、きっと……ハーレムなら止められる」
「ハッ」
サービスは未だに、ジャンを殺したのが誰なのかという真実を知らない。
マジック兄にも口止めされた。
だがそれがなくとも、ハーレムが弟に真実を告げていたかは謎だった。
現実はもう充分にむごくて破滅的で、これ以上何かを動かすことは怖かった。
これ以上、何も失いたくなかった。だからルーザーにも口止めをした。
あの時ハーレムが守りたかったのは、サービスなのか、ルーザーなのか。
今になってみると、分からない。
ひたすらに沈黙を選ぶマジックの姿は、彼が兄である前に総帥であることを物語っており。
ルーザーはよりにもよって、最愛の弟であるサービスを傷つけ。
サービスは一族の敵のために自らの眼を抉る。
彼が父のように守りたかったもの――兄弟の絆が崩壊していく様を目の当たりにして、
止められないのだと分かっていても、これ以上何かを動かすことは、あまりに怖かった。
何も知らない弟は、叫ぶ。
「そんな気がするんだ。僕が何を言ってもルーザー兄さんには届かない。
でも、ハーレムやマジック兄さんなら、きっとルーザー兄さんを止められる……!」
多分そうだったのだろう。真相を知らないがゆえに、サービスの言葉は純粋な真実だった。
――僕が悪かったんです、兄さん。僕が未熟だったから、こんな失態をおかしてしまった。
――兄さんは何も悪くないんです。泣かないで……。僕のために泣かないで……。
繰り返されるサービスの言葉は、ルーザーにとって追い打ちにしかならない。
弟が謝罪の言葉を重ねれば重ねる程、兄は追い詰められていく。
ここでも兄弟の絆は壊れ、未だに壊れ続けていた。
ひどい、夢だった。
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