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ヘリコプターのスクリーン越しに、サービスは空の青さを思う。
そして失われた人たちのことを想う。
ジャンを殺してしまった。大切な親友だったのに。
……本当にそうだったのだろうかと、少し考える。
サービスは彼を親友だと思っていたけれど、ジャンにとってサービスは
本当に特別な人間だったのだろうか。……分からない、今となっては自信がない。
だってサービスはジャンを殺してしまったのだから。
けれど……それでも、サービスにとってジャンは特別で大切な存在だった。
そのことだけは罪と共に背負い続けたかった。
ルーザー兄さんを止められなかった。大好きな兄だったのに。
……本当にそうだったのだろうか。一番肝心な時に引き留められなかったのに。
言葉が足りなかったのだろうか、努力が足りなかったのだろうか、
どうすれば兄を止めることが出来たのだろう。
どうすれは他の兄たちを説得することができたのだろう。
あの時、自分は確かに兄を止める方法を知っていたはずで、それなのに止められなかった。
瞳を閉じる。さすがに辛かった。失われたものはあまりに多い。
こんなことを繰り返した自分が眼しか失っていないのは、いっそ足りないような気がする。
右目の空洞がズキズキと痛む。
ハーレムにはそのことも怒られたなと、思い出した。
――「そんな簡単に眼なんか抉るんじゃねェ!」
――「簡単なはずないだろう!」
どうしてあんなやりとりになったのだろうか。悲しい喧嘩をした。
生まれる前からずっと一緒だった、二人の最後の喧嘩だった。
◆
双子は廊下で出会う。それは、兄ルーザーの葬儀の夜。
「ハーレム」
サービスの蒼白な肌が、闇に浮かび上がっている。
この数日というもの、日を追う事にやつれ果てていった彼は、もう殆ど抜け殻のようだった。
弟が止めようもなく衰弱していく様は、もうこれ以上事態はひどくなりようがないだろうと考える
ハーレムの期待が裏切られ続ける現実と、同時化していて辛かった。
「寝てろ。バカ」
振り返った兄は、顔を歪めてそう吐き捨てる。
「寝てなんかいられるはずないだろう」
困惑しきった顔。何も分かってはいない弟。
言わなかったことは、ルーザーの死によって永遠に言えないことになってしまった。
もうこれ以上は耐えられない。サービスが。……ハーレムも。
今さら真相を告げたとして何が起こるのか――それは考えるだに怖かった。
兄に続いて弟までも失ってしまうのではないかと、一瞬でも思ったら、もう言えなかった。
「ルーザー兄さんまで死んでしまうだなんて……」
サービスは唇を噛みしめた。ハーレムの目に、そんな弟の姿はあまりに無力に映る。
真実は何も知らない弟。しかしハーレムとて彼とどれほどの違いがあるのだろう。
何も止められなかった。知っていても何も止める事が出来なかった。
すべては目の前を通り過ぎて、そして壊れていった。
同じだ。サービスの姿は、今のハーレムの写し鏡にすぎない。
双子という絆の証であるはずのそのことは、その時、何故か無性に苛立たしかった。
弟はふらふらと双子の兄に近づき、かすれた喉で叫ぶ。
「どうしてこんなことになったんだ!?」
それはハーレムだって聞きたいことだった。だが先に聞かれてしまった。
だから、彼は答を探さなくてはならなかった。
――おまえがあんな男のために、眼なんか抉ったりするからだ。
瞬間心に浮かんだ暗い考え。
ジャンもルーザーまでもが死んでしまい、原因として憎む対象を失ったハーレムの心が
とっさに求めた怒りの矛先。
「知らねぇよ」
ハーレムは弟を突き放す。
「嘘だ! 何か知っているんだろう?!」
苦し紛れに放たれたサービスの言葉は、真実の断片とハーレムの心を抉った。
「知らねぇって言ってるだろ! 大体おまえが……ッ」
奥歯を噛みしめる。
「何? 僕が何をしたんだ!?」
サービスは泣きながら叫んでいた。
「おまえが、おまえが……ッ。くそッ」
ハーレムの目にも涙がにじむ。
その時の双子は18歳よりももっと幼く。
やり場のない感情の行く末を、ただ相手に求めていた。
「そんな簡単に眼なんか抉るんじゃねェ!」
「簡単なはずないだろう!」
屋敷に響き渡る二つの叫び。
「ハーレムも兄さんも、みんなみんな僕を無能者扱いして!」
「実際にそうじゃないか。おまえはまだまだガキなんだよッ」
「そういうおまえはどうなんだよ、ハーレム。僕と同い年の双子だろ!?」
「俺はおまえよりずっと沢山のことを知っているんだッ!」
「じゃあ言ってみろッ! 僕より何を知ってるっていうんだ!?」
息を飲む。追い詰められていくのが分かる。そして、絆が壊れていくのが。
すっかり我を失っているサービスは、泣きながらさらにたたみかけた。
「僕にとってジャンがどんなに大切だったか、ハーレムは知らないくせに!
ルーザー兄さんがどんなに優しい人だったかだって、何も知らないじゃないかッ!」
「知るかッ! そんなこと知るかッ!!」
「そんなことも知らずに、じゃあ何を知ってるっていうのさ!? ハーレム!!」
――それは致命的な問いだった。
この数日間のすべてを集約した、弟からの最終的な問い。
「……うるせぇッ!!」
次の瞬間、ハーレムは力一杯、サービスの身体を突き飛ばしていた。
手応えに愕然とする程にその身体は軽く、ふわりと宙に浮かんで落下する。
地に落ちたサービスは、しばし呆然としていた。
自分の弱り切った肉体に、あるいは兄の予測もしなかった行動に
心の底から驚き、またどうしてよいか分からない様子で、彼は視線をその兄へと向ける。
ハーレムもまた、呆然としていた。
自分の行動に、弟の反応に。どうすればいいのか分からなくなっていた。
怒りや悲しみをそのままぶつけてくれれば、
あるいは受けとめることも出来たかもしれないのに、
弟がしたことはあくまで問いかけであり、それはハーレムには答えられない問いだった。
彼は、もう……どうすればいいのか、まったく分からなくなっていた。
「そんなか弱い身体で戦場になんか出るから、こんなことになんだよッ!」
最後の何かが壊れる音がした。
ハッと言ってしまったことを後悔する。
いくらなんでも当然だ。弟は大怪我をして
精神的にも多大なショックを受けた、病み上がりの身なのに。
自分もついさっき、「寝てろ」と言ったばかりの相手ではないか。
サービスは、床の上から身を震わせてハーレムを睨みつけていた。
先ほどの空白状態からは一転して、嵐のような怒りが彼を取り巻いていた。
その時、弟の身から放たれていたのは、間違いなく殺気だったと思う。
肉体が条件反射的に防衛行動を取ろうとし、ハーレムは意志の力で腕を押さえつけた。
彼が――サービスが殴りかかってくるのなら、自分は甘んじて受けるべきだろう。
口にしたことは、言ってはいけないことだった。
しかし、サービスは双子の兄を殴ろうとはしなかった。
その後も決してしなかった。
彼はただ、静かにその場から立ち上がっただけだった。
そして、告げた。
「……ハーレム。僕にまだ秘石眼があったなら、君を殺していた」
まだ足元がふらついている幽霊のような身体から発したとは思えないほど、
それは低くて強い声だった。一瞬だが長兄のマジックを思い出すほどに。
感情を超越して事実のみを淡々と告げる調子は、次兄ルーザーを思わせた。
自分たちの体内に流れる血を実感する。弟は間違いなく青の一族の人間だったことを知る。
そして、その絆が失われたことを知る。
サービスはさらに決定的な言葉を口にした。
「やはり僕は秘石眼なんて持つべき人間じゃなかったんだろう。
眼を抉って、よかったよ」
そうして彼は背を向ける。双子の兄から。一族から。
さようならと、その背が告げていた。
◆
空は青い。青くて深い。
サービスはその青さに微睡む。
苦い記憶だった。だがもう過去のことだ。空の青に沈む、過去の記憶だった。
取り返せない現実。戻らない時間。
まだ目的の場所にはたどり着いていないが、もう旅立った地点は見えない。
空白の場所、空白の時間。
ハーレムは、あの時以来、二度とサービスに手をあげることはしなかった。
それどころか、まるで壊れ物に接するかのように、双子の弟に相対するようになった。
そんな彼の真意も、今なら少しは分かる気がする。
――だけど、ハーレムは僕になんて理解されたくないだろうな。
サービスは笑う。心に沈殿した悲しみと苦しみをうつすかのように、
その口元は、ほんの少し歪んでいた。
◆
頭が重い。それだけではなく、割れるように痛かった。
安物の酒なんか飲むもんじゃねぇなと思う。
おかげで嫌な夢を見た。こんな夢、酔わなくたっていくらでも思い出せるのに。
あの頃の自分は幼かった。たくさんの間違いを犯したと今なら分かる。
だけどもう戻ることはできない。行く先など見えずとも、前に進むほかはない。
それでも今はもう少し、この空の中で微睡んでいたかった。
手探りで酒瓶を探して、中身を喉へと流し込む。どこへでもいいから飛んでいきたかった。
いや、叶うなら……。一瞬だけ考えたことを、すぐに打ち消す。
――あいつは絶対に、俺になんか会いたくないに違いない。
ハーレムは笑う。笑いながら、今度こそ夢のない眠りへと落ちていく。
その口元は、弟と同じ形に歪んでいた。
2004.8.8
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