日差しがまぶしい。サービスは目を細めた。
青い芝生の上を疾走していくサラブレッド。走るためだけに改良されたガラスの足が地面を蹴る。
白く塗られた木の柵の外側では、大勢の立ち見の観客が馬たちの走りに歓声を上げていた。
さらに客席はなだらかに上へと伸び、席料を払わなければ入れないボックス席、
一般人には入ることのできない、ガラス張りになった最上部の貴賓席へと続く。
誰の目にも明らかな、階級という名の序列付け。
華やかなりし大英帝国の文化は、かつての植民地であり、今も政治経済共に強い影響下にある
この国にも深く根を下ろしている。
サービスがいるのは、もちろん最上階にある貴賓席だ。
手にしたグラスにはよく冷えたシャンペン、室内にはシャンデリア、純白のテーブルクロス。
毛足の長い絨毯の上には、複雑な刺繍を施された布張りの椅子。
まったく、嫌になるほど英国的な空間だった。
かつての植民地ほど、実際以上に本国の文化に憧れ、
それを過剰に模倣しようとするという話は本当なんだなとぼんやり思う。
悪趣味だという思いが半分、そんな屈折を哀れに思う気持ちが半分。
ともあれ話は一段落付いたので、サービスは少しでもこの空間から逃れようと
ガラスの外に広がる光景に目をやりながら、冷たい飲み物で喉を潤していた。
その瞳がすっと細められる。立ち見席の最前列。
見間違えようのない、というよりむしろ間違えたくても間違えることの出来ないあの髪。
双子の兄、ハーレム。
まさかと見直すまでもなく確信している自分に、思わず頭痛がした。
見なかったことにしようと思えば思うほど、群衆の中でも抜きんでている長身に目がいってしまう。
背中だけでも彼が競馬に熱中していることはよく分かる。まったくもって頭が痛い。
そういえばハーレムは無類の競馬好きだったことを思い出し、
そんなことも忘れていた自分にさらに舌打ちをした。
サービスは一瞬本気で見なかったことにしようかと考えて……、溜息をつき、
手にしたグラスの中身を飲み干し、さらに数秒間恨めしい目で
ハーレムの後ろ姿を睨みつけてから、室内に向き直った。
もう顔は社交用の微笑みに戻っている。
「大統領閣下。話もあらかた終わったことですし、私は少し席を外します。
……馬が見たいものですから」
椅子に深々と腰掛け、競馬場の明るさからも騒がしさからも無縁の表情で、
側近達と何事かを話し合っていた初老の紳士は、それでもサービスに対し弱々しく微笑んだ。
「サービス殿は馬がお好きですか」
「はい。馬は、好きです」
相手に対する個人的な好感から、精一杯の笑顔を返しつつ
ほとんど無意識のうちに馬という部分を強調している自分に気が付き、また心の中で舌打ちをする。
◆
下に降りていくと、当然のことだがあまりの人の多さに目眩がした。
上とは本当に別世界だなと実感する。そしてサービスは、やはり上の世界の方が好きだった。
……ハーレムはどうかんがえてもこちらの方が好きだろうけれど。
「失礼」
そう呟きながら人混みに分け入ると、意外とあっさり目の前からは人が引いていく。
その代わり、自分に対して嫌というほど向けられる好奇の視線も感じたが、
サービスにとってこれは、幼い頃から慣れ親しんだものではあった。
かといって好きになれるかというと、それは否だが。
とにかく顔から表情を消して最前列までたどり着くと、未だに気が付いていないらしい
脳天気な後ろ姿に――殴りたい気持ちを抑えて――声をかける。
「ハーレム」
「あン?」
振り返った双子の兄は、サービスの顔を見て目を丸くした。
「なんでこんなところにいるんだ、おまえ?」
「それは僕の台詞だ。こんなところで何しているのさ」
「見りゃわかるだろ。馬だよ、馬」
「それは知ってる。ハーレムが馬狂いだってことは、よく分かっている」
やっぱり殴ってやりたいと思いつつ、相変わらず止むことのない周囲からの視線も感じ、
また何より上からこの状況を見られることを恐れる気持ちが、サービスの手に歯止めをかける。
「……とにかく、向こうで話さないか。ハーレム」
視線に百もの罵声をのせつつ、じっとりと睨みつけてくる弟に対し、
ハーレムはいかにも面倒な奴に出会ってしまったという表情で、しかし逆らうことはなくうなずいた。
「だから、なんでおまえがこんなところにいるんだっての」
「居たくて居るわけじゃない」
「相変わらず暑苦しい格好だよな」
「うるさい。これは綿だから、春用なんだ」
「おまえさ、黒のロングコート以外の服装しようって気はねーの?」
「服のことは、ハーレムにだけは言われたくない」
サービスはくるりと振り返り、ジーンズに派手な柄もののTシャツというハーレムの姿を
上から下まで見回した。あろうことか足元にはスニーカーなんてものまで履いている。
確かに、立ち見席で馬券を握りしめながら馬の走りに一喜一憂するには
相応しい姿なのかもしれないが、これが自分の兄かと思うと目眩がする。
「いい加減、自分の歳くらい思い出したら。ハーレム」
「それはテメーだッ」
共に三十代も半ばを過ぎながら、依然としてそうは見えない双子の兄弟は
平行線の言い争いを続けつつ、ボックス席の一つに収まった。
どちらが入場料を払うかでまた揉めるところだったが、今日は運良く
サービスのポケットに小銭が入っていたのでそれで済んだ。
ちなみに普段財布など持ち歩かないので、ポケットに小銭があったなんてことは奇跡にも等しい。
ともあれ、ここならばちょうど死角に入るので、上の貴賓室からは見えないことを確認して、
サービスはやっと息を吐いた。
「なんだよ。上に誰か来てんのか?」
ハーレムも弟の視線に気付いたらしく、心持ち声を潜めて問いかける。
「D国の大統領閣下が、ね」
分かるだろう?と視線で問いかけたが、ハーレムは小首をかしげた。
「あのオッサン、競馬なんかしている場合じゃねーだろ」
「……もちろん、競馬のために来ているわけじゃないさ」
誰かさんと違ってねと言いたかったが、言わなくても通じたらしい。
ハーレムは露骨にむっとした顔をした。
「うるせーな、俺はオフだからいいんだよッ」
「オフじゃなくて待機だろう」
サービスはそこで視線をそらし、目の前にあるカウンターに肘をついた。
「……D国にいつでも侵攻出来るように」
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