「知っているのか」
横に座ったハーレムも、すっと真顔になって言葉を返す。もう特戦部隊長としての声だった。
「ここに居るのはマジック兄さんの指示だから」
「……なるほどな」
お互いの顔は見ずに、言葉だけを交わす。
「あの国でクーデターが起こるのも間近か」
「隣国とはいえ、大統領が他国に外遊に出ているだなんて、絶好の機会だろう」
「政情不安なのに国を離れるんだ。自業自得だろうよ」
「そうはいっても小国は大国の意向には逆らえない。援助を貰っている相手なら、なおさらね」
先ほどまで話していた相手の顔を思い出す。元は学者だったというD国の大統領は、
知的で穏やかな老人だった。もっと平和な安定した国であったなら、きっといい元首だったのだろう。
「まあ、どうせいつか起こることだしな」
どうしても感傷的になってしまうサービスとは対照的に、
聞こえてくるハーレムの声には、羨ましいくらいに迷いがなかった。
16歳からずっと戦場の中にいる彼にとって、弱肉強食は当たり前の論理なのだろう。
「マジック兄貴のことだ、どうせクーデターを起こす側にも手回し済みだろうよ」
ただ、そう吐き捨てる口調には、わずかな苦さがあった。
「マジック兄さんは、僕には大統領閣下の信頼を得るようにと命じた」
だからサービスも、言う必要のないことだと思いつつも、口にしてしまう。
たぶん、ハーレムの口調の苦さに、どこか安心する部分があったからだろう。
もっとはっきり言えば、共感する部分が。――共感して欲しいと願う部分が。
「……」
シュッとライターの着火音がして、煙草の煙がただよってくる。
無言のまま先を促す空気に背中を押されるようにして、サービスは言葉を続けた。
「つまり、いざクーデターが起こったら、今度は大統領閣下の要請を取り付けて
ガンマ団が"治安維持のため"にD国に侵攻する。正当な元首という大義名分の下でね」
「……まったくもって、兄貴らしいぜ」
そう言いながらハーレムは、ふいに煙草を一本サービスに向かって差し出した。
彼が吸っているものは正直なところサービスの好みの銘柄ではなかったが、
ハーレムが自分のものをくれるなど、とても珍しいことなので、黙って受け取ることにする。
そうでなくとも、今は煙草が吸いたい気分だった。
「火まではつけてやんねーぞ」
「ケチ」
差し出された安物のライターから火をつけた。
煙を吸い込む。当然のことだが、ハーレムと同じ匂いがした。
不思議なことに、今はそれが不快ではなかった。
芝生の上を疾走する競走馬の姿を眺める。明るくて平和な風景。
その上では、一人の国家元首が決断を迫られている。
自国をどちらの軍事政権に委ねるかという、究極の選択を。
こんなことは、今までも沢山見てきた。見てきただけではなく、手も貸してきた。今のように。
自分の手だけは汚れていないなどという幻想はとうの昔に捨てたけれども、
まだマジックやハーレムの側には立っていないことも事実だと思う。
サービスは、時々自分がどうしたいのか分からなくなる。
今は……あの大統領の命を助けたいという点で、なんとか自分の行動を正当化しているのだが。
クーデターが成功すればあの人は確実に殺される。ガンマ団の介入があれば、
少なくとも当面は生き延びることが出来る。……傀儡であろうとも。
「どうせなるようにしかならねぇよ」
そんな弟の心の中を見透かしたかのように、ハーレムはふと呟いた。
「兄貴が何を企もうが、おまえがどう悩もうが、上手くいく時は上手くいく。失敗する時は失敗する」
「……それが、戦場で得た教訓?」
「ああ」
うなずく言葉には迷いがなかった。
そんなハーレムの言葉は、悔しいことに確かにサービスに救いの手を差し伸べるものだった。
「ふぅん。二十年も戦場にいて、見つけた答えがそれなんだ」
だけど気持ちとは裏腹に、サービスは軽やかに、からかうような調子で言葉を返す。
それだけの余裕が戻ったということでもあり、彼が双子の兄だけに見せる意地でもあった。
「ケッ」
ハーレムは可愛くねえと言いたげに、そっぽを向く。
「俺はなあ、おまえとは違って苦労してきてんだよ。これでもなッ」
「競馬に連敗するのって、確かに苦労だろうね」
「人の趣味にケチつけんなッ。
テメエこそ、まったく絵画だのコンサートだの、考えただけでムシズが走るぜ」
「僕は目の前の競馬に手持ちの金をすべて注ぎ込む兄の姿を想像するだけで、
タチの悪い二日酔いの気分だ」
「ほーお、"兄"ねえ。おまえがまだ俺のことを兄貴だと覚えていてくれて嬉しいぜ」
「なぜだろう? 嫌な記憶がよみがえる時に限って、
ハーレムって人が僕の兄だってことを思い出すんだよ」
「ああ、それで今日もわざわざ下まで降りてきて、お兄様に声をかけて下さったわけかい」
「そりゃそうだろう。僕が一生懸命大統領閣下の信頼を得ようと努力しているのに、
こんな特戦部隊長の姿を見られたら、すべてが水の泡だ」
「なんだとコラ。俺のどこが一族の恥なんだよッ」
「やっぱり自覚はあるんだね、ハーレム。だったらまずその服装から……」
「服のことだけは、おまえに言われたくねえッ!」
ハーレムはバンッと目の前のカウンターを叩き、その音に前の席の人間が振り返った。
ボックス席は一応の囲いがあるものの、貴賓室のように完全に区切られた空間ではない。
声を潜めての会話ならともかく、言い合いにまで発展しては、衆目を集めるのも当然だった。
ハーレムの「何か文句でもあんのかよ?」という視線に、周囲は慌てて目をそらすが、
そろそろ引き上げるべきであることは、二人とも気が付いていた。
そうでなくとも自分たちが目立つことくらいは、昔から嫌になるほど知っている。
◆
無言のまま席を立ち、通路に出た。
ほんの少しあった共感はとっくに消え、いつものように消えない苛立ちだけを感じながら、
サービスはふと思い出して言った。
「そういえば外でハーレムと会う時は、いつも戦争絡みだ」
「そーかもな」
ぶっきらぼうな相づちが返ってくる。
「どっちが疫病神なんだろうね」
「ハッ。俺だって言いたいんだろ」
返答は、しなかった。――本当は分かっている。
ガンマ団絡みの仕事で出会ってしまうのだから、戦争に関することであるのは当然だ。
そして仕事絡みでない時は、サービスはハーレムに近寄ろうとはしないのだから、出会わない。
趣味もまったく違うのだから、偶然出会うはずもない。
すべてサービス自身が招いていることであり、その理由は、
つまらない、だけど譲ることの出来ない意地だった。サービスはまだ、ハーレムを許せないでいる。
つまらない、だけど譲ることの出来ない意地だ。
この意地があるから、サービスは傾かないでいられる。マジックの側に。
ハーレムを間に挟むことで。
許せないから利用しているのか、利用するために許さないでいるのか、
もはや分からないほどに、因果はもつれてしまっているけれど。
貴賓室へ戻る階段の前で、二人は立ち止まり、無言のまま
それぞれの向かう方へときびすを返した。
サービスは貴賓室に戻り、大統領の返答を聞かなくてはならない。
ハーレムはもう観覧席に戻る気はないようだった。今度は酒場に飲みにでもいくのだろう。
「……ハーレム」
サービスは振り返り、双子の兄の後ろ姿に向かって声をかける。
ハーレムは振り返ることなく、ただ立ち止まった。
「さっきの疫病神のことだけど。両方ってことにしておくよ」
言葉に対して、肩が少し揺れる。それだけで彼が、いつものように軽く笑ったことが分かった。
この距離だ。この距離が届かない。届かないことを、願っている。
サービスは視線を戻し、もう振り返ることなく階段へと足を踏み出した。
本当に、つまらない意地だった。
だがこの意地がなければ、こうして背筋を伸ばして階段を上ることもできない。
運命に立ち向かうこともできない。
いつかこの因果が断ち切られれば、また違う関係を築くこともできるのかもしれないが。
未来はまだ、分からなかった。
2004.9.20
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