◆
「ハーレム」
リビングに駆け込むと、サービスが顔を上げた。
双子の弟はソファに座って行儀良く本を読んでいた。手にしているのは勉強の本じゃなくて、童話。
それもミツヤが持ってきたものだった。童話といっても充分に分厚いそれは、
ハーレムにとっては1ページめくるだけで頭痛がしてくるか、眠くなるだけのものだったけれど、
サービスはとても気に入ったらしく、最近はいつもそれを読んでいる。
「マジック兄さんはどうだった?」
首をかしげて聞いてくる。きちんと肩のところで切りそろえられた髪が、軽く揺れる。
「寝てた」
「そう……」
分かったようにうなずいて、また本に視線を戻す。
――それだけかよ?
と思った。また苛立ちがつのってくる。理由も分からないままに。
「それだけかよ!?」
思わず声に出していた。いや、これは声に出さないといけない気がしたのだ。
「……」
双子の弟は無言のまま、その大きな瞳でじっと見上げてくる。それから、ふっとため息をつく。
「どうしたの、ハーレム?」
「……!」
ムカつく。コイツまで、俺のことを子供扱いするのかと思った。弟のくせに。双子の弟のくせに。
「おまえは、兄貴のことが心配じゃないのか?」
「……心配だよ」
「じゃあ何で自分は様子も見に行かないで、ここで本なんか読んでいるんだよ?」
「……」
サービスは困ったように、また首をかしげた。――理不尽だ。そんな声が聞こえるかのようだった。
「ハーレムが見に行ってくれているから、それを待っていたんだよ」
「嘘付け!」
「嘘じゃないよ」
「とっさのデタラメだろッ?」
「違うってば……」
――どうして分かってくれないの? 視線がそう言っている。
――分からねーよ。
そう思った。どうして自分がこんなに怒っているのかも、本当は何が言いたいのかも。
何もかもが分からなかった。本当に。……何が、間違っているのだろう。
「あのね、ハーレム。僕はマジック兄さんの部屋にはあんまり入ったことがないんだよ」
サービスの言葉遣いは丁寧で綺麗だった。
その書く字と同じように、どんどん大人びてあか抜けていっている。
ハーレムの字はいつまで経っても汚くて、家庭教師に書き直しを命じられるくらいなのに。
「それは昔から、ハーレムの役目だったでしょ。だから……、今もそうだと……」
「うるせー!」
そう叫んでいた。サービスはびっくりしたように、目を丸くする。
そうだ、今この屋敷で大声を上げる人間はいない。マジック兄貴が眠っているから。
その時間は誰も彼もが、大人しく行動して、決して大声なんか立てたりしない。それが当たり前なのだ。
いつの間にか出来た不文律。けれども、それは、当然のことで、だけど……何かが、間違っている。
ハーレムはまた駆けだした。そうしながら、ポケットの中の鍵を握りしめていた。
キーホルダーに付けていた鍵。自分の部屋の鍵。今こそ使うべきかもしれないと思った。
自室に入る。鍵をかける。カチッと音がして、それは閉まった。
……やってみると、ひどく簡単で、あっけないことだった。
◆
「……」
そして、自分がどうしたいのかが、分からない。
鍵をかけるってことは、誰かに、あるいは誰も、入ってきて欲しくないということだ。
しかし、……それは、誰なのだろう。
もしかしたら、……拒むまでもなく、誰も入ってなど来ないのではないか。
サービスが追いかけてくるとは思えなかったし、
ルーザー兄貴も……わざわざやってくるとは思えなかった。
ルーザー兄貴はマジック兄貴の帰宅が増えるのと前後して、
以前よりは家によく帰ってくるようになったが、同時に部屋に閉じこもることも増えた。
一人で何か勉強をしたり、ミツヤとチェスをしたり……。そうして双子の世話はほとんど見なくなった。
あっさりと、ミツヤにその役目を渡してしまった。勉強の監督も、なにもかも。
ルーザー兄貴は……そういう人間なのだと、ハーレムも知っている。
あの人は、自分の時間が一番大切な人間なのだ。……別にそれは悪いことじゃない。
ハーレムは、ルーザー兄貴が怖かった。……あの人が、小鳥をくびり殺してから、ずっと。
それでも彼は、ハーレムの兄で、だからこそ、決して嫌いにはなれなかったけど。
頭を振る。考えを追い出す。ルーザー兄貴のことなんて、今はどうでもいい。
自分は、何がしたいのだろう。……それが分からなかった。でも、それが、大切なことだった。
マジック兄貴は眠っている。自分の声がその眠りを妨げていないことを願っていたが、
同時に、本当に一番来て欲しいのはマジック兄貴だとも分かっていた。
逆に一番来て欲しくないのは……ミツヤ。
そう。ハーレムはミツヤに来て欲しくなかった。だから、ずっと部屋に鍵をかけようかと迷っていた。
あの男は、たぶん、自分の――ハーレムの部屋に入るのにも、何のためらいもないと分かっていたから。
でもそれは……嫌だったのだ。なぜだか分からないけれど、嫌だったのだ。
ああ、なぜこんなことになっているんだろうと思う。
家族なのに。家族が家にいるのに。
自分たちは――双子は、この1年、これをどんなに待ち望んだだろう。
父が死に、マジック兄貴が総帥になり、ルーザー兄貴は士官学校に入り、双子は家に置いて行かれた。
そのことは、とてもとても、寂しかった。
帰ってきて欲しいと、それがどんなに我が儘で子供っぽい願いか知っていても、
心の底ではいつだって、帰ってきて欲しいと願っていた。
家族が家に居ること。それを望んでいた。
今はそれが叶っているのに。マジック兄貴もルーザー兄貴も、サービスも、同じ屋根の下にいるのに。
どうして自分は……鍵などかけて閉じこもっているのだろう。
「ああ……」
ハーレムは息をついた。瞳から、ぽろぽろ涙が溢れてくるのを感じていた。
ハーレムは泣き虫だった。サービスのことを散々からかっていたけれど、泣いた回数ならきっと違わない。
どうしてだろう。彼はすぐに涙をこぼす子供だった。
強い子供のはずだったのに、強くなることを誰よりも願っていた子供のはずだったのに。
感情が揺さぶられると、すぐに涙がこぼれてくる。
――「それは、おまえが優しいからだよ」
そう言ったのは、誰だっただろうか。父……いや、兄だ。マジック兄貴だ。
眠る前、同じ布団にくるまって、昼間あったことを、サービスをいじめていた子供を
やっつけて泣かしたことを話しながら、急に泣き出してしまったハーレムに対して、
マジック兄貴は優しく頭をなでながら、そう言った。
――「おまえは、サービスのことも、自分が泣かしたその子たちのことも、可哀想なんだろう?」って。
それは正しかった。優しい兄、そしてそれ以上に強い兄。ハーレムはそんなマジックが大好きだった。
――来て欲しい。
そう思った。マジック兄貴に、来て欲しい。ここに。そうして、また頭をなでて欲しい。
――「大丈夫だ、ハーレム」
そう言って欲しい。
「う……う、あ……」
泣く。しゃくりあげながら、それでも声はほとんど立てずに泣く。
でもやっぱり、声はこぼれる。そんな自分はなんとも格好悪いって思ったけれども。
大人も時々は泣くけれど、大人は黙って泣くものだって……そう言ったのは誰だっただろう。
何か昔の映画の台詞だったような気もする。
マジック兄貴は……きっと、声を上げずに泣くのだろう。さっき見ていた寝顔のように。
黙って、苦しく、眉間にしわを寄せて。……可哀想な兄貴。やっぱり兄貴は……可哀想だ。
そんなことを考えながら、ハーレムは涙をこぼし続けた。自分はひとりぼっちだと思った。
この屋敷の中には、兄弟みんながそろっているのに、とてもとても、寂しかった。
コツン。
ドアをノックする音が聞こえた。
◆
――!
はっとする。嫌だ、ミツヤは嫌だ。そう思った。……もっと言えば、怖かった。
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