ああそうだ、自分はミツヤが怖いのだと、分かった。彼は……変だ。
認めたくなかったけれど、それは最初に彼を家に招き入れてしまったのが自分だからというところが、
たぶん大きかったのだろうけど、……やっぱり、ミツヤはどこかおかしい。
理由なんか分からない。世間知らずの子供に分かるわけがない。でも、これは本当なのだ。
あんなにいつも笑っているなんて、おかしい。子供のワガママをなんでも聞いてくれるなんて、おかしい。
誕生日でもクリスマスでもないのに、いつもプレゼントを持ってくるなんて、おかしい。
家族でもないのに……いや、そんな理由で拒んだりはしない。
しかし、彼は家族になろうとしているわけではない。そのことは、分かる。じゃあ、何が目的で……?
家族でもないのに、無償の善意なんて、そんなものはあり得ない。
ハーレムは子供だったが、子供だったからこそ、知っていた。ずるい子供だからこそ、分かっていた。
自分たちは、ずっと家に閉じこめられていて、何かを忘れてしまっていたけど、やっぱり彼はどこか変だ。
でも……今更、どうすればいいのだろう。マジック兄貴も、ルーザー兄貴も、サービスも、
みんなそれぞれにミツヤの存在を受け入れてしまっている。
部屋に鍵をかけるような自然さで。そうして家族は分断されている。
……違和感の正体が、全て一つにつながった。……たった一つのノックの音によって。
コツン。
また戸が叩かれる。ハーレムは後ずさった。ポケットの中の鍵を握りしめる。
大丈夫だ、これがあれば戸は開かないはずだと思いながら。
カチャカチャとドアノブがまわされる。向こうの相手は、鍵がかかっていることに、戸惑ったようだった。
「……」
無言のため息が聞こえてくる。
――どうするんだろう。
ハーレムは怖かった。マスターキーはどこかにあるはずだ。マジック兄貴は当然持っているだろうし、
執事だって持っているだろう。……そして、ミツヤは。あいつは、それすら、手にしているんじゃないかと。
「ハーレム」
しかし、聞こえてきた声は、ミツヤのものではなかった。
どっと体から力が抜ける。力が抜けた余り、その声の主を思わず判別できないほどに。
「ハーレム」
もう一度、声がした。……サービスの声が。
「開けてよ、ハーレム」
静かで甘く、優しい声。この世でたった二人の、双子の弟。そこには何も敵意はない。
「バカ」だの「ナマハゲ」だの言っている時だって、サービスの声には敵意というものが存在しなかった。
そんな不思議な弟。
ハーレムはその声に誘われるように、ドアに手を伸ばし、鍵を開けていた。
たぶん、そうすることが自然だったからだろう。ハーレムにとっては。
ドアに鍵をかけることより、それを開くことのほうが。
「ハーレム。大丈夫?」
廊下の光の中に、その金の髪を輝かせながら、双子の弟は立っていた。
心配そうな表情をして、やせっぽっちの体で。本は手に持たずに。
「……ん、ああ」
何を言えばいいのか、よく分からない。
でも、決して嫌ではなかった。いやむしろ、とても嬉しかったのだけど。
「大丈夫だよ、ハーレム」
サービスはそう言って、何の違和感もなく手を伸ばしてくる。優しく、双子の兄の体を抱きしめる。
……そんなことをするのは、この双子の弟くらいだ。
まるで母親のように……その存在を、ハーレムはテレビや映画の中でしか知らないが……
体を抱きしめる。そして髪の毛をそっとなでる。
「……」
黙ってきつく、抱きしめてくる。……でも、それで、気持ちは伝わった。
ハーレムが寂しいことも、苛立っていたことも、その苛立ちの原因も。
そういえばこの弟は、ずっとミツヤを無視していたなと思った。彼がくれた本は読むけれど、
それはむしろ、本を読むということで、話しかけられるのを拒否しているようで。たぶん、それは正しくて。
マジック兄貴やルーザー兄貴よりもずっと……、サービスはミツヤから遠い。
それはおそらく、この弟も同じことを考えていたのだろう。……アイツはどこか変だと。
でも、サービスはそれを口に出す人間ではないのだ。ハーレムはそれを知っていた。
サービスは大切なことほど、言わないのだ。「女みたいだ」とか「泣き虫」とか、どんなに言われても、
実のところハーレムと互角に喧嘩するくらいだから、決して弱くないくせに、
ハーレム以外の人間には決して手をあげないし、黙ってこづかれているような弟なのだ。
そしていつも、ハーレムはそれを見かねて、助けに入るのだった。
なぜ言わないのか、反撃しないのか、それは知らないけれど……
でもハーレムは、そんな弟、サービスのことが、決して嫌いではなかった。
そういう優しさの形もあるのだと、知っていた。
たぶん、マジック兄貴がハーレムなりの優しさを認めてくれたように。
ハーレムは、ハーレムなりに、サービスの優しさを認めていた。
こうして無言で抱きしめてくれる優しさを。
「……」
何も言わない。でも、通じ合う。
今はこの家は何かおかしい。けれど、僕たちに出来ることは限られている。
だけど、いつか動くべき時が来たら、その時はちゃんと一緒に動こう。
そのためにも今は、我慢をしよう。ミツヤの存在も、受け入れよう。でも注意深く。
僕たちは僕たちにしか出来ないやり方で、ミツヤのことを見張ろう。
そしてそれより大切なことは、
いつかくる破綻……何故か分かる……その時、ちゃんと平気でいることだ。
ちゃんとこの家を安らげる場所として、平気で守っていくことだ。……兄たちのために。
それが伝わりあった。
なぜだか分からないけれど、話すまでもなく、お互いがそう思っていることを、知っていた。
双子だからかもしれないし、これまでも何かの端々にそういうことは言っていたからかもしれない。
二人っきりで1年以上、屋敷の中に閉じこめられていたことは大きかった。
それは二人の間に、また一つの絆を生んでいた。
「ごめんな……」
「ううん……」
「兄貴、起きたかな」
「寝ていた」
「そっか……」
やりとりは、それだけで済んだ。
二人は抱きしめあっていた。小さな双子。小さな子供。
でも彼らは確かに大切なことを知っていたし、彼らなりに戦っていた。
一緒に。一緒だったからこそ。彼らは戦うことが出来た。
ハーレムの流す涙を、サービスはそっと指でぬぐう。ハーレムはその感触に身をゆだねる。
道化師の涙。何も出来ないからこそ、流す涙。日々明るく振る舞い、笑ってみせる、ピエロの涙。
ぽろぽろこぼれていく涙を、サービスの手は受け止める。
優しく。だからハーレムは、声を立てずに泣くことが出来た。もちろん、まだ大人じゃなかったけど。
そうやって日々を生きていた。
壊れやすいガラスの檻の中で、二人はお互いにお互いを支え合って、
懸命に日々を笑って過ごしていた。
それは自分たちのためではなく、誰かのためで。
誰かに笑っていてもらうためで。だから二人は愚かな道化師で。
でもそれでいいのだと、お互いだけは、知っていた。
2007.2.18
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