壊れやすい檻の中で 前編


憂うつな月曜日がやってきた。

「……ハーレム」
サービスは声をかける。
「勉強の時間だよ、ハーレム」
「……」
双子の兄はむすっとした顔で、テレビ画面を見つめている。
放映されているのは古いドラマで、大して面白くもないくせに、意地になってにらんでいる。
こんな大人のドラマ……ソープオペラって言うんだっけ、ハーレムは別に興味ないくせに。
大人同士が惚れたとか惚れないとか、心底くだらないって思っているくせに。

父が死んでまだ2ヶ月。でも、生活はがらりと変わってしまった。
マジック兄さんは新しい総帥になって、家にはもうほとんど帰ってこない。
ルーザー兄さんは士官学校に入って、やっぱり家には週に1度しか帰らなくなった。
双子はぽつんと家に置いて行かれた。「今は危ないから、学校はしばらくお休みだよ」って。
その代わり、家庭教師について勉強をしなさいって。
それが月曜日からの決まり。憂うつな一週間の始まり。家で二人っきりの。

「今」って「いつ」なんだろう、「いつ」までこんな生活が続くんだろう……
でもそれは、聞いてはいけないこと。
大きな屋敷に二人っきりで置いて行かれて、閉じこめられたも同然でも、
それは自分たちを守る檻だから、決して壊してはいけないのだ。
だってそれは、壊れやすいガラスの檻だから。

サービスだって、別に勉強は好きじゃない。でも、ちゃんと勉強しないとルーザー兄さんが悲しむから
……みんなは怒るっていうけど、サービスには兄さんは怒る前に悲しんでいるように見えるから。
それに何より、ハーレムがもっと勉強嫌いだったから……。

これでサービスまで勉強を放り出してしまうと、本当に何もかも崩壊してしまう。
今では何もかもがそうだ。今の四兄弟は、壊れやすいガラスの道の上を歩いているようで、
いつも綱渡りみたいで、ずっとずっと気が抜けない。
その中で双子は、まるで天秤のように両側に立って、
お互い違う方向を向くことで、なんとかバランスを取っている。
つまり、ハーレムが勉強を嫌うなら、サービスが勉強を頑張ろうって言う。
サービスが苦手なことは、ハーレムが頑張ってくれる。……例えば兄さんたちに甘えることとか。
家にいるのは退屈で窮屈で苦しくても、なんでもないんだよって顔をして、明るく振る舞うことだとか。
勉強が嫌だって駄々をこねることだって、構って欲しいという訴えなのだ。
サービスが言いたいことを、ハーレムは代弁してくれているのだ。

知っている分かっている。子供はそんなにバカじゃない。
でも……。

「ハーレム」
「なんだよ、うっせえな」
ぎゅっと手にしたノートを抱きしめた。
……また口が悪くなっている。ルーザー兄さんはきっと嫌な顔をする。
でもハーレムはルーザー兄さんの説教は聞かない。怒られても、叩かれても、ますます反抗する。
これが反抗期ってやつなのかもしれない。いや、単にストレスが溜まっているだけなのかも。
その気持ちはサービスだってよく分かる。

よく分かるので、言葉が口をついて出た。
「ハーレムのバカ」
「……うるさい、魔女」
「ナマハゲ」
「るせーよ」
「頭悪いバカは軍隊にだって入れないよ」
「……またルーザー兄貴の受け売りかよ」
むっとする。確かにそれはそうだけど、サービスだってそれは本当だと思っているのだ。
本当だと思っているからこそ……自分も勉強を、嫌いな勉強を頑張っているのに。
だけどサービスの気持ちも知らず、ハーレムは言いつのる。
下手に言葉にしてしまったことで、歯止めがきかなくなっている。お互いに。

「チビ」
「身長はほとんど変わらないじゃないか」
「オマエなんて、やせっぽっちのチビじゃねーか」
「肉ばっかり食べていたら、太るだけだよ」
「るせー」
やっぱり最後はそれだ。「うるさい」。そう言ったらなんでも済まされると思って。
なんでこんなのが兄なんだろう。双子なのに。どっちが先に生まれたかなんて、ほとんど関係ないのに。
手にしたノートをぎゅっと握りしめる。投げつけてやりたいと思う。
ほんのちょっと前までなら、それをすぐ実行に移していた。……つまり、まだ父さんが生きていた頃には。
でも今は……しない。できない。何故かは分からないけれど。壊れるのが怖いからかもしれない。
だけどハーレムにはサービスのそんな気持ちは分からない。分からないで、ますますむかついている。
勝手に。本当に、こっちだってむかつく。

「今日中に、23ページまでは終わらせないと駄目なんだ」
「誰が決めたんだよ、そんなこと」
「僕だよ」
「ルーザー兄貴だろ」
「僕だってば」
「嘘付け」
「……じゃあハーレムは、マジック兄さんが決めたことなら、従うの?」
「……」
沈黙が返ってきた。
「どうなの?」
言葉が止まらない。
「電話して聞いてもいいんだよ。マジック兄さんに。ハーレムが勉強しませんって」
嘘だ。そんなことで電話しちゃいけない。兄さんはもう総帥なのだ。それくらい分かっているのに。
「ガキ」
……双子の兄の言葉は、サービスの心を抉った。自分が思っていたことを、まさに言われてしまった。

目が熱くなる。鼻の奥がツーンとする。まずい。泣いてしまう。こんなことで泣くなんて……駄目なのに。
「ハーレムのバカ!」
叫んで、今度こそノートを投げつけた。
そして身を翻して走り出した。何故かそれは、ちょっと心がすっとすることで、だから、ああ、
ハーレムはいつもこんな気持ちで兄さんたちに反抗しているのかと思った。
でも、目からぽろぽろ涙がこぼれて止まらない自分は、やっぱりとっても格好悪いのだけど。

……マジック兄さんは言う。
「もうちょっとの辛抱だ。あと1,2年したらきっと元の暮らしに戻れる。戻してやる」って。
ルーザー兄さんはもうちょっと厳しく、
「僕たちは変わったんだ。現実を受け入れなくてはいけないよ」と言う。
サービスには……どちらが正しいのかは分からない。きっとどちらも正しいんだと思う。
僕たちの生活は変わってしまった。そしてきっと、1,2年後にはまた変わる。
そうしてずっと変わり続ける。だって、もう守ってくれる大人はいないから。
僕たちは子供だけど、もう子供じゃなくなってしまったから。
上の兄たちを見ていれば、よく分かる。嫌でも分かる。
兄たちは戦っている、現実と、外の世界と、大人達と、その最前線で。
……きっと、僕たちを守るために。

なんて悔しいことなんだろう。
双子は、今はただ、この守られた空間で息を潜めて、年を取り成長することを待つことしかできない。
でも……それはなんて、悲しいことなんだろう。
物事がいい方向に変わりますようにって、思い願うことしかできないっていうのは、
なんて悔しくて悲しくて……子供っぽいことなんだろう。

涙がぽろぽろこぼれて止まらない。
まっすぐに階段をかけあがって、自分の部屋に入って、扉に鍵をかけた。
そのままドアに背を預けて、床に座り込んで泣く。
サービスは泣き虫だ。兄たちにはずっと言われ続けてきた。
ルーザー兄さんは「大脳生理学的に、泣くのは決して悪いことじゃないよ」と言ってくれたけど、
当のルーザー兄さんが泣いているところを、サービスはまだ見たことがない。

父さんが死んだときも……兄さんたちは泣かなかった。
双子が泣きじゃくっている横で、深刻な顔をして何かを話し合っていた。
そうして僕たちをぎゅっと抱きしめ続けてくれていた。まるで代わりに泣いてくれというかのように。
お葬式の席でも、マジック兄さんは黒いスーツを着て、怖い顔をして
挨拶に来る人たちに、ずっと返礼をし続けていた。その横にルーザー兄さんも、表情を消して立っていた。
寄り添うように。支え合うように。そうしないと、今にも倒れてしまいそうに。青い顔をして。
それでもしっかりと背筋を伸ばして、世界に挑むかのように。まだ13歳と12歳の兄たちが。
あの姿はサービスの心に今も焼き付いている。それを見て、サービスももう泣けなくなってしまったのだ。
兄たちの前では。

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