壊れやすい檻の中で 後編


だけど……今はまた泣いている。泣いてしまっている。
ハーレムのバカバカバカバカバカ……頭の中では、その言葉が渦巻いている。
こんな気持ち、誰にも言えない。誰にもぶつけられない。ルーザー兄さんにだって話せない。
ただハーレムには、ハーレムにだけはいいのだ。バカだから。勉強もしないバカだから。
ちゃんと兄さんたちの前では明るく振る舞うことさえ出来れば、
今はいくら泣いても、喧嘩しても構わないのだ。それくらいは、きっと、構わないのだ。
月曜日だから。今は月曜日だから。

「ハーレムのバカッ!」
思いっきり叫んだ。
「……」
扉の向こうで、何か気配がした。
きっとハーレムがいる。分かった。でも言葉は止まらない。
「ハーレムのバカッ。そっちのほうがガキじゃないかッ。軍人になるんだろッ。
 じゃあちゃんと勉強しないと駄目じゃないかッ。
 ……そうしないと、兄さんたちみたいに、パーパみたいに、なれないんだからッ」
ぎゅっと手で両肩を抱きしめる。ノートがないことが、さっき投げつけてしまったことが悲しかった。
勉強を続けるためには、あれを取りに戻らないといけない。
ちゃんと勉強しないと、いけないのだ。……だって、サービスも軍人になるのだから。
そう、決めたのだから……。
「ぐっ、ひっくっ」
考えてしまったせいで、言葉が続かず、嗚咽がそのまま漏れた。
ああ、格好悪い。こんなのとっても子供っぽい。

「……」
「……」
しばらく沈黙が続いた。ドアのこちら側と向こう側で。
サービスは目からぽろぽろ涙をこぼしながら、自分の膝を抱きしめて、床を見つめ続けていた。
「……悪かったよ」
ぼそりとそんな声が聞こえた。ほとんど聞こえないくらいかすかに。
「……」
返事をしないとと思うけど、言葉が出てこない。

あれは、ハーレムなりに精一杯の歩み寄りなのだ。
あのハーレムが謝るってことは、本当に珍しいことなのだ。特に、自分から、自主的にってことは。
ハーレムは甘えん坊だ。サービスに負けず劣らず甘ったれで、
だから兄さん達に怒られないとちゃんと謝ることも出来ない。……そういう双子の兄だった。
父さんが生きていた頃は。
でも、彼もきっと変わりつつあるのだ。……変わらざるを得ないのだ。僕たちは。

「……うん」
精一杯、その言葉を絞り出した。やっぱり扉の向こうには聞こえているか分からないくらい、小さく。
「……うん」
それしか言えなかった。
「……あのよぉ」
ドアの向こうで声がする。
「俺はちゃんと軍人になるから。そうしておまえを守ってやるから。だから……その、勉強は、するぜ」

「ハーレムのバカ」
「あ!?」
思わず返した言葉に、向こう側で驚いた声がする。そんなのってないだろって叫びが聞こえる。
でもサービスは構わず続けた。
「違うもん。だって、僕も軍人になるから。僕のほうがずっと頭はいいんだから」
「な、な……」
「そんな兄さんたちみたいなこと言ったって、どうせハーレムと僕は同い年だから。
 ずっと一緒に成長していくんだから。守ってもらう必要なんかない。……守るなんて、いらない」
そんなのもうたくさんだった。守られるだけなんて。そんなのは、もう。
「僕のほうが頭はいいんだから。ハーレムなんて腕力だけのナマハゲじゃないか」
「な、な、なんだとッ、この魔女ッ。オマエなんかお利口さんぶっているだけの、なまっちょろじゃねーか」
そんな喧嘩を再開しながら、でも心の中ではおかしかった。
お利口さんぶっているだけの、なまっちょろ、それは確かにきっとその通りだ。
今だから、それくらいは認めてもいい。大人になるために。大人にならないといけないから。
でもそれは、ハーレムが腕力だけのナマハゲであるのと同じくらいに、だ。ここは譲れない。

けど、僕たちは成長していく。成長してみせる。きっと。
そして一緒に軍人になるのだ。兄たちを支えられるように。
サービスは決めた。口に出したことで、より気持ちがはっきりした。
それは結構、気持ちのいいことだった。さっき、ハーレムにノートを投げつけたときよりもずっと。

ごしごしと目をこする。涙はもう止まっていた。涙のあとまでは消せないけれど、それは仕方ない。
部屋を出たらまず顔を洗おう。そしてノートを拾って勉強をするのだ。……今は、それしか出来ないから。
でも、それだけは出来るから。この守られた、壊れやすいガラスの檻の中でも。

カチャリとドアを開けて――それにはやっぱり勇気が要ったけど――外に出ると、
部屋の前には気まずそうな顔をした双子の兄が立っていた。
なんだ、やっぱり背はほとんど変わらないじゃないかと思う。
それは確かにハーレムのほうがちょっと高く見えるかもしれない。
でもそれは、あの髪の毛のせいだ。ナマハゲの髪の毛の分だけの違いなのだ。……きっと。

「なあ、おまえ本当に軍人になるのか?」
「なるよ」
サービスはうなずいた。
「あの、だってよぉ……」
「なるから」
きっぱりと言う。
ハーレムはまだ何か言いたそうにぐずぐずして――、だけど何かを受け入れたようにうなずいた。
「そっか」
そういってニッコリ笑ってみせる。サービスは……ちょっと呆然とした。
これはまずいかもと思う。自分はこんな時、こんなに鮮やかに笑えない。
これはまずいかもと思う。成長を抜かされたかもしれない。……双子なのに。

「じゃあ、頑張ろうな」
そう言って差し出された手には、サービスのノートが握られていた。
拾ってくれていたのだ。そうして追いかけてくれていたのだ。
……これはますます、まずいかもしれない。
自分はまだ涙のあとを顔にはりつけたままで、弱ったれた甘えん坊で。

だけど、サービスは気がついた。そうしているハーレムの顔も、一生懸命に笑っていることを。
頬の端がちょっとぴくぴく引きつって、目尻は少し赤くて……たぶん、彼も泣きかけていたことを。
そういう細かいことに気づくのは、サービスの得意なことだったから。
ガサツなハーレムとは違うのだ。
「フンだ」
サービスはノートを受け取りながら、精一杯胸を張って言う。
「じゃあハーレム、この問題は解ける?」
ぱっとノートを開いてみせる。
「う……」
途端に双子の兄は情けない顔になった。分かりやすい、本当に分かりやすい、ハーレム。
……だけど、だから僕たちは、双子で、一緒の存在なのだ。
「教えてあげるよ」
そういって、笑って見せた。自分なりに精一杯の笑顔で。ニッコリと「魔女」らしい、笑顔で。
それは双子としての宣戦布告であり、同時に仲直りの笑顔でもあった。
「い、いや、俺はちゃんと自力で解く……」
まだ何か言っているけれども、気にしない。それよりもまず、顔はちゃんと洗わないと。

サービスは先に立って廊下を歩き出した。
後ろからハーレムも追いかけてくる。横に並んだとき、がしっと肩に腕を回された。
「なあ、このこと、兄貴達には内緒だぜ」
「うん、分かっているよ」
双子はささやき合う。これは彼らだけの秘密。
こうして溜め込んだストレスを解消するかのように、つまらない喧嘩を繰り返していることも、
泣いてはお互いに歩み寄って、自力でなんとか仲直りしていることも。
そうして、二人とも軍人になると決めたことも。

今は月曜日。まだ一週間は長いけど、週末になればルーザー兄さんが帰ってくる。
もしかしたら、マジック兄さんも少しは顔を見せてくれるかもしれない。
そうしたら、二人は精一杯の笑顔で兄たちを出迎えるのだ。
この壊れやすいガラスの檻の中で。

だけど、精一杯、今を生きて。


2007.2.3

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