だけど……今はまた泣いている。泣いてしまっている。
ハーレムのバカバカバカバカバカ……頭の中では、その言葉が渦巻いている。
こんな気持ち、誰にも言えない。誰にもぶつけられない。ルーザー兄さんにだって話せない。
ただハーレムには、ハーレムにだけはいいのだ。バカだから。勉強もしないバカだから。
ちゃんと兄さんたちの前では明るく振る舞うことさえ出来れば、
今はいくら泣いても、喧嘩しても構わないのだ。それくらいは、きっと、構わないのだ。
月曜日だから。今は月曜日だから。
「ハーレムのバカッ!」
思いっきり叫んだ。
「……」
扉の向こうで、何か気配がした。
きっとハーレムがいる。分かった。でも言葉は止まらない。
「ハーレムのバカッ。そっちのほうがガキじゃないかッ。軍人になるんだろッ。
じゃあちゃんと勉強しないと駄目じゃないかッ。
……そうしないと、兄さんたちみたいに、パーパみたいに、なれないんだからッ」
ぎゅっと手で両肩を抱きしめる。ノートがないことが、さっき投げつけてしまったことが悲しかった。
勉強を続けるためには、あれを取りに戻らないといけない。
ちゃんと勉強しないと、いけないのだ。……だって、サービスも軍人になるのだから。
そう、決めたのだから……。
「ぐっ、ひっくっ」
考えてしまったせいで、言葉が続かず、嗚咽がそのまま漏れた。
ああ、格好悪い。こんなのとっても子供っぽい。
「……」
「……」
しばらく沈黙が続いた。ドアのこちら側と向こう側で。
サービスは目からぽろぽろ涙をこぼしながら、自分の膝を抱きしめて、床を見つめ続けていた。
「……悪かったよ」
ぼそりとそんな声が聞こえた。ほとんど聞こえないくらいかすかに。
「……」
返事をしないとと思うけど、言葉が出てこない。
あれは、ハーレムなりに精一杯の歩み寄りなのだ。
あのハーレムが謝るってことは、本当に珍しいことなのだ。特に、自分から、自主的にってことは。
ハーレムは甘えん坊だ。サービスに負けず劣らず甘ったれで、
だから兄さん達に怒られないとちゃんと謝ることも出来ない。……そういう双子の兄だった。
父さんが生きていた頃は。
でも、彼もきっと変わりつつあるのだ。……変わらざるを得ないのだ。僕たちは。
「……うん」
精一杯、その言葉を絞り出した。やっぱり扉の向こうには聞こえているか分からないくらい、小さく。
「……うん」
それしか言えなかった。
「……あのよぉ」
ドアの向こうで声がする。
「俺はちゃんと軍人になるから。そうしておまえを守ってやるから。だから……その、勉強は、するぜ」
◆
「ハーレムのバカ」
「あ!?」
思わず返した言葉に、向こう側で驚いた声がする。そんなのってないだろって叫びが聞こえる。
でもサービスは構わず続けた。
「違うもん。だって、僕も軍人になるから。僕のほうがずっと頭はいいんだから」
「な、な……」
「そんな兄さんたちみたいなこと言ったって、どうせハーレムと僕は同い年だから。
ずっと一緒に成長していくんだから。守ってもらう必要なんかない。……守るなんて、いらない」
そんなのもうたくさんだった。守られるだけなんて。そんなのは、もう。
「僕のほうが頭はいいんだから。ハーレムなんて腕力だけのナマハゲじゃないか」
「な、な、なんだとッ、この魔女ッ。オマエなんかお利口さんぶっているだけの、なまっちょろじゃねーか」
そんな喧嘩を再開しながら、でも心の中ではおかしかった。
お利口さんぶっているだけの、なまっちょろ、それは確かにきっとその通りだ。
今だから、それくらいは認めてもいい。大人になるために。大人にならないといけないから。
でもそれは、ハーレムが腕力だけのナマハゲであるのと同じくらいに、だ。ここは譲れない。
けど、僕たちは成長していく。成長してみせる。きっと。
そして一緒に軍人になるのだ。兄たちを支えられるように。
サービスは決めた。口に出したことで、より気持ちがはっきりした。
それは結構、気持ちのいいことだった。さっき、ハーレムにノートを投げつけたときよりもずっと。
ごしごしと目をこする。涙はもう止まっていた。涙のあとまでは消せないけれど、それは仕方ない。
部屋を出たらまず顔を洗おう。そしてノートを拾って勉強をするのだ。……今は、それしか出来ないから。
でも、それだけは出来るから。この守られた、壊れやすいガラスの檻の中でも。
カチャリとドアを開けて――それにはやっぱり勇気が要ったけど――外に出ると、
部屋の前には気まずそうな顔をした双子の兄が立っていた。
なんだ、やっぱり背はほとんど変わらないじゃないかと思う。
それは確かにハーレムのほうがちょっと高く見えるかもしれない。
でもそれは、あの髪の毛のせいだ。ナマハゲの髪の毛の分だけの違いなのだ。……きっと。
「なあ、おまえ本当に軍人になるのか?」
「なるよ」
サービスはうなずいた。
「あの、だってよぉ……」
「なるから」
きっぱりと言う。
ハーレムはまだ何か言いたそうにぐずぐずして――、だけど何かを受け入れたようにうなずいた。
「そっか」
そういってニッコリ笑ってみせる。サービスは……ちょっと呆然とした。
これはまずいかもと思う。自分はこんな時、こんなに鮮やかに笑えない。
これはまずいかもと思う。成長を抜かされたかもしれない。……双子なのに。
「じゃあ、頑張ろうな」
そう言って差し出された手には、サービスのノートが握られていた。
拾ってくれていたのだ。そうして追いかけてくれていたのだ。
……これはますます、まずいかもしれない。
自分はまだ涙のあとを顔にはりつけたままで、弱ったれた甘えん坊で。
だけど、サービスは気がついた。そうしているハーレムの顔も、一生懸命に笑っていることを。
頬の端がちょっとぴくぴく引きつって、目尻は少し赤くて……たぶん、彼も泣きかけていたことを。
そういう細かいことに気づくのは、サービスの得意なことだったから。
ガサツなハーレムとは違うのだ。
「フンだ」
サービスはノートを受け取りながら、精一杯胸を張って言う。
「じゃあハーレム、この問題は解ける?」
ぱっとノートを開いてみせる。
「う……」
途端に双子の兄は情けない顔になった。分かりやすい、本当に分かりやすい、ハーレム。
……だけど、だから僕たちは、双子で、一緒の存在なのだ。
「教えてあげるよ」
そういって、笑って見せた。自分なりに精一杯の笑顔で。ニッコリと「魔女」らしい、笑顔で。
それは双子としての宣戦布告であり、同時に仲直りの笑顔でもあった。
「い、いや、俺はちゃんと自力で解く……」
まだ何か言っているけれども、気にしない。それよりもまず、顔はちゃんと洗わないと。
◆
サービスは先に立って廊下を歩き出した。
後ろからハーレムも追いかけてくる。横に並んだとき、がしっと肩に腕を回された。
「なあ、このこと、兄貴達には内緒だぜ」
「うん、分かっているよ」
双子はささやき合う。これは彼らだけの秘密。
こうして溜め込んだストレスを解消するかのように、つまらない喧嘩を繰り返していることも、
泣いてはお互いに歩み寄って、自力でなんとか仲直りしていることも。
そうして、二人とも軍人になると決めたことも。
今は月曜日。まだ一週間は長いけど、週末になればルーザー兄さんが帰ってくる。
もしかしたら、マジック兄さんも少しは顔を見せてくれるかもしれない。
そうしたら、二人は精一杯の笑顔で兄たちを出迎えるのだ。
この壊れやすいガラスの檻の中で。
だけど、精一杯、今を生きて。
2007.2.3
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