解呪 -1-


それはかの南の島から帰還する途中のこと。
彼は夢の中にいた。

不思議な夢だった。
ずっと遠くでゴウゴウと鳴る音が聞こえ、それは飛行船のエンジンと船が風を切って進む音だと
分かっている。だからここはハーレムが慣れ親しんだ自分の飛行船の中であるはずなのに、
何故か辺りは真っ暗で、単に明かりが消えているという次元ではなく真っ暗で、
その中にぽつんと一人、ハーレムは立っているのだった。

怖いとは感じなかった。不思議だとも思わなかった。ただ何かを待っていることは知っていた。
もう闇の中に沈んでしまった何かが目の前に現れるのを待っている。
そんな暗い夢だった。

どれほどの時間が過ぎたのだろう。あるいはほんのわずかな時間だったのか。
少し目を開け、うつつに目覚めていた気もする。
そしてまた眠りに落ちたその時だったような気もする。

ハーレムの前には、もう何年も憎み続けてきた兄ルーザーの姿があった。

彼は南国の島に現れた時と同じように黒い服に身を包み、相変わらず恐ろしい程に整った
美しい顔で微笑んでいた。そしてルーザーは薄い唇から優しい言葉をつむぐ。
「ハーレム、僕を犯してごらん」、と。

その時、頭の先からつま先まで、電流を流し込まれたような気がした。

「てめぇ、何を言ってやがる……ッ」
暗闇の中で叫ぶ。その声はやはり闇に吸い込まれていった。
逆に闇から現れ出でた亡霊は恐ろしい程の存在感を持って、ハーレムに近づいてくる。
思わず後ろに踏み出しそうになる足を押さえつけたのが、せめてもの意地だった。
「ねえハーレム、おまえはずっとこの僕に犯されたと感じてきたんだろう?」
そう言いながら白く長い指が伸びてきて、頬を撫でる。
その氷のような冷たさが昔の記憶を呼び覚ます。これは兄の癖だった。
ルーザーはいつもハーレムのことを、物珍しい動物を見るような瞳で見据えながら
こうやって指を伸ばし、頬を撫でていたのだった。
まるで「これが僕と同じ種類の生き物だなんて信じられないな」とでもいうように。

「やめろッ」
ハーレムは記憶ごと力一杯その手を振り払う。ルーザーは不可解そうに眉をひそめた。
「ひどいなハーレム、以前は僕に対してこんなことはしなかったのに」
まったく理解できないと、心底思っている顔だった。
「前はあんなにいい子だったじゃないか」
「違うッ」
即座に否定する。だが兄の口調は変わらず物事を断定していた。
「そんなことはない、おまえは僕を愛していたんだよ。ハーレム」
「違うッ」
「だって僕の下であんなに悦んでいたじゃないか」
くつくつと愉快そうに笑う顔を見て思わず拳を握りしめる。
自分はもうあの頃のような子供ではないことを、この残酷な兄に教えてやるつもりだった。
けれどそれすら面白そうに見やりながら、ルーザーは言った。
「だから僕がサービスの親友を殺した時も、かばってくれたんだろう?」

「……な、に!?」
心臓の鼓動がはね上がる。振り上げたはずの拳から力が抜けていく。
そんな弟に立ち直る隙を与えず、ルーザーは淡々と言葉をたたみかけた。
「おまえは真実を知らせることでサービスが傷つくことだけを恐れたんじゃない。
 サービスが兄のことを、自分と同じように憎み始めることが怖かった……とは思わないかな?
 ねえハーレム、おまえが安心して僕を憎むことが出来たのは、
 弟が自分の分まで兄を愛してくれていると、信じていられたからじゃないのかい?」
「違う……」
否定の言葉は先ほどまでの強さを持たない。
兄の言葉は明らかにおかしいと頭では分かっているのに、何故か心の動揺が治まらない。
「おまえは小鳥のことをサービスには言わなかった。それどころかマジック兄さんにもね」
そんなハーレムの揺らぎを読んだかのように、ルーザーは話し続ける。
「みんな僕たちだけの秘密だった、僕たち二人だけの」

――そうだ。どうしてハーレムは黙って一人で怯え続けていたのだろう。
最初は偶然だった。でもその次は?
ルーザーが恐ろしいことをしないように、弟と一緒の時は自分を曲げてでも兄の意向に従った。
一番初めに抱かれた時もそう。
隣で眠っているサービスを起こさないように、ハーレムは息を殺して兄を受け入れた。
だけど、それは本当に、望まないことだったのか……?

ルーザーは笑う、恐ろしい程綺麗な笑顔で。
「可哀相なハーレム。死んでしまった僕のためにずっとずっと最愛の弟に憎まれ続けて。
 本当におまえは不器用だね、ハーレム。
 だけど僕はそんなおまえが大好きだよ、ハーレム」
「……」
冷や汗が背筋を伝うのを感じていた。
内側では、兄の言葉を必死で拒否する心と、それを打ち消しきれない心がせめぎ合い、
外からすべての元凶である兄が再び指を伸ばしてくる。だがハーレムは動けない。
そして悪魔は弟の頬に触れ、決定的な言葉をつむいだ。
「だから僕はおまえを犯したんだよ」

「うわあああッ」
それが契機だった。ハーレムの中で何かがはじけ、彼は無我夢中で相手に掴みかかった。
ルーザーは抵抗した。少なくとも何もせずハーレムの暴力に
ただ身を任せていたわけではなかったと思う。それがますますハーレムをいきり立たせた。
相手をどうするつもりだったのか、どうしたかったのか、定かでないままに黒衣は引き裂かれ、
そして気が付くとハーレムは倒れたルーザーの上に馬乗りになって、
衣の下から現れた兄の裸の胸を見下ろしていた。

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