窓の外には南国の風景が広がっていた。
亜熱帯の濃い緑がむせかえるような生気を放って、地上を覆い尽くしている。
空気の色までもが違う世界のようだった。マジックがこれまで生きてきた、乾いた世界とは違う、
肌にまとわりつくような水分を含んだ大気。
空調が完備されているはずの弟ハーレムの飛行船の中までも、それは入り込んでくるようで
少し……不快だった。計算外のことばかりが起こっている。
大切なものは手を伸ばせば届きそうなところにあって、掴もうとするとすり抜けていく。
最愛の息子は敵となり、過去に葬ったはずの者が姿を現し、弟たちは反逆にうごめき出した。
幼くして総帥職を継いでから、築き上げてきたすべてのものが
根底から覆されようとしている……恐怖。
それは明るい南国の日射しの中で、忍び寄る青白い影にも似ていた。命の、影。
そして唐突に現れた、遠い過去に失われたはずの姿。
「……ルーザー」
「私をお呼びですか?」
部屋の隅にひかえた影が、マジックの呟きに対してわざとらしく応じる。
顔は窓の方に向けたまま、視線だけをそちらに向けたマジックに対し、
弟の体をまとった青の番人――アスは、滑るような足取りで近づいてきた。
生気を感じさせない亡霊のような動き、それは彼が元の、番人の姿をしていた時と変わらず、
決して弟のそれではない。だけど、彼がまとっているのは紛れもない弟の肉体だった。
本物の、ルーザーの体。どれだけ探しても見つからなかった、弟の遺骸。
――秘石が修復し、保存していました。
慇懃な口調で告げた番人は、すでにその肉体を使用していた。
殴り飛ばそうにも、それは弟の体で、あれほどに探したルーザーの姿で、
だからマジックはすべての感情を殺して、ただ「そうか」とうなずくことしかできなかった。
番人はその反応をどうとったのか、以後もぬけぬけとマジックのかたわらにひかえている。
「何かご用でしょうか。兄さん?」
ルーザーの顔で。ルーザーの声で。ルーザーの肉体を使って。
「別に……」
用はない、そう言おうと思った。マジックはそのままの姿勢で、しげしげとアスの姿を眺めた。
見つめずにはいられない、ルーザーの姿なのだから。幻でも影でもない、本物のルーザーの肉体。
……ただ、中に入っている魂だけが違う。
「私のこの姿はお気に召しましたか?」
亡霊はゆったりと笑った。
「この体も、貴方に会えて喜んでいることでしょう。
記憶によれば、ルーザーは兄のことをとても愛していましたから」
マジックは無言のまま、番人を見つめる。
「ご存知でしたか? 彼はとても寂しかったようですよ。だんだん出来ていった貴方との溝に……」
「黙れ」
ガンマ団内では逆らうものなどいるはずもない、氷のような声にも、アスは動じなかった。
「ジャンを殺した場で貴方に叱られた時、ルーザーが逆上した理由を知っていますか。
貴方の姿を見た時、彼は褒めてもらえると思ったんですよ。愛する兄に、褒めてもらえるってね」
くつくつと、おかしくてたまらないといった顔で、ルーザーの姿をしたものが笑う。
青の番人は、人間のことなど本当に玩具としてしか見ていないようだった。
たぶん、青の秘石もそうなのだろう。そのようなことも知らずに、マジックはずっと秘石を側に置き、
自らの野望のために使用してきた。便利な道具だとしか、思っていなかった。
まったくもって、愚かなことに。
「アス。死者を侮辱するな」
「何が侮辱なのでしょう。私はむしろ、貴方はもっと秘石に感謝してもいいと思いますよ」
番人は本気でそう思っている風だった。
鋭い怒気を含んだ口調にも気付く様子なく、ただ薄っぺらな笑みを浮かべている。
まるですべてが分かっているかのように、だが何も分かってはいない。
マジックは嘆息する。
青の番人の愚かさは、そのまま自分の愚かさでもあった。
彼が弟の肉体をまとって現れた時、すでにそれを知ってしまったから、
あるいは殴ることができなかったのかもしれなかった。
だが、それでもマジックにはすべきことがある。
青の一族の総帥として、崩れかけている砂の城の主であっても、守るべきものが。
「一つ聞きたい」
「なんでしょう?」
「おまえの主はこの私か」
「いいえ、違います」
アスは慇懃に笑う。
「私の主は青き秘石。あなた方はその秘石が生み出した一族であるから、守っているだけのこと」
「……守られた覚えなどないがな」
「知らないだけのことですよ」
言いながら胸に手を当て腰をかがめてみせる番人の姿は、先ほどまでとは少し違っていた。
そこに真実があるからだろう。マジックが主でなどないことも、「知らないだけ」であることも。
逆に、彼が語るルーザーの記憶には、それがなかったとも言える。
あれは事実であっても、真実にはなりえなかった。器に入った魂の虚ろさゆえに。
そんなことを頭の隅で考えながら、マジックは立ち上がった。
「なんです?」
大きな執務机を回り込んで歩み寄ってくるマジックに、アスはかすかに眉をひそめる。
まるでエラーを見つけたような顔だ。そうしていると、本当にルーザーのようだった。
胸が痛んだ。針で刺されるかのように、痛かった。
マジックは弟の姿をしたものに手を伸ばし、首を押さえつける。
殺気がなかったからだろう、番人はそんなマジックの動きに対してわずかに反応が遅れ、
その隙は一族最強の男にとっては充分な時間だった。
首筋にかけた手一本で相手の体を吊り上げ、
咄嗟に息が出来ず喉に手をやろうとしてもがいたところを、机の上に押し倒す。
相手がスチールの机に強く頭を打ち付けないよう、最後の力を抜いたのは、
やはりそれが弟の体であったからかもしれなかった。
「なにをしているのですか」
どこまでも現実感に乏しい口調で、番人は上にのしかかってきた男に尋ねる。
マジックは答えず、ただ機械的な手つきで相手の下穿きをむしり取ろうとする。
「ああ……、これが人間の"行為"ですか」
記憶を探り、アスは尋ねた。
「ルーザーは貴方とそういう関係では……、いや彼は確かにこれを望んでもいた」
「そうか」
どこまでも感情を殺して、マジックは作業を続ける。正直なところ、このような相手に対して
自分が行えるのか――つまり勃起できるのかは、彼にも分からなかった。
だがこのような敵でも味方でもない、人の条理とは違う理由で動いている相手を
従わせ、抑えつけ、組み敷き、自らの意を通すには、この方法しかないと、
マジックの本能が告げただけ。……それは決して弟の体を欲したからではなかった。
いっそそうであったならば、まだ救われたのかもしれない。
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