蕩尽 -2-


「へえ、言わなくていいんだ」
ミツヤは笑う。意味ありげに。
「何の用なんだ?」
「いや、僕は君が知りたいんじゃないかと思って」
「何を?」
「僕が君の兄さんと何をしているのか」
「……」
血が沸騰する。眼が痛む。余計に物事が考えられなくなる。
それがミツヤの手だった。ルーザーの優れた頭脳。だが、優れているがゆえに、
その思考能力を怒りによってでも奪われれば、ルーザーはひどく、脆い。
そんな彼の側面を、ミツヤは知っていた。
ミツヤは……そういう人間だったから。人を見て、長所以上に弱点を探す。そういう人間。そんな生き方。

「出て行け」
ルーザーはようやくそれを言った。もっと早く言うべきだったと思いながら。
「いいのかい?」
ミツヤは尋ねる。
「出て行け」
「僕はここから出たら、マジックの寝室へ行くつもりだけど」
「……」
――じゃあ、殺す。
そう思いながら、殺せない自分のことも、ルーザーは知っていた。
どうして殺せないのか、それすら考えられないほどに、頭の中では怒りが渦巻いていた。

殴り倒す。半殺しにする。自分にそれが出来るかを、ルーザーは考えた。
ミツヤはこれでも……強い。格闘も出来れば、秘石眼の力も使える。
13歳と20代の成人した男性との差は、あまりに大きかった。
さらにいえば、ルーザーは手加減というものが苦手だった。
つまり選択肢は殺すか、殺さないか。そこまで追い詰められていた時点で、チェックメイト。王手だ。

「何が望みだ?」
彼はそう尋ねた。
「うん。それなんだけど」
ミツヤは笑って両手を広げる。
「どうだろう。今夜は君が兄さんの代わりに僕の相手をしてくれるっていうのは?」
「……」
あまりに馬鹿馬鹿しすぎて、何も言えなくなる。それもまた、ミツヤの手。
論理を重んじる優れた頭脳だからこそ、彼は対処できない。こんなにも愚かで卑怯な人間には。
屋敷の中で大切に守られてきた天才少年。ルーザーは、それに過ぎなかった。
そんな当たり前のことを、多くの人は忘れてしまうが、ミツヤはちゃんと見抜いていた。
彼はどこまでも凡人で、世間一般の規範や善悪というものだけが欠落している、凡人だったから。
「死ね」
ルーザーに言える言葉はそれでしかない。実行できるはずのない、言葉。
実行しかねない……と普通なら思うところだが、ミツヤは思わない。そしてミツヤが思わないがために、
ルーザーもまた、どうして自分がそれをしてはいけないのか、分からなくなる。

本当は、兄が望まないからだ。ただ、それだけだ。
父亡き後のルーザーの世界では、自分を照らし暖め守ってくれる存在は兄であるマジックだけで、
兄との絆を失うことは、ルーザーにとって全世界を失うことに等しかった。
……そんな当たり前のこと。だが、かえりみてくれる人は誰もいない。
双子はまだ幼く、兄は……忙しかった。気付いたのは、ミツヤだけ。ルーザー本人すら、分かっていない。

「返事は?」
「だから、死ね」
「君らしくないね。イエスかノーかで答えて」
わざと是か非かに追い込む。それもまた、ミツヤの巧妙な手。
ルーザーは本来そのような思考が好きで、だがこの場合、彼が取るべき手は違った。
卑怯でも話をそらし、取引を持ちかけるべきだった。けれども、ルーザーにはそれが出来ない。
ミツヤは知っていた。
「ノーだ」
当たり前のように断定する。その、幼さを。

「分かったよ」
ミツヤは両手を挙げた。そして部屋から出て行こうとする。
「どこへ行く」
ルーザーは行き手を阻む。
「そりゃ、もう用はないから君の部屋から出て行くんだよ」
――君が望んだことだろう?
目で問いかける。そうやって、相手を追い詰めていく。
「そして、どこへ行く?」
「マジックと会うよ。チェスをしないかって誘われているんだ」
わざとはぐらかす。
そうやって、ルーザーがますます苛立ちを募らせ、正常な判断力を失っていくことを……楽しむ。
「兄さんは……疲れているだろう」
もう時間は12時をまわっていた。明日からはまた、マジックは総帥として本部に泊まり込む日々を送る。
出かけるのは朝の8時。今からチェスなど始めたら、取るべき睡眠時間が削られていく。
……いや、そもそもチェスなどするつもりはないくせに。そして、昨晩だってそのせいで……。
そんなわかりきった、当たり前のこと。

「だから、僕は君に相手をして欲しいんだよ」
ミツヤはにっこりと笑いながら、ルーザーの顎に手を伸ばした。
「……!」
ひゅっと振るった拳が捕まえられる。やはりミツヤは決して弱い人間ではなかった。
そしてルーザーは、趣味のフェンシングはしても、実戦訓練などしたことがなかった。父が死ぬまでは。
「ねえ。いいだろう、ルーザー?」
「……」
言葉を失って、絶句しているルーザーに、ミツヤはさらに顔をよせた。
「君だって本当は知りたいはずだ。兄さんが何をしているか。想像の中や、本の中の知識だけじゃなくて」
「……」
「そうだろう? 君はそういう人間だよ、ルーザー」

それは、正しかった。飽くなき知識欲。それは時として、主すらむしばむ。
知りたくないことは知ろうとも思わない。そもそも存在しているとすら認識しない。それは、幸せな平凡さ。
天才と呼ばれるような頭脳には、決して許されない逃避。
愛しているからこそ、知りたい。腹が立つからこそ、知りたい。殺してやりたいほどだからこそ、知りたい。
知りたい――すべてはそこに収束する。別の言い方をすれば、だからこそ彼は天才なのだ。

――どうして分かるのだろう。
ルーザーはそう考えた。それは少し、畏怖に似ていたかもしれない。
そのように彼を理解した人間は、これまでいなかった。正面から立ち向かってきた智者はいても、
このように卑怯で卑劣に、けれども彼――ルーザーという人間の本質に迫った相手はいなかった。

「イエスか、ノーかで答えて」
ミツヤは言う。静かな微笑みをその顔にたたえて。
勝ち誇るわけでもなく、あくまで誘うように。
「僕に体を許したからって、君の尊厳がなんら冒されるわけじゃないだろう?」
優しく、逃避の手すらさしのべて。それは確かに逃避だったが、事実でもあった。たぶん。
ミツヤに抱かれたからといって、それで自分の何が変わるのか。
それについては、ルーザーは確信すら持っていた。――何も、変わらない。
――僕は、何も、変わりなどしない。
それくらいで変われるものならば、とっくの昔に変わっていた。
天才であることが――、楽であるはずなどないのだ。

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