「……!」
思わず一歩下がっていた。怖かったからだ。この敵意というものを知らない少年が怖かったからだ。
まったく訳が分からない。これまでミツヤが生きてきた外の世界は、
己の欲望を満たそうとするケモノたちでいっぱいで、
ただ純粋に相手のことを心配する人間などいなかった。
よりにもよって、欲望の権化たる青の一族に、こんな人間がいるなんて。
……けれども、それを美しいとは思わなかった。不気味だった。怖かった。まるで幽霊のようだった。
ルーザーなら、ルーザーならあるいはこの純粋さを、そのままに愛するのかもしれないが、
ミツヤは違う。彼は考える。その対価にあるものを。純粋ゆえの危うさを。そうしてその利用価値を。
考える。ようやく冷静になった頭で考える。どうすればこの少年を黙らせることが出来るのかを。
「ミツヤ……」
「うん、……サービス」
ミツヤはにっこりと微笑んだ。いつもと同じ笑みを作る。そうしてそっとサービスの手を取った。
自分に向かって差し出された手を、握り返した。
「ごめんね。そう、僕は目が痛かったんだ。それでつい、乱暴なことをしてしまった。
本当にごめんね」
ふわりと上着をかけてあげる。サービスは細い指でぎゅっとそれを体の前で握った。
そこに少年の不安を見て取って、ミツヤは笑む。心の中で。
「サービス、こっちに来てくれないかな。そう、治療をしないと、ね……」
彼の手を取って導いた。自分のベッドの方へ。
◆
ベッド脇のナイトスタンドを付ける。
明かりの中にぼんやりと、サービスの姿が映し出された。
相変わらず上着は羽織ったままで、ただ心配そうに、本当に純粋に心配そうに
ミツヤのことを見つめている。
ミツヤはといえば、ベッドに腰掛けながら、破れたシャツを脱いだ。
上着は逃げる途中で捨ててきた。そのこともまた、ルーザーは文句を言うだろうが。
「消毒はしたほうがいいのかな?」
「うん。それは絶対」
ためらいなくうなずいたサービスの言葉を聞いて、一度立ち上がり戸棚から応急処置セットを持ってくる。
消毒薬を取り出しながら、さらに尋ねた。
利用価値のあるものは徹底的に利用する。それがミツヤのやり方だ。
「ルーザーは他にどんな薬を使っていたか、分かるかい?」
「えっとね、腫れを抑えるお薬と、痛みを止めるお薬。
基本的にね……たいしょう療法? それしか出来ないんだって」
「ああ、対症療法ね」
つまり根本的な対策・治療法はなくて、症状を抑えることしか出来ないわけか。
「秘石眼の傷はただのやけどじゃないから。細胞がまめつ?するんだけど、
それだけじゃなくて、同時に……えっと、しゅうへんは活性化?する不思議なところがあって……」
兄の言葉をそのままつないだらしい言葉を、ぽつぽつと話す。
「そうなんだ」
分かったわけではなかったが、完璧に理解した風にうなずいた。
それはルーザーに対しての意地でもあった。――アイツ、そんなことまで研究していたのか。
おそらく団の研究装置を使ってだろう。
士官学校にも行きながら、ルーザーはそれ以外にも実に多くの勉強・研究をこなしていた。
そしてさらにミツヤの駒としても働いている。
少しばかり人間とは思えない作業量だったが、ミツヤにとってルーザーとはそもそも道具であったから、
別に構いはしなかった。無理があろうが、その結果壊れようが、知ったことではない。
……ただ、その道具が勝手なことをするのは、気に障る。
「ミツヤ。痛いよ……」
「え?」
考えながら、消毒薬を綿に浸して傷に当てようとしていたミツヤは、サービスのその言葉に驚いた。
「とっても、痛いんだ。それ」
まるで自分が痛い思いをしているかのように、眉を寄せ、泣きそうな顔をしている。
かと思うと、いきなりミツヤにしっかりと抱きついてきた。
「さ、サービス……?」
裸の肌と肌とが触れあう。少年が肩にかけていただけの上着は、今また床に落ちていた。
サービスはそのことなど気にもとめずに、ただしっかりとミツヤに抱きついている。
それも彼の動きを邪魔しようとするのではない。両腕はちゃんと動かせるようにしながら、
つまりはまったくの懐に潜り込みながら、しっかりとミツヤの体に自分の腕を回している。
それも力一杯というわけではなく、ただ離れないようにしっかりと。
……彼が何をしようとしているのか、ミツヤにはまったく分からなかった。
「サービス……?」
「大丈夫だよ。大丈夫だから」
泣きそうな声が聞こえる。そして少年の肌の暖かさがそのまま伝わってくる。
絹のパジャマに負けるとも劣らない、その肌の滑らかさも。吐息が肩にかかる。
柔らかな金の髪からは、花の香りがした。シャンプーの匂い、そして少年自身の匂い。
思わずおぼれてしまいそうになるほどに、蠱惑的な状況。
……それで? それで、彼は何をしようとしているのか? ――サービスは。
「僕はここにいるよ……。に……ミツヤ」
一瞬挟まれた言葉が、ミツヤに正気を取り戻させた。
ああ、つまりはこれは、いつもサービスがルーザー相手にやっていることなのだ。
痛みに苦しむ兄を、こうやってなだめているのだろう。
――まったく。この兄弟は一体。
バカバカしいと思う気持ちの一方で、消せない何かがあった。
それはあるいは憧憬であったのかもしれない。ミツヤは決して手にしたことがないもの。
この無垢な少年の、純粋な心配。そして優しさ。そして……愛情。
――!! バカバカしいッ!!
◆
怒りにまかせて、自らの腕に、その傷に、消毒薬を浸した綿を押しつけた。
「……!! ッ!!」
痛かった。とてもとても痛かった。ただの傷にはない痛みがそこにはあった。
この程度の傷が持つとてとても思えない、全身を切り裂かれるような痛みだった。
体中の細胞が悲鳴を上げている。
……秘石眼の力。そして秘石眼を持つものの業を、感じずにはいられない痛みだった。
苦しみにもだえるミツヤの体を、サービスは振り回されながらも懸命に抱きしめていた。
前回は、そうラッコンを殺したときは、先に麻酔を打った。傷がひどかったので、
医師は真っ先に麻酔を使った。だからこそ、気づかなかった。気づかずにすんだ。この痛みに。
「……ぁ、ぅ、くっ!」
声を上げないようにするのが精一杯で、そのためにもミツヤは……抱きしめ返していた。
サービスの体を。そのぬくもりを。暖かさを。むさぼるように。口からも彼の匂いを吸い込む。
「大丈夫、大丈夫だよ……」
涙声で懸命にサービスは繰り返す。それは確かにミツヤの心に染みこんだ。
痛みを和らげる何かがそこにはあった。ミツヤはそれに手を伸ばす。
彼は利用価値のあるものは利用せずにはいられない。
ベッドの上に、少年の体を押し倒していた。
消毒薬はすでに投げ捨てていたが、傷に染みこんだそれはまだ痛みを彼に与え続けていた。
肌と肌をこすりあわせる。その肌に舌を這わせる。案の定、それは甘く、そして少しだけ苦かった。
サービスがかいた汗の味だ。なぜ汗などと考えて……ああ、それも己のためかと気づくと、
その苦みは甘みに変わった。心配、苦しみ、恐怖、共感、そうしてサービスは汗をかく。
他人のために冷や汗を流す。
「ミツヤ……」
「痛いんだ……、痛いんだ、サービス」
うわごとのようにミツヤは繰り返した。そうすればきっとこの少年は逃げない。拒めない。
そんな計算に紛れ込ませて、本心を吐露した。――痛いんだ。
普段の彼なら決して吐かない弱音。
それを口に出すことにもまた、一つの快感があった。
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