敵は誰? -2-


サービスは何も抵抗しなかった。黙ってミツヤの部屋に押し入れられ、後ろ手で扉を閉められても、
何も警戒してはいないようだった。
「ミツヤ、お薬は持っているの?」
マジックに与えられたミツヤの部屋。元は客室の一つだが、
もちろんミツヤはすぐに自分の家具を運び入れて、自分の、自分らしい部屋に変えていた。
だってここはマジックがミツヤに与えてくれた場所だから。
自分の居城の一部を、一番大切な場所の片隅を、ミツヤに与えてくれたのだから。

――ああ、そこでサービスを殺すことになるなんて。
それは、ゾクゾクするような快感だった。

そんなミツヤの気持ち――というより衝動、など知らず、無防備にその部屋をサービスは見回す。
思えばサービスをこの部屋に招き入れたことはなかった。
入ったことがあるのはマジックと、……ルーザー。後者は単に必要にかられてに過ぎないが。
ともあれ、小さな少年が心配しているのは、本当に傷のことだけらしかった。
「それは普通のやけどじゃないから、普通のお薬は効かないんだって。
 ルーザー兄さんはいつも自分で用意したお薬を使っているよ。
 ……僕、取ってこようか?」
「いや、いいんだ」
動き出した子供を慌てて掴まえた。慌てるあまり、後ろからしっかりと抱きしめるような姿勢になった。
そうすると、サービスが身にまとっている衣類の薄さに気がついて驚く。
まるで裸の少年を抱きしめているような感覚がしたからだ。

サービスがまとっているのは上質の、それも最高級の絹で織られたパジャマだった。
だからこそ、その光沢がかすかな照明にも浮かび上がり、幽霊のように見えたのだ。
それ一着を身につけたきりで、あとは何も着てはいない。
この家の空調は常に完璧に保たれているとはいえ、あまりにも無防備な姿だった。
上着の裾は長く、太ももの半分以上を覆うほどで、裾に向けてわずかに広がるAラインは、
確かに遠目にネグリジェに間違えたのも無理はない。
ズボンもまったく同じ素材で作られ、少年の細い足をそっと覆う。
断じて既製品ではないだろう。彼のために特別にデザインされたとしか思えない代物だった。

「ミツヤ、痛いよ……」
訴える声に、また何かが刺激される。
ミツヤの心の深い深い部分。普段懸命に押さえつけているもの。彼の本性。彼の本心。
自分でも気づかないうちに、指はサービスの体をまさぐっていた。
まるでその心臓の位置を確かめるかのように。

――だって、殺すのは何も首を絞めるだけじゃないだろう。

絹のパジャマにつつまれた、少年の体。
まだ第二次性徴も始まっていない、少女とも少年ともつかない体。
体に合わせてぴったり仕立てられた絹のパジャマ。
成長期の子供に対してこんな贅沢を……手間をかけるなんて、
それも偏執的な、パラノイアとしか思えない手間をかける人間なんて、
そんなヤツは一人しか思い浮かばなかった。……ルーザーだ。
……そのこともまた、ミツヤの心を刺激した。

指がボタンをさわる。木製のボタンだった。細やかな指触りがする。
きっと表面には何か複雑な模様が彫られているのだろう。……まったくアイツは。
どんなボタンなのか引きちぎって見てやろうと思った。
もちろんサービスの体はしっかり押さえつけたままで。
少年は、どういうわけか声をあげなかった。
ただ訳が分からずもがく動きは伝わってきたが、それこそミツヤの心を煽るものでしかない。

しかしそれは意外と手強く、思い通りに取れない。縫いつける糸すら絹だったからだが、
そこまではミツヤは気づかなかった。
ただ彼がしたことといえば、苛立つあまりにボタンをまさぐるうちに、それを外していたことだ。
あっけないほど簡単にそれは外れた。絹と木、自然のものからだけ作られた最高級品。
決してサービスの体を傷つけないように用意されたものは、
侵入者に対してもやはり何の抵抗もしなかった。
するりするりと抜けていく。一つを外せば次を外さずにはいられない。
あまりにも抵抗がないものだから、かえって苛立って外さずにはいられない。

――だって、しょうがないだろう。どうせ殺すのなら、何をしたっていいはずだ。

そうしてこの子からすべてを奪ってやる。優しい兄の過保護も、その愛も。
「ミツヤ……」
サービスはようやく声を上げた。
「やめてよ……」
声はか細い。いっそ大声で叫べばいいのに、そうすれば、その瞬間に殺してあげるのに。
だが、そうしないことも、一方では信じ、期待してもいた。
訳も分からず死んでいけばいい。守られきった末っ子。ルーザーだけではなく、マジックにも。
愛を惜しみなく与えられて……。
「ミツヤっ」
サービスはようやく叫んだ。しかしその声は小さかった。

「ねえ、傷が痛いの?」
そんなわけないだろうに。何も分かってはいやしない。
だってきっと、彼にこんなことをした人間は今まで居なかったのだ。
乱暴を働いた人間なんて、これまで一人もいなかったのだろう。
「やめてよ、どうしたの? ねえ、ミツヤ……っ」
何度目かに彼の名を呼んだ瞬間、最後のボタンが外れて、少年は床に投げ出された。
絹の上着はするりと抜けた。
そうしてミツヤの手の中に残った。……上着だけが。

――あ。と思った。
逃してしまった。ボタン一つに固執するあまりに。
そうだ、今日もこうやって、きれいに仕留めようと……
ルーザーのように相手の頭だけを吹っ飛ばすようにしようと、
固執するあまりに逃げられかけて、反撃までされて、それでつい、力を暴発させてしまったのだった。

瞳に力を集める。秘石眼に力を。逃がさない。逃がしてはいけない。
……同時に、マジックの屋敷の中で暴発などしてはいけないということは、
その時かけらも思い浮かばなかった。――なぜか。それがミツヤという人間だからだ。

「ミツヤッ」
彼を止めたのは、サービスの声だった。
そこには制止の力があった。しかし自分を殺すことを制止しようとしたのではない、
彼が求めたのは、もっと別のことだった。
「ねえ、傷が痛いの? ……目が、痛いの?」
「……目?」
はっと冷静に返る。そうだ、いくらなんでも秘石眼はまずい。ここはマジックの屋敷なのだ。
彼の屋敷を壊してはいけない。

床の上に投げ出されたサービスは、座り込んだままミツヤを見上げていた。
少年の細い白い裸身が窓から差し込むわずかな月明かりにはえる。
そうして瞳が輝いていた。青の瞳。サービスの秘石眼。まるで主を守ろうとするかのように。
けれども少年に敵意はなかった。彼はまだそれを知らない。
「ルーザー兄さんも、苦しんでいた。目が痛いって。秘石眼の力はうまく制御するのが難しいんだって」
「……ルーザーが、苦しむ……?」
手にした上着を呆然と見る。
「そう。だから……ミツヤも苦しいの?」
サービスはゆらりと立ち上がった。そうして再び手を伸ばす。
背の高いミツヤの顔に、その頬に懸命に触れようとするかのように。

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