遠きにありて 前編


頭上に広がるのは一面の紅葉。赤、朱、紅。
「フン……くだらん」
伊東カシタローはそう吐き捨てた。かれはかつてはアスと呼ばれていた、青の番人。
赤はその時、敵対する一族の色だった。もっとも今の彼にとっては、己を追い出した青の一族こそが、
恨みを晴らすべき最大の敵だが。青……それは空の色。
今日のように晴れた、吸い込まれそうな秋の空。

「そうかなあ」
前を行く男は、どこまも呑気な口調で帰してくる。心戦組副長、山南ケースケ。
現在の伊東の身元引受人……のような立場だ。断じて上司だとは伊東は認めていなかったし、
実のところ引き受けてもらったという意識もない。「居てやっている」、それが正しい。と思っていた。
「僕はこういう自然の美も好きだけどねえ」
「フン……」
伊東は目を閉じ腕を組む。その長い髪を風が揺らしていく。頭上からは赤子の手のひらのような、
扇のような紅い葉が舞い落ちてくる。この木々そのものは、人の手によって植えられたものだ。
しかし近くの山に見える緑と黄と赤の彩り、その前を悠々と流れる川。それは自然のものだ。
自然の美、そこにほんのわずかに手を加えて、一つの名所とする。壬生にはそういう場所が多い。

伊東にはまったく興味のないことだったが、こうして山南に連れられて歩く内に
いつの間にかあちこちを回っている。もっともそれは、決して観光のためなどではない。
少なくとも伊東はそのつもりだった。
「さっさと用件を言え」
だから言う。いつものように、居丈高に。
「まあまあ、その前にお団子でも食べようよ」
相手はまったく意に介していない。いつものことだが。
「ふざけるなッ」
「どうせ暇だろう、伊東くん」
山南はすっと眼鏡に手をやった。その口調には有無を言わせぬものがある。
――この男は得体が知れない。と、伊東が思う所以だ。
いつもこうやって、微妙に間合いを外される。

「ありがとう」
茶店の前の緋毛氈を敷いた長椅子に腰掛け、店員が運んできたお茶と和菓子を受け取る。
椅子の敷物も赤、頭上に立てかけてある日よけの番傘も赤。
「この国の人間は、赤が好きなのか」
「高貴な色とはされているね」
山南は和菓子を乗せた皿を手に取り――それは漆塗りの黒だ、楊枝でまんじゅうを切り始める。
「どれも微妙に色が違うんだよ。それが面白い、と僕は思うな」
まず中心から外に向かって切り、次にいきなり縦に三等分するような方向に木の楊枝を入れる。
さらにそこに直角に交わるように切る。
「……何をしているんだ」
伊東にもそれが作法にかなったものでもなければ、道理にかなったものでもないことが分かる。
「うん、一口に口に入る最適な切り方を模索していたら、訳が分からなく……」
「馬鹿か」
「……」

山南は寂しそうに肩をすくめて、ずいぶん変な形に切られた欠片を口に運ぶ。
それからずずっとお茶をすすった。
「それで用件を」
「まあまあ」
ちまちまと細切れにされた欠片を食べていく。
――これも一種の時間稼ぎなのだろうか、と考えるが、そこまで高度なものとは到底思えない。
思いたくないだけかもしれないが。
「伊東くん、最近は何か不便はないかい?」
「不便?」
「うん。買いたいものとか、足りないものとか」
「ない」
断言する。彼にはそういう世俗的な欲求は薄かった。与えられなかったというべきか。創造主から。
だから着物も山南が与えたものをそのまま着ているし、髪型も壬生風に結い上げた。
すべては――青の一族に復讐するため。そのために、山南の力が必要だったから。
正確には彼が作り出す、次元をも越える船が。

失われた――追い出された故郷に再び舞い戻るために、そしてまた、あの一族を倒すために。
彼は心戦組に流れ着いた。そこに至るまでにはまた、長い道のりがあったが
その苦難も屈辱も、すべては復讐という名の恨みへと回帰する。
複雑に見えて、実はとても単純な思考。それが元・青の番人である彼、伊東カシタローという存在。
「そう、それはよかった」
山南は言葉とは裏腹に、少し複雑な笑みを浮かべた。
「じゃあ今度は余った予算で歌舞伎見物にでも行こうか」
「何故そうなる」
ひたすらに苛つく。それなのに暴れる気にはならないのは、……何故だろうか。
ここがあまりに美しい自然に囲まれているからだろうか。
自然を守ること、それは一応、番人としての性質だ。
あの子供を、聖薔薇族のハッピーチャイルドを、後継者に選んだのも、それがあるからかもしれない。
分からない……どこまでが定められたことで、どこからが自分の意志なのか。
伊東にはそれが分からない。……番人でなくなった彼には。

「付き合ってくれないと、仕事あげないんだからねッ」
ついでに、いきなり横で駄々をこね出したこの男のことも、さっぱり分からない。
「いらんぞ。仕事なぞ貰っているのではない、俺がしてやっているのだ」
「うん……まあ、それはそうなんだけど」
山南はあっさりとうなずいて、まんじゅうの最後の欠片を口に運ぶ。
あれだけ切り刻んだくせに、その最後の一かけは大きかったらしく、むせそうになって茶を飲む。
――馬鹿か。
伊東は苛立つ気持ちを慰めるために、モミジの木へと目をやった。ごく自然に。いつの間にか。

「ええとだね、それで今度の仕事は……これだよ」
コホンと一つ咳をして、山南は懐から数枚の紙を取り出す。
先ほどまでの不器用さはどこへやら、優雅にすっと広げられたそれを、伊東は尊大に受け取った。
最初の紙には二人の男の人相図と、その他の特徴や来歴が記されている。
「こいつらを殺せばいいのか」
「うん……そうだね」
不穏な言葉にも、山南は顔色一つ変えることなく、静かにうなずいた。
「押し込み強盗を繰り返して、挙げ句に一家を殺しちゃったからね。まあ、そうなるよね」
自分に言い聞かせるかのように。
「甘いな」
「違うよ」
伊東の言葉を山南は否定する。
「僕が悔いているのはね……その前に彼らを捕まえられなかったことだよ」
「……フン」
どうでもよかった。人間どもの都合など。

ただ、気にくわないものすべてを殺し、破壊するだけでは、目的にまで達せられないこともまた、
伊東は学んでいた。青の一族の元にすら……辿り着けなかったから。また辿り着いたとしても、
自分一人では彼らを殺し尽くすことはできないこともまた……以前に証明されてしまったから。
だから、利用する。彼を――山南を。
「それで、彼らが逃げた先なんだけど、どうやら出石らしい」
二枚目の紙には、そこまでの道のりが記されていた。
壬生から西の方向へ、いくつかの山を越えた先だ。歩いていけば1日2日の道のりだろうか。
「以前にもここに潜伏した人がいたからね。まあ、隠れるにはいい場所なのかもしれないね」
「……」
地図を凝視する。そこまでしなければ覚えられないものでもないが、やはり外の世界は複雑だった。
飛んでいけば楽なのだが、こういう任務では山南は空飛ぶ船の使用を許可しない。
確かに逃亡者を追いかけるのにはあまりに目立つから、理由のないことではなかろうが、
それだけではない気もしていた。
理由は三枚目の紙にある。――出石名所マップ。

「ここはお蕎麦が美味しくて有名でね。あと温泉もあるから。楽しんでくるといいよ。うん」
「……」
脱力して何も言う気にならない。ここに山崎ススムでもいれば、何か言うのだろうが。
あの青二才を皆が何かと頼りにする理由が、最近伊東にも分かり始めてきた。
しかし今、ここに山崎はいない。伊東との外出の時には、山南は彼を同行させなかった。
理由は知らないが……。
「これは、おまえが描いたのか?」
仕方ないので、自分が口にする。どうみても手作りのそれは、味があるというか、下手というか。
「うん! 僕も出石には何度か行ったことがあるからね。おすすめのお店は描いておいたよ」
嬉しそうにうなずかれても、困る。
それよりも標的の潜伏先だとか、先に書くことはあるだろうと……、
何故伊東が気を回さなければならないのか。こめかみがひきつり、額に汗がにじむ。

「ええとそれから、ターゲットはたぶん、どこかの温泉宿にいるから」
「どうして分かる」
「彼らはこの地方には伝手がない。そうなると温泉宿に湯治客として潜り込むのが一番自然だ」
まるで心を読んだかのように、すらすらと山南は答えた。
「あ、湯治っていうのはね、温泉に長期滞在して病気や怪我の治療をすることで……」
「別にそんな知識はいらん」
説明されなくても、頭の中にすでにあった。創造主から与えられた知識が。
ただそれはどこか遠く、現実味などない知識だったのだが……今はこうして色がつけられていく。
山南という人間によって。複雑怪奇な色が。……まるでこの山の紅葉のように。

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