雨の夜にふたり/1



  食後のコーヒーが運ばれてくると同時に、窓ガラスを雨粒が叩き始めた。 
ほどなく空と地面を無数の銀糸が繋ぎ、外の風景が霞む。窓の外に
気を取られて涼子と同時にミルクピッチャーに手を伸ばしてしまい、
指先同士が触れあった。ぬくもりを感じて思わず手を引っ込めてしまう。
「今日15回目ね」
と、テーブル越しに厳しい目つきを向けられた。
「あーもう、気にくわない!」
 身を乗り出してネクタイをくいっと引き、不満げな声をあげる。反射的に
後ろに退いたのを見咎めて更に鋭い声が飛んだ。
「ほら、16回目!」
「…何が、お気に召さないんでしょうか?」
「全部!」
 握りこぶしでテーブルを叩いた音に、店内の客が一斉にこちらを見た。
外野を睨む視線がそのまま私に移り、鋭い眼差しを投げかけられた。
「あたしに触る度にいちいちビクついて、腕組む時も緊張しっ放し。
こないだからもう100回超えてるわ。いい加減になさい」
「数えてらしたんですか!?」
「あの事なら許すって言ったでしょ。それとも、もう触りたくも無いくらい
あたしの事嫌なわけ?」
「いえ、そんな事は」
「だったら何で!君にそんな顔させるためにあんな事したわけじゃないのよ」

 涼子に触れる事をためらってしまう理由には見当がついている。
…偶然の悪戯で、涼子と一線を越えてしまったあの日からずっとこんな感じだから。
私を睨みつける表情は険しく、理由を言うまでは帰さないと顔に書いてある。
「触るのが怖いからだと思います…また自制できなくなるかもしれない」

 あの晩の記憶が苦い後悔の念とともに蘇ってくる。処女を奪ったのは
合意のうえでだったが、そのうち歯止めがきかなくなり翌朝腰が
立たなくなるほど激しく凌辱してしまった。腕の中で苦しげにのたうつ身体や、
どこか怯えた表情が忘れられない。まさか自分があんなに酷い真似の出来る
人間だとは思わなかった。

 私の返答を聞いて、涼子の険しい表情が一瞬揺らぎ、そのまま
下を向いてしまった。気まずい沈黙がテーブルの上にわだかまり、
コーヒーが手付かずのまま冷めていく。
 何とか言葉を探そうとした時、俯いたままの涼子がぽつりと口を開いた。



 「…泉田クン」
「何でしょうか?」
「このあと予定ないでしょ?」
「ええ」
「明日は?君も非番だったはずよね?」
「特には何も…」
「痛くなくなるまで責任持つって約束したわよね?」
「…はい」
 話が怪しげな方向に向かっていると気がついた時にはもう遅かった。
顔を上げて笑顔を作った涼子が、朗々とした声で私に判決を言い渡した。
「じゃ、今日はうち泊まっていきなさい。リハビリしよう」
「ですが、またこの間みたいな事になったら…」
「マグロになってりゃいいわよ。今日はこっちから押し倒してやるから」
 冷めたコーヒーを一気に流し込み、乱暴に音を立ててカップを置きながら
美しき裁判官はこちらに不敵な笑顔を向けた。



 店を出ると横殴りの風とともに冷たい雨が襲いかかってきた。
相合傘で雨を避けつつ涼子のマンションに向かう道すがら、
すれ違う人々が傘越しに羨望の眼をこちらに投げかけてくる。
いつもなら気にせず歩いて行くところだが、今夜は足取りがなんとなく重い。
「コンビニ、寄っていっていいですか?」
「隙見て逃げようたってそうはいかないわよ」
「そうじゃなくて、買い物で…その…避妊はきっちりしとかないと」
「あ、それ心配いらない。あたしピル飲んでるから」
 私の懸念をよそに、いたって無邪気な口調で提案をあっさり一蹴してのけた。
「対策は多い方がいいと思いますが。もしもって事もあるんですから」
「そのときはそのとき。あたしは別に構わないわよ」
 涼子は構わなくても、こっちはかなり構うのだが。
「…あのですね」
 反論を試みたが、煮え切らない態度が気に障ったのか耳を軽く引っ張られた。
「くどいっ。責任とれなんて言わないからさっさとおいで!」
 そう言って、濡れるのもお構いなしにハイヒールで水溜りを
蹴立てながら歩いて行く。
「そういうわけにいかないでしょう!」
「うるさい。黙ってついて来る!」





  外は大雨になり、窓ガラスを激しく叩く雨音が寝室を満たしている。
雨の帳越しに、街の灯りが宝石箱をひっくり返したように美しく煌く。
 ゲスト用のバスルームに放り込まれたので、からだは充分に温まり
着替えとしてあてがわれたシルクのガウンは肌に滑らかで心地いい。
一人では広すぎるベッドの正面からは光の海を一望できるが
夜景を素直に楽しむ心境にはとてもなれそうにない。

「おまたせ」
 ドアが開く音と共に、薄手のガウンを羽のように翻して部屋の主が現れた。
体重を感じさせない身のこなしでベッドに乗り、座る私の傍らに寄り添うと
芳香を含んだ湯気が鼻先にふわっとまとわりつく。
 シンプルなガウンを羽織っただけで、アクセサリーも化粧もしていないのに
洗いたての髪を無造作にかき上げる様子がはっとするほどあでやかで色っぽい。

「薬師寺警視…その…」
 いつも通りの呼び方なのに、途端に眉をひそめ不機嫌な顔をつくった。
「こんなとこにまで階級持ち込まないで。無粋だったらありゃしない」
「じゃあ、どうお呼びすれば?」
「それくらい自分で考えなさい」
 しなやかな手が私の手をとり、ぬくもりを感じ取った瞬間、触れた手が
びくっと跳ねたが、暴れる魚を押さえるかのように胸にぎゅっと抱え込まれた。
滑らかな手触りの薄絹ごしに、胸が呼吸にあわせてゆっくりと上下し
弾力に富んだみずみずしい乳房が、触れた手を柔らかく受け止める。
 体温で手がすっかり暖められた頃、ようやく戒めを解かれた。
「ほら、何ともないでしょ」
 そう言うなり、唇を小鳥のように軽くついばんできた。
「ん…」
 離れようとする私の頭を両手で包み込んで押さえ、唇の隙間から舌を挿し入れ
歯茎をそっとなぞる。やや緊張を解いたところを見逃さず、
口をこじあけて舌が侵入してきた。逃れる間もなく舌を絡めとられるが、
強引な行動とは裏腹の柔らかな感触に力が抜け、なし崩しに受け入れてしまう。
 繰り返し唇が重なっては離れ、何度目かに唇が離れると透明な糸が
唇の間を繋いできらりと光った。
「このあたしが、君に触られた位でどうにかなるわけないでしょ」
 笑いながら私のガウンの腰紐を解きにかかり、あっという間に私を裸に剥いた。
白磁の頬をわずかに上気させ、真剣な眼差しでじっと見つめてくる。
身体の隅々までじっくりと品定めされているようで、なんとなく気恥ずかしい。
「…何か?」
「こないだは気付かなかったけど、泉田クンって着痩せするたちなんだ」
「すみませんね。最近腹回りが気になってて」
「そうじゃないってば。意外と筋肉ついてるのね」
 くすくすと笑いながら私の胸に頭を預けると、絹糸のような髪が肌をくすぐった。
「…あたしが剣道負けちゃうはずだな」
 脇腹をすっと撫でられ、ぞくっとした感触が体表を走り抜ける。
すかさず足を開かれ、涼子が身体を丸めて私の膝の間にうずくまった。
淡い色の髪が揺れ、シャンプーの香りが鼻先をかすめる。




   涼子の行動を訝しく思った途端、ぬるりとした温かい感触が
股間を包み込み、痺れるような波が身体を走る。
 何をされているのか認識できるまで暫く時間がかかった。
口唇性交、などと言う古くさい表現が一瞬頭をよぎる。
「な、何なさるんですか! 汚い…うぁっ」
 唇で先端をきゅっと吸われ、抗議を封じ込められた。 
「汚いもんですか」
 いったん私を解放し、舌なめずりしながらにやっと笑った。
稚気に溢れた悪戯っ子のような瞳と、濡れたつややかな紅唇が
まるでちぐはぐな印象で、小悪魔っぽい雰囲気を醸し出す。
「かわいいわよ?誰かさんと違って素直だし。
…ほら、ここは嫌がってないみたいだけど?」
 主の困惑をよそに、既に天井を睨むように勃っているそれに軽くくちづけて
先日の意趣返しのつもりか、少し意地の悪い笑みを口元に浮かべる。
「心配しなくても、歯立てたりしないってば。練習したし」
「練習?」
「そうよ。ほら、ほめなさい」
 起き上がって得意げにふんぞり返る涼子を見て、何故か胸に針がちくりと
刺さったような気がした。他の男相手に涼子が「練習」していても
私に咎める権利などないのだが、なんとなく面白くない。
「…実地練習ですか?」
 下手な探りを入れると、心外だと言わんばかりに眉を吊り上げた。
「あのね、何で他のヤツにこんなことしてやらなきゃいけないわけ?」
「では、どうやって?」
 重ねて問うと、唇を尖らせた子供っぽいふくれっ面で渋々口を開く。
「トクベツに教えてあげてもいいけど、笑ったら承知しないわよ」
「じゃあ教えて下さい。笑いませんから」
 と言うと、しかたないわね、と勿体ぶりながら耳に唇を寄せて
早口で囁きかけてきた。

「…バナナ」
「ばな…」 
 つまらない嫉妬を抱いてしまった事が馬鹿らしくなるような答えに、
さっき約束したばかりなのに笑いがこみ上げてしまう。
声は何とか我慢できたが、肩が震えてしまうのは抑えられない。
「やっぱり笑った」
 とむくれる顔が、ふと何かに思い当たったような表情に変わり
こちらを興味深げに覗きこんできた。
「ね、もしかしてさっき妬いてた?」
「え……ええ」
 軽蔑されたかな、と一瞬思ったが、愉しげに笑いながら再び
私の脚の間に跪いたところを見るとそうではないようだ。
「口に出していいよ」
 にこやかにそう宣言して、再び私を口に含んだ。
 くぐもった声とともに、皿からミルクを舐める仔猫にも似た
おぼつかないけれど懸命な動きで舌がちろちろと這い回り、
快感ともくすぐったさともつかない感覚に襲われる。
 何者にも膝を屈する事の無い、誇り高き女王が男に跪き
自らの唇に男性を咥え、舐め、吸いついて愛撫する。
 涼子にそんな行為をさせている事がひどく背徳的に思えると同時に、
生物の雄としての征服欲を満たされ、身体の底から湧き上がる
快さには抗えない。


 やがて半ば呑みこむように喉で締められ、痙攣しながら涼子の口の中で果てた。
「んんっ!!」
 射精の余韻に浸る間もなく、急にひやりとした感覚が襲い、
熱い口腔内から吐き出された事に気が付いた。
 げほげほと苦しげに咳き込む声が聞こえ、眼前で
柔らかそうな茶色の髪が激しく揺れていた。
のけぞった白い喉がこくんと動き、口内のものを
かろうじて飲み下したようだが、零れた白濁液が口元を伝い
形のいい顎を白く汚している。
「すみません!」
「謝らなくっていい!」
 脱がされたガウンを引っ掴んで白い滴りを拭ってやると、
涙目でこちらを睨んで心底悔しげな表情を浮かべる。
「…こんなに出されるなんて思わなかったわ」
「初めてでここまで出来れば上々だと思いますよ」
「慰めなくっていい!」


咳が止まらず、苦しげな様子を見かねてそっと背中をさする。
丸まった背中がどこか幼く感じられ、ガウン越しにわずかに触れる背骨もやけに華奢な感触で、年端もいかない少女相手に
無茶をさせたような気分になった。
「大丈夫ですか?苦しかったらここまででも…」
 無理やりなんて事は本来私の主義には反するし、この間それでひどく後悔したばかりだ。これ以上苦しい思いをさせたくはない。
 だが、顔を上げた涼子は咳をするのも忘れた様子で私の言葉に抗議の声をあげた。
上気した顔のなかで、瞳が黒曜石のような強い輝きをはなつ。
「莫迦言わないで。ここまで来てそんな中途半端許さないわ。
…それに、君だって苦しそうだし。君が何と言おうと続けるわよ、あたしは」
 涼子の指摘通り、脚の間のものが私自身の言葉を裏切るかのように再びそそり勃っている。
「ですが…」
「うるさい。これ以上ゴチャゴチャ言ったら縛るからね」
「縛られるのは御免です」
「なら、さっさと観念なさい。据え膳食わぬは…って言うでしょ」 
 私のささやかな抵抗を一蹴し、挑発的な笑みを唇に浮かべた。
この据え膳、毒があると同時に途方もなく美味ときているから始末に負えない。
そして、頭では毒にあたるのが判りきっている癖に、この期に及んで食べないという選択肢を選ぶ事は
今の私には到底できそうもない。


「あなたの方は、もういいんですか」
 内心を押し隠して涼子に訊ねると、すぐには答えずにガウンの裾をつまんでそっとめくり上げた。
膝立ちになってわずかに足を開き、私の手をとってそこに導く。
指先を柔毛がくすぐり、その奥を探ると熱い泉が淫らな水音をたてて指を受け入れる。
「ね…」
 思わず動かした指が濡れそぼった花弁に触れるとわずかに身をこわばらせ、
潤んだ目でそっと笑った。
「脱がせて」
 腰紐を手にとってこちらに差し出し、やけに神妙な態度で両腕を下ろす。
命じられるまま、紐を引いて結び目をほどくとはだけたガウンの隙間から
白い肌が誘うようにちらちらと覗く。
 前を開き、袖を抜いて身体をガウンから解放してやると、衣擦れの音とともに
生身のヴィーナスと呼んでもいいような、魅惑的でありながら気品漂う美女が
私の眼前に生まれたままの姿を現した。
 白い乳房の頂は淡い薔薇色に色づいて形良く張り出し、胸の豊かさとは対照的に
腰はほっそりと引き締まり、脚にかけてのしなやかで優美なカーヴが野生の豹を思わせる。
そして、伸びやかな脚のつま先を、桜貝のごとく透き通ったピンクの爪が飾る。
 そうした優れた造形もさることながら、精彩と活力に満ち溢れ、
生命の輝きを具現化したかのような美しさが見るものを惹きつけてやまない。
「いい加減慣れたら?」
 見とれて思わず溜息をついた私を、ほんのりと頬を染めて睨んだ。
「まだ慣れるほどの回数じゃありませんよ」
「じゃ、今日で一気に慣らしてあげる」
 宣言して、私の肩に手をやってそっと押し倒すと身体がベッドに沈み、
背中を柔らかい枕が包み込む。
長い脚が跨ぎ、涼子が私の身体に馬乗りになった。


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