模擬ケコーン式後日談/4-673(=633)さん



「薬師寺警視、今晩空いてらっしゃいますか?」
私の問いかけに、コーヒーカップを優雅に傾ける動作が一時停止した。
「空いてないと言ったら、君どうするつもり?」
「だったら予定がない日にまたお声かけするまでです」
「へーえ、そんな熱意が泉田君にあっただなんて、ついぞ知らなかったわ」

露骨なカラカイに乗るほど私は未熟者ではない。そういう風に忍耐という美徳を
私にしっかり根付かせたのは、そうのたまう目の前の上司のお陰である。
「…指輪の件で。」
涼子の気取った微笑み顔に驚きが走り、指先はジノリのカップを取り落としかける。
私は一言、言っただけだというのに。
「そ、それは今晩の話なの?」
「できれば早めの方がいいのですが」
「わ…かったわ。ちょっとスケジュール調整するから待ってなさい!」

それが午前のお茶休憩での話。
そしてお昼を挟んだ午後には涼子の姿は消えており、私は溜まった書類仕事に没頭できた。
終業の鐘の10分前頃、私の肩に手が置かれた。見ずとも芳しい香りで相手が知れる。
「じゃ、その件とやらにつきあうとしましょうか」
「お店はもう押さえてありますが、予約時間には早いんですよね」
書類を机の上で揃えて鞄にしまいながらそう言うと涼子の顔がサッと染まった。
「そう、よね。あたしとしたことが、ついうっかり」
うっかり?涼子はそう言うが、どうみてもこれはウッカリという出で立ちではない。
髪はサラサラにブローされキューティクルが天使の輪を浮き立たせているし、
肌は風呂上りのようにピカピカ輝き艶やかな絹のようだし、さらに服が午前中と違う。
留守だった午後がいったい何に費やされていたのか、これでようやく分かった。
「…まったく」
私の嘆息を見て聞こえぬふりをして涼子が手を腰にあてて胸を張る。
「サボリじゃないわよ。半休申請したし、公金も使ってないわ」
「あなたがそういうことをする人じゃないってのは分かってますってば」

食事の前に喫茶店というのも中途半端だしなあ。さて、この時間をどう潰そうか。
だが悩む必要はなくなった。飛び込んできた事件によって。
時計の針は、終業一分前を差していた。




――ずいぶんこれまた、手酷い拷問されたもんだよなあ。
床の上に白目を向いて口から泡を吹くチンピラたちがずらりと十数名。
気絶している相手にさらに蹴りをヨウシャナク入れようとする涼子の足を見て
私はそれをどうにか思いとどまらせた。
「これ以上やったら過剰と見なされますよ」
「ゼンゼン足りないっ!それぐらいの重い重い罪をこいつらは犯したんだから!」
重いのか?水商売のスカウト同士が道路上で乱闘を起こした程度の罪が。
「もうこんな時間ですか。予約もお流れになってしまいましたね」
腕時計を眺めて溜息をついた。憤懣やるかたないといった涼子の顔が今度は暗く沈む。
「次はいつなら空いています?」
私の再度の申し込みに、涼子の顔が上向きになり私の顔を意外そうに見つめた。
「言ったでしょう、都合が合うまでお声掛けしますよって」
色あせた花が逆回転映像を見るように鮮やかな花にみるみる戻っていく。
「明日にでも!」

今日はどんな事件も終業間際に飛び込んてきたりせず、涼子にギャクタイされる
犯罪者も発生しなかった。二人で警視庁の自動ドアを抜け、先日より少し早めに
予約を入れた店に向かう。なぜか出る際に貝塚巡査がいやに熱心に涼子の手を取り
「がんばってください!」などと激励していたが、いったいなんだったのだろう。

「…まあね、そういう事だとはうすうす予想してたのよ。でもわずかな可能性に
 期待しちゃうのもオンナノコってものだし」
「気に入りませんでしたか?」
「ううん、店はいいの。趣味のいい店で良くベンキョウしたのね泉田クン」
「そうおっしゃる割にはえらく笑顔が皮肉っぽくありませんか?」
「それが分からない男だとよーく知っててそうなんだから自己責任よ」
「指輪の代金には到底足りないでしょうが、今日のはキモチということで、一つ」
「はいはい」
「…あなたからそう言ってきたんではなかったんですか?」
「はいはい」

目の前の料理を気持ちいいほどに片付けていく涼子を見ながら私は腑におちないでいた。
(エンリョなく貰えったって、これプラチナですよ。すんなり貰えませんって)
(じゃあ今度夕食奢って頂戴よ。高くなくていいから、雰囲気のいいところヨロシクね!)
その通りにしたと言うのに、いったい何が足りなかったのだろうか。夜景か?

首をかしげつづける私に、とうとう涼子は何かが吹っ切れたかのように吹き出した。
追加のワインをオネダリしたので、私はウェイターに向かって合図を送ったのであった




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