さよならを教えて 2/◆VhV67Q0yHoさん
帰宅したミッターマイヤーは、
自分の愛するエヴァンゼリンに迎えられたが、
「すまない、なんだかひどく疲れているんだ」
とそのまま寝室へと直行し、
寝巻きに着替えてベッドに倒れこむといつになく深い惰眠を貪った。
「あらあら、ウォルフったら。ずいぶんたくさん飲んだのね」
と彼にとっては都合の良い解釈を妻がしてくれたため、
その日ロイエンタールの邸宅で何があったのかを話す必要は無くなった。
だが、自分が「忘れるから気にするな」と言ったはずの出来事。
それは夢の中にまで侵食し、ミッターマイヤーの心を脅かす。
「う、わああぁっ!」
自分の叫び声に目を覚まし、隣で寝ていたエヴァンゼリンの目も覚まさせてしまう。
「あなた、大丈夫?」
「……あ、ああ。すまない、息が詰まるほどの悪い夢を…」
夜の帳は下りており、ベッド脇の小机に置かれた目覚まし時計から、
既に深夜になっていることをミッターマイヤーは知った。
「エヴァ」
(君は俺以外の男の裸体を見たことが……)
一瞬、聞いてはいけない質問が頭をよぎったが、
「なあに、ウォルフ?」
(いや、止めよう。聞いて無用な心配をさせてはいけない)
それを口に出すことは無く、
せっかくの短い休暇を、自分が自分1人のために、
そのほとんどを使ってしまったことを、ミッターマイヤーは詫びた。
「いいのよ、あなた。休暇はこれが最後ではないんだし」
とエヴァンゼリンは身体をすり寄せ、
ミッターマイヤーの「逞しい鳩胸」へ顔を押し付ける。
自分より小さいエヴァンゼリンの身体をすっぽりと包むように、
ミッターマイヤーは彼女の背中へ腕を回した。
と、同じように回された彼女の腕の感触が心地よかった。
抱き合ったまま2人は眼をつぶり、再びの眠りに落ちていく。はずだった。
眠れなかった。
実際に眠ったのはエヴァンゼリンだけで、
ミッターマイヤーは愛妻の身体を抱き寄せながら、昨日のことを反芻していた。
『……なぜこんなものを?』
包帯を巻き直してもらったとき、ロイエンタールにそう訊ねられた。
『そのままでは仕事の邪魔になる。それに…』
『それに?』
『…疼くんだ、時々』
ミッターマイヤーはロイエンタールに話した。
自分の身体は生まれつきのもので、
成長するに従い股間の性器もそれなりの発達をしたが、
(その際特に発達したのはそれまで以上に巨大化した陰核で、
ミッターマイヤーはそれを男性器の陰茎だと思っていたらしい)
同時に女性の如く胸が膨らんでくるとは思っていなかった。
以来、月に一度数日の間と、何かのきっかけで興奮しているときに
その胸の部分だけが内側から突き上がってくるような、
ズキズキとする疼きを感じ、
その疼きをいかなる状況でもすぐ鎮めることができるように、
太幅の包帯を巻き始めた…と。
『ではその…月に一度数日の間に、
奥方の月経のような症状はあるか、卿には?』
『いや、ない』
『そうか…』
(なぜそんなことを…)
ミッターマイヤーはエヴァンゼリンのクリーム色の髪に顔をうずめながら考える。
(ロイエンタールの股間についていたものは、
俺のものとは全く違っていた…)
これまでの過去の記憶をミッターマイヤーは辿ってみる。
生まれたときから今日までの記憶。
(俺はこれまで自分以外の男の身体をちゃんと見たことがあったか…?)
幼少の頃、幼年学校、士官学校、そして。
よくよく考えてみれば、ミッターマイヤーは自分以外の男の身体を見たことが無かった。
帝国の一般的な習慣では、浴槽で溺れる心配の無くなる年齢からは
よほどのことが無い限り入浴は1人で行うものであり、
そこに他人が介在することはなかったからである。
(だが、俺はこうしてエヴァと一緒にいる。
その点からは「男」であるはず、なんだが…)
何かが引っかかる。何かがしっくりこない。
(解らない。ロイエンタールの言葉が、解らない…)
(……だめだ。考えがまとまらない)
ミッターマイヤーは諦めて目を閉じた。
(眠ろう。明日のこともあるし)
そう思いながら、なんとか眠るべく意識を解放しようとした。
しかし、眠りに落ちる瞬間、身体のどこかしらに痛みが走り、
(ロイエンタールの奴、なんてことを…)
その度にロイエンタールを思い出してしまう。
このときミッターマイヤーは気づいていなかった。
ロイエンタールに抱かれたことが、
実は予想以上にミッターマイヤーの心と身体に揺さぶりをかけていたことを。
それに気がつくのはずっと後のことになるのだが、
ミッターマイヤーはこのときは「痛みのせい」で
ロイエンタールを、昨日のことを思い出してしまうのだ、と判断した。
(痛みが治まれば、忘れられるはず)
そう思って、痛みに耐えながらもミッターマイヤーは
わずかかばかりの睡眠を取った。
翌日から任務に戻り、
以降何度もミッターマイヤーとロイエンタールは
職場で顔を合わせる事になる。
しかし互いの職務に忙殺されてしまい、
あの日のようにゆっくりと酒を酌み交わす機会は失われた。
そのおかげもあって表面上はこれまでどおり、
2人は「親友」のままでいられた。
が、その度に顔には出さないもののミッターマイヤーの胸中は
ロイエンタールと会う度に、
ざわざわと波音を立てて揺れ動いていた。
ロイエンタールの顔を見るとあの晩の陵辱行為と、
それに伴って自分を一晩中苦しめた身体中のあの痛みとを、
どうしても思い出してしまうのだ。
それを出来るだけ悟られないように。
ミッターマイヤーはワインを1本空ける程度の軽い酒宴であっても
自分から誘うことは極力避け、
ロイエンタールと2人だけで飲むようなことがないように、
常に誰かを巻き込んだ。
だが、時に事態は本人の思惑通りに進まないことがある。
その日もロイエンタールから
「うまいワインを手に入れたから飲まないか」
と誘われ、
断る理由を見つけられなかったミッターマイヤーは
「分かった。後で部屋に行く」とだけ答え、
慌てて誰か伴うべき人物を探した。
しかし、その日に限ってほとんどが仕事が残っているか、
休暇中でいないかの者ばかりで、
指定された時間に予定が空いていたのはミッターマイヤーだけだった。
仕方なく、ミッターマイヤーは何か嫌な予感を感じつつも、
一人でロイエンタールの執務室を訪ねた。
この時期、エルフリーデ・フォン・コールラウシュの件もあり、
ロイエンタールは職務こそ解かれなかったものの、
事実上の謹慎処分になっていた。
ゆえにミッターマイヤーも長居をするつもりはなかったし、
ロイエンタールもそのつもりだった。
表面上はごく穏やかに、
かつそれまでとなんら変わらぬ親友同士の会話をしていた。
話し始めれば意外にその会話は長引き、
「そういえば…」といろんな話が飛び出してくる。
1本だけ飲んで帰るつもりが、いつの間にか2本目の瓶も空にしていた。
が、エルフリーデの件に話が及んだとき。
「あれほど俺は忠告したのに」
「ああ、分かってる」
「ならば、なぜ…」
「わからぬか?」
ロイエンタールの身体が、すっと動いた。
咄嗟のことではあったが、本能的な危うさを感じたミッターマイヤーは
腰掛けていた椅子から立ち上がり、ロイエンタールから一歩離れようとした。
しかし、酔って動きが鈍くなっている上に、ロイエンタールの動きの方が早い。
ミッターマイヤーの腕をつかみ、勢いをつけて自分の腕の中へ誘い込む。
「何をする!」
ミッターマイヤーは慌ててその身体を突き飛ばそうとするが、
「暴れるなよ…マイネ・ヴェルフィン」
と優しい声で頭の上から囁かれた。
ずきん。
ミッターマイヤーの胸が疼き始め、
身体は自分の意思に反して勝手に硬直してしまう。
「似ていたんだ」
「なにが…だ、ロイエンタール?」
「お前の髪質と、その肌に。だが、こうしているとよく分かる。
似ていると勘違いしただけで、実物を触るとこんなにも違うことが」
「やめろ、聞きたくない」
ロイエンタールの骨ばった手がミッターマイヤーの顎をとらえる。
「俺が一度手に入れたものを、理由も無くそう簡単に手放すと思うか?」
いとおしそうに自分を見つめるロイエンタール。
しばしの間、その金銀妖瞳が自分に迫ってきて。
「んっ………」
わずかに開いた歯の合わせ目から、ロイエンタールの舌が滑り込んでくる。
それまで飲んでいたワインの味が、2重に広がる。
「………う……ふぅ…」
緩急をつけて舌を弄られ、ミッターマイヤーは膝の力が抜けそうになった。
身体ががくがくと揺れてくる。
「…く……っ、……ぅん」
淫靡なまでに深い口付けを交わされ、やっと開放されたときには
ミッターマイヤーは肩を揺らせて大きく息をついていた。
「……帰る」
一方的にそう告げ、ミッターマイヤーは
力強くロイエンタールの身体を押し戻し、後ろを向いた。途端。
「フロイライン」
そう言ってロイエンタールはその背後を捕捉した。
首を傾け、睦言を一つ吹き込んでから、耳たぶを甘噛みして。
それからやっとミッターマイヤーの身体を離した。
振り返らず、ミッターマイヤーは部屋を出て行った。
その晩。帰宅した自宅で風呂に入っていたミッターマイヤーは、
湯船に浸かりながらぼんやりと考えごとをしていた。
(どうして…)
1度ならともかく2度も抱きしめられ、キスされ、抵抗できなかった。
(どうして俺なんだ…!)
ちゃぽん、と湯面が揺れ、ミッターマイヤーの右手が唇に触れる。
(リヒテンラーデ公のあの女のことはともかく、
他に女ならいくらでもいるだろう!
ましてやロイエンタールほどの美貌と才能の持ち主なら、
言い寄ってくる女から選んでも変わらないじゃないか!
それなのに、どうして…!)
「どうして俺なんだよ…ロイエンタール…」
ずきん。
また胸が疼いている。その指先が自然と口の中に入っていく。
「んぅ……」
(…これじゃない)
再び湯面が揺れ、左手が右胸をきつくつかんでいた。
「……う……く、…っ」
(こんなのじゃない。ロイエンタールの舌先はもっと柔らかかったし、
手はもっと大きくてごつごつしてて………はっ!)
慌てて指を引き抜き、胸に置いた手を肩に持っていった。
(俺は今、なんということを…)
「う、うぅ…っ、うう……」
ミッターマイヤーは自らの手で自分を抱きしめながら、
湯船に浸かったまま泣いていた。
互いにとって幸いというべきか、それとも不幸というべきだろうか。
その後、また彼らは互いの職務が忙しくなり、
しばらくの間酒を飲む機会を失うことになる。
今度は発令された任地が宙域での前線任務であり、
それが終わるまでは顔を合わさずに済んだ。
しかし、ミッターマイヤーの胸中はそれまで以上に荒波を立てていた。
宙域に浮かぶ戦艦の中で独りきりになると、
幾度と無くロイエンタールのことを思い、涙を流していた。
それぐらいミッターマイヤーは混乱していたのだ。
包帯の理由を聞かれたこと。自分の性別を否定されたこと。
妻帯者の「男」であるにもかかわらず自分を抱き、2度も唇を奪ったこと。
そしてそれら自分に対して行われた、
矛盾しているロイエンタールの行動を非難できない自分に対しても。
そんな混乱を胸に秘めたまま戦地に赴き、
自らの職責を果たしたミッターマイヤーの精神力は、
ある意味強靭であるとしか言いようが無い。
そんな2人にやっとゆっくり酒を飲む機会が巡ってきたのは、
新帝国暦2年6月8日、「回廊の戦い」が終わった後のことだった。
総旗艦ブリュンヒルトに同乗してきたため落ち着かなかったのか、
その日旗艦ベイオウルフ(人狼)の提督執務室での
ささやかな酒宴を申し込んできたのは、やはりロイエンタールの方であった。
今日1日が過ぎればロイエンタールは
ノイエラント総督としての転属が決まっており、
一方のミッターマイヤーは
新首都建設のための準備へ取り掛かることになる。
これまでとは違って最低でも半年単位で会えなくなることは必至であり、
ミッターマイヤーとしてもロイエンタールの行動を問いただすためには
この機会を逃すわけにはいかなかった。
したがってミッターマイヤーは、他に誰かを誘うことなく
2人だけで酒を酌み交わしていたのだが、肝心な話をなかなか切り出せずにいた。
結局話を切り出せないままに、
「さて、俺は戻るとするか。
戦うにせよ、戦わぬにせよ、やるべきことは多いからな」
と言ってソファから立ち上がるロイエンタールに対し、
「戦いが終わるとなれば、いよいよノイエラント総督か…。
任地が遠く離れてしまうと、こうして飲む機会も少なくなってしまうな」
とミッターマイヤーは同じように立ち上がって右手を差し出す。
「うむ」と小さく返事をしたロイエンタールと握手をして。
青いマントが揺れてたなびき、その後ろ姿が出入口に向かって歩き始めた途端、
何故だか分からないが、一瞬だけ。
一瞬だけ、ミッターマイヤーの心に一抹の不安がよぎった。
「ロイエンタール」
思わず一度閉じられたドアを開け、その背中に声を掛けていた。
「なんだ?」
ロイエンタールは廊下の数歩先まで足を進めていたが、振り返って親友の顔を見た。
見れば何か言いたそうな、
しかしそれを言いづらそうな表情を浮かべたまま立ち尽くしている。
「どうした、ミッターマイヤー?」
もう一度声を掛けるとはっとした表情に変わり、
「どうかしているな、俺は。
これで二度と会えなくなるわけじゃないのに、
卿の背中を見たら何だか声を掛けたくなってしまった」
笑顔を見せる。
取り繕ったような感じのそれが、どうにもひどく痛々しい。
「……俺に何か聞きたいことがあるのだろう?
おそらく卿が聞きたいと思っているその内容について、
卿に見せたいものがある。コンソールを借りるぞ」
そう言いながらロイエンタールは上着の合わせ目に手を突っ込み、
何やらごそごそとポケットの中を探りながら、
それまで酒を酌み交わしていた部屋に戻り、執務机のコンソールに近づいた。
やがて1枚のデータディスクを取り出すと、
それを挿入口に差し込み、記録されたデータを画面に呼び出す。
「これを見てくれ」
そこに書かれていたのは、ある分析結果報告書だったが、
「こ、これは……!」
その内容を見てミッターマイヤーは、腰が抜けそうになった。
そこに書かれていたのは科学的な学術用語満載の、
非常に難解な文章であったが、
それが特定の人物の血液サンプル、毛髪サンプルを分析した、
「性染色体異常」を示すものであるのは理解できた。
「卿のことだ」
冷静な口調でロイエンタールは
それがミッターマイヤーについて書かれてあるものであることを告げる。
「勝手なことをしてすまぬが、
あの日シーツに落ちていた髪の毛と、
交わった時に滴り落ちた血を使わせてもらった」
「何がしたいんだ、ロイエンタール?」
「安心しろ。それは極秘に調べさせたものだが、
その報告書に使われたサンプルが卿のものであることは俺しか知らない」
「何がしたいんだ、ロイエンタール!!」
思わずミッターマイヤーはロイエンタールの襟首をつかみ、絞め上げていた。
声帯までをもいくらか絞めているからか、
ロイエンタールの声が小さくなり、途切れながら聞こえてくる。
「あの日も言ったが…卿のその…
股間にあるものは…男のものではない。
性染色体の異常から判断して、…卿の身体は女性でありながら…
その外性器の一部…が異常発達…して生まれ…、
それで…男…性と間違えられ、男として…戸籍を…登録されたんだ…」
それでミッターマイヤーは全てを悟った。
それまで自分の中で何かがひっかかり、しっくりこなかったもの。
ロイエンタールと自分の、決定的な違い。
自分とエヴァンゼリンとの間に子供が出来ない理由。
胸の疼き。
自分に対して行ったロイエンタールの行為を非難できなかったこと。
漁色家と言われようとも何度も女を換え、
しかし自分を手篭めにかけてからはエルフリーデ以外は手を出さなかった、
ロイエンタールの一見矛盾しているその行動。
そして。
ロイエンタールが自分を抱きしめ、2度も耳元に囁いた、
『愛してる』という言葉。
ミッターマイヤーの頭の中で何かが壊れた。
ロイエンタールは、生まれ育った環境に恵まれたミッターマイヤーなら
両親によって傷つき歪められたその心を癒すことができる…と自分に恋をしたのだ。
だが、互いに置かれた環境からいえば
ロイエンタールが最も近しい場所にいるはずなのに、
その心は遠く離れた地にあるエヴァンゼリンのもとにあって。
それがますますロイエンタールの嫉妬を誘う。
もし女であったなら、ロイエンタールは間違いなく求婚していたのだろう、
しかし自分は「男」だった、あの日、自分を強姦する前までは。
その自分が実は女でありながら、やはりその心は男であり、
どんなに強要してもロイエンタールのものにならない。
ならば身体だけでも。
自分が認めない女の身体だけでも、ロイエンタールは自分のものにしたかった。
ロイエンタールは「女」である部分の自分を愛し、睦言を吹き込んだ。
結果的に自分はロイエンタールに抱かれたことで、
いつの間にか自分の中に「女」の心を作ってしまっていた。
だから自分は、ロイエンタールの行動を非難できなかったのだ。
ロイエンタールが思っているはずのそれらを含め、
ミッターマイヤーは自分の抱えていた疑問の全てが、
ロイエンタールのその言葉で1つの整合性を持って解き明かされたことを知った。
襟首を締め上げる手が緩み、力なく落ちていく。
「ぐ…、げほっ、けほけほっ……」
やっと戒めを解かれたロイエンタールが咳き込んでいる。
「……俺が…、俺は………おん…な…」
ミッターマイヤーはその場に茫然自失の表情で立ち尽くしていた。
そんな姿を横目にロイエンタールは、
挿入口からデータディスクを抜き出して、
ミッターマイヤーの上着の内ポケットにそれをねじ込む。
コンソールを閉じてから、人懐っこい顔を両手で挟み、
グレーの双眸をしばらく見つめてから、
「愛してる」
ふっくらとしたその唇に自分の唇を重ねた。
今度は拒まれなかった。
ロイエンタールは頬に触れていた両手を離し、
そのまま部屋を出て行こうとしたが、
ミッターマイヤーの両手が自分の上着をしっかり握っていた。
「またな、ミッターマイヤー」
そう声を掛けて握り締められた両手を開いてやり、出入口に向かって歩き出す。
と、後ろから抱きつかれ、その動きを制止させられた。
珍しい、と思った刹那。
「………1時間、いや30分でいい。時間をくれ」
背中から響いてくるミッターマイヤーの声が震えている。
「従卒と、見張りの者には言っておくが、
誰にも見つからないように、後でもう一度俺の部屋に来い」
そういってミッターマイヤーは腕を解き、
靴音を立てて私室に向かっていった。
念のためミッターマイヤーを気遣って1時間後、
ロイエンタールは言われたとおり誰にも見られないように
ミッターマイヤーの居室にやってきた。
さすがにドア前の歩哨を外すわけにはいかなかったらしく、
ロイエンタールはどんな言い訳をして部屋に入ろうか考えたが、
その前に
「お話は伺っております。
やっぱり朝まで飲み明かすことになったそうですね」
と言われ、自分の心配が無用であったことに気づく。
「ああ」
とだけ答え、中に入っていった。
実際には先ほどまでの自分の言動について、叱責され、殴られ、蹴られ続けるのであろう。
そう思ったロイエンタールは覚悟を決め、
これから行われるはずのミッターマイヤーの狼藉を黙って受けるべく、
ごくり、と唾を飲んだ。
「ミッターマイヤー、ロイエンタールだ」と
中にいるはずの部屋の主人に声を掛けた途端、独特の機械音が耳に響いた。
パネル操作でドアロックと、室内に遮音シールドを張った合図だ。
ソファセットの前のテーブルには、自分らのために従卒が用意したのだろう、
何本もの酒瓶と酒肴が乗っかっている。
しかし、そこにはミッターマイヤーの姿は無く、また従卒がいる気配も無かった。
「寝室に来てくれ」
かなり奥の方からくぐもった声が聞こえる。
言われたとおり執務室の隣にある、私室に足を向けるロイエンタール。
寝室のドアの前で立ち止まり、控えめにノックをした。
「入るぞ」
そっとドアを開け、中に入る。
と、ロイエンタールの視界を闇が覆う。
明かりが点けられておらず、慌てて照明スイッチに手を延ばすが、
「点けなくていい。今こっちの明かりを点ける」
と灯った照明はベッド脇の小机の上のもので、ぼんやりとした薄明かりが部屋を包んだ。
「ロイエンタール」
足音が近づいてくる。
「俺はこれまで男として生まれ、男として育った」
白いローブが部屋の奥から見えた。
「エヴァンゼリンを守るため。
カイザーと、カイザーの手中にある全てのものをお護りするため。
これからも俺は男でなければならない。
それは俺が死ぬまで変えることはできない」
それがゆらゆらと自分に向かって歩いてくる。
「しかし俺は…、俺は本当は女だと…
性的能力が欠如した女であると、卿によって知らしめられた」
自分の前で足音が止まった。
蜂蜜色の、触り心地の良いくせっ毛が、ロイエンタールの胸の前に見える。
「卿はそれをもっと早くに知っていたのだろう?
それでもなおそんな俺に『愛してる』と言った」
ふっとそのブロンドが揺れ、淡く頬を染めた童顔が眼に入った。
「その言葉に報い、今宵一晩だけ…俺は卿の『女』になる」
引き絞っていた同布の紐が解かれ、
ばさり、と音を立てて肩からローブが滑り落ちた。
余計なものを全て取り払った「至高の宝玉」がロイエンタールの前にその姿を曝け出す。
グレーの瞳が、不安そうに揺れている。
「わ……私を……、私を抱いて欲しい、オスカー」
視線を逸らして俯いた美しい肢体が、何かに怯えるように震えていた。
ミッターマイヤーの気が済むまで暴行を加えられることを
覚悟していたロイエンタールだったが、
自分によって絶望の淵に立たされてもなおそれ以上の決意を以って、
目の前に立ってきつく唇を噛みしめ、
これから行われるであろう恥辱に耐えながら震えている人物を想う。
そうまでして乞われては断る方が野暮というものであろう。
もとより、きっかけさえあればロイエンタールは
いつでもミッターマイヤーを一晩中拘束することが出来た。
が、敢えてそうしなかった、そうできなかったのは互いの職責ゆえの多忙と、
ミッターマイヤーの真の姿を
自分自身が受け入れるまでにいくらか時間が必要だったこと、
自分の偽り無き本心からの「告白」を、
ミッターマイヤーが頑なに受け入れようとせず、
あくまでも自分を「男」だと言い張ったからだった。
その「彼女」が今自分の前で裸体を晒して立っているのは、
「力ずくでしか自分が本当に欲しいものを手に入れることができない」という、
自分への憐憫心からくるものであろう。
ここへきてミッターマイヤーにこのような態度を取られることを、
ロイエンタールは想定していなかった。
憐憫から与えられる同衾にはかなり抵抗があったが、
これまでのことを考えればそれはそれで好都合、と大きな手を
やや小さめの顎にかけ、上向かせた。
前回のような陵辱行為をここで再び繰り返すようなことはせず、
蜂蜜色の下にのぞく雪のように白い額の、髪の生え際に。
髪と同じ色の、意志の強さを物語るような太い眉に。
「きれいだ…ミッターマイヤー」
薄く染まる桜色の頬に。
前に立ち上がった、小さめの耳に。
噛みながら小刻みに震えている、厚めの唇に。
「お前は本当に美しい…」
努めて普通に。そこらにいる女を抱くのと同じように。
しかし扱いは女よりも慎重に、心から愛してやるつもりで。
ロイエンタールは何度も何度も唇を落とした。
互いの両腕が背中に廻る。
(女を褒めたことはこれまで一度もなかったのに、
こいつの前ではそれが素直に口に出せるなんて。
我ながらおかしなものだ…)
心の中で苦笑しながらロイエンタールはキスを続け、
ミッターマイヤーの腕を取り、自分の首に回した。
そのまま膝を折って小柄な身体を抱き上げ、ベッドに運ぶ。
首筋を通り、肩口を抜け、
ロイエンタールの唇は胸の頂に降り立った。
「……疼くか?」
と聞かれ、ミッターマイヤーは首を大きく縦に振る。
「そうか…」
とだけ言って、ロイエンタールは乳首に軽く歯を立てた。
「あ、ぁん…っ!」
ミッターマイヤーの胸が大きく突き出される。
それを見逃すはずはなく、ロイエンタールはその小さな突起を責めてやる。
「ぁ……うぅっ! そんなに…されたら…!」
「されたら…どうなる、ヴェルフィン?」
もう片方の膨らみはやわやわと捏ねてやった。
「息が、息が……続かないっ」
女性称を呼んでも否定されなかったことに少し驚く。
(本気で「女」になろうとしてるのか…ミッターマイヤー?)
楽に呼吸ができるように責めを少し緩めた。
「…ん、…う……ふ………っ…」
しかし、既にミッターマイヤーの呼吸のペースが少し上がっている。
胸元から臍下の辺りまで、
ロイエンタールは「至高の宝玉」が自分のものである証として、まんべんなく印をつけた。
ミッターマイヤーの白い肌に、赤い痣の花が咲き乱れている。
既にロイエンタールの顔は太腿の内側にまで下りてきていた。
「ん……はっ、恥ずかしいから…」
そこにも1つずつ朱が散っていく。
「恥ずかしいから…何だ?」
「そんなに足を…開かな……ゃあああっ!」
わざと避けていた足の付け根の中心部分を舌先で突付く。
自分が忌み嫌っているような、普通の「女」を抱いているのであれば、
ロイエンタールは自分のものを口に含ませることはあっても
「女」のその場所に口付けるようなことは絶対にしない。
「可愛いな、フロイラインは」
しかし、ミッターマイヤーのそこは、「真の能力」を発揮できないと知りながらも
ロイエンタールを夢中にさせる形をしていた。
「可愛いだなんて…言わないでく……ううっ…、
あぁっ……、そ……そこは!」
熟れきった桃色の実を口に含む。
「い、ゃぁああんっ……!」
ミッターマイヤーの両手が、ダークグレーの髪を握る。
しばらくその実を味わっていると、
亀裂の中からほんの少しずつ滴りが零れてくる。
「あっ、あっ……お、オスカー…」
「どうした、ヴェルフィン?」
「…も……、いい…から……きて…」
「……いいのか?」
はるか上方にある顔を見上げれば、
ミッターマイヤーはこくん、と首を前に傾けている。
早く「行為」を済まして欲しいのだろう、そう解釈して、
「わかった」
立ち上がって上着を脱ぎ、
ワイシャツを着たまま前をくつろげ、自分の胸を外気に晒す。
スラックスのファスナーを下げ、
先ほどからびくついている分身を割れ目から性急に取り出して、
ロイエンタールは滴りが薄く零れる蜜壺に先端を近づけた。
「あ……駄目…」
ミッターマイヤーが急に自分の行動を制した。
「ん?」
「服が血で汚れる」
「大丈夫だ。それにもう待てない」
ゆっくりと体重をかけ、ミッターマイヤーの身体に楔を打ち込む。
「あ、あ…っ、ん…ん゛ん゛ん゛ん゛っ!」
絶叫しそうになるのを必死でこらえ、
ミッターマイヤーは自分の指を噛んで痛みに耐えようとしていた。
見開かれた両眼から涙が滑り落ちていく。
ひどく浅くて径の狭い肉壺が、ロイエンタールのものを吐き出そうと蠢いている。
「すまない、マイネ・ヴェルフィン」
無理も無い、最初の交接時からかなり時間が経っている上に、
もともと染み出してくる体液がそんなに多くない。
きつく歯形のついた指を口元から外してやり、自分の指先を絡めて握る。
「いいから……続けて…」
もう片方の手にブロンドの髪を梳き入れ、心地良い手触りを確かめる。
と、こめかみから流れていった水滴が髪を濡らしていた。
濡れ具合がいくらか広範囲なことから
身体を繋げるよりずっと前から泣いていたことが窺い知れる。
「ぅ、うんっ…ふ、……ふ………う…!」
舌を絡ませ、ミッターマイヤーの悲鳴を吸い取る。
緩慢な動作で自分のものを馴染ませ、腰を使う。
次第にミッターマイヤーの舌が、
ロイエンタールの舌を押し戻そうと動き回り始めた。
口付けを解いて息を注がせる。
「オスカー、……う、くぅ……っ」
「……つらい……か…?」
ロイエンタールは前回の経験で知っていた。
ミッターマイヤーが強い快感を得ているのは自分が陰核に触れているときだけであり、
そうでないときは苦痛に眉を歪めていることを。
だから3倍以上の時間を掛けて孔を広げ、
必要以上に刺激を与えないように気遣ったつもりだったが、
ミッターマイヤーのただならぬ様子にそう聞かずにはいられなかった。
「ん、んっ、……うう…ん」
しかしなぜかミッターマイヤーの頭が横に揺れる。
「う、……うれしい…」
「え?」
予想外な言葉が聞こえた。
「独りになったときに…このことを、
前にこうされたことを…何度も…思い出した」
思わずロイエンタールの動きが止まる。
「しかし『女』であることを認めたくなくて、
自分で自分の身を慰めることも出来ず、だから何度も独りで泣いたのだ。
だが本来の自分を偽ることなく、
今はこうして自分が心から愛している男に抱かれている」
グレーの瞳が濡れた輝きを放ちながら、それでも優しく揺れていて。
「明日の朝いつもの自分に戻っても、もちろん卿のことは愛している。
自分が死ぬまでその気持ちは変わらないが、
所詮それは卿にとっても自分にとっても偽りの姿。
だから今宵こうして抱かれている間だけは、本当の自分でいられることがとてもうれしい」
緩やかに口角を上げ微笑む姿が、草むらで咲く可憐な花を思わせた。
その言葉がロイエンタールの胸を打つ。
自分の中に、2つの「心」と2つの「身体」を持つミッターマイヤー。
ロイエンタールの腕の中にいるそんな人物が、
2つの「心」と2つの「身体」の全てを以って、自分を「愛している」と言った。
(そんなにも俺のことを想ってくれていたのか…!)
「……離したくない」
思わずそんな言葉がロイエンタールの口をついていた。
「駄目だよ、オスカー」
「離したくない。お前を…『男』に戻したくない」
瞬きをした瞬間、信じられないものがミッターマイヤーの顔に落ちた。
「それはできない。どんなに卿を愛していても朝になったら…、
わ、私は……ああっっ!」
続きが聞きたくなくて、抽送を再開させる。
肌を合わせ、体温を相互交換する。
「女」に対しては執着心を持たないはずのロイエンタールが、
青い眼と、黒い眼の両方に涙を溜めていた。
「……あ…、愛してる…だから…」
「駄目…………ぁ、あっ!」
「このまま……う……くぅっ!
このままのお前で……いてくれ…」
「……ぇ、……できな……っい…」
熟れきった果実に触れながら身体を繋いでいるから限界が近いのだろう、
ミッターマイヤーの身体が何度も揺れる。
「ヴェルフィン……ヴェルフィン…っ、
戻らないで……くれっ…」
「…オ……カ…ぁ…、…朝がきたら………っぅ!」
昂ぶりを逃そうとして、きついミッターマイヤーの体内で
ロイエンタールのものが一層膨れる。
「フロイラインッ………ッ!!」
「オスカーぁぁぁぁッ!!」
屹立の先端から、子を作るための種が溢れ出ていく。
結実するための部屋の入り口を閉ざした通路が、
種を部屋へ送ろうとしてうねっている。
達してからも身体を離そうとはせず、涙にむせびながら2人は互いの唇を貪った。
限られた短い時間の中で、
ロイエンタールとミッターマイヤーは
何度も愛し合い、身体を繋ぎ、互いの涙を拭った。
しかし、決められた時間になれば
それが昼夜の無い宙域であっても、朝は無常にもやってくる。
着衣を直し、今となっては多すぎる酒と、乾いた酒肴をいくらか口に運びながら、
何度も口付けを交わした。
残ったものは従卒に見つからないようにミッターマイヤーが処分することになったが、
「ロイエンタール、そろそろ部屋を出ないと
皆に怪しまれる…う………ふぅ、……っん…」
それらを口にする時間より、少しでも長く睦み合う時間が2人には欲しかった。
「……んっ、ぅ……わかっている…、だが…」
しかし互いに残された時間がいくらも無いことを知ったミッターマイヤーは、
軋む身体を引きずるように歩きながら
ロイエンタールの手を取り、出入口のドア前に立たせた。
執務机のコンソールを開き、遮音シールドとドアロックを解除する。
ドア付近に取り付けられたパネルでも操作できるのだが、
それがわずかばかりの時間稼ぎであることを2人とも知っている。
「Sous aucun pr[e']texte,je ne veux…」
(どんな事情があっても)
ミッターマイヤーはいつの間にか歌を口ずさんでいた。
「Avoir de r[e']flexes malheureux…」
(私は不幸になりたくないわ)
それはロイエンタールが教えた歌で、
もともとは付き合った女の1人がよく歌っていたものだった。
遠い昔、人類がまだ地球に住んでいた頃に流行ったものだと言っていた。
「Il faut que tu m'expliques un peu mieux…」
(もっとよく教えてくれなくてはいけないわ)
口ずさむ声が止まり、ロイエンタールの前に軍服姿の小柄な身体が立ち止まる。
広い肩幅の両端をそっとつかんで、少し背伸びをして。
「許してくれ、ロイエンタール」
それまで一度も自分からはすることの無かったミッターマイヤーの唇が、
自分から請うようにロイエンタールの薄い唇に触れた。
「許してくれ、ロイエンタール…」
もう一度言うと、ミッターマイヤーはパネルを操作してドアを開け、
その向こうにそっとロイエンタールの身体を押しやった。
背中でドアの閉まる音が聞こえる。
「Comment te dire adieu…」
(あなたにどうやってさよならを言えばいいか)
ロイエンタールは歌の続きを口ずさみながら、
一見何事も無かったような顔をして自分の部屋に戻っていった。
それから数十年後。
ウォルフガング・ミッターマイヤーはその死に際して、
奇妙な遺言状を残していた。
墓は2つ作り、1つは先に逝ったエヴァンゼリン・ミッターマイヤーの隣に。
しかしその墓には遺体を入れず、太幅の白い包帯と、指定した場所に保管してある
壊れた1枚のデータディスクを入れること。
もう1つはオスカー・フォン・ロイエンタールの隣に作って遺体を入れ、
墓名碑には「ヴェルフィン・ミッターマイヤー」とその名を刻むこと。
指定されたとおりに遺族はミッターマイヤーを弔ったが、
その理由については何も記されておらず、
当時の僚友たちも全員死亡していたため、それを知ることはできなかったという。
これについては後世の歴史家もさまざまな説を立てたが、真実は闇に包まれたままである。
<Ende>