切符売りの気付き・前編お稲荷JKたまもちゃん!二次創作 冬風 狐作
「あれ、おさきちゃんがいない?」
 彼女が気付いたのはふとした折だった、そろそろ日も暮れる頃、新緑が満ち満ちたる稲荷山の一角にて首を傾げている彼女、伏見たまもは辺りを見渡しつつ妹の名を呼んだ。
「お出かけしてはりますでしょ?おさきなら」
 そこに投げかけられる声にそうだった、とたまもは両手をポンと合わせてはうなずいて尻尾を振る。久々に東へと出かける用事を稲荷大神様より彼女が仰せつかっていたのを思い出し、それならば声をかけても返事がない訳だと合点したのであった。
「久々に人の姿に化けてるんですね、上手く化けれているかな?おさきちゃん」
 そして幾年か前に女子高生として過ごした日々の事をふと想い出しては、軽く息を吐く、そんなたまもなのであった。

   「はーい、次の方どうぞ」
「Hey,Here is a this station?」
「ああ…No,Go to the upper level that…」
 行く人波は時として大きくなっては小さくなってを繰り返し、と評せるのが常日頃。それを踏まえれば数多と通り過ぎる人々の中で、幾らか窓口に来る人とは波飛沫に擬せられるだろうし、それらを全て覚えている事は不可能なもの。故に余程何か事情がある、あるいは印象を与えられなければそもそも覚える価値すらないと言える。
 最もそれは昔から変わらないのかもしれない、古今東西、どれだけの人が各地を結び行き、それに応じて通過すべき要所が設けられたものだろうか。そしてその多くは一部を除いて忘れ去られてしまっているし、記録に残っていてもその中で一部の必要としている人以外には知られていないのもまたザラなのはその証左でしかない。そしてその詳細となったら最早歴史と化した時間の内に積み重なった、もはや読み解けない過去でしかない。
 だからこうして今の時代の要所たる駅に勤めている私もきっと未来から見たらそうなるだろう、そんな事を浮かべつつ過ごしていたある日に訪れたとある旅客の事について記録として記す事にしたい。

 それは確か初夏も近い頃だった、最もそれは初めて接した時は、と言えるだろう。大型連休も終わり、春以来の低温がこの時期にしては長続きしていたのがようやく覚めてきた日の夜に今日は大分暇だな、と感じていた矢先に駆け込んできたのは覚えている。
「あ、あのすいません、ここに行きたいのですけど」
 最初の言葉を聞いただけでおどおどとしているのがはっきりと理解出来た。道に迷ったか、それとも待ち合わせ場所でも探しているのか、その何れかだろうと立ち上がってはいはいと声をかけつつ、差し出してきたメモを見た時、思わず内心で声にならない何かを出してしまったものだった。
 結論から言うと入ってくる姿を見て推した通り、それは道案内であり、かつ後者の要素も含むものだった。そして話しぶりからこの土地の者ではないのは分かった、遠方の、恐らく西から来たのだろうとはっきり分かるそれに耳を傾けつつ、メモと言うにしては立派なその紙片に内心のつぶやきに続いて、しばらく視線を奪われ一瞬だけ黙り込んでしまった。
「あ、あの分かりませんよね…すみません」
「ん、いや申し訳ない、ああ分かりますよ。ただ今からこちらに行くのです?時間的に厳しいかもしれませんが、行くならまずですね…ちょっとこちらの地図でご案内しますね」
 しまったな、と感じつつかけられた言葉ではっと我に帰るなり、幸いその地域はある程度土地勘のある場所だったので業務用の地図を取り出しめくりつつ案内を始める。示す経路自体は比較的単純なものであった、ただそろそろ深夜に入る頃合にそちらへ行く用事と言うのがどうも浮かばなかったのが印書にまず残る最初のきっかけとなったのだろう。
「とにかくこちらのバス停まで行けばすぐ、ただこの時間だと終バスが近いからちょっと急いだ方が良いかもしれないね」
 地図で案内した内容を手元にあった紙片に軽く走り書きながら落として手渡しつつ、私はそう促した。顔立ちや服装からして20代前後かその辺りだろう、ただ最初に示してきたメモは先に触れた通り立派な、具体的に書くならば和紙に墨書の組み合わせは長年この仕事をしていた身でも中々お目にかからないものなだけにしばしペースを奪われてしまったのだろう、と去っていく背中を追いながら息を吐いてしまった。

 とは言え数日もすればそうした記憶も日々繰り返される同様な流れの中へ次第に消えていくもの。それが故にその事もすっかり意識しなくなって久しくなった時、ふと思い出したのは休みの日の午後の事だった。
「次は西坂下、西坂下です。お降りの方は…」
 家の近場を通るとは言え普段、余り乗る事のない系統に揺られながらあくびをしていた時に流れ出す自動放送。専ら聞き流すが当たり前な中でその目的地でもない停留所名の連呼に何か引っかかり、ああ、と内なるうなずきの声を上げる。手がそのまま降車ボタンを押下したら、もう決まりだった。幾らかして停車するバス、腰を浮かせて小走りに出口から歩道へと降り、ドアを閉めて走り去るバスの後ろ姿を見送った辺りでハッとする。
「うーん、なんか降りちゃったな、これは」
 スムーズに、と評するに正にふさわしい動きであったと我ながら思う。正直、ここは目的地ではないが目的地に予定通り着かなくても待ち人がいる訳でもなく、予定自体は自由に組み替えられるとの事情も働いてだろう。とにかく時刻表を見れば朝夕こそは10分刻み程度に来るバスも昼間は30分間隔、幸い屋根とベンチのある停留所ではあったが、強い日差しの下でただスマホをいじっているのも勿体ないな、と特に考えもないままに自動放送を聞いて以来、継続して抱ける何か引っかかりに突き動かされる様に辺りを散策してみる事にした。
 その一帯は比較的広いバスの行く通り以外は普通車1台がやっとか、それすらも厳しい狭い路地が無数に組み合わさった昔からの住宅街であった。だから立ち並ぶ家々も年季の入ったものが多く、特徴的な飾り穴のついたブロック塀とアパートへの階段が幾重にも重なっているのがひたすらに続いている。
 なんでこんな所に降りてしまったのだろう、とは気持ちの内で何度も浮かんでいた。ただ幾らか歩いた先に現れた角、歩いて来てまだ先に続く表面が大分傷んだアスファルトの路地と対照的に平滑さの強い石畳と接する分かれる道の先を見た時、そのモヤっとした何かの正体に私は気付く事になる。
 それは数日前の夜に道を尋ねに来た人が持っていた和紙のメモに墨書で認められた目的地なのだ、と。そしてその石畳の先へと視線をやれば赤い鳥居をひとつ従えた神社が住宅街に鎮座している眺めがあった。
 その途端に合点が行く、今、こうして降り立った停留所から歩いてきた道とは何だったのか、と。それは幾日か前の夜、勤務中に終バスも近いから、と道案内をした経路の正にそれなのだった。
 仕事でもないのに仕事の事を思い出すのは、と思いつつ心の内の引っ掛かりが解けた瞬間、不意に視界がぼやけたのは気のせいだったろうか。ただそれが何であれ記憶が飛んでいたのは違いなかった。次に意識がハッとした瞬間、私は戻った記憶もないのに先に降りたバス停のベンチへと腰を下ろしていた。
 目の前を道を行きかうクルマこそあれ、相変わらず誰もいない住宅街の中に有るバス停に掲げられた時刻表を見ると終バスは遅く、記憶に違わなければ数日前にした案内の時間ならばバスは間に合っただろう、と推せられる。そして降りた時に見た通り、ちょうどそろそろ30分後の次のバスが来る頃合。道の先へと視線をやれば、坂道を登ってくる方向幕の姿が見えたので、また立ち上がり入って来るバスのドアの内へと踏み入れていく。
 バスの車内も実に空いていた、だから入口からほど近い座席に腰を下ろし、発車するバスの車窓から先に入っていった路地の入口の前を過ぎ去るを見ながら、また新たな疑問を抱ける。
 そう、仮にあの神社が本当に目的地なのであったならば、なんであんな遅い時間に行く必要があったのだろう。ただ何だか途端に答えが浮かんだ時の様な気持ちも抱け、先の様な引っ掛かりはないままに、またあくびを、今度は幾らか噛み殺しつつ信号待ちで停車して揺れるバスに身を委ねたまま、本来の目的地についてする事を頭の中で整理するに向く私がそこにはいた。


 続
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