泡に包まり潮を喚ぶ・前編 冬風 狐作 鈴華美影の不可思議な日常二次創作
「んーなんやろ、これ?」
 それはお盆も終わった涼しい夕方。差し込む西日の中、境内の片隅にある御札返しの納札所を整理していた鈴華美影は、幾らかと持ち込まれた袋の中より、とあるひとつを特に手にして傍らに置かれた机の上に置いたところであった。
「うーん、何かこれ引っかかるなぁ」
 納札所、それは各家庭等より神社にて授与された御札等が改めて返されてくる場所である。大抵の神社、あるいは寺院に置かれているものであるが境内の人目につかないところにあったり、あるいは人目につく場所にあっても大体粗末な小屋程度の造りしかない、となりがちであるのはその制しつの物と言えるだろう。
 その性質、即ちそれは穢れを帯びていると言う発想である。少なくともこれは神社・寺院より授与された神仏の力を帯びた御札やお守りが、大体は1年間、それぞれの家や人を護った結果、穢れを帯びて本来の役割を果たさなくなったから、となろう。
 故に年末年始だとかの時期には大体、それらの交換がなされる事は多いのであるがそこは考え方もまた様々なもの。より長い期間使い、例えば引っ越しだとかを機会に改められるものもあれば、より短期間、そしてその時期も年末年始を問わず年中あるものである。
「結構詰め込んどるねぇ、この袋。えーとこれはあそこので、これは…ふうん」
 美影の住まう鈴華神社においてもその傾向は矢張り同じ。年末年始を頂点として、年度末だとかそうした節目は色々と山積みになることもあるがこの時期はそこまでは見当たらない。
 それでも毎日手入れをする度にひとつやふたつは収められた袋やらが持ち込まれている。故にその都度、纏われている気配をついつい退魔師との役割柄見てしまうのが常であるが、そう何か、おや?と注意を寄せる事は山積みの時期でもそうはない。強いて言うなら注意するのは普段以上に集まったそれらの穢れや思いが、何かの拍子にひとつの大きな個体と化す恐れがある事、であろう。
 だから個々の袋毎に何か強い気配を感じるというのは滅多にない事態。だからこそ今日の美影の反応は中々に珍しく、もしここに普段通りに猫乃が共にいたならば、ねえ様、これは、といい具合のツッコミを入れてくれたであろう。しかし今日はここにいない、ただ美影ひとりとなると実に視野が狭くなってしまうものである。

 今、美影の関心はその袋に集中していた。折しも近くの参道を夕暮れの中、お参りに来る人の姿があったが、一般人であるその者からしたら神社の巫女さんが何か納札所に収められたものを手にしている、としか見えなかったであろうし、そもそもその巫女が退魔師である、との事にすら気付いていなかったはずである。
 誰にも関心を向けられることもない中で彼女の手は動く、簡易な包装を破くと中には更に小分けされた袋がいくつも入っていた。そのどれもが授与された社寺の袋に納め直された形であって、それぞれに経年の穢や想いが伴われていたが、それはレベルの高い退魔師たる美影からしたら、机の上に積もった埃程度にしか感じられない瑣末なものだった。
 しかし、それらの先に、まるで返された御札やお守り類で隠す様に、まだ残っている神威にて封じるかの形である何かを彼女は見逃せなかった。少なくとも、それはこうした納札所に単体としてあるのは有り得ない力。より言うならこうしたお守り類を飾る家や人が手にしていたなら、その力によって逆に取り込まれてしまうのすら有り得ると予感出来てしまう強さに思わずその表情はふとした険しさを帯びてしまう。
「なんや、本当にこれ…これか?」
 そもそも袋の中に入れられていた覆うかの様な具合の御札類の数も尋常ではなかった。開封前の姿を示すなら、それはどこかの百貨店の比較的大きな紙袋、それがガムテープで閉じられた上でパンパンに膨れ上がっていた。そしてその膨らみの大部分を構成しているのは、先程から触れている各地の有名な社寺の御札やお守りの収まった無数の袋なのである。
 だから正に掻き分ける、とその手の動きについて言えるだろう。美影の手が袋類の中をこれか、こうか、との具合に掻いて行けば、幾らかはそのまま納札所脇の机の上に取り出されて並べられていく。そしてようやく開いた中より、曰く「有り得ない何か」を引っ張り出すまでには幾許かの分単位で示せる時間を、退魔師たる彼女だからこそ要してしまったものだった。
 そうして引っ張り出された物はこれまでの用いられた後とは言え、袋等にしまわれていた御札の類の整いぶりとは対象的な姿をしていた。乱雑に包まれた、何かを包むべく用途を変えられた新聞紙の束であり、ただ包むだけでに留まらず、幾重もガムテープで巻かれている紙ボールと言った姿をしている。
「うーん、これやねぇ…これ、なんか凄く慌てておったんかな」
 美影にとり、今、手にしている新聞紙ボールの中にある何かが自らの関心を強く惹いてやまない存在であるのは良く分かっていた。合わせて、紙袋の包の内側に詰め込まれていた数々の使用済みの御札やお守りは極めて簡易的であるが、その中身に対する結界を意図しているのもわかった。
 およそそれ等はプロ、即ち退魔師として初歩の初歩のレベルにも至らない程度のものであり、恐らくは何らかの知識がある一般市民がしたのだろう、と推測できる。
 しかし合わせて不思議なのはそれほどまでにしなくてはいけないもの、とどうして知れたのだろう?となろう。いわゆる霊感のある人が感じて、と言うのも全く無い訳ではない。それでもここまでするだろうか、何よりこんなに多数のお守りや御札をどうやって確保したのか、との疑問が美影の脳裏に過ぎる。何かが組み合わさると、別の何かがずれてしまう、謎とは大体においてそういうものであるのは承知しているからこそ、ひとまずは美影はそこまでに考えを留める。
 とにかく後でまた考えよう、流石に周りを見渡せば太陽も大分傾きを増している。余り納札所から帰ってこないと今日は別々に動いている猫乃が不審がるだろうから、とその新聞紙ボールを含めた全てを持参していた大きなビニール袋の中に収めると、簡単に口だけを閉じてぶらぶらと離れていくのだった。

 それから数日が経過する。翌日辺りから続く長雨が続く中、単身、依頼された調査案件の為に出かけた美影がしばらく列車に揺られて降り立ったのは、山と海に挟まれた様な小さな集落の玄関口とも言える駅だった。
   依頼された案件とはその集落の主たる産業である漁業、それに関連して不審な事案が続出している事だった。依頼自体はもしよろしければ、との具合ではあったが美影も雨降る中、神社に閉じこもっているのにやや飽きていたことから、引き受けた、と言えるだろう。
「いやぁ、あの高名な鈴華神社の方に来て頂けるとは有り難いものです」
「お待ちしておりました、それでは早速なのですが…」
 出迎えた集落の関係者に連れられて美影は早速、その異変が起きている海と港へと足を向ける。
「つまり、この港の区域を超えるところで消えよるんやな?その高波は」
「そうです、ただ不思議と死人だとか負傷者は出ていなくて…巻き込まれたら皆ずぶ濡れになるんですが、船も壊れないのです」
「しかしその度に作業は中断される、何よりどうにも落ち着かない。何の前触れもなく来るものだから、トイレにだっておちおちいけませんよ」
 人命や船に対する損害は出ていない、しかし到底幻とは思えない現象が前触れ無く続く事に対し、すっかり参っているのは彼らの言葉や表情から良く伝わってくるものだった。説明を聞きながら美影は幾らかの思い当たる案件との照らし合わせをしていたがどうもはまらない、しかし依頼を受けた手前、ある程度は目途を付けねば、との考えは当然あるもの。何より、これは直接持ち込まれた案件が故に単なる退魔師としての美影、に留まらない鈴華神社としての立場もあるものであるから彼女とてどこかでは慎重になる。
 幸いだったのは到着した時間が比較的早くなかった事だろう、昼過ぎの到着が故に元より日帰りは難しいのは分かっていた。それは依頼してきた側も承知していたからこそ、数日間の滞在先として宛てがわれた旅館の一室にひとまず構えるなり、さてこれは、と検討を繰り返す姿がそこにあった。
 しかしそう簡単に済めば、とはよく言えたもの。当初浮かべていた憑神案件とは大分様相が違うのは、アテが外れたと出来るだろう。では何だと言うのだろう?最も間違いなく言えるのはこれは何か人為的、あるいは自然現象として起きているものではない。明らかに退魔師の関与が必要な案件であるのは、旅館の窓を開けずとも感じられる、港はおろか集落全体に漂う強い気配から良く分かるものだった。
「うーん、まるで集落全体が海の中あるみたいやなぁ…なんやろ、これ」
 気配とは正に海、水の気配だった。勿論、その土地の気配というのはどこにでもあり、それ自体に地域自体が染まっているのは往々にしてある。しかし、陸地となると大体は薄まっているものでまるでこれは深い水底にいるかの様な具合。大きな潮の流れが渦巻く、一瞬山と海に囲まれた地形からか、と思えたが滞留しているにしては山の気配が薄すぎて、余りにも海の気配が強すぎるのである。
 それは気分転換に、と入った風呂の後でも変わらなかった。浴衣に着替えてくつろぐ心地、敷かれた布団の上に転がりながら彼女は思案する。うーん、これはどうなんやろ。その思いが巡っていた時、ピン、と美影は体起こすと持参した鞄へと手を伸ばす。
 持参した鞄の中より取り出したのは真新しい、鈴華神社の社紋が捺された木箱であった。美影はそれを手にするなり、顔の前に掲げ目を細めては軽く頷く。その口元にフッとした笑みが伴われていたのは、その心地の内に何らかの確信を抱けていたからであろうのは疑いの余地がなかった。


 続
泡に包まり潮を喚ぶ・後編
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