「へぇ、新作なんて出たんだねぇ」
「いやぁ、思わず買っちゃいましたよ、懐かしくて。でも大分ゲームシステムが変わってしまって、ちょっとそこが慣れないかなぁ」
夕暮れ時の路線バス、終点も近くなって乗客の姿も疎らになった車内に後部席より談笑する声が、自動放送の響きに混じって響く。
「変わったか、まぁ昔よりもハードも進化したし…ケーブルでつないでいたの懐かしいなぁ」
「ああ、しましたねぇ。あとバグ技も多くて、ほら、マスターボール99個に増やすのとか」
「そうそう、それそれ。俺もしたよー、あとケツバンとか兄貴がしていたな、うん」
話している内容は最近になって発売されたゲームについて、それは彼等がまだ子供の頃に発売されて爆発的な人気を誇り、今なお脈々と展開されている長命なゲーム「ポケットモンスター」についてのものであった。
彼等の話は深まっていく、昔は青を持っていると羨ましがられた、今はあの世代のを無印とか言うらしいよ、等々、昔を思い出しつつ、断片的に仕入れてきた話を交えてのやり取りを聞きながら、僕は降りるべきバス停にて降車ボタンを押して降り立ち、話に興じて夢中になっているのがうかがえる彼等の姿を車窓の向こうに見て、そのままバスの車体が通りの角の先に消えていくのを見つめてしまったものだった。
「ポケモンかぁ…うん、良いよね」
バスが行ってしまった後の静寂の中、僕はポツリと漏らす。そばにて見る人がいれば、その口角がニッと歪んでたのは見えたものだろう。そして、その独り言に続きがあったのが聞けた事だろう。
「…さってと、もうこんな時間だし、ね。帰らなきゃ」
ただその肝心なところは、バスから間を置いて、明らかに法定速度を超過した軽トラの爆音にかき消されて、とても誰かに届く事はなかった。ただ何かを呟いた、それが肝心と言わんばかりに取れたであろう微笑みのまま、僕は少しばかりバス通りを戻っては、防犯灯も、人家の明かりも疎らな狭い路地の中へと姿を消した。
年季の入った鉄製の扉、少しばかり動きが悪くなっているのに手入れしなくては、と浮かべつつ開いて、すっと入ると早速迎えてくれるものがある。
「お帰りなさい」
「ただいま、ちゃんと留守番していたかな?」
路地の先にある扉の中には暖かい空気が満ちている。季節は晩秋、夜ともなれば人によってはマフラーすら巻いてしまうほどの寒さが来ている中で、この暖かさは明るさと共に貴重な中に僕は入り込んで、扉を固く締める。
「留守番って、もうここから出てないですよ」
響いて返されてくる声が親しみの意を多分に含んでいるのは当然だろう、そしてそれ以外に何かあるのでしょうか、と言わんばかりの純粋さをも更に付加されているほどなのだから。そして僕は、それにただ満足の意を言葉にせずとも内面に浮かべて、表情を介して示すのみ。
そうでなくては、どうして僕の不在の家に留守をさせられようか。信頼して、言い換えれば、僕の意に反する事は出来ない、しないと分かっているからこそ、不在の家に置き、また預けている訳なのだから、僕は満面の笑みで返す。見れば見るほどに愛しい相手に、改めての微笑みを、それはもうより増す形で向けてしまう。
「ふふ、そうだよな。かわいいヤツなんだから」
「あっもう…」
扉が完全に閉まっているのを改めて確認してから、靴を脱いでそう高くはない段差をあがるなり、僕が更にしむけたのは口づけであった。すっと手を回し、肩ごと引き寄せては、その唇にチュッと重ね合わせると迎えてくれた相手はすんなりと、むしろ待ってましたとばかりに瞼が閉じるのがまたかわいらしい。
相手、との無粋な表現を用いないならば、相応しいのは「ポケモン」であろう。その「ポケモン」は少しばかり体を固くさせて、しかしすぐに軽く腰をこちらに寄せてきて、そちらから改めて唇を交わしてくる。言うなればそれはお迎えのキス、行ってらっしゃいのキスの逆、とも言える行為を僕は毎日、かわいい「ポケモン」と交わしている。
常識的に考えるならば、迎えに来ているのが「ポケモン」としている点でもうオカシイものであろう。確かに、それはその通りでしかない。ポケモンとは、先にも触れた通り、あくまでもゲームと言うプログラムの中にしかいない存在、人工的な代物の中でも特にその色彩の濃い、0と1から構成された仮想世界の中にいる存在でしかない仮想生物である。
そんな事は当然ながら承知している。当然過ぎて、その言葉も憚られるほどに強く。しかし、現に僕が口づけをこうして、舌を絡めてまで交わしている相手は「ポケモン」である。
ただ、敢えて括弧付けとしているのは厳密な意味でのポケモンでは当然ないからに他ならない。まずは僕と似た体つき、即ち、人の体形をしているのは本来の姿からかけ離れて、大いに違うところであろう。にも関わらず、かつ、その体の随所に「ポケモン」の特徴を幾つも伴っている、そんな容姿。
交わされるのは生き物臭く、しかし何やらビニールだとか、そうした存在に通じる匂いの混じった呼気と唾液。その交換を今、玄関先の空間で深く交わしているのは僕と「ポケモン」。その体には明るい水色に、濃い青を体の所々に配していて、特に手足の先にはまるで手袋や靴下かの様に配されているのが今の、特に今から迎える季節に通じるもの。
「ん…ふふ、ただいま」
「おかえりなさい、マスター…えへへ」
その色は全て毛である、皮膚ではなく毛としてその体は色を有していて、瞳はより深い紺に近い青色をし、大きな菱型とも言える耳と尻尾。そしてもみあげならぬ房を、部位として垂らしまた盛んに動かしている姿は正に「ペット」とも言えようか。それは懐いている表れとして受け取れることだろう。
「もう、笑うんじゃなくて、鳴いてごらんって言ってるじゃん?」
だから敢えて僕は指摘する、あれ?と。どうして、ただ「喋る」だけなのかな、と。
「あ、は…グレッ、グレェイッ」
「全く、まだまだ意識的にはまだまだだね…仕方ないけどさ」
「ごめんなさい、マスター、気を付けますから、グレッ」
ふふ、と僕はその姿に声を聞けば聞くほどに思えて仕方ないままに、しばらく無言で僕は「ポケモン」を愛で続ける。
その愛でるは抱擁であり、愛撫であり、交わす全てであろうか。とにかくは僕はその暖かい部屋の空気の中での冬に通じる、きれいで健気なしんせつポケモン「グレイシア」との互いを確かめ合う、そんな日々繰り返されている一コマを今日もまた過ごせる喜びでしかなかった。