月夜に瞬く硝子から・序章冬風 狐作 東方project二次創作
 幻想郷は狭く、しかし広い。博霊大結界によって区切られているだけに、その中にある世界こそ「幻想郷」として見れば外の世界に比べて、それは狭いものであろう。
 しかし幻想郷だけを見ればそれは広く多様な、結界の中に広がるひとつの世界である。そう、その結界、幻想郷の内と外を区切る、複雑な計算式によって組み立てられたひとつの計算式は、それだけでひとつの世界であろうし、その覆う中に「幻想郷」と言う世界があるのだとすれば、それは広大な世界の中にある小さなものでしかない。
 その「世界」たる博霊大結界を立案し、また維持しているのがスキマ妖怪こと八雲紫であるのはある程度知られているものであって、そのお使いたる式として九尾狐の八雲藍が日々、その主人になり替わって全体的な維持管理に歩き回っているのは最早日常の光景であった。
 ふと知遇を得た際に尋ねてみれば、藍曰く、それは大変な事。全てが計算式として繋がっている以上、ある箇所の綻びないし修理が全くかけ離れた場所に新たな歪を生む事もあれば、何の気なしに直したある箇所がきっかけとなって、一時的とは言えど全てが正常に戻ったりする。それはそう、ある程度理解しているはずの己にも、どうしてそうなるのか、その原理が理解出来ない事が本当に多く、本当のところは紫様にしかわからないのだ、とある時ふと漏らしていたものだった。
 最も紫が本当にそれをわかりきっているのか、となると―少なくとも藍は紫様は全てを解している、としているのだが―矢張り疑問はあろう。何故なら紫とて、未来に過去を完全に見通す事は出来得ないからだろうし、それが賢者とて、妖怪の身に過ぎない者の宿命ではなかろうか。
 ある程度、彼女の事であるから一定の誤差は考慮の上で計算しているに違いない。故にこの世界は時として異変が起ころうとも、また新たな外の世界からの流入者を迎えようとも、崩壊する事無くそれ等を受け入れて広がっている。しかし、それはあくまでも紫が想定した誤差の範囲内に収まる変動であるから、と私は常々思っている。だからきっと、見かけ上、その誤差の範囲内に収まっている、と見えていてもその実では誤差としては捉えきれないほどの齟齬が拡大していて、彼女とて思ってもいない新たな「計算式」が生まれている事もあり得るのである。
 そう考えると、私はまた、紫とて完璧ではなく、外の世界、ないし幻想郷の中に住まう者達の行動の結果、破綻こそしなくとも彼女にとって想定外の事態は常々起きている、あるいは起きているのではないか、と考えつつ、日々、観察しているのである。
 ―ある外の世界からの交流ある者の日記より

 幻想郷において外の世界に通じやすい場所は幾らかある。その中でも比較的誰であっても行きやすいのが無縁塚であろう。何せ、時として古道具屋の半妖の店主、また蒐集癖のある命蓮寺の妖怪鼠が棲み付いているほどであるから、少なくとも妖怪の山にあると噂されている外の世界へ通じる穴よりも、天狗や河童と対峙する必要が無い、との点からしても容易に通える場所であろう。
 最も人里からは離れている、そこまで通う道は決して安全ではない。主に外の世界から流れてきてしまった人間を狙う、若い妖怪達の襲撃が時折発生しているのは常識であって、その点での危険は昔から一向に変わっていない。故に人里に住まう人間が来るのは珍しく、余程の用事が無い限り足を向ける事はない。だから無縁塚の響きも然る事ながら、ここは静かであるのが当たり前なのであった。
 この無縁塚から近い、道から少し外れた森の中より悲鳴が響いたのはそんな日々の中での事。最もそれは深い森の中に呑み込まれてしまっているも同然で、その森の外に悲鳴が上がった事実自体が外に、当事者以外に漏れる事はなしに終わるはずであった。
「んー、この人間、えらく逃げ回るからもう少し遊び甲斐があるかと思ったけど…所詮は人間よねぇ、やっぱり」
 目の前で、半ばぼろきれの様になった「人間」であったモノを解体しつつ、その一部を咀嚼している、ある無名の若い妖怪はふと漏らす。
「でも、やっぱり楽しかったなぁ。最近、そんなに外からの人間に遭遇してなかったし、もう少し頑張ったら命だけは助けてあげても良かったんだけど…ああ、これ、この人間の荷物か、何が入ってるんやら」
 荷物、それは金属製の鞄だった。銀色に輝くその上にも、飛び散って間もない血飛沫による染め上げが幾らかなされている。仮に外の世界であればそれは重大な事以外の何物でもないのだが、ここは幻想郷。入り込んできた人間なぞ、大抵の場合、妖怪の狩りの対象となってその血潮をばら撒かせるしかないのだから、ただの通り雨にも劣る価値しかない。故に何も問題になる事はなく、価値があるとしたら妖怪の興味を少し惹く程度、でしかないだろう。
「んっふんっ…固いなぁ、これ。中々あかな…いっと!」
 その妖怪は自慢の腕力に物を言わせて、強引に鞄に施されていた金属の封印を断ち切る。最もそれが中身までを考慮したものではないのも同時に明らかなもので、頑丈に施された封印を断ち切るに要する力とは並大抵のものではないのを踏まえれば、その後の顛末とはある程度見えてしまうものだろう。
 そう、その強く加えられた力は更なる行き場を求める。結果としてその内部へと伝わる場所を見つけた力によって、収められている中身が辺りに飛び散ってしまうのでは、となるまでの想像力を生憎、その妖怪は持ち合わせていなかった。
「痛っ、うったくなんだよぉ…食べ物じゃないじゃん、これ?なんか刺さってもう、ムカつく」
 中から飛び出してきた様々な中身。悪い事に自らの側に開く側を向けて開けたものだったから、その内の幾らかが妖怪を直撃して力を失っては辺りに散らばる。ただ開けるだけに頭があって、その様な事態になる事を完全に認識していなかった妖怪は、すっかり気分を害したままに、まだ手にしていた鞄を乱雑に何処かへと投げ飛ばす。
「はぁ、ほんと、気分悪いっ」
 それがまた何かに当たって不快な音を立てるのを妖怪は耳にしていたがもう、そちらに気を向ける事はなかった。妖怪は収まらぬ気持ちを少しばかりの悪態として口から漏らした後は、再び関心の多くを目の前にある半ば解体された今日の「夕餉」へと向ける。そして後は、妖怪なりに「丁寧に」解体したそれを平らげる事だけに精を出すのみであった。
 大分して妖怪が立ち去った後の場所には、幾らかの人であったモノの残骸が腐臭と共に漂っていた。またそのモノが大事に持ち歩いていた荷物の残骸がそれはそう、完全な躯となって四散していた。ふっと吹いた風によってわずかに開けた木々の間より差し込んだ月明かりは、その下に躯の多くをキラッとした輝きを放って返される。
 それ等は無数の硝子片であった、風が止まる事によって再び闇に呑まれるのみの存在だった。


 続
月夜に輝く硝子から・第1話・わかさぎ姫と今泉影狼の場合
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