「おーい、わかさぎ」
「あらぁ、いらっしゃい…影狼?」
霧の湖の畔、かけられた呼びかけに応じてわかさぎ姫は鰭を岸へと向けた。そして、その見知った相手へと近付きながら違和感をふと抱き、違和感を覚えつつもようやく、それが完全な驚嘆へと変わったのは目の前に相対したところであった。
「ん、ああ驚いちゃった?そりゃ驚くよねぇ、でも私だよ?わかさぎ」
「えっまぁ声は本当、そうだけど…うん、影狼よね?」
わかさぎ姫の問いかけに影狼はうなずきを返す。そしてすっと何時もの通りにその手を掴むと、わかさぎ姫の体を陸の柔らかな草地の上へと引きずりあげて、そのまま押し倒す様に転がして口から舌を垂らす。
「影狼、その顔、いや口はどうしたのよ」
「驚くよねぇ、こんな姿。私も驚いたけど…ねぇ、わかさぎもなっちゃあわない?」
「へ…?」
改めて注意して耳で瞳で相手を捉えようとも、結果は一緒であった。声も、見えている瞳も間違いなく影狼なのはむしろ確かめられただけでしかなかった。しかし、あの馴染みの姿ではなく、言葉を喋る時の顔と言ったら、わかさぎ姫から見れば、瞳こそ満足げに目を細めたのをその丸く、ぽっかりと開いたスキマの中に見るまでで、口元にしても似たようなものだった。
何よりもの違いは彼女がどんなに暑くても脱ぎたくない、と言っている長袖とドレスを合わせた様なお馴染みの「服」を身に纏っていない事。しかし決して全裸ではない。全裸であるなら見れるはずの白い肌も、彼女が気にしている要所要所の毛深さは全く見られず、代わりにあるのはこれまで見知った事の無い感触と臭い、そしてそれ等を放って全身を覆う「何か」でしかない。
それはこげ茶色をしていた、栗に色に近い焦げ茶色で「影狼」の体をすっかりと覆い尽くしている。髪の毛も気にしている体毛もそこには一切、見当たらなかった。皮膚と共に全てがその中に内包されているかの様で、自らの尾鰭よりもずっと周囲の明かりを反射している不思議な物体に包まれているのに、今やわかさぎ姫は驚きと共にどう言い表したものか、上手い言葉が見当たらない段階に達しつつあった。
「私もって…やっぱり影狼なのよね、ねぇどうしたの、そんな姿?ねぇってあ…まさか、あの話を確かめに行ったの?」
自らの考えの整理も兼ねて、半ば思うがままに、また影狼が黙っているのを良い事に言葉を吐き出していたわかさぎ姫は、その中である事―自らが過去に伝えた話題―を思い出す。確か、つるつるでてかてかな変な妖怪みたいなものが山の中にいる、との話にあの時は影狼共々一体何なのか、と首をひねっていたものの、今、目の前にあるのは正にそれではないか、とつなげてしまえたのだ。
そうなってしまうと今の「影狼」についてもある程度納得がいく。納得が、と言うよりも推論をはっきりまとめられる、だろうか。あの後、恐らく影狼は私の伝えた話の真偽を確かめに行ったのだろう、そしてそこでその「つるつるでてかてかな包まれちゃう」何かと遭遇した結果、こんな姿で私の前に現れた、との考えがまとまってしまう。
「そうなのよねぇ、確かめに行ったら…いきなり包まれちゃった、これ、生き物なんだって」
「へ?あ、やっぱりそうなんだ…」
反射的に返した「そうなんだ」を影狼がどう理解したのか。それは明確には知れなかったが少なくとも悪い意味では取らなかった、と出来るだろう。
影狼は口にする―その口を良く見ていると言葉を発する時だけ、口が生じる様に裂け目が出来て動く。対照的に黙っている時はそこに口があるのか全く分からないほど、そこはつるっとして均一な表面でしかない―どうしてこうなったのかを、その多くはわかさぎ姫が先ほどはっと気づいてからの推論通りだった。気になって翌日辺りに竹林から無縁塚へ向けて歩き始め、無縁塚付近の森の中でさて調べようとしたその時に、これと出会った、と次第に饒舌に語っていく。
「これ、スウツって言うんだって、不思議な響きよね」
「すう…つ?すうつ?」
「うーん、スウツ、よ。とにかくこれ、確かに変な妖怪っぽいって表現あながちずれてないわよ。だってこれ自身生きてるのよ、こういう形で体にとりついて表面覆うのだって」
「よく知ってるわね…何で知ってるの?」
その質問に影狼は満更でもない、と言わんばかりに目を細めると声をどこか弾ませて返してくる―教えてくれたのよ、この「スウツ」が、と。
影狼曰く、このスウツなる「生き物」は宿主となる存在―それは妖怪でも人間でも良いのだと言う―の全身を包み込む。その際に面白いのはただ包むのではなく、特定の動物の形を取るのだと言う。
「私みたいに、だからきっとわかさぎもそうだとは思うけど、妖獣だとかだとその本来の姿に似せたものになるみたい」
だからこれ狼スウツなのよ、としながら影狼は続ける。とにかく妖獣以外であれば、その人だとか妖怪のイメージした動物に似せた姿に変わって全身を包み込んでくれる、そして皮膚と一体化して宿主から栄養を摂って生きていくの、と。
「栄養摂られるだけなの、それって大丈夫なの?」
わかさぎ姫の疑問に影狼は首を振って返す、どうもそうではないのよ、代わりに新たな皮膚となって寒さだとかから宿主を守ってくれるんだから、大丈夫。と自信ある具合で返してくるのは、どこかずれている具合があって、少しばかりわかさぎ姫は唖然としてしまえる。
その場から逃れたい、との気持ちも少しばかり抱けていたのは事実だった。しかしその変わらない姿勢から逃れられるはずもなく、すっかり動きを影狼に封じられたままにいるしか出来ない。
「だから衣服もいらないし…その凄く調子良いのよ、あの異変の時ほどではないけど何でも出来ちゃうする気がするし、それにその…あなたにも味わってほしいの」
「あなたにもって私にも…え、いやよ、そんな、ねぇ影狼、止めて」
わかさぎ姫の拒否の言葉に影狼の耳―それもスウツに覆われている―がビクンッと動いたのが見えたからして、影狼の言葉は正しいのであろう、と見れてしまえるのがわかさぎ姫にとっての現実だった。だも彼女としてはそれはごめんだった、幾ら、影狼が言った事でも、今回ばかりは正直得体のしれなさが拭えていなかったものだし、あの異変とは違う意味でおかしい、と感じられてしまうだけに何とかして逃れたい、との気持ちは強まっていく。
しかしそれは影狼には通じない、幾ら尾鰭をびちびちと叩いても動ずる事はなかった。それどころか、顔―そこも狼の様に口だとか鼻が前に突き出したマズルになっている―に開いた、前述の通りの穴の中にある瞳はより爛々と輝いていて、わずかに見えている彼女の頬もどこか紅潮しているのが、まだ明るい時間なだけに見えてしまえるのが辛かった。
「私も最初は戸惑ったけど…大丈夫、きっと分かってくれる…」
「やめて、ねぇ?お願い、止め…あ、あひっつめたっ…んんっ!?」
拒否の言葉は迫ってきた影狼のスウツが、口が開いた事で絶たれる。スウツによる口づけは水の中とも違うひんやりとした冷たさにすっかり染まっていて、流れ込んでくる息の暖かさが妙に生々しい。延ばされた舌もスウツに包まれているのか冷たく、しばし咥内を蹂躙した後、次に外気が流れ込んできた時にはそのまま、舌はわかさぎ姫の頬に首筋を丹念に舐めている。
その時のわかさぎ姫の姿たるや唖然を通り越した悄然、そのものであった。すっかり、急な事態を呑み込めぬままに、成すがままにされてしまって心ここに在らずの態を晒すまで、すっかり舐め続けた影狼はすっと立ち上がっては得意げに見下ろす。
その体はすっかり「スウツ」なるものに包まれている。目の辺りを除いて尻尾までもすっかり包まれたその体は、差し込む陽光によって各部がきらきらと輝きを返しては少しの動きでまた違う場所が同様に映える具合だから完全なる、ひとつの様式美以外の何物でもなかった。
「ねぇ…これで良いのよね?」
呟き―その時にはスウツの口は開かず、スウツ内でくぐもる様になっていた―に思考の中で返事がある、問題ない、と。それは生き物であるスウツの言葉、問題ない、だから次は…との指示に影狼はどこか恥ずかしさを抱きつつも、着て以来の高ぶりにより抑えられるはずもないままに膝を折っては、そっとわかさぎ姫の服の帯目を解いていく。
あの緑の着物を剥がれてしまっては、わかさぎ姫の体を隠すものはない。影狼はすっかり外気に晒すと、その股間へとスウツの指先を這わせていく。相変わらずその反応は冴えないままであったが、流石にピンポイントの刺激にはびくんっとなったのを見ては彼女もまた股間をスウツの中で湿らしていく。
スウツもまた喜んでいる様だった、繰り返し、繰り返しする様に、との反応が思考を通じて伝わってくる。影狼はそれに従うのみだった、体は、まだ太陽がある時間だと言うにも関わらず火照ってきて仕方ない。酷く、下品な事をしている、との認識があるからこそ、彼女はどこかで余計に興奮してしまっているのが止まなかったし、ゾクゾクとした勢いのままに手を這わせる速度を上げていく。
「ん…あ…つめたぁ…いんっ!」
そんな時だった、ふとわかさぎ姫が意識を戻したのは。はっと目が開いて、その視線と影狼のすっかり火照りきった視線が交差した時、わかさぎ姫は何を思ったのだろう。ただ、影狼に関してはそれが少し残っていたわかさぎ姫相手に、との恥ずかしい気持ちを取りさらった、と出来るだろう。
もうわかさぎ姫が何を言おうと、影狼には通じなくなる。影狼に通じるのは自らの興奮と「スウツ」の意思、それに従い影狼はわかさぎ姫の股間に指を入れるほどにし、乳首を指に舌で転がし尽くせば、またその首筋を舐め回す。だから、何時の頃からかわかさぎ姫の体に「スウツ」が現れだしたのかは定かではない、影狼の栗色交じりのこげ茶色とは対照的に鮮やかな水色、また白色へと体を染めていく、否、包まれていくのに互いが気付くのはもう少し後の事のになりそうだった。