「あーもうまたお姉ちゃんどこかに行ってる」
秋の一柱の豊穣神―秋穣子が炬燵の中から目を覚ますとそこにいるべき存在がいない事に気が付いた。
「全く、ふらっとどこかに出かけちゃうのがお姉ちゃんだけど…今年はちょっと多くないかしらね」
何時の間にか寝ていたのだろう、口元に残っていた涎を拭いつつ部屋の隅に転がっていた帽子を手にとって叩く。
「お姉ちゃんったら今晩の夕飯までには帰ってくるのかしらね、本当」
炬燵の中から半身を引きずり出してかけ直す―掘り炬燵である―と、穣子は机の上に帽子を置きながらぼやく。視線の先にはつい先ほどまで食べていた菓子と、すっかり冷めてしまったお茶の入った湯飲みが2つあった。
湯飲みはそれぞれデザインが違って、手前にある穣子の湯飲みは明るい黄色に幾らかの紫―それは薩摩芋である―が散りばめられたものであって、その半ばだけ残った緑茶をすすりつつ、穣子は主が手にするのを待っているかの様にたたずんでいる種に臙脂や穣子の湯飲みよりももっと淡い黄色が配されたもの、そうそれはお姉ちゃんこと紅葉神―秋静葉の持ち物である。
彼女等は秋姉妹、秋の一般を司る二柱の神としてこの幻想郷にいる。今の季節はそろそろ春も近いそんな時期、秋の神たる彼女等にとっては特にする事も無くただ見守っているだけのそんな季節。
「…うーん、今日も雪だってのに」
穣子は火照った体を一息吐きながら炬燵の中より引き出すと、障子を開けて縁側へと出た。そこはやや薄暗い、何故なら雨戸が閉められているからであって、明り取り用に設けられた行灯の明かり以外はすっかり暗闇が広がっているからだった。
だからなるだけ部屋から外れた場所の雨戸をすっと開く、途端にさっと光が差し込んでくるのだが同時に来るのは縁側よりもより冷えた冬の空気。今、正に降っている雪、そしてそれを運ぶ風によって冷やされ続けている空気が縁側へ入り込み、穣子の体を包む。
(ああ、本当寒い…今年は春が遅いわよ、やっぱり)
秋姉妹の家の前には彼女等の家が比較にならないほどの規模で農場が広がっている。それは穣子が自ら耕す、また豊穣神としての力を確かめる為に用いているものだった。そこはもう数え切れないほど昔に建てた倉庫がやや黒々とある以外は、一面純白の雪に覆われていて、所々の木々の根元には吹き溜まりが山となっている始末だった。
「…流石にこんなに降られると私も困るんだけどね、皆、眠り過ぎてしまうから」
穣子はふと口にする、冬の寒さは秋の実りをもたらして疲れた大地を、木々を休ませる存在。しかし余りにもそれが極まると大地はともかく木々が逆に傷んでしまう、幸いにして今のところ、この穣子の農場ではそれは何とか彼女の力もあって避けられていた。しかし、と穣子は思う―きっと人里ではかなり大変なことになってしまう、と。
いや。それはもうなっているのかもしれない。冬の寒さに眠りすぎた木は何時しかその身を弛緩させて自壊してしまうのだから、特に多いのがその身を裂かしてしまう事。そうなってしまうと幾ら豊穣神とは言え、それを再生させるのは容易ではない。また大地にしても目覚めが遅くなる事は、その内に適当な量以上の水気を蓄える事となり、雪が溶けてからしばらくは作物の根を冷やし過ぎて害を与えてしまう。
「…異変とか止めて欲しいんだけどな」
美味しいお芋が食べられなくなるじゃない―と思ったかは分からない。しかしそう予感した事は穣子をある行動に繰り出させるのに十分な刺激だった、そしてついでにお姉ちゃんも探しに行こう、と防寒着に身を固めてその家を飛び出したのだった。
「ふう、また来ちゃった」
金髪に鮮やかな赤と白い襟元の服を着た彼女がそっと漏らしたのは、淡い紫と白を基調とした服装の相手だった。互いの口はそれは近い位置にある、腰掛けているのは椅子、ではなく白いシーツのかけられたベッドだろう。そこに腰掛けた2人は目を細め、どこか潤んだ様な輝きを見せつつ互いの頬を接させていた。
「あの子、妹には断ってきたの?」
その問いかけに金髪の少女は首を振り、続こうとしていた言葉を遮る―だって寝ていたもの、あの子。起こすには忍びなかったから―と言って両手を回した。
「全く…まぁ何時もの事かしら、紅葉神さん?」
それに応じる様に体をより密着させながらの言葉を吐く顔は正に色づいていた。ほんのりと頬に紅が載る、との具合であって、彼女に限らず「紅葉神」と呼びかけられた側にしても同じ事だった。
「紅葉神じゃなくて静葉って呼んでよ、レティ?」
「…分かってるから、静葉、今日も会えて嬉しいの」
レティと静葉、それは冬に関係し、また秋を司る者の名前。ここはレティ―レティ・ホワイトロック―の家、そう広くなく、こじんまりとした部屋の中に置かれたベッドの上に、レティは客人としての静葉―秋静葉を迎えていた。レティは妖怪であり、静葉は神である。妖怪と神、何れにしても人でない彼女等の今の姿はどこか淡い感情に包まれていて、言葉もどこかトーンが高くなっている具合だった。
「…」
2人の言葉ないし呼気の音が一瞬だけ途切れる、そこで見えたのはその唇同士の接触―口付けの瞬間だった。ほんの一瞬の重ね合わせの時、2人の顔はそれこそ上気の頂点に達したとして過言ではない。そしてすっと離した後は上気こそ一種和らいだものの、瞳に関してはずっと潤みを増していたと言えるだろう。
「…しようか」
「うん…しましょ」
しばらくの俯き加減での沈黙の後、2人の言葉は半ば交差する様に意思を確かめ合う。そして再びのキスは瞬時に訪れて、それはもう長く重ねられていくその時に、窓の外はすっかり真っ白でしかなかった。