「はぁ食べちゃった…まぁ殆ど私の食料庫から持ち出したものだったけどさ、まっ良いよね」
里の人間に見送られて、また後で来ると言いつつではあったが後にした穣子はやや離れた所でふっと息を吐く。
吐き出される息は当然ながら白かった、辺りは真っ白な白銀の世界。寒さは太陽も出ていると言うのにかなり厳しく、裸足がトレードマークの穣子も流石に履物を履かずにはいられないほどだった。
暦の上では今は田んぼの手入れを本格的に始めて然るべき時期だった、更に言えば夏の辺りに収穫される作物の種蒔ももう終わっていて良い時期でもあった。しかし、辺りは真っ白で黒い土の姿はどこにも見えない、黒いのは葉っぱをすっかり落としてしまった広葉樹がある位で、葉っぱのついている針葉樹すらも同様な具合にしょぼくれている光景が広がっている。
「やっぱり、これは不味いよねぇ…うん、不味いよ」
穣子は時折立ち止まりつつ繰り返し呟く、少なくとも現時点で本来なら種蒔がされているべき作物の収穫は絶望的である。仮に人為的な方法―彼女は余り好かないのだが―それを多用したとしても無理であろうし、結局、また食料が不足する事は目に見えていたのだ。
最も今から1ヵ月以内にこの雪が溶けてしまえば、とにかく平地だけでも何とかなってしまえば、まだ秋の実りの象徴にして、最も重要視される米の収穫には間に合う。それさえ叶えば普段に比べたら食料は不足気味、特に多様性と言う点では中々に問題があるものの、何とか次の冬も越せるのは確実であるだけに、穣子はさてどうしたものか、と眉をひそめてはその帽子に手を当てるのだった。
結論から言うと、それは穣子自身が認識しているからなのだが、こればかりは幾ら豊穣神とは言え、あるいはただの豊穣神に過ぎない穣子だけではとても出来ない。
今回、人里を助けたのも本来で言えば彼女の役割ではない、そもそも秋に対して使われる自らの能力を無理やり引き出して使ったと出来る。正直しんどかった、冬は実り、即ち豊穣にとっては大切な休眠の時期。それは秋の豊穣神たる彼女とて同じで、何時もであれば自らの社の炬燵に入って、芋をかじってのんびりと、それは次なる収穫に向けて考えを巡らしている日々を冬は送っている。
だから本音ではどこかもうこのまま社に帰って寝ていたい、と思えてもいた。しかししなかったのは、そう、今、彼女を見送った人々の強い思い―彼女に対して寄せられている強い信頼、即ち信仰の気持ち―に後押しされたからだろう。何せ困っていたところに神様の方から助けにやってきてくれたのだから、当然そこにはこのまま恩恵に与ろう、との気持ちも無い訳ではなかったが、心底から寄せられる切実な思いを前にしては、彼女はとても1柱としてそれを裏切る事は完全に出来ない話であった。
(…とにかく誰かに相談してみよかね、誰にしよう?)
穣子は辺りの観察を続けつつ、この、どう考えても「異変」としか取れない事態を相談するに適している相手を模索していた。
まず頭に上がったのは博麗の巫女である。あの巫女は異変解決の専門家であるし、実際にそうして活動しいるのを知っているからこそ正に適任と言えた。しかし穣子は無言で首を振ってそれを打ち消す、理由は単純―穣子はあの巫女が余り好かない、そんな女心によって若し万一相談するとしても、彼女の中の位置づけでは一番最後に回されてしまったのだった。
しかしそれ以外に浮かんでくる顔がとても異変解決に役立つとは思えなかった。むしろ異変の混乱には役立つだろう、との顔ぶればかりなのに穣子は思わず苦笑し、そして溜息をまた漏らす。
特に今回は人間が絡んでいるからこそ尚更であった。今の幻想郷はかつてと違って妖怪が人里の人間を襲う事はかなり減っている。最も妖怪の食性が変わったとかは無いから、要は人里の人間に代わる人間が存在する…となるのだが、そうであっても余り妖怪がこの異変解決に関わるのは適当ではない。
それは根底では対立関係にある妖怪としても、また人間としても確実なところであろうから、そうなると可能性があったとしても妖怪に相談するのもまた避けられるべき、となってしまうのだ。
そうなれば残るは神か、また人間かとなる。よって先ほど後回しとした巫女が、一応は人間であるから後者の中の選択肢として再浮上してしまったのが何とも苦々しいものだった。ただ妖怪に比べたら、その層は圧倒的に薄い、そして妖怪以上に巫女の一件もそうだが、何かと彼女自身との利害関係等が絡んでくるだけに、頭ではこれ、と思えても気持ちとして素直にうなずけない、正に乙女心ゆえの悩ましさの中、彼女は足を止めた。
「…ああ、そう言う事ね。彼女に相談することにしましょう」
彼女はふっとした光明、それを見出したと言わんばかりに口角を上げて安堵した呟きを漏らす。
だが足を踏み出す必要は無かったらしい。ふっと辺りがわずかに暗くなった―何か上から影が差した―その時に、もうその彼女、霧雨魔理沙が箒に跨ってそこにいたのだから。