娘の決断・前編 ポケットモンスター二次創作 冬風 狐作
「パパ、これは私の選んだ道だから!」
 娘にそう言われたのは一体どれ位前だろう。そんな事を彼は春風の中を飛び交う鳥ポケモンの姿を浜辺で眺めつつ、ふと思い返していた。

 それは彼をパパと呼ぶ、己が娘の記憶だった。名前はベル、一人娘で父親たる彼にとってはまさに目に入れても痛くはない、それだけ大事な娘にある日、そう言われた瞬間を彼は今なお鮮明に覚えている。
(確かライモンシティだったなぁ、俺も良く追いかけたものだ)
 もう一体、幾年経っただろう、と今でも時折彼は思う。確か5年前の事、このカノコシティに彼の娘として生まれ、育った娘は幼馴染の友人達と共にアララギ博士からポケモンを受け取って旅に出た。自らのポケモンを手に入れたとは即ちポケモントレーナーになったと言う事である。
 特にただ自らのポケモンを持つだけではなく、ポケモンと共に最低でも半年か1年位、若い頃に1人で各地を歩くと言うのには大きな意味がこめられていた。それはある種の通過儀礼、つまり子供から大人になった証のひとつと言うのがこの世界における常識。父親たる彼も娘と同じ位の年頃に、近所のポケモン研究家からポケモンをもらい、トレーナーとなってしばらく各地を放浪していた、そう言う過去があるから何時かは我が娘もその様に旅に出る、それは予想にして既定の範囲内の事であった。
(でも急だった、少なくとも俺が思っていたのより1年は早かったな)
「私、旅に出たい」
 いきなりそう言って来た娘を前にした時、彼は咄嗟の反応に困り酷く狼狽したものだった。何故ならその日に言われるとは全く思っていなかったからである、そして何を言うべきかと慌てた勢いで、さっとまだ早い!と怒鳴り返してしまったのは心配だからこその気持ちの爆発であった。
 しかしそれで娘を止める事は出来ない、そう彼は別の視点において冷静に見ていた。何と言ってもその時のベルの目は真っ直ぐで真剣だった。何が何でも望む様に歩んで生きたい、そんな強い自己主張がこめられていたのだから。それは普段の、どこかのんびりとしている彼女にはない感情だった。
 彼女なりに成長した証、ともそれは言える。同時に守るべき者、としての父親の立場が崩れた瞬間でもあったのだろう。言わば怒鳴り返したのは父親としての最後の矜持だったのかも知れない、守るべき者としての立場を唐突に失ったからこその虚勢でしかなかったのだろう。だから止められる説得力は当然ないまま、ベルはポケモンと共に旅へ出て行ってしまったのだった。

 そして冒頭の台詞もベルからぶつけられたものだった。娘が旅立ってからと言うものしばらく、余りに心配で仕方なくなった彼は、居ても立ってもいられずにその後を追いかけ始めたのだ。それは帰って来いと説得する為であり、むしろ連れ戻そう、そうしないと自分が落ち着いていられないと言う気持ち故の行動であったのは間違いないだろう。
 今から思うとあれこそ自分の気持ちの押し付けであり衝動的な行動の極みであろう。言わば考えなしと出来る行動であったからこそ、彼はようやく追いつけた場で当初の思いを果たす事は出来なかった。結局、彼はそのまま単身カノコタウンへと帰るしかなかったのが何よりもの証拠である。
 最もそれはただ喪失だけではなかった。それは娘の成長に満足した、わずかばかりの寂しさと引換にある種の達成感を胸中に抱いた父親の姿。久しぶりに見た娘の言葉に旅立ちたいと申し出て来た時にはなかった、経験をまだわずかとは言え積んで知った現実を基礎としての説得力を手にした姿。そして偶然居合わせた娘の友人の言葉、更にはその町のジムリーダーによる諭し受けて納得した上での帰路は、充実の一言に尽きていたと言えるだろう。

 そしてそれから8年が経過した、その間にベルが家に帰ってきたのはほんの数回しかない。その度にどんどん成長を遂げていく姿は今やすっかり彼の楽しみであり、そして近所の共に旅立っていた、幼馴染の親達との共通の話題であり、自慢だった。
(確か明日か、戻ってくるのは)
 夕暮れ時の海岸に出ていた、娘の帰ってくるであろう方向を眺めていたから。そう明日、3年ぶりにベルが帰ってくるのである。これだけの期間を帰ってこなかった、と言うのは流石に長く、彼も父親としての守りたい気持ちが、どこかでチラつき出さずにはいられなくなっていた。その背景としてあるのが最後に帰って来た後、このイッシュから海の彼方の見知らぬ地域へ行ってしまった、更にはたまの便り以外に何も音沙汰が無くなってしまったのが大きい。
 だからこそ久々に帰ってくる、との頼りがあった時、彼は思わず感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。指折り数えてようやく1ヵ月、いよいよ明日となった今日は朝からそわそわして落ち着かない。それでも何とか紛らわした果てに、結局は夕暮れの中へ逸る気持ちに押されて飛び出して、海岸線よりその方角を眺めては紛らわさんとしていた、それが今の状況だった。
 最も、それで簡単に治まるほど単純な話ではない。繰り返す様だが余りにもこの3年間、ベルに関する情報は余りにも乏しかった。つまり便りがないのはよい便り、では済まなくなっていたのである。
 結果としてそれは要らぬ心配の数々を、特に帰ってくるとの便りがあって以来、彼の心中に溜め込ませる要因となった。元気でいるだろうか、ちゃんと食べているだろうか、何をしていたのだろうか、怪我などしていないだろうか、とにかく書ききれないほどの気持ちが交錯して止まず、余りの重さにどこか潰れそうになっている、そんな状況なのだからむしろ彼の方こそ、帰ってくる事に救いを見出していたとすら言えるだろう。
 そんな気持ちを見すかすかの様に時間はゆったりと経過していく。日が完全に落ちて、月が煌々と辺りを照らして、そして陽光が水平線の彼方より上がる一連の流れと言うのは、彼にとってこの1ヵ月間で最も苦しく、かつ喜びの気持ちに満ちていた瞬間と言う他ないだろう。そしてその日の昼過ぎ、その姿はカノコタウンから少し離れた港、一角にある飛行艇の乗り場にあった。時計を見ると後20分としないで到着する予定となっていた。

「ベルさんのお父様ですね?」
 定刻より10分ほど遅れて到着した飛行艇、大勢の乗客の中からいきなり声をかけれた彼は一瞬、その顔を強張らせて視線を向けた。そこにいたのは背の高い、如何にもトレーナーと言う具合の青年であった。言葉のイントネーションが何だか違っていたし、明らかにイッシュの人間でない事は明らかであると共に、そもそもその顔にも、そして別の地方に心当たりのいる知り合いもいなかった彼は当惑するしかなかった。
「はあ・・・その、どちら様で?」
「私、ベルさんと共にこちらに来た者です」
「えっベルと!?あの、ベルはどこに?」
 それは驚くしかなかった、少なくともその誰か同行者がいると言う事はベルから1ヶ月前に届いた便りには載っていなかったのだから。まさに不意を突かれた出来事に言葉を失っていると、しばらく顔を見つめていた青年は口を再び開いた。
「私はアーキッドと申します、ベルさんと共に歩いていた者でして今日はベルさんと共に初めてこのイッシュに来ました」
 言葉は丁寧で落ち着いている、しかしどこかで緊張している気配を彼は感じた。そして辺りを見回して気がかりだったのが、そうベルの姿が見当たらない事である。
「あ、ベルさんはこっちにいますから・・・行きましょう」
「おや、先に行ってしまったの?」
「ええ、そうです。出る所が分かれてしまっていて、多分待っているはずです」
 出る所が違う、それは先に行ってしまったのかとの言葉への同意と共にやや違和感を感じる言葉であった。だが嘘を言っている様には、そもそもこの様な青年が共に来る事など知らなかったと事実はあるにしろ、彼は青年にそこまで疑える余地があるとは思えなかった。
 とにかくベルからの便りでは今日帰ってくる、とあったのだから。そしてここにベル本人ではないにしろ、ベルと共に来たと名乗る青年、アーキッドがいる。これは不思議とした安心感を彼にもたらしたのは言うまでもない、だからこそその半々の気持ちのまま、その背中を追って人ごみを掻き分けてついていくのみだった。
 続


娘の決断・中編
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