古の仮面達・第1話 冬風 狐作 ポケットモンスター二次創作
 それはあの日、彼らがここで触れてしまう日から遡る事、数ヶ月は前の話だった。人里近く、しかし今や滅多に開けられる事も無いその扉の近くで生じたそれに気が付いた人間はまずいなかった。
 それはその場所が人里に近いとは言え一定の距離があり、直接的にその辺りに住まう人々の日常生活に何か影響を及ぼすとか、そう言うのとは無縁の土地で起きた出来事であったからだろう。だから数ヵ月後に「触れてしまった」彼らは知る由は当然ない。何よりも唯一知る事が可能かもしれない存在もまた、すぐには気が付かなかったのだからそれだけ隔絶された出来事であった。

 ここ数日間はこの地方では珍しい大雨だった、最もこの言い方には語弊があるかもしれないので補足するなら、雨は降る、しかししとしととした雨が長時間に渡って降るのが一般的なこの地方にとって、強雨、バケツを一気に何個もひっくり返した様な雨が数日にも渡って激しく降り続くのは珍しい。だからこそ人々のそういう事態に対する備えは薄いからこそ、表面的には平静でも内面では皆して泡を食ってしまっていると言うもの。それは小さな家と言う単位から数値的なデータで捉える立場にいる人まで、一部を除いた大体数に共通した状況なのだった。
 よって何時も以上に周囲に対する観察眼だとか、気配りと言うものは薄くなる。普段であれば誰かしら妙だと気付く事でもこの時ばかりは全て見過ごされ、ある意味では何かが人知れず起きる条件としては格好の空白が生じていた。
「あーあ・・・どうしよ、この雨」
 そんな人里から直線距離にしたらそうは離れていない山の中。しかし人の歩ける道でその場所までの距離を見ると、急な勾配と曲がりくねった道が距離と共に行く手を邪魔する、中々難儀な距離にある場所で1人の男が目の前を滝の様に天から降りつける雨を見て思わず呟いていた。
 季節は春にようやく入り、木々の鮮やかな黄緑色の若葉が一応葉っぱとしての体裁を整えつつあった、そんな時期。昼間ともなればもう外套等は不要な暖かさであったから、一応朝夕に残る冷え込みに備えての長袖こそ身に纏っていたものの、朝に入り昼過ぎには下山する予定であった男はそれ以外には何か特別な装備をしているとか、そう言う事はなかった。ただその腰に鉈が吊るされているのは彼がただ、ふと思い立って山に入ったとかそう言うのではないのを示している。
 少なくともそれは山で働く者の証と言えるだろう。山で働き、そこから得られる恵みを糧に変える、それが生業である者。今日は冬の間立ち入れなかった山に先日立ち入って以来、再びその生業を再開するべく改めて確認に行った帰り道にて、この強雨にと遭遇したと言う次第。幸い、それに遭った場所の至近に以前に見つけた少なくとも雨宿りは可能な天然の横穴が存在しているのを覚えていただけに、そこまで移動する間は雨に濡れたものの今はこうして逃げ込め、湿った春の空気が満ちた中で雨の叩きつける音を耳にしながら、落ち着くのを今か今かと待っているのだった。
 だが一向にそれは訪れなかった、そればかりか激しい雨はますます勢いを増し、既に1日が最低でも経過していたのを彼は理解していた。だが果たしてもう何時間、ここに逃げ込んでいるのか、と言う事は把握出来なかった。ただひたすら時間が経過していくのをもどかしく思いつつ、雨を見つめる事、そして本当に必要なこう言う時に限って、時計だとかそう言う物を麓の入り口に止めた車の中に置いて来てしまった事。それを中心として自分に対してのため息を吐く、ただその繰り返しで数日が経過していた。

 彼、ゲンイチが先ほど不意に目を覚ましたのはふとした天然の刺激を受けたからだった。天然、即ち自然現象からもたらされたその刺激は残念な事に彼に対して福音をもたらさない、そう雨が止み雲が晴れそして陽光が木々の間を通じて洞窟の中に射し込んで来る、と言うどこか物語的なそう言う明るいものではなかった。
 彼に向けられたのは直接的には冷たさ。ついでは振動と轟音、濃くなった闇の範囲、そして乏しくなった風の流れを順繰りに感じるなり、彼は望んではいないよろしくない展開が起きてしまった事を悟ってしまう。
「ああ・・・よりにもよってここでだと・・・」
 完全な暗闇にはなっていなかったのは、外界と内部をつなぐ穴がまだ残っていたからだった。ゲンイチの目の前には「壁」が出現していた。それは彼の背丈をやや上回るくらいの水分を多分に含んだ、質量のある重い存在。まるで潰れた饅頭の様に歪な形になって横たわっている事で、開いていた筈の洞窟の口は半ば真上にも近い位置に移っていた。そしてそこからは降り頻る雨音、とどまらない雨その物を洞窟の中へと何にも遮られる事なく易々と入り込み、彼の体の一部にかかっていたのだ。
 よって冷たさの正体はその水と土砂から染み出る泥水である。崩落の原因となった水分は、それ自体を多量に含んだ土砂が保水力の限界を超えている事を良しと言わんばかりに、染み出でては目の前で泥水と化して崩落した土砂に覆われるのから逃れられた洞窟内へと流れゆく。その先端が降り注ぐ雨と共に天然の刺激として彼の顔に直接触れた事で、眠りからはっきりと覚醒するに至った訳だった。
 最も崩落した土砂の下敷きにならなかったのが何よりもの幸いと言えるだろう。だが目の前で流れ込んでくる泥水は刻々と増えていて、最早ここが安全な場所でなくなったと言う事実を突きつけてくる。だからこそ彼はすぐにでもどう処すかその反応対応を決める事を迫られた、留まるか退避するか、その二択のどちらを取ってもこれまでの様に、空腹にさいなまれるのを除けばある程度は落ち着いていられた環境を再び手にするのは難しい事、それだけは明白だった。
 幾ら彼がこの山の事を知っているとしても、流石にこの時ばかりはどれが適切なのか、頭を悩ませてしまう。単純に脱出したとしてもまずこの背丈ほどある土砂の山、柔らかく極めて水分に富んだこれを突破しなくてはならない。またこれだけの崩落が起きたと言う事は山全体がかなりの水を蓄えていて、ここに限らない他の場所、幾らか心当たりがあるのがまた憎らしくもあったが、それ等は経験上、恐らく崩れている、あるいはそうなりかけているのはほぼ確実であり、相変わらず降り頻る雨がよりその可能性を増している事だろうし、大よそプラスの要素は見当たらない。

 だからゲンイチは敢えて洞窟の中の方へと体を向けた。ここに逃げ込んだ時に確認した限りでは、ある程度の起伏が壁に沿って奥に行けば行くほど明確となり、また人が歩ける幅は確保されているのでその上にいれば当面は泥水が洞窟内に入ってきても凌げるであろう、と考えられたからだった。また洞窟と自然と言えるだけあってしっかりとした奥行きがあるのが、それを強く後押しする。
 幸いにして開口部が斜め上の位置にずれた事で洞窟の奥により光が入る様にはなっていた、それにより奥に行くほど起伏が漏斗の様になっていき、傾斜もあるから泥水は一番下の空間を排水溝であるかの様に奥へ奥へと流れていくのが改めて明確に確認出来たのは更なる後押しとなった。
 よって少なくとも現時点では奥に流れた水が溜まり、次第に水かさが増して水没する兆候はなかった。故にそれ等から当面は起伏の上に留まってさえいれば、引き続き雨と泥水からは逃れられる事が可能と見えたからこそ、ゲンイチは敢えて、いたずらに雨に濡れて体温を低下させるよりも、その場に留まり温存する道を選択したのだった。
(しかし、そうなってくるとだ・・・)
 前述の事情から肩の荷は少しは降り気は楽にはなった。しかしだからこそそれによって隠されていた継続していた問題が再び頭をもたげる。まずは空腹、最早飢餓感に近いレベルのそれと同調するかの様に襲ってくる時間の緩慢さは、どちらか一方でも時として耐え難さを感じると言うのに今や複合的に混ざり合っていたからこそ、彼の神経は酷く刺激されて、次はこの問題こそ解決させられなければならない、と迫っていたに等しい。
 しかしこの問題こそ真の難題だからこそ彼は思わず口を歪ませる、ふと思えば今回は時計に加えて簡単な食料すら置いてきてしまっていたと言う失態。これは先に書いたふと大雨の中で崩落するかもしれないと心当たりのある場所が脳裏に自然と浮かんでしまうのとは別の意味で苦々しく、また自分を思わず責めたくなって仕方なくなるのだから。
 幾ら辺りを見渡しても食料になりそうな気配のある物はない、盛夏や秋であれば木の実だとかを、という考えも可能であろうがあいにく緑が新緑として広がりつつあるこの春では困難であった。最も水に関して言えば雨と言う天然の水攻めの結果、こう言う状況に追い込まれているのだから手を伸ばせばそこに豊富に存在している。
 しかし渇きに対して泥水を飲めば、と浮かべどもいざ行動に移すまでには至らないを繰り返し、あと少しあと少し待てば、と自らに言い聞かせ続けて逃げていたのは事実。しかしそれはこうもしている間に雨が落ち着くだろう、そうすればと言う前提条件があってこそ成り立つ我が身への説得だった。しかし今、目の前で洞窟の入り口部分が崩落し、更にはその外では変わらず雨が強い調子で降り続く、と言うのを見てしまっているからこそ、幾ら内心に言い聞かせようとも流石にそろそろ限界でもある。
(流石に乾きもそろそろ限界か・・・)
 唾液を敢えて大袈裟に喉に流しながら再びゲンイチは視線を上に向けて、土砂の上に開いた白い外界を見た。白、と言うのは即ち明るいから、この暗い空間に身を置いているとそこにあるのは黒と白だけであり、黒の中にいるからこそその白さは妙に眩しく目を細めてしまう。
(小憎らしい・・・っ)
 しばらく何も思わないでいた矢先に浮かんだその何の脈肉もない内心の呟き、それで何かのスイッチを入れられたかの様に彼は立ち上がると足を踏み出す。それは洞窟の奥へ向けての一歩だった、そしてようやく思い出したのだ、腰に懐中電灯を吊り下げていたと言う事を。それが闇を切り裂く明るさにも一瞬目を細めてしまったものだが、一旦何か動き出すと刺激されてまた何か浮かんでくるもので、今は1つの可能性を思い出しそれに賭けてみよう、と言う反骨的な意気に突き動かされて歩むのだった。


 続
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