「はあ・・・生き返る」
そんな少年がそう呟きを漏らしたのは216番道路から217番道路へと入って間もなくの場所。決して夏でも汗をかくほどの厚さにはならない常に寒冷で冷たい風が吹いている、その様な場所にたたずむ一軒の家の中での事だった。
「全く、ここは初めてか?」
「あ・・・はい、油断してました・・・」
かけられた声に対しふと恐縮そうに姿勢を少年は立たした、それを見た相手はふっと微笑んで、自らの手に掴んでいたマグカップの中身を口へ運んでから、改めて口を開く。
「駄目だぞ、この地域の寒さを舐めては・・・とは言え、私も最初に来たばかりの頃は話に聞いていたよりも酷い現実に振り回されたのは事実だから、そう言えた立場でもないかもしれないがね」
「そうなんですか?」
「ああ本当だ、全く良くキッサキシティなんて町が出来たものだと心底思ってしまったものだよ」
そう言って相手、初老の気配を漂わせた男は軽く笑いカーテンを少し開けて窓硝子を露にする。そして窓枠においてある小さなナイフを手にすると、硝子の内側の氷をわずかに削って目を細めた後、再びカーテンを戻した。
「部屋の中がこんなに暖かいのにこの凍りっぷりだ、室内の窓硝子なのにだぞ?」
「・・・信じられないですね、でもどうして二重窓ではないんですか?」
「・・・予算不足だ」
少し得意げな顔をしていた男は、苦笑を浮かべて向かい合うように置かれた椅子に腰を下ろした。平屋建てのそう大きくはないが、幾らかの部屋を持っていると見える家、そうこの今いる家の持ち主こそがその男なのだった。
「ま・・・テンガン山の向こうではもう大分春めいていると言うのは知ってる。家を出る時に冬仕様で来たにも関わらず暑さの余り、ハクタイ辺りで装いを変えるって言うのは十分想像出来る事だから、ね。この寒さを知らないのなら」
「え・・・ええ、そうなのですよ。流石に熱くて、ハクタイに住んでいる知人の家に置いて来てしまって・・・失敗しました」
少しおどけた調子で話す男のペースに乗って、笑みを浮かべつつ応じて会話を続ける。どうしてここに来たのか、何が目的だったのか等と専ら少年が話し手となり、ふと気が付けば数時間余り、マグカップの中に入ったコーヒーがすっかり温くなってしまうまで話し続けていた。
「あ・・・何だか、長話をしてすいません・・・そろそろ・・・」
少年はそうと気が付いた途端、流石に少しの気不味さを覚えてしまった。これは自分の思い通りに、相手の都合を考えずに進め過ぎてしまったのではないかと。そして生来の他人に対して気を使う気性も働いて、特に考えもなしに、言ってみれば反射的に呟きつつ腰を椅子から上げてしまう。
「どうしたのかね?」
それに対して男が怪訝な顔を浮かべたのは言うまでも無い。あれほど楽しそうに喋っていた少年が急に顔色すらもわずかに変えて、声の調子も張りを無くしてむしろ迷いとも言える澱みすら含んだ具合へと変わったのだから、余程の鈍感であっても一体何が?と思ってしまうのは当然の事だったろう。それに対する少年の釈明にも近い言葉を聞くなり、男はふと薄く目を閉じた。そして軽く首を傾けるなりほんの少し動きを止める、それは少年の注目を、そして動揺をより大きく誘ったのもまた然りだった。
『テンガン山北部にかけては1週間程、現在の気圧配置のまま・・・』
「と言う訳だよ、まぁゆっくりしていきたまえ」
「は・・・はぁ」
しばらく止めた動きの後に男がしたのは、止めていたラジオの電源を入れる事だった。するとまるでその時を待っていたかの様にラジオからは天気予報が流れ、現状の、つまり少年が遭難しかけた酷い荒天が当分続くと言う内容が報じられたのだった。そしてその部分が終わるなり、男はつまみを戻しラジオの電源を切った。そしてふっと微笑を浮かべて、改めて椅子に腰を戻したのだった。
「食料水の心配はしなくていいぞ、こう言うのに備えて何時もしっかりと蓄えてあるからね」
「部屋は・・・そうだな、1つ使ってない部屋があるからそこを使えばいい。何、来る人なんていないさ」
もうすっかり気軽な感じで次から次へと口にする男の姿を見て、少年はまだわずかな同様を残しつつも、ここは従って良いのだと自らに言い聞かせて荷物を手に指定された部屋へと立ち入った。部屋は少年が住まう部屋と比べると小振りであったが、小奇麗に整えられていて埃っぽさも無く、ベッドの上に敷かれたシーツも新品その物と言う感じで、まるでそれはどこかのホテルの様な雰囲気であったと言えよう。
その部屋に荷物を置き、ふと体を伸ばしてから元いた場所、リビングへと戻る。リビングにいなかったのはほんのわずかな時間でしかないのに、その間にその場には静かな曲が流れ出しており、男は新たに注いだマグカップを手にのんびりと体を伸ばしている姿があった。
「どうだい部屋の調子は?」
「ありがとうございます、凄くきれいで・・・あっレコードなんて懐かしい」
「ん、わかるのかい?今時の子供も」
曲の音源、それがレコードであると気付くなりふともらした言葉に、男は感心した様な表情をして返した。それを見た途端、不思議と少年はこの期に及んでも残っていたわだかまり、いや何か男に対する遠慮の様な気持ちが良い意味で溶けて消えた。そして素直な気持ちと言うべきだろうか、その様な物が表へと出てからと言うもの再び腰掛け、会話が再開されるまでには殆どの時間と手間を要しない。
そしてその会話は、過去にポケモンの研究をしていたと言う男の過去もあって、それを中心として色々と、先ほどとは異なるお互いが交互に話す、そんな具合でのやり取りがしばらく展開されたのだった。