水色の短冊・前編 冬風 狐作 ポケットモンスター二次創作
「グレイシア〜グレイシア〜。」
 ある土地、ある街、ある場所の一軒家、夕暮れ間もないその時間、その家の一室よりやや調子っぱずれで単調な鼻歌の様なものが、その廊下に漏れていた。
 扉の向こうにある部屋は、格段にきれいと言う訳ではないが小奇麗と言う具合で、居心地は良い印象の部屋であった。そして、その部屋の主は、1人電気のこうこうと灯った部屋の中で机に向かい手を動かしている。視線の先に広がる白い紙、そして握るは鉛筆、そして白い紙の上には黒い線の重なり合う・・・それは線画だった。それが下書きなのか、それともただ筆を滑らせているのか、それはわからなかったが、とにかく楽しみながら鉛筆を動かしている。それだけは確かな事とできよう。
 彼は基本的に孤独だった。それは彼が中学に入ってからしばらく、もう2年近く続いていることだった。とはいえ、理由はそう深くある訳ではない。別にいじめられていた訳でもないし、成績が落ちてと言う訳でもない。ただ、何と無く学校に行きたくなくて、今ではすっかり家の中にこもって好きな事をしているのを続ける毎日を送っている。そんな彼のお気に入り、つまりこの様な日常の中でしている事の1つが、ポケモンのキャラクターの絵を描く事。最も、人間キャラは殆ど描く事はない。描くのはお気に入りの、文字通りポケモン達の姿であった。
「ふう・・・今日も出来た・・・。」
 その様な解説をしている間に、彼は鉛筆を置き、その紙の端を描き立ての線には触れない様に手にすると、静かにそう漏らした。先ほどまでの、鼻歌交じりで得意気に鉛筆を動かしていた姿とは何とも対照的で落ち着きと言うものが漂っている。むしろ中学2年にしては大人びているとも言えなくはないだろうか。そんなギャップを見る者に印象として与えるからこそ、彼からして学校は馴染めない場所であり、故に何事も無くとも平穏であっても自ら忌避してしまっている・・・とも感じなくはないだろうか。
 そして、彼は机の脇に手を突っ込んで、そこにある幾つかのファイルの内の1つを手にして、それを開く。中には大量にファイリングされた自ら描いた絵の数々、それらは全てポケモンかつ、また幾つかの特定の物に固まっているのだが、その末尾に今日仕上げた絵を綴じると満足そうに改めて全てに目を走らせる。イーブイ、キュウコン、フローゼル、バシャーモ。様々なポケモンの最後に来たのが、今綴じたばかりのポケモン、グレイシアの姿だった。

 それから数ヶ月が経過した。まだ若葉茂る時期であった前述の時期から比べると、季節はすっかり濃い緑を呈して色濃い世界へと変わっていた。そうなっても彼は矢張り、季節など関係ないと言う様に、部屋にこもってはひたすら絵を描き、時にはゲームをする等して過ごし続けていた。とは言えそれだけに終わる事は無く、むしろ重要な変化が彼の身に起きていた事も書かねばならない。それはまずは転校であろう。彼としては既に中学へ復帰するつもりは無かったのだが、矢張りそこは周囲からすると心情としては同情する面があっても、矢張り現実的な事を考えると看過出来ないと言うのも、また思える心であった。
 故に、様々な検討と試行錯誤の末に、彼は転校する事になった。勿論、それは彼の同意を得てであり、何よりも特筆すべきなのは最初の内は乗り気ではなかった彼が、次第に翻意をして自ら行きたいと言う中学を見つけたことであろう。最も、それは通信制であるから、基本的にこの部屋から出なくても良い、また、人と顔をあわせる必要も無いし、何よりも行きたくないと言う気持ちになる事がない。何故なら、この部屋が送られてきた課題をこなす教室も兼ねているのだから。よって、行きたくないと言う事は、言い換えればこの部屋にいたくないと言う事なので、むしろ外に出て行くと言う事につながるからである。
 とはいえ、そこまで考えていたかどうかは不明ではあるものの、彼は自室にいながら中学にも通えると言う環境を自ら選択した。それだけはとにかくの事実であった。そして、それはもう2ヶ月ほど前から始まっているが故に、日々の生活も少しずつ変わったのは、矢張り学習と言う時間が復活した事によるものであったのだろう。そして、それは絵を描く時間の削減と言う効果を共に発揮する事になったのだが、それは生活に対するメリハリとなったのだ。
 絵を描く事に対する気持ちを新たにする、何時でも描けるというものから、時間を区切ってかつしっかりと描ける様にしていこうと言う意識に変わった事で、むしろ短い時間で、内容がより詰まった絵を意識して描き続ける内に描ける様になっていったのだった。そして興味深いことに、線画だけでどうにも満足出来ない気持ちが芽生えだしたのである。そう、色彩豊かに描いてみたいというもので、早速引き出しの中にあった色鉛筆を振るいだしたのが、転校に続く大きな変化と言えよう。
 そして、その気持ちは更に飛躍し、また新たな展開を彼に起こさせる事になる。それは自らのサイトの開設と言うものであった。これも、一時は部屋の中に実質封じ込めていた己を、外部との通信制中学と言うやり取りを通じて再び外に出し始めた事によって刺激された物と言えよう。ネット上にあった簡単なHTMLの知識だけで構築したものであるから、簡素と言うに他ない構造ではあったものの、その白さの上に載る色付けをした幾つかの絵は、一旦リセットした彼のこれからを示している。そうふと感じさせられなくもない組み合わせでもあろう。
 何よりも幸いであったのは、その絵に対する評価が良かったことだろうか。それは圧倒的多数とは言い難い。何故ならそう感想が送られてきた件数自体は少なかったのだから。しかし、その中で得られた掲示板への書き込み等は、少ない中でも総じて好意的で、それらは開設し、掲載を始めてからの不安な気持ちを大きく支える一翼となったのには違いなかった。
 やがて、その初期特有の不安感と期待感、そして続く喜びは次第に落ち着いていく。しかし、それは決して熱が過ぎ去ったと言う事ではなかった。むしろ一月程度で得られた安定、つまり平常心で臨めるようになったものの裏返しなのであり、驚くほどというペースではないが、それでも週に一度は新作を掲載するという勢いで、少なくとも見る者を飽きさせると言う事はない。意識こそしていないものの、比較的には模範的な運営であった。
 そして、それらから得られた刺激は巡り巡って、現実世界に見える彼の姿勢にも大きな変化を、特に部屋を積極的に出るようになったと言うのがこちらでは挙げられるだろう。それは、前述した様な否定を伴わない2つの肯定を背景としていて、久しぶりに見るその前向きな姿に、半ば諦めていた両親等は驚きを見せ、一体どうしたのかと正常化しつつあると言うのにいぶかしむ素振も少なからずあった。だが、とにかくはこのまま推移して欲しいと言う一存の下で、またそう言うカウンセラーからのアドバイスもあって、強い干渉はせずに、しかし甘やかす事は無い様にしつつ協力的な姿勢を取った事も、彼にとって幸いしたと出来よう。  それが2つの肯定の片方である。一方のネットないし趣味の上での成功、そして中学復帰に続く現実世界での成功。何事も立ち直り始め、ないし物事の始めと言うのは大抵の場合は不安定で、また何よりも一番、それをする本人が不安に苛まれているものである。故に、慣れている立場からすればどうと言うことの無い対応や態度がそれを悪化させ、次いで進路を狂わせて、結局は元の木阿弥となったり変質をきたしてしまうのにも繋って行くのだが、その2つの肯定の裏づけによる自信を上手く確保出来た事が、外に向けて再び膨張していく彼の動きをますます加速させたのである。
 親子の会話の再会、散歩ついでの外出、提出する課題の通信欄への積極的な書き込み、そしてネット上で得られたやり取りを頻度高く交わす相手の出現が、その変化の一幕と出来よう。そして今、その最後に挙げた相手とのやり取りを、彼は正にキーボードを通じてしていた最中なのだった。


 続
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