水色の短冊・後編 冬風 狐作 ポケットモンスター二次創作
 月は7月を迎えた。雨降る中で迎えた新たな月は、しばらくは今年最高の温度を記録すると言った灼熱の日々が続いたものだが、最初の週が半ばも過ぎた辺りからは梅雨を思い出したかの様な、一転しての雨天に見舞われる様になっていた。
「ああ、もうびしょ濡れだ・・・。」
 雨合羽を着込んだ少年が帰宅したのも、そんな雨の中だった。今風に言えばそれはレインコートとでも言うのだろうが、とにかく黒に近い雨合羽を着込んで、この様な雨の中を自転車に跨り出かけたのも、1つは中学に出す為の提出物を投函する為であり、もう1つは近くのコンビニで受け取れる様に手配しておいた、自分宛の小包を引き取るべくであった。前向きになってきたとは言え、矢張り自宅に自分宛の荷物が届くと、いやだからこそなのだが、親としては矢張りどうしたのかと色々と詮索する気持ちになってしまうのではないか? そう考えられたからこそ、彼はそう言うサービスが使える宅配会社で送ってもらえる様に頼んで、発送してもらったのである。
 最も、昼間に届く様にすれば基本的に家にいるのは彼だけなのだから、親の視線など気兼ねする必要は無いのだが、何らかの都合で親が家にいる時もあるし、何よりも近所付き合いが濃厚な地区であると言う事を彼ながら理解していたから、敢えてその様に、更には近所の行きつけのコンビニではない、やや離れた場所にあるコンビニを指定していた。
 そういう用心深さがあるのも、また彼らしいのだろう。当然、それは家に入る時にも言えることであり、敢えて雨合羽を脱がずに玄関の軒先で丹念に水を払ってから自室へと向かったのだ。雨合羽の下にその小包を潜ませて、まるで猫の様な具合で辺りをうかがいながら、駆け足で2階にある自室へと駆け上がり、そして扉を閉める。
「ふう、誰もいなくて良かった。」
 誰もいないこと。そんな事は台所に貼られている親のシフト表を見れば明らか極まりない事なのである。だが、用心に用心は越したことは無い。だからこそ、彼の癖である、誰もいない家の中に帰って来た時に律儀にも必ず「ただいま。」と言う癖を封じ込めるまでしての一大作戦とでも言える行動に他ならなかった。そしてそれを終えた今、まずするのは濡れた雨合羽の下から小包をベッドの上に放り投げ、脱ぐなり玄関へと掛けに行く事。幾ら雨粒を払ってあるとはいえ、濡れてすっかり湿っているのには変わりは無い。そんなものを部屋に置いておいてはカビが生えてしまう。それはとても耐えられないとばかりに、今度は盛大に音を立てて駆け足で玄関へ戻り、洗面所を経由したら足早にまた部屋に駆け込むのだった。
 そしてしっかりと扉を閉めるなり、ベッドに飛び込んで小包を再び抱く様な仕草をする。そう、この小包が届くのをどれだけ待った事か。時間にすれば2週間ほどに過ぎないが、サイトを開設して間も無く知り合った、同じく絵を描き、また自分よりずっと古くからサイトを運営している相手と急速に親睦を深め、その過程で浮上した1つの話、加えればそれを実現する為に必要な代物が、この中に入っていると改めて思うと、その気持ちはもう抑え様がない限りに膨らみゆく。
『七夕の日に会いましょうか?』
 そして、あのメッセンジャーでの一文が脳裏に甦る。今日に至るまでの日は、その一文で始まりその為にあった。そう言えるほどに、前述した内容に更に加えれよう。それだけ期待している出来事が、サイトを開く以前からしばしば足を運んでいたサイトの管理人と会えると言う、数ヶ月前には夢にも思わなかった事が今、もう間も無くの時を辛抱すれば現実のものになるのである。そしてそれを叶えるツールが今、抱えている中に入っている・・・水に感情があるなら、蒸発する瞬間とはこう言うものなのかと、そうとすら思えてしまう胸が疼き焦がれる気持ち、分からなくは無いだろうか?
 それだけの強い思いを抱かせる小包の中身とは一体何なのだろう? 言い得て見れば、彼に好物の鼠を捕まえた瞬間のキツネの様な仕草とすら出来よう姿をさせるほどの物は・・・彼の手によって、この部屋の空気の下に晒されるのだ。
「・・・。」
 手先を慎重に、しっかりと梱包して送ると聞いているからこそ、そこまで気を付けなくとも良いのだろうが、矢張り最悪の事態にはならぬ様に、むしろ少しでも負の事態にはならぬようにと言う気持ちが先立ち、一番外側にある荷造り紐を切るその鋏は、まるで着ている服に見つけた糸の綻びを、よりにもよって露出している肌の間際にある時の慎重さにも通じる動きで、ようやく切って外すと、更なる気持ちを抱いて袋、そして中にある箱を表に出す。大きさは、某巨大ネット書店で本を1札購入した時に配送で使われる箱と同様の大きさで、また軽い、そのサイズ自体は全く承知していたので、疑問に思わず箱の封を切り落とせば箱と彼の間にある封印と言う形での障害は皆無となっていた。

「ああ・・・ようやくだ。」
 口の中に溜まっていた大量の唾を喉に流し込むなり、解放されたかの様に呟いた。手がふと震える、それだけ期待して待っていた物とは一体何なのだろうかと改めて思えるであろうが、それを示唆する言葉は続いての言葉に含まれているかもしれない。
「ようやくグレイシアに・・・っ。」
 更なる涎が一気に湧き上がる。グレイシア、水色に青の髪飾り、こめかみの二房の垂に結晶を思わせる耳と尻尾、そしてそれらと足先の濃い青。そうと言われれば、知る人ならイメージする事の出来るポケモン、それがグレイシアなのだった。ブイズと呼ばれる、イーブイとその進化系の中でもリーフィアと共に最も新しいとされるそのグレイシアが、殊の外、彼のお気に入りであったのだ。
『贈る物はあなたのものですから、大切にして下さい。』
『あなたのサイズにしっかりと合致する様にしてあります。』
『届いたら試して見て下さい、そして七夕の日の昼に―――まで迎えに行きますから、そこで落ち合いましょう。』
 箱と共に脳裏を巡るやり取りの数々、それらで脳はすっかり浮かび上がってしまっているようだった。そして一思いに開ける。頭を振って意識に漂っていたもやをわずかに払い、少しだけマシにしたところでそれは成された。そして後はもう一気に、箱の蓋を外し、更に包んでいた白い紙を外した下から現れた水色の固まりとも言える物に手をかけ、外に出す。出された物は、薄い素材が丁寧に折り畳まれた物で、既に何かの形となっていた。更には背面に当たる箇所には大きな裂目があり、それを彼は確かめる様に一撫でして、大きく全体を伸ばした。
 折り畳みから開放された形は、人の形をしている薄い素材と言えるだろう。例えて見れば、ウェットスーツか何かであろうが、その色、また、明らかに滑らかさと全身へのフィットを追及するにしては不要な幾つかの点を見ると、どうにもそうは見え難い物であった。この観察をしている前で彼は、ベッドの上に置いたそれを前にして、いきなり服を脱ぎ出したではないか。それもメッセンジャーで言われた通りに忠実に、一糸纏わぬ肉体を見せて、再び水色のそれを手にする。
『着る時には一切の物は身に付けていないで下さい・・・差障りがありますから。』
「差障り・・・なしっ。」
 それから確認する様に、一種の脳裏に対する反復として口走るなり、彼は続いての行動に移った。背面にある裂目を広げ片足を入れて、続いて残りの足を、そして頭を入れて・・・ やはりその代物は着用する物であったのだ。そしてその水色の中に身をすっかりと隠し・・・歓声を上げるのだった。初めてのそれに対する驚きと、溜まっていた気持ちの発露としての声だった。
(これが"スウツ"なのか・・・ああ・・・本当にグレイシアみたい。いや、グレイシアだ・・・っ!)
 全身を包むその素材は極めて薄く、そしてその表面には、適当なテカリがあった。何かを模しているそれを、知る人は"スウツ"と呼び、様々な形がそれらの人の手によって絵として描かれたり、また小説として表現されている。憧れないし、好みのキャラクターに対する思いを秘める人々にとっては、それに少しでも近付けられようと、ある意味では待望される物である。
 とは言え、それは現実には難しい。何故ならまず、簡単に造れる物ではないからである。片手間的にはとても困難としか言えないそれに対して、人々は前述した手段を以って、意識的にでも近付こうと、他にも幾つかの手を尽くして愛好する人々は愛好している、そう言う事実のある素材だった。何時かは・・・と。そして、その思いを秘めていたのは彼もそうであった。元々彼は絵を描くのが好きであったのは周知の事であるが、その対象たるポケモンの中で最も思いを寄せていたのがキュウコン、そして今は最も強いのがグレイシアなのだった。
 だからこそ、彼自身サイトに掲載する絵を選ぶ過程でふと気が付き、そして掲載後に感想の一部としてよく『グレイシアが大好きなんですね。』と書かれた様に、その気持ちは並大抵の物ではなく、グレイシアを浮かべるなり、もう歯止めが利かない程度にまでなるのも、しばしばであったと言えよう。そしてそれは、スウツと言う存在を知った事でより強くなり・・・
 それほどまでに思いを抱く彼が今、素晴らしい幸運に恵まれて、今、スウツの中に身を、それもグレイシアを模したスウツに投じているのだ。全身を適度に締め付ける、自らの体そのまま型に取ったかの様なフィット感で、もう気絶しそうなほどの感動に見舞われていた彼だが、その煮えたぎった気持ちを、ひんやりとしたスウツらしい冷たさが引き止める。
 もう意識の九割九分がグレイシアの中にいると言う事にすっかりとらわれていたからこそ、チャックも無いのに入ってきた背中の裂目が閉じられ、滑らかに裂目が分からない様になっていて完全に肉体がその中に封じ込められた事には、彼は気が付いていない。むしろその様な事などどうでも良いのだろう、冷たさ・・・それこそ"こおりポケモン"たるグレイシアの必須さではなかろうか? 先ほどまではただの薄っぺらの素材でしかなかったスウツは、彼と言う中身を得たことで芯を持ち、そこには意識しても彼と言う存在を中々見出す事が出来ないほどのグレイシアらしさであった。
「グレ・・・グレーィ? ・・・グレ・・・グレィ!」
 彼はそう鳴いてみる、流石にその瞬間は緊張こそしたが、出してしまえばもう後は・・・完全に意識をグレイシアに没入出来た。もう彼は彼ではない、グレイシアなのだ。そうでなければ、どうしてここまで涼しさを常に感じられていられると言えるのだろうか? なにしろその冷気は、どう見ても自分の一部としか思えないのだ。顔を振ればふらりと揺れる前垂、腰を振れば震える、振らなくとも振れる尻尾とその動きが逐一脳裏に伝わる。
 それらはただのスウツと見れば、冷静に見れば幾つか奇妙な点もあろう。だが彼は決して気が付かない、むしろ喜びの素材としてますます鳴声を出して、身も軽やかに飛び上がってみたり、果ては宙返りまでして見たり、とにかくその感覚を、普通の意識であればとてもおかし過ぎるほどのリアルな肉体感覚に酔いしれ、そしてふとしたきっかけを持って瞳を閉じた。ベッドの上に横たわるその姿は、人型と言う点を除けばもう完全なグレイシアで、鼻がひくひくと呼吸をする度にかすかに動き、また胸が軽く上下するのを見れば、この部屋の主はこのグレイシアとしか言えない光景となっていた。

「スウツの具合はどうでしたか?」
 昼時の街中、比較的空いている道を走るワンボックスカーの後部座席に座っている。傍らにあのスウツの入ったかばんを置いて夏らしい格好をしている彼に対して、そう声が運転席からかけられた。
「あ・・・はい、凄く馴染んで・・・初めてとは思えない位でした。」
  「そうでしたか、それは良かった。作った甲斐があるというものです。」
 少し緊張気味に言葉を返したのに対する運転席からかけられた言葉は弾んでいて、聞いているだけで気持ちが楽になる様な声だった。
「本当に、その・・・ありがとうございました。それに誘っていただけて・・・。」
「いやいやお構いなく、気持ちが通じる仲間と遊ぶ時は楽しみたいのは誰だって同じですよ。それに知り合えたのも縁があっての事・・・ああ、そうだ。」
「はい・・・?」
「今日は他の皆さんも来ますよ、皆さん楽しみにしてますから。」
「他の・・・?」
「ええ、そうです。」
 他の皆さん、そう言う口は気軽なものだったが、聞いた彼はそれがいったい誰を指しているのか理解出来なかった。
  「ほら、掲示板の皆さんですよ、とり・・・。」
「えっ、そうなんですか!?」
 そしてそれは、続いての言葉の一部ですぐに浮かび上がった。他の皆さんが一体誰なのかと言うことを。そう、あのサイトの掲示板に集う面々、それぞれ秀でた能力を持っているポケモン絵師なり物書きの面々も来ると言う事、そうなのだとすぐさま理解出来たのだった。
「ええ、そうですとも。皆さん集まりますからね、グレイシア?」
「はい・・・イーブイさん。」
「ふふ、呼び捨てで良いですよ? あっ、そろそろ高速に入りますから、後部座席、シートベルトしておいて下さいね。」
「ああ・・・はい、とにかく凄い嬉しいですよ。聞いてなかったですしっ。」
 興奮気味に喋りながら、シートベルトを締めたのをルームミラー越しに確認した運転席の男。眼鏡をかけた痩せ型のその男はふっと口元を緩ませた。もうお察しの事だろう、この先ほどイーブイと呼ばれたこの男こそ、彼・・・グレイシアが以前から憧れていたサイトの管理人で、今回誘った張本人なのだから。そして車は一路、高速道路へと入り離れた土地を目指して、トンネルの中へと入っていった。
「そう言って下さると、自分も嬉しいですよ、グレイシア。8色揃った短冊ブイズ、きっとそうなります。」
 天の川が今晩は良く見えるのではないかと思える予感のする晴天の空が、トンネルの入口の上には広がり、彼の気持ちは改めて昨日のあの感覚を思い出して、気持ちもすっかり晴れ渡っていた。


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