「ふん・・・まぁ上出来だな。これだけ硬ければ良い・・・。」
何処かへと退避しその模様を眺めていた人狼は何処からともなくその場へ現れると、新たに姿を現したそれらに触れるとその出来に満足した声を上げた。コンクリートの如く柔軟に固まり、鋼鉄の如き固さ・・・それは人狼の自らへの自身をより深める事となった。
「へへ、これで女は袋のネズミだ・・・そろそろ食いに行くか。美味しいものとは言え、取り置き過ぎると不味くなってしまうからな。もううずってたまんねぇぜ。」
微笑んだまま人狼は月を見上げて呟く、そして勢い良く宙へ跳ね飛び自らの存在を誇示するかのように雄叫びを上げて満月に影となって映ると、そのまま斜面を一気に駆け上り峰の彼方へと消えて行く・・・。
「サルサ、今のはまさか・・・!」
闇夜の静かな空気を切り裂くその雄叫びはその辺り一体へと轟き、それはタケトの耳にも入っていた。
「人狼なのだ、まだ真雪と吉康は大丈夫の様だがただ何かを仕出かしたようだ。」
所変わって峰の向こう、真雪が車を乗り捨てたその場所にサルサ達4人の姿があった。車の屋根は人狼に乗られ踏み台にされた為大きく凹んでいる。そして烏丸の愛車、4人はたった今その場にて落ち合ったばかりなのであった。
「銀星がマーキングで教えてくれなかったならここまで来れたかどうか・・・。」
タケトが不意にそう呟いた。するとそれまで車の周りの様子を見ていた銀星が立ち上がり口を開く。
「送信機が壊されていたからな、カオルとタケトが困っているのではと思ったんだ。正解だったようで何よりだ。」
「もう流石銀星でしょタケト君、もう・・・。」
「まぁカオル、それはまた後にしてくれ。それよりも今は吉康と真雪の事が先決だろう?カオル。」
つい羽目を外しかけた烏丸を銀星はすぐに手慣れた調子で抑えた。その言葉は決して強くなく柔らかくどこか親しみやすい物であった。
"本当、相変わらずだな先生は・・・こんな時まで。"
"どっちが飼い主なのか分からないのだ。"
その様を見て躊躇なくそう思い浮かべてしまうサルサとタケト、毎度見慣れたある意味見飽きたとも言えなくも無い光景ではあるがこの様な緊迫した空気の下でまずは場違いであるのだろう。しかしその一方でどこか硬直し緊張しきっていた気持ちを緩ませ、一服の清涼剤としての十分な効果を発揮させるのも彼らであるが所以の事なのだろう。
「そうなのだ銀星、急がねば・・・。」
「サルサ、田中君と真雪さんはここからどの方向に行ったの?」
促すサルサに尋ねるタケト、サルサは辺りをすぐに見渡すとある方角へと腕を伸ばした。
「ここからあちらの方なのだ、そうであろう銀星。」
「サルサの言う通りだな、真雪はここから走って田圃の中を走って行った様だ。その時点ではかなり消耗していたようだが、こうも月が雲の切れ間から見えているとなると恐らくかなり回復してしまっているだろう・・・カオル。」
「何?銀星。」
「ここでお前はタケトと待機していてくれ、ここからは俺とサルサで行く。」
「そんな、どうして。」
「そうなのだ、銀星。どうしてそんな事を言うのだ。」
銀星の急な宣告に烏丸とサルサは相次いで動揺の声を上げる、その反応に思わず銀星は無意識の内に口元を歪ませ一瞬表情を変えた。
「・・・危険だからだ、今回の事は。サルサ、お前の時とは桁外れの力をあの人狼は持ってしまっている。人狼自信が余りに強い己の力に当惑しているのが分からないのか?あの力その物と言える人狼がだぞ。」
「それは分かっているのだ、だが・・・。」
「だが何だ?またお前はタケトを危険に曝すつもりなのか、飼い主を危険に合わせるのではなく守るのがWHの使命だろう。とても俺には出来ない・・・とにかく行くぞサルサ。もう余裕が無いんだ、吉康を見捨てるつもりなのか?」
その言葉に沈黙するサルサ、同時に誰もが表情に苦渋の色を浮かべて黙りきる。特に銀星のそれは濃い、誰もが離れたくは無いのだ。
銀星にしろ本当はこの様なことは言いたくは無いのだろう、"情"と言う強く固い絆で結ばれた仲、行動を共にすると言うただそれこそが彼らの本懐なのであるから。そしてその永遠にも、そのままにして置けば続くかと思えてくる沈黙を破ったのはタケトであった。
「サルサ・・・行ってくれ。」
「タケト・・・。」
「その代わりに、田中君と真雪さんを必ず助けてくれると約束してくれないか。」
サルサの声を無視してタケトは敢えて無感情に言葉を紡いだ。だがそうしてもその思いを全て覆い尽くす事は出来ず、最後の方にてわずかに表に滲み出て来てしまう。その内心も非常に苦しかった、だが自分が苦しいと言うだけで田中君や真雪さんが如何でもいい筈が無い。ここだけでも心を鬼にしなくては・・・タケトなりに考えた結果なのであった。
「そしてサルサと銀星も無事に帰って来ると、人狼を倒して・・・。」
「・・・分かったのだタケト・・・単純王のお前がそこまで言うのなら。」
「ごめんサルサ、辛いのはわかっている。それに俺だって本当は一緒について行ってやりたいんだけど・・・。」
しばらく表情が窺い知れなかったサルサは、まるで吹っ切れたかの様に一転して声の調子を改めた。すると今度はタケトが沈み始める、堰を切ったかの様にその口から流れ始めた言葉は進めば進むほど脆さを増して行った。そんなタケトの額に片手をかざして置くと顔を上げさせると自ら満面の笑みを見せ付けた。
「約束なのだ、タケトには笑っていてもらいたいのだ。」
拍子抜けしたかの様なタケトの表情、それはすぐに綻んで笑いへと転じた。
「分かったよ、サルサ。そうして待っているから、さぁ早く銀星と行ってくれ。銀星も待っている・・・。」
そう言ってタケトが待っているであろう銀星へと話を振り向けようと、サルサと共に振り向きかけてそのまま固まった。自分達の後方、つまり銀星と烏丸の間でもまたつい今しがたまでの自分達と同じ光景が繰り広げられていたのだ。そしてそれはその比ではない、烏丸は顔を銀星の胸へと埋めていた。そのわずかに見える頬には月明かりに一本の筋が輝いていた。
「では行くぞ、サルサ。」
「行くのだ、銀星。」
数分後、2人はその場を後にした。辺り一面に広がる銀世界の中を疾風の如く駆け進んでいくその影を、静かに見送るタケトと烏丸・・・その胸中は矢張りまだ複雑ではあった。
「犬に諭される飼い主なんて・・・飼い主失格だと思いませんか?タケト君。」
タケトは無言であった。そして烏丸は静かに眼鏡を外しレンズを拭っていた。
一筋の疾風が直角に路上へと衝突する。その勢いで老朽化しヒビの入っていたアスファルトは、同心円状に亀裂を走らせ大きく陥没した。雪が衝撃で乱舞し一時的に視界が悪くなる、そしてそれが晴れた時そこには舌を垂らした人狼の姿があった。そしてその瞳の先にはトンネルの入口、そして中へと続く所々に非常等の灯る半ば闇に包まれた道が捉えられていた。
"くくく・・・匂う、匂うぜ獲物の臭いが・・・待ってな、今食べに行ってやるからな・・・ヒヒヒヒ・・・。"
そしてあくまでも静かに人狼は一歩を踏み出し、雪を踏む音を立ててトンネルへ入って行く。折りしもそれはサルサと銀星がタケトと烏丸の下を経ったその時であった。やがて2人はそう間を置かずして到着する事しそして追ってトンネルへと駆け込む。トンネル内には構える真雪・・・決戦の刻はもう間も無くに迫っていた。