大切なあの人と・・・第二部 戌年記念冬風 狐作 WILDHALF二次創作
 真雪の運転する車は深夜の高速道路を制限速度を完全に無視して走っていた。幸いにして今日は大型トラックの数が少なく、走りやすいのがせめてもの救いだろう。
"全く・・・こんなに飛ばしてるんだから警察に見つかったら免停よ・・・でも今は免停になっても良い。とにかく朝まで逃げ切らないと、あと4時間余り・・・行くわよ。田中君の為だもの・・・!"
 横目で時計を流し見た真雪は再びアクセルを踏む、時速150キロ、制限75キロでカーブの連続する高速の難所を彼女は見事なハンドル裁きで通過して行くのであった。
「ちっかなり遠いなこいつは・・・飛ばすぜっ!」
 そして人狼も驚異的な速さでその後を追っていた。足場となった家々の屋根を壊しながら、宙をかける様に突き進んでいく。時間は午前1時30分・・・果たして日の出まで逃げ切れるのだろうか。

 県境を越えた辺りの事、真雪はある事に気が付いた。ガソリンの残量がそう残っていないのだ、だが最も近いサービスエリアでもかなりの距離がこの地点からはある。だが仮にそこに辿り着けたとしても時間が時間でガソリンスタンドは閉まっている事だろう、それにその様な所で躊躇していて関係のない人々を巻き込んでしまうのも可能な限り避けたい。
 それにここは高速道路、夜間とは言え長距離トラックが往来しどれも高速で飛ばしている。故に事故が一度起きればその被害は半端ではなくなってしまう、とても彼女1人で背負い切れる物ではない事だけは確かだ。
"とにかく走れる所まで・・・次のインターで高速を下りよう。そして後は下を走って人気の無い場所へ・・・もし捕まっても他に被害の無い所に行かないと・・・。"
 幸いにしてここからは長い下り勾配、真雪はアクセルを外してエンジンブレーキをかけつつ、他の車と比べたらかなりの速さにて勾配を下りその先のインターから一般道へと出た。ETCを積んでいたお陰で多少減速した以外のタイムロスは無い。意外な物に助けられたような気がしてほっと胸を軽く撫で下ろしつつ、高速以上に往来の無い田舎の道路をとにかく遠くへと飛ばして行った。

「タケト君、電話は繋がった?」
「駄目です先生、位置こそわかりますが全く繋がりません。」
 その頃最も後方を走っているのは烏丸の運転する車であった。彼らはまだ県境を越えていない、画面に映る光点・・・真雪が当然ながら最も遠くを走っており、高速から下りた今もその勢いには限りが無い。だが恐らくその後にいる人狼が何処にいるのかは皆目分からず、銀星とサルサに関しても同じであった。
「何処にいるんでしょうね、サルサと銀星・・・そして田中君、いや人狼は・・・。」
「恐らくかなり先にいるね・・・僕でさえこれだけ見えるんだから、匂いが。タケト君も見えたら凄いと思うよ・・・こんなに見えたのは初めてだよ。」
 そう言う烏丸の言葉は心成しか震えていた。弱いとは言え心の色を見ることの出来る烏丸のその様な姿を見るのは初めてだった。その姿を見たタケトは内心で不吉な予感とも感じる節も見られた。
「大丈夫、きっと追いつくさ人狼に・・・そして田中君と真雪さんは無事で戻ってくるよ。だから行こう。」
 それに勘付いたか否かは分からないが烏丸はタケトに言うと真雪ほどでは無いにしろ、制限速度を無視して加速する。タケトにとっては初めての事だった、一応兄は警官である。敏史と何度か高速に乗り車で走った事はあったが、ここまで飛ばす事は無く、そもそも敏史はどう言う訳か高速を走るのを嫌がる向きがあったので、その影響からかタケトも免許を取りマイカーを持つ様になってからも走った記憶はそう無い。
 だからここまで飛ばすのは少し怖くも感じる節もあった、それは始めて見る同様を露わにする烏丸の影響もあっただろう。だがしばらくもしない内にその思いは慣れと共に薄れ、代わりに少しでも今自分の出来る事に励もうと言う気持ちに変わって行った。そしてその後も幾度と無く電話を掛け続けるのだが、真雪が出る事は一向に見られなかった。

   キュルルルル・・・ルルルル・・・
「あぁもう、何でこんな所でガス欠なのよ。何も無いじゃない!」
 その頃、真雪はとうとう恐れていた事態に直面していた。それは既に予期されていた事なのだがとうとうガソリンが完全に切れてしまったのだ。そして何とか止めたのは道路端の空き地、辛うじて電柱に水銀灯が点いていたお陰で明かりはあるのだがそれ以外には何も無く、辺りには収穫も終わり春に向けて地力を蓄えている田圃が広がっていた。もしこれが昼間であればたとえ冬でも見事な光景だろう、だが夜では何も分からないし人狼にとっては格好の狩場となるに違いない。第一にこれでは目立ち過ぎてしまう。
"隠れないと・・・車の中は駄目だわ、壊されちゃうし耐え切れない。となるととにかく田圃の中へ・・・。"
 ガソリンが無くなりもはや無用の長物となった車に鍵をかけると真雪は一目散に車から離れた。今こうしている間にも人狼が襲い掛かってくるかもしれないと言う恐怖があったからだ、それに今の彼女は特に武器となる物は持ち合わせていないし、最悪の事態を想定して考えていた人狼に対して最も有効かつ効果を発揮すると言う銀器については、入手が出来ないままこの日に至ってしまったと言う次第なのである。
"唯一の救いは満月が雲で隠されている事ね・・・。良かった、でも急がないと。"
 県境を越えてから山の北側は厚い雲で閉ざされており、今の所こちら側にて満月の姿を見た事は無い。人狼に限らず犬や狼のワイルドハーフは月の力の影響下にあるのだと言う、中でも人狼はその存在すらもごく一部の例外を除いて月に完全に支配されているらしい。
 それ故に今まさに真雪を追ってきている人狼、つまり吉康の中に目覚めていた言わば影の存在は満月の晩の間しかそのままの状態では存在し得ない。朝日を浴びてしまうとそのまま存在が消えてしまうとの事で、理論的には何とか朝まで逃げ切れれば良いと言う訳だ。
 しかしそれは人狼もまた承知している、同時にどうすれば安定化出来るかと言う事も。それは自らが覚醒するきっかけとなった情を注いでくれた人間を生きたまま喰らう事、それにより言わば情の源を自らの中に取り込む事によって人狼は人狼として完全に安定化し体を我が物とする。恐ろしいのはその人狼の中に、表の存在とも言えるワイルドハーフの意識と人狼が取り込んだ人間の意識が残されている事だろう。それも自らの所業を見せ付けて楽しむためにと言う理由で・・・。

 ただ人狼は安定化後はその代償として満月の晩以外はただの人として過ごす事になり、それ故に色々と不便を感じる彼らは思い通りに変身出来る事を欲し、ある物を求める彷徨う・・・とあの銀色の毛並みの銀星と言う名前のワイルドハーフが、一堂に会した際に教えてくれた事を頭の中で繰り返し思い返しつつ真雪は何処へとも知れずに走り続ける。
 土地勘などまるで無いから雪を掻き分けてとにかく思う方向へ向けて進む内に、田圃が途切れて低い盛り土の上の道路へと上がった。辺りを見回すと右手にわずか100メートル程行った所にトンネルがその黒い口を静かに開けているのが目に付いた。
"一先ずはあの中に隠れよう・・・そして岩瀬君に連絡を・・・あっ携帯、携帯は何処に入れておいたかしら、でもとにかくは中に入ってから・・・。"

「ちっもぬけの殻か・・・しかし遠くには行ってないな・・・グフフフ。」
 真雪がトンネルの坑口をくぐったその頃、乗り捨てた車の所の屋根の上には謎の影があった。人狼である、とうとうここまで追い付かれてしまったと言う事実を真雪の車とその姿の取り合わせはまじまじと物語っていた。だが人狼にしても目覚めたばかりでいきなりこの様な長距離を疾走したのは堪えたらしく、何よりもここしばらく全く満月の光、そして情の力を直接受けていない事が思いの外の疲労を彼に与えていた。
「ここいらであの間抜けな女が俺の事を思ってくれたりすると効果覿面、すぐ回復するんだがな・・・へへへ。まぁ捕まえたらたっぷり堪能してやるぜ・・・お前もそれが望みなんだろう?元の持ち主さんよ・・・。」
 そう人狼は車の屋根に腰掛けながら呟き、しばしの間を置くと今度は嘲うかのように口を開いた。
「はっ望みじゃないだって?何を言ってるんだ・・・そう思えるのも今の内さ、一度喰らったらお前も病み付きになるぜ。まぁ楽しみにしているよその時の反応を・・・。さて、行くか。厄介な連中も近付いて来ていることだしな、とっとと事を済ませるに限る。」
 そう呟くと人狼は屋根から中空を駆ける様に飛び出して田圃へ着地した。そして再び、今度は先ほどまでの様な速さこそ無かったが忍び足でその色の痕跡を追って行った。

「携帯何処なのよ、携帯・・・。」  トンネルの入口近くの擦れ違い用の退避口のコンクリートの石段に腰掛けた真雪は、トンネルの薄暗い水銀灯の下にて必死になってカバンの中を漁っていた。財布・定期入れ・免許証入れ・・・いつもなら最も関心を払うそれらよりも今現在必要な物、そう携帯を探しての事である。彼女は一先ず携帯にてタケトと連絡を取り、現在位置を知らせようと考えていた。しかし一向に携帯が見つからない、カバンの中はおろかポケットに至るまで全てを探しあぐねたが一向に見つからないまま時間だけが過ぎていく。
「車の中にでも落としてきてしまったのかしら・・・それとも田圃を逃げている時に・・・?どうしよう、連絡が取れないじゃない。取りに行く訳にも行かないし・・・。」
 焦りの色が色濃く顔に現れていた、時折物音がする度に顔を出口の方へと向ける。それらの殆どは気のせいであったり風がトンネルを吹きぬける音であったりして、特に脅威でも何でもなかったがそれがまるで自分に迫ってくる人狼かと耳にしただけで思い込んでしまうほど精神には余裕が無かった。
 その後もしばらく鞄の中を探した彼女は見込みが全く無いとようやく悟ると、辺りを見回しどう言う訳かその脇に落ちていた金属の棒を手にした。見た所かなりの長い間この場に放置されていたらしく、埃や排ガスなどが付いて薄汚れてはいる。材質は鉄かステンレスか。
"もしここで襲われたら・・・これで何とか凌ぐしかないわね・・・。"
 そう思うと棒を持つ手に力を込めてそっと息を吐いた。長い髪を通り風が静かになびかせる中、真雪は足早にトンネルの奥へと足を進めた。

「来ないわね・・・。」
 真雪は薄暗いトンネルの中でしばし息を潜ませて呟いた。かなり長く内部で右に緩くカーブしているこのトンネルは、あの入口の貧相さからはとても想像が出来ないほど豪華な造りをしていた。幾つもの退避口に非常電話、果ては非常口に内部分岐の交差点・・・退避坑がこうもあるのは長さに比して一車線と余裕の無い構造をしているからなのであるが、もう数十分近くは行っているというのに一台も車が走って来ないと言う状況からして少しおかしくも思えた。最もこれには時間帯やここが田舎である事も考えなくてはならないのだろう。
"そんな事よりも人狼は何処にいるのよ・・・何処に・・・見つかっては欲しくないけど、こうも静かだと何だか怖いわ・・・私を見失う筈が無いのに・・・。"
 ふと人狼の事を思うと自然と鉄パイプを持つ手に力が込められる。


  大切なあの人と・・・第二部 終
大切なあの人と・・・第二部
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