カミングアウト 後編
 午後10時に誠を家へ送って行った後、俺はすぐ自宅へ戻って寝る準備を始めていた。
今日は川で水遊びをしたせいか、なんとなく疲れていた。
明日は朝の9時から誠と出かける約束をしていたから、今夜は早めに寝て翌日に備えるつもりだった。
パジャマに着替えて部屋の電気を消し、ベッドに寝そべって布団をかぶるとすぐに眠れそうな気配がした。
フカフカの枕に頭を沈めて目を閉じた途端、徐々に意識が遠くなっていった。
しかしその時、突然枕の下に置いた携帯電話がブルブルと震えた。
「……メールだな」
俺はあくびをしながら枕の下に手を伸ばし、暗闇の中で携帯電話を開いた。手の中で光る液晶画面はとても眩しく感じた。

今夜は彼女とホテルに泊まりま〜す

眩しい液晶画面にそんな短いメッセージが浮かんだ。そのメールを送ってきたのは中学の時から仲よくしている友達だった。
せっかく気持ちよく眠りに着こうとしていたところだったのに、くだらない一通のメールが俺の眠りを邪魔した。
俺はすぐに携帯電話を閉じて枕の下へ入れ、きつくきつく目を閉じて頭から布団をかぶった。

*   *   *

 ところが布団をかぶって目を閉じてはみたものの、何度寝返りを打ってもちっとも眠りに着く事ができなかった。
俺の心にまた誠と一緒に朝を迎えたいという欲求が蘇っていた。 一度は薄れたその思いが、友達のメールに刺激されて復活してしまったんだ。
羨ましいなぁ。
それがメールをくれた友達に対する素直な思いだった。
俺だって誠と一緒にホテルへ泊まりたかった。ホテルじゃなくても、とにかく同じベッドで朝まで眠りたかった。 なのに今の俺にできるのは、誠の代わりに枕を抱きしめて眠る事だけだった。
枕を抱えて右を向き、しばらくすると左を向き、時にはうつ伏せになったり、仰向けに寝たり。
そんな事を繰り返している間、俺は悶々と誠の事を考え続けていた。
俺は誠が好きで、誠も俺の事を好きだと言ってくれている。なのにどうして2人で同じ朝を迎える事ができないのだろう。
それはすべて誠がオネショをするせいだ。でも彼だって好きでオネショをしているわけではない。
俺はオネショが原因で彼が修学旅行へ行けなかった事を知っていた。
夜中にオネショをして目覚めた彼が、心細くなって俺に電話をしてきた事もちゃんと覚えていた。
そして俺は真剣に考えた。
なんとかして誠のオネショを直す方法はないのだろうか。
もしかして病院に行けば医者が直してくれるという事はないだろうか。 でも誠がオネショの癖を俺に隠している限り、彼を病院へ連れて行く事は難しい。
だったら薬局にオネショにつける薬は売っていないのだろうか。
でももしそんな薬があるとしたらいったい体のどこに塗るのだろう。
やっぱり小便が出るあそこの先端あたりだろうか。だったら俺がその薬を誠に塗ってやりたいな。

 「もう、俺はいったい何を考えてるんだよ」
そのうち思考が迷走して、思わず頭をかきむしった。
俺はその後もちっとも眠れず、1人ぼっちの孤独な夜が刻々と過ぎていった。
しばらくしてカーテンの向こうが白々としてきても、俺が考えるのは誠とオネショの事ばかりだった。
誠のオネショが直らなくても、せめて彼がその事を告白してくれればいいのに。そうすれば俺はちゃんとすべてを受け入れてやれるのに。
このままずっと誠がオネショの事を隠し続けたら、いったい俺たちはどうなるのだろう。
今の状態がずっと続けば2人で旅行へ行く事もままならない。このままでは将来一緒に暮らす事だって夢のまた夢だ。
誠がすべてを打ち明けてくれたら、何もかもが解決するのに。
こうして一晩いろいろ考えたけど、俺の思いは結局堂々巡りだった。

*   *   *

 誠の肌はスベスベで、彼を抱きしめて眠るだけですごく気持ちがよかった。 誠の香りは優しく俺を包み込み、眠っている間も常に俺をリラックスさせてくれた。
瞼の向こうはもう明るかった。でももう少しこうして誠と一緒に眠っていたい。
俺はそう思って彼をきつく抱きしめた。するとその時、ある事に気づいてしまったんだ。
尻の下がなんだか冷たい。どうやらシーツが湿っているようだ。
あぁ、そうか。誠はやっぱりオネショしちゃったんだ。
本当はもう少しこのまま眠っていたい気分だったけど、彼を起こして着替えさせないといけないな。
誠はもしかして泣いてしまうかもしれない。
その時俺は彼をしっかりと抱きしめてキスをしてあげよう。そして彼が泣き止むまで何度も好きだと叫び続けよう。
そう心に決めた後、俺はゆっくりと瞼を開いた。すると厚いカーテンの隙間から不法侵入してきた太陽の日差しが目に突き刺さった。
カーテン越しの光は部屋全体を柔らかく照らしていて、辺りは薄明るかった。

 目を覚ました後徐々に頭がはっきりしてくると、やっと何かおかしいという事に気がついた。
まず、俺がしっかりと抱きしめているのは誠ではなくて単なる枕だった。
やがて俺はようやく分かったんだ。幸せ気分で彼と眠っていたはずの現実が、すべて夢であったという事を。
「なんだ、夢か」
俺は落胆し、枕を放り投げて寝返りを打った。
するとその時、いつもの朝と違っている何かにもう1つ気がついた。
尻の下がすごく冷たい。どうやらシーツが湿っている。
それだけじゃない。何故かパンツが濡れていて、肌にベッタリ貼り付いているような気がする。
その感覚が夢ではなく現実だと分かった時、俺は布団を蹴ってガバッと起き上がった。
すると、目の前に信じられないような光景が広がっていた。
黒いパジャマのズボンは下腹部のあたりがびっしょりと濡れて大きなシミができていた。 そして尻の下には丸くて大きな地図がしっかりと描かれていた。その地図は、黄色のラインで縁どりされていた。
部屋の中へ不法侵入してきた一筋の光は、残酷なその現実をしっかりと照らしていた。
その光景を目の当たりにすると、急に心臓が高鳴って頭の中がカッと熱くなった。
俺はしばらく現実を受け入れる事ができず、少しも身動きする事ができなかった。 ただ、ひどく濡れたパンツを身に着けているのがすごく気持ち悪かった。
目の前に広がる地図に恐る恐る手を近づけると、指先が僅かに濡れた。

 オネショをしてしまった。
すべての状況がその事実を指し示している事を知った時、俺はものすごく大きな衝撃を受けた。
一言で言うと、自尊心が傷ついた。
どうしてこんな事になったのか自分でもさっぱり分からなかった。
寝る前にオネショの事ばかりを考えすぎたせいなのか、それとも単純に水分をとり過ぎたせいなのか。
その理由は本当にまったく分からなかったけど、とにかく自分がオネショをしたという事だけは事実だった。
俺はこんなふうになってみて誠の気持ちがようやく分かった。
深い眠りから覚めて起き上がった時、シーツがびっしょり濡れている事を知り、自分の失敗を恥ずかしく思う。
きっと彼はしょっちゅうそんな思いをしているに違いなかった。
俺は今まで何も分かっていなかった。誠の苦しみをちっとも理解していなかった。
「俺さぁ、少し前まで毎日オネショしてたんだ」
俺が誠の前でそんな言葉を口にする事ができたのは、それが真っ赤な嘘だからだ。
それが本当だったら、カミングアウトなんてできやしない。
誠の立場なら、「オネショしちゃった」 なんて軽々しく言えるわけがない。1番好きな人に向かって、そんな事を言えるはずがない。
俺だって、今の現実を彼に打ち明ける事なんか絶対にできない。 もしもオネショした事が誠にバレたら、恥ずかしくてもう二度と彼に会えなくなってしまう。

 俺は薄明るい部屋の真ん中に立ち、濡れたズボンとパンツを重ねてゆっくりと下ろした。
するとカーテン越しの淡い光が濡れた太ももを僅かに光らせた。
学習机の上には白いフォトスタンドが置かれていて、そこには笑顔で頬を寄せ合う俺と誠の写真が飾ってあった。
写真の中の誠と目が合うと、すべてを彼に見られているような気がして本当に恥ずかしくなった。
自分が情けなくて、あまりにも惨めで、薄っすらと目に涙が浮かんだ。
震える手でそっと涙を拭った時、すごく誠に会いたくなった。
ずっとこの苦しみに耐えてきた彼を、思い切り両手で抱きしめてあげたいと思った。
END

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