無口な君へ
 中学校へ入学した日。あきらにヒトメボレ。
その翌日。あきらに告白。
そしてそれから2週間後。俺は大好きな彼に別れを告げた。夕日に照らされる校庭で、緩やかな風に吹かれながら。
「俺、お前と別れたい」
俺がそう言った時、彼はうなずかなかった。でも 「嫌だ」 とも言ってはくれなかった。
あきらはただ俯き、風に乱れる髪を気にもせず、黙って俺の言葉を聞いていた。
俺は何も言わないあきらに苛立ち、そのまま彼に背を向けて校庭を走り去った。

 俺は今まであきらに何百回も 「好きだ」 と言った。でも彼は一度も俺の事を 「好きだ」 とは言ってくれなかった。
彼はいつも俺の言葉に黙ってうなずくだけだった。俺は彼が何も言ってくれない事にずっと不安を感じていた。
一度でいいからちゃんとはっきり 「好きだ」 と言ってほしかった。 「別れたい」 と言った時には 「嫌だ」 と一言言ってほしかった。
そしてそれを言わない彼はきっと俺と離れても平気なんだろうとその時は思っていた。

*   *   *

 自分から別れを切り出したくせに、翌日俺は学校であきらの事ばかり見ていた。
俺は昨日自分がとった行動を死ぬほど後悔していた。
不安に駆られて、苛立ちを覚えてついあんな事を口走ってしまったけど、本当は彼と別れたくなんかなかったんだ。
でもあんな事を言った手前、なかなかあきらに近づく事ができなかった。そしてあきらも俺に近づこうとはしなかった。
俺はその日、1日中ハラハラしながら彼を見つめていた。
あきらはシャイで、要領が悪くて、いつも損ばかりしていた。

 数学の時間。
あきらは先生にあてられ、背伸びしながら黒板の上にチョークを走らせて方程式を解いていた。
先生にあてられた他の2人はとっくに答えを書いて席へ戻っているというのに、最後に残ったあきらはなかなか問題を解く事ができず、じっと考えながらゆっくりとチョークを走らせていた。
俺は自分の席からあきらが黒板に綴る数字を見つめ、心の中で 「違う! そうじゃない」 と何度も叫んでいた。
その間他の生徒たちは退屈そうに窓の外を眺めたり、携帯電話で誰かにメールを送ったりしていた。
そして数学の先生は教壇の下に立ち、あきらの背中を呆れ顔で見つめていた。
明るい教室の中に響くのは、あきらが動かすチョークの音だけだった。
日が当たって白く光る黒板の上にはあきらの弱々しい文字がゆっくりゆっくり綴られていった。
こんな時、普通なら先生にあてられた瞬間にデキるヤツからノートを借りて、そこに書かれている答えを丸写しするものだ。
昨日までなら俺があきらにノートを貸してやれたのに。
なのに、こんな日に限ってどうしてあきらがあてられてしまったんだろう。

 昼休み。
もう他のクラスメイトたちはとっくに給食を食べ終えてどこかへ行ってしまったのに、あきらは教室に1人残ってまだ黙々と給食を食べていた。
彼の机の上には銀色の皿があり、そこには真っ赤な色のにんじんが三切れ残されていた。
あきらは憂鬱な面持ちでそれを1つ口に入れ、泣きそうな顔をして大嫌いなにんじんを噛み砕いていた。でもなかなかそれを飲み込む事ができず、彼の頬はしばらく膨らんだままだった。
俺は、廊下からずっとそんな彼の姿を見つめていた。
いつもならあきらの嫌いな物は全部俺が食べてやり、2人でさっさと校庭へ遊びに行くところなのに、その日の俺はドアの陰から 黙って彼を見つめる事しかできなかった。

 給食の後は体育の時間だった。
その日はバレーボールをやったけど、あまりスポーツが得意じゃないあきらは体育館の隅に座ってじっとしていた。
あきらはSサイズのジャージさえブカブカだった。隅の方でうずくまる小さな彼の事を気にしているのは、多分俺だけだった。
あきらは膝を抱えてずっと俯いていた。俺はその表情を読み取ろうとしたけど、彼の長い前髪が邪魔をしてそれはなかなかうまくいかなかった。 もしかしてその時、あきらは泣いていたのかもしれない。
その時俺は、彼から20メートル離れた床の上に座ってじっとあきらを見つめていた。
床の上には誰かがスパイクを打つたびに白いボールが跳ねていた。でもどんなに大きな振動が床に響いても、ボールの向こうにいるあきらは一度も顔を上げようとしなかった。
昨日までの彼なら、キラキラした大きな目で俺を見つめてくれたのに。
俺たちはどんなに離れていても、たとえ言葉なんか交わさなくても、ちゃんと分かり合えたのに。
それなのにどうして俺は彼に 「別れたい」 なんて言ってしまったんだろう。
今日は、彼との距離が近くて遠く感じた。

 今日は先生たちの会議があるとかで、授業はそれが最後だった。
いつもより1時間早く帰れるために、体育が終わった後は皆が浮かれていた。
男子生徒たちはすぐに体育館の脇にある更衣室へ向かい、それぞれが談笑しながらジャージを脱いで学ランに着替えていた。
その時は俺もその中に混じっていたけど、そこにあきらがいない事にはちゃんと気付いていた。
やがて、そこにいた俺以外の連中は皆学ランに着替え終わって更衣室を出て行った。
でも横2列に並んだ四角い棚の1つには、綺麗に折りたたまれたあきらの学ランがしっかり残されていた。
教室へ戻る前にチラッと体育館を覗くと、あきらがたった1人で床に転がるボールを片付けているのが見えた。
体育館の中は午後の日差しに照らされ、その光の中を埃が舞っていた。
あきらは額の汗を拭いながら必死に小さな手で白いボールを拾い集めていた。
俺は、そんな彼に声を掛けてやれない意地っ張りな自分が大嫌いだった。

 教室へ戻ると、もうすでに帰りのホームルームが終わって皆が解散していた。そして大半の生徒たちはすでに教室を出ていた。
6列に並んだ机の半分以上にもう生徒の姿はなく、教室に残っている連中はどこかへ寄り道して帰る相談をしているようだった。
その時、窓際の1番後ろの机の上には紺色のスポーツバッグが置いてあった。 それは俺が大好きなあきらの鞄に違いなかった。でもその鞄を気にしているのは俺だけしかいなかった。
俺はたまらない気持ちになり、自分の鞄とあきらの鞄を肩に掛けて真っ白な廊下を駆け出した。 その途中、下駄箱へ向かう生徒たちと何人もすれ違った。
俺は誰もあきらの事を気にしていない事がすごく腹立たしかった。
体育の後は皆で用具を片付ける事になっているのに、それをやるのはいつの間にかあきらの役目になっていた。 他のクラスメイトたちはそれが当然と言わんばかりにさっさと教室へ戻り、すでに寄り道の相談を始めている。
まだあきらは教室へ戻ってきていないのに、誰も彼の事を心配する素振りがない。俺はその事が悔しくてたまらなかった。

 廊下を駆け抜け、息を切らして体育館の重い戸を開けると、もうそこにあきらの姿はなかった。 そして白く光る床の上にはボールが1つも見当たらなかった。
俺は宙に舞う埃の中を駆け抜け、急いで更衣室へ向かった。
早くあきらの所へ行って、彼を抱きしめたかった。
薄暗い用具室を通り抜け、その奥にある更衣室のドアを押すと、俺はすぐにあきらの名を呼んだ。
そして2列に並んだ棚の奥へ進むと、まだジャージ姿でそこにいる彼をすぐに見つけた。
俺は笑顔で彼に近づいた。あきらは、俺の3メートル先にいた。
あきらはその時、泣きそうな顔をして俯いていた。ふと彼の足元に目をやると、そこには大きな水たまりが広がっていた。 その時すでに、あきらのジャージはびっしょり濡れていた。
俺がそれに気づいた時、あきらの目から涙が零れ落ちた。俺はその時、彼を泣かせたのは自分だという事がちゃんと分かっていた。
俺は彼に近づき、その柔らかい髪をそっとなでた。すると彼は声を上げて泣き始めてしまった。
「漏らしちゃったのか」
「……嫌いにならないで」
あきらにひどい鼻声でそう言われた時、俺はすごく胸が痛くなり、同時に自分に腹が立ってきた。
あきらは昼休みが終わるギリギリまで給食と格闘していた。
そして体育が終わった後は床に転がっているボールを放っておく事ができなかった。
人一倍マジメでスローな彼は、たった1人でがんばっていた。誰の力も借りずに、すごくすごくがんばっていた。
時間はかかったけど給食を全部たいらげ、誰もやりたがらないボールの片づけをちゃんとこなし、帰りのホームルームに遅れまいとしてトイレへ行く事すら後回しにした。
いつもなら、俺が給食を食べるのを手伝っていたのに。
ボールの片づけだって、いつもちゃんと手伝っていたのに。
あきらは俺がいないと何もできない。あきらは俺と力を合わせてやっと一人前になれる。
俺にはそれが分かっていたのに。ものすごくシャイな彼が人に 「手伝って」 と言えない事さえちゃんと分かっていたのに。それなのに、俺は彼に手を差し伸べようとはしなかった。
あきらをこんな目に遭わせたのは、絶対に俺の責任だ。

 俺は彼の両手を握ってやり、ちゃんと自分の気持ちを伝えた。それがうまく伝わったかどうかは分からなかったけど、意地っ張りな俺にできる精一杯の言葉で彼に今の気持ちを伝えた。
「あきらの事、嫌いになんかならないよ。好きになったばかりなんだから。俺、お前の事が大好きなんだ。だから早く着替えて、一緒に帰ろう」
俺が彼の顔を覗き込んでそう言うと、あきらは小さくうなずいた。いつものように何も言わず、ただ小さくうなずいた。
俺がゆっくり彼の手を離すと、あきらは真っ赤な顔をして目から零れ落ちる涙を必死に拭っていた。 彼の顔は涙でぐしゃぐしゃだったけど、それでもやっぱりかわいかった。
「ドアの前で待ってるから、早く着替えるんだぞ」
俺はそう言ってドアの方へと引き返し、そこで人が来ないかずっと見張っていた。
俺のあきらを晒し者にするわけにはいかないから。あきらを守ってやれるのは、この俺しかいないから。

 やがてあきらは学ランに着替え、半べそかきながらトボトボとドアの前へやってきた。
俺は床の上に鞄を投げ出し、すぐに彼を抱きしめた。たった1日離れていただけなのに、その温もりはやけに懐かしかった。
あきらは小さくて細くて、きつく抱きしめると壊れてしまいそうな気がした。
「寂しかった……」
その時、あきらが初めて俺をドキドキさせる言葉を口にした。彼はいつも俺の言う事にうなずくだけで精一杯の、シャイな少年だったのに。
俺は肩を震わせて泣くあきらがとても愛しかった。
その時の温かい空気や、更衣室の木の香り。背中に感じた硬いドアの感触と胸に抱いたあきらの柔らかな肌。 きっとそれは、一生忘れられないだろうと思った。
「俺も寂しかった。昨日どうして追いかけて来てくれなかったんだよ」
「だって、嫌われたと思ってたから」
「何百回も好きだって言っただろう?」
あきらはもう何も言わなかった。ただその時、俺の背中に回した彼の手にぎゅっと力が入った。俺はもうそれだけで十分だった。
「あきら、俺の事好き?」
俺がいつものようにそう言うと、彼は顔を上げ、泣き腫らした目で俺を見つめて小さくうなずいた。 すると、彼の柔らかな髪が一瞬揺れ動いた。
俺を見上げるキラキラした目は真っ赤に充血していて、その目を見つめるとまた少し胸が痛くなった。
もう二度と彼を泣かせてはいけない。俺はその時、強くそう思った。
そして彼を抱きしめる手に力を入れると、あきらもまた同じように小さな手に力を入れてくれた。
「なぁ……今度の土曜日、うちへ泊まりに来いよ。うちの親、温泉旅行でいなくなるんだ。だから、2人きりで一晩一緒に過ごそう」
俺はちょっと緊張気味に彼を見つめてそう言った。俺は彼と仲直りしたらこの事を1番に伝えたいと思っていたんだ。
俺はその時、彼がうなずいてくれるかどうか少し不安だった。でもあきらは俺の不安をかき消すようににっこり微笑み、すぐに大きくうなずいてくれた。
俺はその時、もう絶対に彼を手放したくないと思っていた。次の土曜日、俺は彼のすべてを奪いにいく。
「優しくしてね」
あきらに真剣な目をしてそう言われ、急に動悸が激しくなり、顔から火が噴き出しそうなほど恥ずかしくなってしまった。
あきらは何も言わなくてもちゃんと俺が考えている事を分かっている。俺たちは言葉なんか交わさなくても、いつだってちゃんと 分かり合えた。

 あきらは極端に口数が少ない。だからこそ彼が口にする言葉には重い意味がある。
「バカ。お前、もう喋るな」
俺が照れながらそう言うと、あきらはちょっとはにかんだように微笑んだ。 あきらのキラキラした目と小さな唇は、真っ直ぐ俺に向けられていた。
「オネショするなよ」
冗談めかしてそう言うと、彼は頬を染めて小さくうなずき、俺の胸に顔を埋めた。
そして俺はもう一度強く彼を抱きしめた。あきらには今、俺の高鳴る心臓の音がちゃんと聞こえているだろうか。
こんなに俺をドキドキさせるのは、あきらしかいない。
あきらは無口でちょうどいい。
彼は俺の言葉にうなずいてくれればそれでいい。 俺たちはどんなに遠く離れていても、たとえ言葉なんか交わさなくても、ちゃんと分かり合えるはずだから。
でも、たまにはこうしてまた俺をドキドキさせてほしい。
俺はいつもシャイで時々大胆な彼が大好きだ。
END

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