道しるべ
 夕方のスーパー。
俺は弁当とジュースを買い、出口へ向かってフラフラと歩いていた。
ここはスーパーとしてはわりと大型店だ。 通路はゆったりとしているし、天井はものすごく高い。
食料品売り場を抜けて出口へ向かうと、その途中には今雑誌で話題になっている洋服屋や雑貨屋などが並んでいる。
スーパーと言えども今ではデパートと変わらないぐらい品揃えは豊富だし、良さそうなテナントがたくさん入っている。
しかも、それらの店の横には子供を遊ばせておくスペースやゲームセンターがあり、その辺りは随分多くの人で賑わっていた。
俺は弁当の入った白いビニール袋をブンブン振り回して歩きながら、ジーパンのポケットに入っている車のキーを取り出そうとした。正面にだんだん外の明るい光が見えてくる。もう出口は目の前だ。
とその時、俺はある事に気付いて出口の手前から細い通路を左へ折れた。
ピカピカ光るスーパーの白い床の上に点々と小さな水の雫が落ちていて、その後をつい追いかけて行ったんだ。
その点々とした雫は細い通路の上に定期的にポツポツと並んでいた。そしてその粒は、通路の奥へ行くほど直径が大きくなっていった。
なんだろう、これは。
俺は軽い疑問を感じてなんとなく床の上に滴る水滴の後を追いかけたのだった。
その時には、何か水物を買った人が袋から水をたらして歩いたのだと思っていた。
だが途中で、そうではない予感に襲われた。
細い通路を真っ直ぐ進むと雫の大きさはどんどん膨らんでいき、通路の突き当たりで俺はついに小さな水たまりを発見した。
そしてその水たまりの向こうにある白いドアには、男子トイレのマークが描かれていた。

 俺は、そっとドアを引いてトイレの中へ足を踏み入れた。
すると、そこに人影はなかった。左の壁際に小便用の便器が5つぐらい並んでいるけどそこには誰もいなかったし、その手前の 手洗い場にも人はいなかった。
でも、俺を道案内してくれた雫の主を見つける事はいとも簡単だった。 もう雫とは言えないほどの水たまりが、右手奥に並ぶ個室の3番目のドアの前にあったからだ。
ふと見ると、3番目の個室のドアはほんの少しだけ開いていた。俺は足音をたてずにそのドアに近づき、そっと中を覗いた。
俺が個室の中で見た物は、白い床の上の大きな水たまり。そして、水たまりの真ん中に呆然と立ち尽くす小柄な少年。
彼はドアに背を向けて立っていた。肩の下あたりまで伸びた髪は茶色く染められていて、その後ろ髪が乗っかっている肩はとても細かった。
俺はサッと個室の中へ入り、すぐドアに鍵をかけた。すると少年がビクッとして後ろを振り返った。

 少年の目には、涙が浮かんでいた。
そこにいたのは、色白で、童顔で、目が大きくて、とてもかわいい少年だった。
振り返った少年は顔を真っ赤にして俯いた。
その視線の先には、大きな水たまりがあった。そして彼の履いているブルーのジーパンは、股間から太もものあたりにかけてびっしょり濡れてもう色が黒く変わっていた。
「おもらししちゃったの?」
俺が問い掛けると少年はポロポロと涙を流し、ダボッとしたトレーナーの袖で両目を擦り始めた。
いくら童顔といえども、彼は幼稚園児や小学生ではなかった。中学生か、もしかして高校1年生ぐらいかもしれないと俺は思っていた。
「泣かないで。大丈夫だから」
俺は声もたてずに泣いている彼をそっと抱きしめた。彼は俺が抱き寄せるままに身を任せ、俺のブルゾンに顔を押し付けて泣いていた。
中学生や高校生になっておもらししてしまうなんて、彼のショックは計り知れなかった。
俺は、この状況をなんとかしてやらなければならないと強く思った。 でもきっとおもらししたのが彼じゃなかったら、そんな気にはならなかった。
抱きしめた彼の肌はとても柔らかく、肩や背中はとても頼りなかった。俺にはそんな彼を放っておく事なんかできなかったんだ。
「泣かないで。今着替える物を持ってきてあげるから。もう少し我慢してここにいて」
俺は彼の背中をさすりながらそう言ってなだめた。でも、彼は簡単に泣き止むとは思えないほど大泣きしていた。

 「ここで待っててね。なるべく早く戻って来るから」
声を殺し、顔を真っ赤にして泣いている彼にそう言い聞かせ、俺はドアの鍵を開けて外へ出ようとした。 すると、それを止めるように後ろから彼にブルゾンの袖口を引っ張られてしまった。
「どうしたの?」
振り向くと、彼は小さな手で俺の袖口をしっかりと持ち、ポロポロと涙を流しながら潤んだ目で俺を見つめていた。
そして彼は、変声期特有のかすれた声で小さくこう言った。
「本当に戻って来てくれる?」
不安そうな震える声でそう言われた時、俺はやっと分かったんだ。 俺がもしも着替えを持ってここへ戻らなかったら、彼はここから出られない。もしもここを出て行ったとしても、道行く人たちから笑い者にされてしまうかもしれない。
今の彼にとって、頼りにできるのはこの俺しかいないんだ。

 「大丈夫。すぐに戻って来るからね」
俺は彼を安心させるためにできるだけ優しくそう言った。それから黒いブルゾンを脱いで、それを彼の肩にかけてやった。
こうすれば、少しは彼が安心してくれると思ったからだ。
「もう泣くんじゃないよ」
そう言ってやると、彼はブカブカなブルゾンの前を合わせてまた俯いてしまった。その仕草がとてもかわいらしくて、俺は不覚にもドキドキしてしまった。
俺は、もう一度彼を強く抱きしめた。彼はさっきと同じように俺に身を任せ、まだ鼻をグズグズ言わせて泣いていた。
俺達は、水たまりの真ん中に立ってしばらく抱き合っていた。すると彼は徐々に落ち着きを取り戻し、やがて涙も止まった。

 「信じてるから、戻って来てね」
彼は泣き腫らした目で俺を見上げ、変声期特有のかすれた声でそう言った。
ちょっとずるいけど、俺はその時彼に1つお願い事をした。
「戻って来るよ。ちゃんと戻って来る。でも、1つだけお願いを聞いてくれる?」
「何?」
「俺と友達になってくれる?」
彼はちょっと驚いた様子だったけど、すぐにうなずいてくれた。そして初めてにっこり微笑んでくれた。
「じゃあ、心細いかもしれないけど、ちょっと待っててね」
俺は彼の笑顔に見送られながら、急いでトイレを出て彼の着替えを買うためにスーパーの衣料品売り場へ走った。
俺は彼に似合いそうなジーパンを物色しながら、この後彼にキスしちゃおうかな、と思っていた。
END

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