始まりのない恋
今朝は皆に集合をかけたのに、リオンだけが来なかった。来ないどころか、連絡すらくれない。俺はそんな彼の事がすごく気になっているのに、他の友達はそうでもなさそうだった。
「リオンは寝てるんじゃないか?」
「まぁそのうち何か言ってくるだろ」
駅前に集まった仲間たちは、口々にそう言って歩き始めた。これから皆で遊びに行くためだ。
夏の日差しは強烈で、少し歩くとすぐに頭の上が熱くなった。アスファルトの照り返しも、今日は特に強く感じる。
俺は熱くなったその頭で、ずっとリオンの事を考えていた。
リオンとは高校へ入学してから知り合って、今は彼と過ごす二度目の夏休みだ。
初めて教室に入った時、隣の席にやたらと綺麗な人がいて驚いた。俯く横顔のシャープな輪郭と長いまつ毛に、すごくドキドキしたのを覚えている。
隣に俺が座った事に気付くと、彼は顔を上げてにっこり微笑んだ。
リオンと目が合った瞬間に、胸の中が燃え滾るように熱くなった。だけど友達になるためには、自分の胸の内を悟られてはいけないと思った。
あれからずっとその思いは続いている。
俺はリオンといつでも話ができるし、遊びに誘う事もできる。
でも友達同士という関係が崩れてしまったら、それすらできなくなってしまうかもしれない。だからずっと彼への思いは、心に秘めておかなければならないんだ。
俺たちの遊びにルールはない。ただ街をフラついて、気まぐれにどこかへ立ち寄ったり、何かを物色したりする。
おもしろい物を見つけると皆で楽しんで、暑くなると噴水の水をかけ合い、腹が減ると適当に何か食べる。
服が濡れても気にしない。髪が乱れたって平気だ。太陽の下で皆が笑っていられれば、他の事はどうだっていい。
ここにリオンがいれば、きっとそう思えるはずだった。でも彼がいないとパズルの1ピースが欠けているようで、どうしても気になってしまうんだ。
4人で繁華街を歩くと、次々に誰かとすれ違った。
俺はその中にリオンの姿を探した。金髪の友達が何かを言っても、黒髪の友達がふざけて抱き付いてきても、ずっと溢れかえる人の波を見つめていた。
ある時雑貨屋の店頭にゲーム機を見つけて、皆がそれに食い付いた。それはポーカーをして遊ぶゲーム機で、一昔前に流行ったものだった。
俺たちはしばらくそれで遊んだ。4人が一度に遊べるゲームだったから、暇つぶしにはちょうど良かったんだ。
歩道の人波を背にして4人の男たちが並び、カードが配られるのを待って一喜一憂する。それは楽しいひと時のはずだったのに、俺はそんな時にもリオンの事を考えていた。
彼はこんな時、ゲームには参戦しない。ただ俺の横にいて、勝負の行方を見守っている。そんな彼がそばにいないと、やっぱり落ち着かない。
手持ちのカードにハートのエースがきた。そして次は、クラブのキングがきた。それはどっちも強いカードだった。
リオンはきっと、俺の事を1番の友達だと思ってくれている。彼はいつも同じクラスの4人と行動を共にするけれど、その中で1番親しいのは俺だという自負があった。
俺とリオンの仲は、カードに例えると1番強いエースだと思う。友達に差を付けるわけではないけれど、他の皆はせいぜいキングだろう。
今だって友達の集まりにリオンが欠けているのに、それを気にしているのは俺だけだ。他の仲間たちは、すっかりゲームにのめり込んでいる。
ただそんなふうになるのも分からないわけではない。
リオンは少し謎めいたところがあった。
人の話はよく聞くけれど、自分の事はあまり話さない。わりと自由にやっていそうなのに、親がうるさいからと言って夜にはさっさと帰ってしまう。
リオンはなんとなく人と一定の距離を置いているように思えた。だから皆も彼の意思を尊重して、無理に距離を縮めようとはしていないのかもしれない。
夕方になるとさすがに歩き疲れて、どこかで休もうという事になった。
ビルの隙間に見える空は、とても狭くて青かった。太陽が少し傾いても、外はまだ暑かった。
「あそこに入ろうぜ」
誰かがそう言って指差したのは、レンガ造りのカフェだった。その時は皆喉が渇いていたから、すぐにその店のガラス戸を開けた。
カフェの中はとても涼しかった。そこには客が大勢いて、ほどよいざわめきが店の中に広がっていた。
窓際の席に腰掛けると、通りを歩く人の列が見渡せた。テーブルに冷たいジュースが運ばれてきて、皆が同時にグラスを掴んだ。
疲れた俺たちは、しばらく黙って喉を潤していた。俺はその間にスマホをチェックしたけれど、リオンからのメッセージは入っていなかった。
夕方になるまで何も言って来ないなんて、本当にどうしたんだろう。 用事があって来られないなら、そう言ってくれればいいのに。
ため息をついて周りを見回すと、夢中で話し込んでいる人たちが目に付いた。そこにいるほとんどの客が、俺たちよりも少し年上の人のようだった。
「さっきのゲームおもしろかったな」
「お前負けてばかりだったじゃん」
「運がなかっただけだよ」
「あのゲーム懐かしかったよね」
「うん。またやろうぜ」
喉が潤うと、皆が少しずつ喋り始めた。もちろん俺も話に加わって、笑ったり頷いたりを繰り返した。
だけど少し寂しかった。俺の隣は空席で、やたらと見晴らしが良かったからだ。
それから随分話し込んで、気付くと外は暗くなりかけていた。
窓の向こうには歩道を歩くたくさんの人たちがいて、その列はゆっくりゆっくり動いている。
俺はその頃、もうリオンは来ないと思って諦めていた。ところがそう思った矢先に彼を見つけた。
人ごみに紛れて歩くリオンが、突然俺の目に飛び込んできた。
茶色の髪が、ふわりと揺れている。その様子を見ただけで、すぐに彼だと分かった。まだ少し遠い所にいるけれど、ゆっくり流れる人の列に、確かに彼が含まれていた。
「リオン!」
窓に貼り付いて叫ぶと、一緒にいた友達が一斉に外へ目を向けた。
だけど彼らはリオンを見つける事ができずにいた。
「どこだよ?」
「どこ?」
リオンの姿は大勢の人の中に見え隠れしていた。いよいよ彼が近付いてきた時、俺は外へ出てリオンを呼び止めようと思った。
だけどそうする前に、彼がカフェの前で突然立ち止まった。
歩道を歩く人々の列が、その前後をゆっくりと流れていく。そこで立ち止まっているリオンの周りだけ、時間が止まっているかのようだった。
俺は窓の内側から手を振って、彼に気付いてもらおうとした。だけどリオンは伏し目がちで、しばらく顔を上げようとはしなかった。
高いビルの影が、その姿を灰色に染めている。茶色の髪も、白いシャツも、すっかり影に呑まれていた。彼の立ち姿はとても綺麗だったけれど、なんだか少し悲しげに見えた。
やがてリオンは顔を上げて、カフェのガラス戸をぼんやりと見つめた。その目にはまったく力がなく、表情も冴えなかった。
どうしたんだろう。いつもの彼じゃない。
そう思って手を止めた時、やっとリオンが俺に気付いた。すると見る見るうちに目が輝き始め、こっちに手を振ってにっこり微笑んでくれた。
彼と目が合った瞬間に、胸の中が熱くなった。その時俺は、リオンに初めて会った時の事を思い出していた。
やっと5人の仲間が揃った。
リオンはカフェに入ると、俺の隣に座ってドリンクを注文した。
「ここはアイスコーヒーがうまいんだよ」
彼がそう言って笑うから、すごくほっとした。スマホが壊れて連絡できなかった事も話してくれて、今日1日の不安が一気に吹っ飛んだ。
「さっき修理屋に行ってきたんだけど、混んでるから後で来いって言われちゃってさぁ……」
リオンはアイスコーヒーを飲みながら、少し前の出来事を語った。真っ白な手をブラブラさせたり、時々頬杖をついたりもする。
そこにいるのはいつもの彼だった。口数は少ないけれど、笑顔を絶やさず、皆の話に混じっている。
シャープな横顔が手の届きそうな所に見えて、思わずドキドキしてしまう。
ゲームの話や噂話で盛り上がって、あっという間に夜が更けていった。
周りの客は何度も入れ替わっていたけれど、俺たちはそこに長居していつまでも喋り続けていた。
それは本当に楽しい時間だった。めまぐるしくテーマを変えながら、バカな話を繰り返すのが俺たちのお気に入りだったんだ。
リオンもとても楽しそうだった。終始笑顔で、時々グラスを傾けている。彼が戻ってきてくれて、本当に良かった。
窓の外にはネオンが輝いていた。夜になって、街にはますます人が増えてきたような気がした。
「今夜サッカーの試合があるんじゃなかったか?」
誰かがそう言って、向かい側に座っている3人が一斉にスマホをいじり始めた。
そこで話は一旦途切れたけれど、それはリオンと2人で話すチャンスだった。
「今日は朝から何してたの?」
「別に何もしてなかったよ。ずっと家でぼんやりしてて、夕方こっちへ出てきたんだ」
「偶然会えて良かった。リオンがどうしてるか気になってたから」
「ごめんな。連絡できなくて」
「いいよ。こうして会えたんだから」
リオンはとても穏やかだった。普段と変わらない笑顔で俺を見つめている。
真っ白な肌が眩しくて、切れ長の目は優しくて、そんな彼にいつもドキドキしてしまう。
彼の右手がゆっくり動いて、テーブルの上にある俺のスマホを掴んだ。そしてリオンは、何故か小声でこう言った。
「これ借りてもいい? 電話をかけたいんだ」
「うん。いいよ」
俺はすかさず頷いた。するとリオンは、立ち上がって入口の方へと歩いていった。
その行動に、強い違和感を覚えた。
リオンが誰かに電話をする時、わざわざ遠くへ行くような事は今までになかったからだ。普段の彼なら、席を立たずにここで電話をするはずだった。
席を離れたリオンは、レジの横に飾られた花の向こうに消えようとしていた。その時他の仲間たちは、まだ黙ってスマホをいじっていた。
「トイレに行ってくる」
どうしても気になって、俺もすぐに立ち上がった。
急ぎ足でリオンの後を追うと、どこからか女の人の笑い声が響いてきた。
レジの横をすり抜けて左へ曲がった時、すぐにトイレの表示が目に入った。リオンはその奥の薄暗い通路に立っていた。
店内のざわめきはそこにも届いていたし、こっちに背を向けていたから、俺が追いかけてきた事には気付かなかっただろう。
リオンの背中はとても細くて、肩に力が入っているように見えた。
緊張しているのか、迷いがあるのか。それは定かじゃなかったけれど、リオンはスマホを操作する前に少し間を取った。
これから彼は、大事な電話をかけようとしている。その様子を見て、それを悟った。
「俺だよ。今どこにいる?」
リオンはスマホを耳に当てて、電話の相手にそう言った。
その声はいつもとまったく違っていた。妙に冷淡で、それでいて親しげで、僅かに戸惑いの混じっているような声だった。
「この前会ったカフェにいるから、すぐに来い」
次の言葉には、間違いなく苛立ちが込められていた。刺々しくて、乱暴で、有無を言わせぬ口調だった。
短い通話を終えたリオンは、通路の壁を蹴ろうとした。だけどギリギリのところで思い止まった。
俺はすぐにそこから立ち去った。急ぎ足で席に戻る時、心臓がバクバクいっていた。
普段は穏やかな彼の激しい部分を見て、すごく動揺した。
電話の相手が誰なのかは分からない。でも彼と相当深い仲だというのはすぐに分かった。
いつもと違う声で彼は語った。少し冷たいようにも聞こえるけれど、その声には熱い感情が込められているようだった。
「すぐに来い」
その一言が、どうしても耳を離れなかった。吐き捨てるようなその言葉は、早く会いたいという意味だった。
彼は電話の相手とここに来た事があるんだ。
カフェの前で立ち止まった時、リオンは少し悲しげに見えた。その人の事を思い出して、心が動いたのは間違いない。
前に来た時は2人だったのに、今日は1人で寂しかったんだろうか。それとも偶然ここを通りかかって、その人に会いたくなってしまったんだろうか。
そんなふうにリオンの心を揺さぶるのは、いったいどんな人なんだろう。
しばらくすると、リオンが戻ってきた。
黙ってスマホを返された時、その表面にまだ彼の手の温もりが残っているような気がした。
テーブルに5人が揃うと、また皆のお喋りが始まった。
その時リオンは、俺の隣で笑っていた。誰かがおもしろい話を始めると、いつも以上に大袈裟に笑っているような気がした。
だけど俺は、皆の話をほとんど聞いていなかった。入口の方が気になって、全然会話に集中できなかったんだ。
電話の相手は、きっとここに来る。会ってみたいような気もするし、会いたくないような気もする。
ガラス戸が開いて客が入ってくるたびに、俺はビクビクしていた。
リオンも時々入口に目を向けていた。彼は電話の相手がやってくるのを、静かに待っているようだった。
カフェの中は涼しいはずなのに、頭はとても熱かった。いくら冷静になろうとしても、元の自分には戻れない。
リオンを追いかけたりするんじゃなかった。余計な事は知りたくなかった。
今更そんなふうに後悔しても、一度知ってしまった事はもう忘れられなかった。
その人は、息を切らしてカフェに来た。
勢いよくガラス戸を開けると、宝物を探すように店の中を見回した。
レジの横の花を見つめ、奥の方の客を見つめ、やがてその目はまっすぐリオンに向けられた。するとその人は、安心したように薄く微笑んだ。
身長は平均的で、多分少し年上で、柔らかい雰囲気の男の人だった。急いで走って来たらしく、額の汗を拭って、肩で大きく息をしていた。
宝物を見つけると、彼は足を一歩踏み出して、俺たちのテーブルへ近付こうとした。
でも次の一歩は踏み出さず、ゆっくりと後ずさりをした。そして一瞬、そこから立ち去る素振りを見せた。リオンをじっと見つめたまま、ガラス戸に手を伸ばそうとしたんだ。
「俺そろそろ行くよ。バイバイ」
リオンがそう言って席を立った。その時彼の表情は硬かった。
向かい側に座る友達には、リオンを迎えに来た人の姿が見えていない。何も知らない皆はバイバイと彼に手を振って、また一斉にスマホをいじり始めた。
リオンの足取りは穏やかじゃなかった。待ち人に近付く時、彼は明らかに苛立っていた。歩調が乱れて、肩にはガチガチに力が入っていて、爆発しそうな感情をなんとか必死に堪えているように見えた。
2人の姿が重なった後、彼らは何か言葉を交わした。
近くのエアコンの風が、2人の髪を大きく揺らしている。リオンが待ち焦がれた彼は、すぐに動き出そうとはしなかった。
リオンはそんな彼に怪訝な顔を見せ、強引に腕を引っ張り、ガラス戸を開けて外へ引きずり出した。
その腕を引っ張る真っ白な手は、「早く2人きりになりたい」と叫んでいた。
2人が消えたその場所を、しばらくじっと眺めていた。さっき見た光景が、幻だったらいいのにと願いながら。
すごく胸が痛かった。呼吸が苦しくなるほどの、激しい痛みを感じていた。
でも俺には傷付く資格はないはずだ。リオンと友達でいる事を選択したのは、自分自身なのだから。
下手に感情を口走って、リオンに拒絶されるのが怖かった。だから彼への思いは、ずっと心に秘めていた。
だけどリオンはそうじゃなかった。あの人に熱い思いをぶつけて、友達以上の関係になる事を選んだんだ。
彼に不安がなかったとは思えない。自分の思いが受け入れられないリスクを、絶対に考えたはずだ。
失う勇気を持たないと、大事な物は手に入れられない。それは分かっていたけれど、俺にはその勇気がなかった。
俺たちは、こんなにも違っている。リオンと俺の距離が、近くて遠く感じる。
窓の外には、ネオンが幾つも輝いていた。店の中には、相変わらずほどよいざわめきが広がっている。
彼らはこれからどこへ行くんだろう。夜の街を彷徨って、楽しいひと時を過ごすんだろうか。
彼と2人の時のリオンは、もう1人のリオンだ。あの人にしか言わない言葉で語り、あの人にしか見せない顔で微笑むのだろう。
リオンは俺の事を1番の友達だと思ってくれている。大事な電話をかける時、俺を頼ってくれたのがその証しだ。
でもそんなものは救いにはならなかったし、誇りに思う事もできなかった。
向かいの席の3人は、時々何かを囁やき合いながら、ずっとスマホをいじっている。
皆は友達との心地いい距離感を知っているようだった。それなのに、俺だけが中途半端にリオンに近付こうとした。そんな事をしなければ、こんなに傷付く事はなかったのかもしれない。
俺の恋は、始まる事もなく終わりを告げた。始まりのない恋なのに、終わりが来るなんて思いもしなかった。
俺は溢れ出しそうな思いを永遠に心に秘めて、リオンの友達を演じ続けなければならない。自分で決めた事だから、そうするしかない。
リオンはこれからも、俺たちのそばにいてくれるだろう。同じクラスの友達として、いつでも優しくしてくれるはずだ。
それは自分が望んだ事のはずだった。だけど今は、その優しさが怖い。
テーブルの上には、リオンの使ったグラスがあった。アイスコーヒーが僅かに残っているけれど、溶けた氷と混ざって、ほとんど水のような色になっている。
俺はそっとグラスに口をつけて、彼の残したアイスコーヒーを味わった。
それはほとんど水のはずなのに、すごく苦い味がした。
END