いけない2人
 夏休みの終わりが近付いたある日、母さんに用事を頼まれて近所の大型スーパーへ向かった。僕は自動ドアから店へ入る時、心の中で「ごめんなさい」と何度もつぶやいた。
週末の午後だったから、店の中はすごく混み合っていた。
僕は食料品売り場で母さんに頼まれたチーズを買い、それから本屋に立ち寄った。
前に来た時は焦っていて気付かなかったけれど、本屋の中には小さなカフェが併設されていた。
僕は少しだけ漫画の本をパラパラとめくって、それからすぐに店を出る事にした。出来たばかりのスーパーは広くて綺麗だったけれど、やっぱり居心地が悪かったからだ。
出口の自動ドアが開いて外の風を感じると、すごくほっとした。その時は、とにかく早くスーパーの敷地内から出たいと思っていた。
ところが店を出る寸前に、突然後ろから右腕を掴まれた。ドキッとして振り返ると、急に脈が乱れるのを感じた。
僕の目の前には、スーパーの警備員が立っていた。藍色の警備服を着て、白いラインの入った帽子を被っている、若い男の警備員だった。
「君、ちょっと来て」
そう言われた時、目の前が真っ暗になった。僕には警備員に捕まる覚えがあったからだ。
その人に肩を抱かれるようにして店の中へ引き返すと、途中で何度も躓きそうになった。
自分がいけない事をしたんだから、仕方がない。そう思いながらも、警備員に連れられて歩くと目頭が熱くなった。
僕がやった事は、恐らく親に知らされるだろう。そんな事になったら、きっと父さんに殴られる。それを考えただけで、今すぐ涙が零れ落ちそうだった。


 僕は職員専用の通路を歩かされ、店の奥の事務室のような所へ連れて行かれた。
窓のない部屋には2つのパイプ椅子とテーブルだけが置かれていて、そこで待つように言われた。 外の光のないその部屋は、刑事ドラマで見る取調室によく似ていた。
パイプ椅子に座って1人でいる時、小刻みに足が震えていた。これから起こる事がすごく怖くて、足の震えが止まらなかったのだ。
一旦姿を消した警備員が、すぐにスーパーのレジ袋を持って戻ってきた。彼はテーブルを挟んで向かい側に座り、帽子を取って僕に言った。
「これ、忘れ物だよ」
テーブルの上にレジ袋が置かれた時、その意味がまったく分からなかった。困惑しながらその中を覗くと、今度は心臓が止まりそうなほど驚いた。
レジ袋の中には、灰色のズボンが入っていた。
それは僕の物に間違いなかった。驚く事に、ズボンは洗濯されて綺麗になっているようだった。

 僕の頭の中に、あの日の出来事が浮かび上がってきた。あれは夏休みに入って3日目の、月が輝く夜の事だった。
僕はあの夜、友達と遊んで帰りが遅くなった。 家の門限は10時で、それを過ぎるとまずい事になる。父さんの説教を長々と聞かされ、しばらく遊びに出る事を禁じられてしまうのだ。
だから、必死に走って家に帰ろうとしていた。風を切って、息を弾ませながら、できる限りのスピードで家路を急いでいた。
細い通りを抜けて幹線道路へ出ると、そこには車がたくさん連なっていた。 その中でも、赤いスポーツカーがすごくかっこ良かったのを覚えている。
僕は髪を振り乱して、まるで車と競争するかのように走り続けた。ところがそんな時に限って、突然トイレに行きたくなってしまったのだった。
道路沿いに大型スーパーが出来たのは知っていた。そこでトイレを借りる事を考えたけれど、あまり気が進まなかった。 スーパーの敷地はとても広かったから、店を往復する事を考えると、門限に間に合わなくなる可能性があったのだ。
それでもスーパーの白い看板が見えてきた時、急に尿意が強くなった。
ダメだ。やっぱり我慢できない。
僕はそう思って、仕方なく寄り道をする事にした。

 広いスーパーへ飛び込むと、照明の明るさに目が眩んだ。
その時僕は、もうギリギリの状態だった。すぐトイレに行かないと間に合わなくなりそうなほど、切迫した尿意に襲われていたのだ。
遅い時間だったせいか、食料品売り場は空いていた。初めて来る店だったから、僕にはトイレの場所が分からなかった。
本屋の前を走り抜け、雑貨屋の側を通ると、のんびり歩いている客と何度かすれ違った。
そうやってしばらく彷徨っていると、エレベーターの横の通路にやっとトイレの表示を見つけた。
きっと、それで安心したのがいけなかったのだ。
僕は大急ぎで通路へ向かって走った。その時はもう体中に汗をかいていて、歯を食いしばっておしっこを我慢していた。
だけど通路の途中で限界がきた。トイレの入口は目の前だったのに、そこまで我慢できなかった。
僕は誰もいない通路で、ジャーッと音を奏でながらおもらしをした。
凄まじい勢いでおしっこが出てしまい、あっという間に灰色のズボンがびっしょり濡れた。
真新しいタイルの床は、僕の足元だけが水浸しになった。
水を吸ったズボンのシミを見つめると、信じがたい現実にひどく動揺した。 濡れたシミはどんどん広がり続け、どうやっても隠せないほど大きくなっていた。
子供のようにおもらししてしまった自分に愕然とした。まさか高校生になってこんな体験をするなんて、本当に思いもしなかった。
それでも打ちひしがれている時間はなかった。僕には門限が近付いていたのだ。
このままでは家に帰れない。どうしよう……どうしたらいいんだろう。
頭の中が熱くなって、心臓の動きが急に早くなった。
やがて背後から誰かの足音が聞こえてきて、逃げるようにトイレの横の階段を駆け上がった。

 店舗の2階には衣料品売り場があった。売り場面積はとても広くて、回転式のハンガーにたくさんの商品が掛けてあった。
そこには客の姿がなく、店員もまったく見当たらなかった。夜の遅い時間に、洋服を買いに来るような人はいなかったのだろう。
ちょうど夏の盛りだったから、衣料品売り場の壁には半袖のシャツが飾られていた。 その下には3段の棚があって、その中段には黒っぽい色のズボンが重ねて置いてあった。
僕はその1枚を手に取って、すぐ側にある試着室の中へ飛び込んだ。
その時は、無我夢中だった。
とにかく急いで濡れたズボンを脱ぎ捨て、値札が付いたままのズボンに足を通した。
ゆったりした形のズボンは、僕によく似合っていた。上に着ているシャツとも相性がよくて、鏡に映る自分が随分オシャレに見えた。
よし、大丈夫だ。これなら違和感なく外を歩く事ができる。
自信を持った僕は試着室を出て、誰にも会わずに階段を下り、走ってスーパーを飛び出した。
おもらしして濡れたズボンは、試着室の中に捨てて来た。
その夜門限の10時には、なんとか家の玄関に滑り込む事ができた。

 それからしばらくの間、このスーパーへ来るのを避けていた。後から冷静になって考えると、自分がいけない事をしたのに気付いたからだ。
あの夜僕は店の商品を勝手に身に着け、お金も払わずにスーパーを出た。いくら急いでいたからといって、それは許される行為ではなかった。
その時は必死で気付かなかったけれど、僕は立派な窃盗犯だった。その後ろめたさから、ずっと店へ行くのを避けていたのだった。


 呆然とする僕に向かって、若い警備員が言った。
「君の物で間違いないよね?」
その時、僕は悟った。
この人はすべてを知っているのだ。これを僕の物だと分かっているのだから、そうに違いない。
彼はいったい、どこから見ていたのだろう。通路でおもらしした姿も、試着室を出て行く姿も、すべて見られてしまったのだろうか。
「全部……見てたの?」
警備員の顔を見つめて、ビクビクしながら尋ねた。その時きっと、僕の顔は真っ赤だった。
「見てたよ。君が店に入って来て出て行くまで、ずっと見てた。隣はモニタールームなんだ。店中の防犯カメラの映像が、リアルタイムで全部見られるんだよ」
意外な事に、彼はとても楽しそうに、笑顔でそう語った。 僕を責める気もなさそうだったし、おもらしした僕を辱める様子もまったく感じられなかった。
帽子を被っている時は分からなかったけれど、彼はとても素敵な人だった。目の表情が柔らかくて、顔のパーツのバランスが良く、肩まである髪はサラサラだった。
足の震えがピタッと止まり、急に胸がドキドキしてきた。目の前の彼がすごくかっこ良かったから、思わずときめいてしまったのだった。
その時になって、初めて彼の名札を見る余裕ができた。胸に貼り付けられた名札には、沢口と書いてあった。
「忘れ物を返したかったから、君が来るのをずっと待ってたんだ」
「……僕を捕まえるんじゃなかったの?」
恐る恐る口にした言葉に、彼はにっこり微笑んだ。その笑顔が眩しすぎて、僕はもっとドキドキした。
彼は僕の目を覗き込むようにして、小さな声で囁いた。
「それは、君次第だよ」
「……」
「君を捕まえてもいい?」
彼はそう言って、僕の両手をそっと握った。
これが僕と沢口くんとの出会いだった。僕たちは、その瞬間から恋人同士になったのだった。

 沢口くんは大学生で、警備員のバイトは週3回だと言った。 僕がスーパーへ来たのは2回だけなのに、2回とも彼のシフトに合っていたのは運命的だと思った。
ただ心の隅に、小さな棘が刺さっているのを感じていた。その後僕は、ある考えを口にした。 心の中の棘を取り除き、すっきりした気持ちで彼との愛を育みたかったのだ。
「僕、お金を払うよ」
その意味を誤解して、彼は苦笑いをした。
「それは俺と付き合いたくないって事?」
「違うよ。僕は綺麗な体で付き合いたいんだ。だから……」
自分で言った事なのに、綺麗な体と口走った時、なんだかすごく恥ずかしくなってしまった。 別に変な意味ではなかったのに、それでも頬が熱かった。
僕の思いとは裏腹に、彼は明るい口調で続けた。
「あんなの、もう時効だよ」
「でもずっと気になってたんだ。このままじゃ、僕は窃盗犯のままだもん」
「君の事情を考えたら、酌量の余地はあるだろ。まぁとにかく、防犯カメラを見てたのが俺で良かったよ」
沢口くんは、遠い目をしてそう言った。彼はきっと、あの夜の事を思い出していたのだろう。
小さな部屋の中に、しばらく沈黙が流れた。その時沢口くんは、何かを考えているようだった。 僕は軽く握られた手を決して離さずに、次の言葉を待っていた。
「金は俺が立て替えておく」
「え? でも……」
「だって、俺も共犯だよ。警備員のくせに窃盗犯を逃がしたんだからな。その上犯人を誘惑するなんて、俺の方が重罪だよ」
彼はそう言って、再び苦笑いをした。
たしかに僕たちは共犯だった。 彼に捕まった時から、腕に見えない手錠をかけられているような気がしていた。そして手錠の片方は今、沢口くんの腕に繋がっている。
「金は立て替えておく。君はたっぷり時間をかけて、体で返して」
小さく囁かれたその言葉に、胸が揺さぶられた。これから彼に身を捧げて心の棘を削っていくのかと思うと、身震いするほど興奮した。

*   *   *

 僕たちは彼の仕事が終わるのを待って、ラブホテルへやってきた。
それはまるで夢のような出来事だった。初めてのラブホテルは、スリル満点でドキドキした。
外はまだ明るいのに、ホテルの部屋は薄暗かった。ベッドとテレビが妙に大きくて、それにすごく驚いた。
沢口くんは、部屋のまん中に立って優しく微笑みかけてくれた。 それから、僕のシャツのボタンをゆっくりと1つずつ外していった。
徐々に裸に近付く僕は、薄闇の中で大切な事を告白した。
「僕、初めてなんだ」
すると、沢口くんの手が止まった。
彼の目は宝石のように綺麗だった。やがて薄紅色の唇が動いて、掠れた声が耳に届いた。
「優しくするよ」
沢口くんの手が、再び動き出した。
僕が生まれたままの姿になると、彼もすぐに僕に続いた。
2人の脱ぎ捨てた洋服が、冷たい床の上に降り積もっていた。
彼は立派な体つきをしていた。胸板が厚くて、腕に筋肉がついていて、とても逞しく見えた。 痩せて小柄な僕とは違って、沢口くんは大人の男の人だと思った。

 僕はベッドで仰向けになり、彼に体を差し出した。
沢口くんが体に覆いかぶさると、サラサラな髪が頬に触れた。2人は唇を重ね、肌と肌を寄せ合った。
彼は激しく舌を絡ませてきた。何度も舌を吸われると、だんだん頭がぼんやりしてきた。 僕はその間に勃起してしまった。きっと彼にも、それは分かっていたはずだ。
キスの余韻が冷めないうちに、彼の愛撫が始まった。
かさついた唇が、首筋を這っていく。それだけで感じてしまい、体が熱くなってくる。
乳首を舐められた時、ビクッとして体が弾んだ。彼は生温かい舌の先を尖らせて、感じやすい乳首を繰り返し舐めてくれた。
「気持ちいい……」
凄まじい快感に、そんな言葉が口から出た。その時彼が、クスッと小さく笑ったような気がした。
それからすぐに、長い指が穴の中へ入ってきた。
初めて味わうその感触に、大きな衝撃を受けた。 それは痛いような、熱いような、とてもおかしな感触だった。
指が奥まで差し込まれると、強い圧迫感があった。少しだけ苦しく感じたけれど、その苦しみは嫌いではなかった。
体の奥が締め付けられて、疼くような感覚がしばらく続いた。 刺激を受けた穴が少しずつ広がり始めると、だんだんそれに慣れてきた。
沢口くんは、指を動かしながら僕の胸にキスをした。そして優しく言ってくれた。
「ゆっくり呼吸して」
指示通りに、小さく深呼吸を繰り返した。僕はそうやって、彼を受け入れる準備を整えていた。

 早く彼が欲しかった。沢口くんと、すぐに一つになりたかった。
彼は穏やかに微笑みながら、僕を見つめていた。 薄紅色の唇は少し震えていて、高い鼻が左の頬に影を作っていた。
長い指が、僕の中から出て行った。その時は、少し寂しい気持ちになった。
沢口くんは、強引に僕の両足を開かせた。そしてその間に、そっと腰を滑り込ませた。
「君が好きだよ」
「僕も、沢口くんが好き」
言葉で愛を確かめ合うと、僕はゆっくりと目を閉じた。その後遂に、彼自身が僕の中へ入ってきた。
沢口くんは、約束通りに優しくしてくれた。 無理に奥まで入れようとはせず、僕の中をゆっくり浅く出入りした。
「すごくいいよ」
そう言ってもらうと嬉しくて、彼に強く抱き付いた。沢口くんも、逞しい腕で僕をぎゅっとしてくれた。
サラサラな髪が、時々肩をくすぐった。大人の男の人の匂いが、僕の鼻に広がった。
彼の物が擦れるたびに、不思議な心地よさを感じていた。 多分沢口くんも、同じ思いでいてくれたような気がする。
そしてある時、長い指が硬くなったペニスに絡みついた。不意を突かれた僕は、ブルッと体を震わせた。
その快感に酔いしれた。ペニスを彼の指で触ってもらうと、今までにないほど感じてしまった。

 彼が腰を振るたびに、ベッドがギシッと音をたてる。その音色を聞きながら、彼との行為に溺れていった。
最初の苦しみはとっくに消えていた。心に少し余裕ができて、彼と結ばれた喜びを感じられるようになっていた。
沢口くんの息が荒くなってきて、それが僕を興奮させた。
最大に膨れ上がったペニスに、更に刺激が加えられる。先端の辺りを集中的に攻められると、自分の意思とは裏腹に熱い吐息が漏れた。
「あぁ……」
体が震えた。頬が熱い。ベッドの揺れが、次第に激しくなる。
頭のてっぺんから足のつま先まで、痺れるような快感が行き来する。
体が大きく揺さぶられ、自分の中に彼が居るのを強く感じた。緩く閉じた目の奥には、得体の知れない光が見えた。
そんなある時、一瞬だけ何も聞こえなくなった。僕の吐息も、ベッドが揺れる音も、その瞬間だけ失われた。
そして僕は、静かに果てた。ペニスの先から吐き出された物が、首の辺りにまで飛んできた。
あまりの気持ちよさに、体が溶けてしまいそうな気がしていた。僕はそんな中で、薄く目を開けた。
視線の先には、淫らな自分の姿があった。 足を大きく開いて、萎えたペニスが横たわり、胸には飛び散った精液が点在している。
それはとてつもなく恥ずかしい姿だった。 自分がこんな姿をさらけ出すなんて、とても信じられない思いがした。
でも仕方がない。 これは償いなんだ。沢口くんと僕との、罪滅ぼしなんだ。
その時沢口くんは、まだ淫らな僕の中を浅く出入りしていた。
「もっと奥まで入れて」
どうしてそんな事を言ってしまったのか、自分でもよく分からなかった。
罪を償うには、これではまだ足りないと思ったのだろうか。もしくは、早く彼が僕に続いて欲しいと思ったのかもしれない。
沢口くんは一旦腰の動きを止めて、驚くような目で僕を見つめた。彼の髪は乱れていて、宝石のような目が薄闇の中で光っていた。
「本当にいいの?」
「うん」
僕が再び目を閉じると、沢口くんが早速深い所へ入ってきた。そして彼は、腰の動きを急に早めた。
体の奥に彼を受け入れると、少しだけ苦しかった。 だけどそれを上回るほどの快感が、全身に溢れていた。
あの日の罪が消えるまで、こうして何度も彼に体を差し出すだろう。
罪深い僕たちは、いったいいつまで償い続けなければいけないのだろうか。
それは僕には分からなかった。
ただその時僕は、もう一生許されなくてもいいと思っていた。
END

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