言い訳
俺は今、ベランダの物干し竿に大きな地図の描かれた布団を干したばかりだった。朝8時。今日は天気がよさそうだ。 夏の太陽が朝から張り切って町全体を照らしている。うっかり空を見上げると、強い太陽の光に目がくらむ。
しばらくこの調子で太陽ががんばってくれれば、濡れた布団はきっとすぐに乾くだろう。
ベランダの戸をピシャッと閉めて部屋へ戻ると、弟の小さな背中がすぐそこにあった。
フローリングの床の上には弟が濡らしたパンツが転がっている。
弟は床の上にしゃがんで昨日拾ってきたばかりの子猫に説教している最中だった。
「もう布団の上でおしっこしちゃダメだよ」
弟の小さな手が真っ白な子猫の頬をぎゅっとつねった。無実の罪で罰せられた子猫は、ギャーと鳴いて彼に猛抗議した。
俺はそんな彼らのやり取りを腕組みしながら黙って見つめていた。
俺は今年の3月から実家を離れて1人暮らしを始めていた。それは遠い街で就職する事になったからだった。
家を出る時、年の離れた弟はすごく淋しそうな顔をしていた。俺は後ろ髪を引かれる思いで生まれ育った家を飛び出したのだった。
12歳の弟は小学6年生。でも、そうは見えないほどに華奢だ。
甘えん坊な弟は学校が夏休みに入るとすぐに俺の所へやってきた。
たった半年離れていただけなのに、俺の目から見る弟は以前より少し成長していた。
「オネショは治ったのか?」
4日前に弟がアパートへきた時、俺はまず最初にその質問をした。
すると彼は自信たっぷりに大きくうなずいたのだった。
俺はそれまで弟がオネショしない朝を一度も知らなかった。だから彼がうなずいた時にはその成長を喜んでいた。
しかしその喜びは束の間だった。彼は最初の夜にしっかりとオネショをしてしまったのだ。そしてそれは、結局3日連続で続いている。
でも弟はやっぱり以前より成長していた。彼は3日連続で自分はオネショなんかしていないと言い張っているのだ。
実家で一緒に暮らしていた頃はオネショをしても当然という顔をしていたのに、彼は今ではその事を少し恥ずかしく感じるようになっているようだった。 だからこそ下手な言い訳をするに違いないのだ。
まず1泊目。その日は夜中雨が降り続いていた。そして翌朝弟がオネショしている事に気づいた時、外にはまだ雨が残っていた。
その朝彼は悪びれた様子もなく濡れた布団の上に立ち上がり、「雨漏りして布団が濡れた。僕はオネショなんかしてない」 と言い張った。
俺は一瞬呆れたが、彼のプライドを考慮して 「そうか。それは災難だったな」 と言ってやった。
そして2泊目。その夜雨は止んでいた。そして翌朝弟がまたオネショしている事に気づいた時、外には太陽が輝いていた。
すると彼はまたもや悪びれずに濡れた布団の上で立ち上がり、「金魚鉢の水がこぼれたんだ。僕はオネショなんかしてない」 と言い張った。
ふと本棚の上に目をやると、金魚鉢の中でスイスイと泳ぎまわる黒い出目金の姿が見えた。
俺は一瞬言葉を失い、黙って濡れた布団をベランダに干した。
そして、今朝の言い訳はこうだった。
「猫が布団の上でおしっこしちゃった。ちゃんと叱っておくからね」
弟は昨日近所で捨て猫を拾い、そいつを大層かわいがっていた。しかし彼は今朝自分の罪をかわいい子猫に押し付けた。
そして俺は昨日と同じくベランダに濡れた布団を干したというわけだ。
弟の丸まった背中を見つめていると、少し気が遠くなってきた。
彼は夏休みの間中俺の所へ居座るつもりでいる。恐らく俺はその間こうして毎朝しょうもない言い訳を聞かされるのだ。
でも、それも悪くはない。
今はまだ兄貴を慕って甘えてくれるけど、もう少し大きくなったら弟は俺の事なんか構ってくれなくなるだろう。
年の離れた弟はやっぱり可愛いものだ。
明日彼がどんな言い訳をするのか、実はちょっと楽しみにしている俺だった。
END