不法侵入
 周りに人がいない事を確認して、そっとドアの鍵穴にキーを入れる。
それを回すと、ガチャッという金属音がアパートの廊下に鳴り響いた。この瞬間は、スリル満点だった。
僕は半分ドアを開けて、サッと玄関へ入り込み、内側から鍵をかけてやっと一息ついた。
午後3時。英二は今頃バイト先でせっせと働いている。
僕はその時間帯を見計らって、いつも彼の部屋を訪れていた。
3ヶ月前に彼が失くしたキーケースは、今僕の手の中にある。でも英二は、もちろんその事を知らない。

 狭い玄関には、1足のスニーカーが左右バラバラになって転がっていた。 それはかかとを踏んだ跡が残っている、黒いスニーカーだった。
本当なら、それをきちんと並べて整頓したい。でも、そんな事をすると命取りになる。
英二には、不法侵入者の気配を決して覚られてはいけないのだ。そうしないと、僕の密かな楽しみが奪われてしまうのだから。

 2枚目のドアを開けると、目の前に汚らしい部屋が現れた。
英二はどうも整理整頓が苦手らしい。8畳の部屋の床には、足の踏み場もないほど乱雑に物が散らばっていた。
CDケース。コンビニのレジ袋。フレームの折れたサングラス。使い古しのタオル。薄汚れたクマのぬいぐるみ。
そこにはゴミとしか思えないような物が、本当に多く散乱していた。 その隙間に時々畳が見えるのは、英二がそこを足場にしているからだった。
ドアの横には白いカラーボックスが置かれていて、その上には当然のように埃が降り積もっていた。 僕は袖口で埃を拭き取りたい衝動に駆られたけど、現状を維持するためにその思いをぐっと堪えた。
窓から入る夏の日差しは、乱雑な部屋の風景を明るく照らしていた。
部屋の奥には、白いブラインドで仕切られた狭いスペースがあった。その向こうにベッドがある事は、もちろんよく分かっていた。

 英二と僕は同じ大学へ通っている。
僕たちは同期生だけど、英二は一浪しているから彼の方が1つ年上だった。
僕は実家に居座るお気楽大学生で、彼はバイトに明け暮れる貧乏学生だ。 2人の境遇はまったく違っていたけど、僕は英二の事がたまらなく好きだった。 優しげな目と愛らしい笑顔と、そっと髪をかき上げる仕草に、いつもドキドキしてしまうのだ。
でもこの感情を彼にぶつける事は、とてもできそうになかった。
僕は男で英二も男だから、僕たちが結ばれる事は永遠にあり得ないと思っていたし、それは仕方のない事だと最初から諦めていた。
英二がいない時にこの部屋へ侵入して、彼のベッドでオナニーをする。 それは、そんな僕にとってほんのささやかな楽しみだった。

*   *   *

 僕はわずかに見える畳の上を大股で歩いて、やっとベッドの置いてあるスペースに辿り着いた。
窓は締め切られていたので、部屋の中はとても暑かった。ドキドキしながらそこへ来た時には、もう体中から汗が噴き出していた。
「暑い……」
ベッドの横へ来ると、まずは右手で額に浮かぶ汗を拭った。
ブラインドが外の日差しを遮っていたので、そのスペースだけは妙に薄暗かった。
足元には真新しい雑誌が転がっていた。その雑誌は、胸をさらけ出した女の子の写真が表紙を飾っていた。
その横にあるゴミ箱の中を覗くと、クシャッと丸められたティッシュの塊が見えた。 それは英二がオナニーをした時に、使用したもののようだった。
それが分かると、徐々に下半身が熱くなってきた。僕は早くベッドの上で、彼と同じ事をしたいと思った。

 僕はゴミ箱をまたいで、すぐにベッドへ近づいた。 英二のベッドは、足にいっぱい傷が付いている古めかしい代物だった。
早くオナニーをしたかったので、急いで掛け布団をめくった。そして僕は、信じられない現実を目の当たりにしたのだった。
「嘘だ……」
思わずそんな言葉が口をついて出た。
掛け布団の下には、細かくシワの寄ったシーツが敷いてあった。そしてそこには、大きな丸い地図が浮かんでいたのだった。
「嘘だろ……」
もう一度独り言をつぶやいて、右手でそっと地図を触ってみた。すると指先に、冷たい水の感触が広がった。
驚いて息を呑むと、微かにアンモニアの匂いを感じた。
僕はそれで確信した。英二はここで、オネショをしてしまったのだ。

 白いブラインドは、彼の羞恥心を覆い隠すかのように日差しを遮っていた。 しかし日差しが当たらなくても、大きな地図ははっきりと僕の目に映し出されていた。
僕は3ヶ月前から、何度もこの部屋へ忍び込んでいた。でもこんなものを目の当たりにしたのは、今日が初めてだった。

 英二がオネショした。タバコもお酒も解禁の、20歳の英二がここでおもらしした。
それが分かった時、僕はすごく興奮した。
自分が描いた地図を見て、彼はいったいどんな行動を取ったのだろう。
ショックで泣いてしまっただろうか。それとも、恥ずかしそうに俯いただろうか。
濡れたパンツをはいたまま、冷たい地図の上で泣きじゃくる彼。頬を真っ赤に染めて、呆然と地図を見下ろす彼。
いくつかのパターンを想像すると、あっという間に股間が膨らんだ。 大きく息を吸ってアンモニアの匂いを嗅ぐと、ますます興奮してきた。
もう我慢できない。すぐにオナニーをしたい。
僕は湧き上がる性欲に耐えられず、ジーンズを脱ぐためにベルトに手を掛けた。

 遠くの方でガチャッと音がしたのは、その瞬間の事だった。それはドアの鍵が開く音に間違いなかった。
英二が帰ってきてしまった。バイトへ行っているはずの彼が、今日に限って帰ってきてしまった。
僕は一瞬でその事を理解した。でもちっとも怖くはなかった。ただ、その瞬間に背中を一筋の汗が流れ落ちていった。
彼は僕の姿をここに見つけて、すごく驚く事だろう。
もしかして最初は、不法侵入者の僕に罵声を浴びせるかもしれない。 法学部の学生である彼は、ヘタすると僕を訴えると言い出すかもしれない。
でもきっと、目の前の地図が僕の味方をしてくれる。しっとりと濡れた丸い地図は、必ず僕の味方になってくれる。
英二は僕を責められない。僕を敵に回す事なんか、できるはずはない。
「僕の言う通りにしないと、君がオネショした事を皆にばらしちゃうよ」
僕はたった一言そう言えばいいのだ。そうすれば、きっと何もかもがうまくいくのだ。

 2枚目のドアが、勢いよく開いた。何も知らない英二は、呑気に鼻歌を歌いながら部屋へ入ってきた。
彼のベッドでオナニーをする事は、もう二度とない。今なら冷たい地図の上に、彼を押し倒す事も不可能ではない。
英二はもうすぐブラインドの陰に、不法侵入者の姿を見つけるだろう。
僕はその時が待ち遠しくてたまらなかった。
END

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