風呂に長く入りすぎたせいか、風呂からあがった陽菜は少々ふらついていた  
 首には借りたタオルを巻き、手には果歩から貰った紙袋に入れた着替えがあった  
 着替えの方は流石にパジャマ姿はまずいので下着だけにし、服は先程着ていたものをまた着ることにした  
 「(・・・遅くなってしまった)」  
 そろそろ寮の方に帰らなければなるまい、そういつまでもいるわけにはいかないのだから  
 陽菜がとりあえず先程のコタツのある部屋へ、我聞にひと言声を掛け、持ってきた勉強道具を取りに行った  
 だが、それには少々の勇気が必要かもしれない  
 あの時のことが思い出され、我聞に挨拶する時、どんな顔をすればいいのか・・・・・・  
 「あの・・・」  
 それでも、陽菜はおずおずとその部屋に顔を出した  
 「お、國生さんもう出たの?」  
 「・・・はい。お先に失礼しました」  
 「じゃ、おれも入ってこようかな」  
 そこには衝撃から立ち直った我聞が、コタツの中でぬくぬくとみかんを食べていた  
 陽菜は普通に我聞と受け答え出来たのに安堵し、そろそろ帰ることを告げようとした  
 と、我聞がコタツの中から出て、陽菜の方に近づいた  
 「あ、あの・・・わっ」  
 「果歩からドライヤー借りれば良かったのに。こんな髪が濡れたままだと風邪引くって」  
 我聞は陽菜の首のタオルを取ると、わしゃわしゃと彼女の濡れた髪を拭き始めた  
 力強く大きな我聞の手にされるがまま、陽菜は固まってしまった  
 「・・・ぁ、あの、自分で拭けます。大丈夫ですから」  
 「え。あ、ああゴメン! つい珠と同じ様にやってしまって」  
 我聞はそれだけ言うと、ふっと湯上がりで頬が上気した陽菜に意識を奪われた  
 触れた黒髪からはシャンプーの香りが、まだほんのり濡れた黒髪が艶めいている  
 「えっと・・・社長?」  
 「・・・あ、ああ。うん、とりあえずコタツでのんびりしてなよ、湯冷めしないようにさ」  
 我聞の言葉に、陽菜が「いえ、もう帰ります」と言おうとした時、新しくお茶を入れ直した果歩が顔を部屋に覗かせた  
 まるでタイミングを見計らったような登場の仕方に、陽菜の言葉と行動が止まってしまった  
 「そうですよ〜。もう少し、のんびりしていってください。見たところ、ちょっとのぼせてるみたいですし」  
 「い、いえ、そんな・・・」  
 陽菜が何か言う前に、我聞は早々に風呂場の方へ向かったようだ  
 果歩は「まぁまぁ」とふらつく陽菜をコタツに座らせ、机の上に自分のも含めた2人分のお茶を置いた  
 「珠と斗馬はもう寝かしつけたんで、遠慮はいらないですよ」  
 「えぇと・・・」  
 どうも今日は周りに流されっぱなしだ、溜まった疲れで調子が狂っているのだろうか  
 果歩の他愛ない世間話に、曖昧に肯き返しながら、陽菜は帰ることを告げる機会をうかがっていた  
 だが、なかなかその隙が見つからないし、果歩も途切れなく色々な話を続ける  
 割と話し上手で陽菜も聞いていて飽きないのだが、少なくとも我聞が風呂からあがってくる前に帰る旨を言い出したかった  
 
 そんな矢先、何か花火が炸裂するかのような音が耳に聞こえた  
 「・・・? 陽菜さん、さっき花火っぽい爆発音か何か聞こえませんでした?」  
 「ええ。季節でもありませんよね」  
 ・・・・・・何か嫌な予感がする、2人はそう思った  
 部屋の戸を開け、寝かせたはずの斗馬が顔を覗かせた  
 「お、大姉上!」  
 「何、どうかしたの?」  
 「寮の方から煙のようなものが・・・」  
 「!」  
 すくっと2人が立ち上がった、いったい寮で何が起こったというのだ  
 火事か事件か、果歩と陽菜が顔を見合わせ、すぐさま向かおうとした  
 「何だ、何があったんだ!?」  
 斗馬の後ろを滑るように、我聞が現れた  
 全身も髪もびしょ濡れでぽたぽたと落ちる水滴で廊下まで濡れ、腰にタオル一枚巻き付けただけのあられもない格好で・・・  
 女性陣が何か叫ぶ前に、我聞は自分の失態に気づき、慌てて風呂場の方に戻っていた  
 「・・・・・・」  
 「・・・何やってんのよ、もう」  
 果歩が手を額に当て、はぁと大きくため息を吐いた  
 兄の見苦しい格好見せてすみません、そう陽菜に弁明しようとそちらの方を振り返り見た  
 「・・・・・・あ、あれ? 陽菜さん!?」  
 あの時の我聞以上に衝撃を受けたらしい陽菜が、ぴきんと固まり真っ白になっていた  
 刺激が強すぎたのか、「大丈夫ですか、しっかりしてください!」と果歩が陽菜を必死にがくがくと揺らし何度も呼びかけたという・・・  
   
 ・・・・・・  
 
 果歩が斗馬を再び寝かしつけ、陽菜を衝撃から立ち直らせ、我聞が再び服に着替え終えてから、3人揃って寮へと向かった  
 遠目から見てみても、斗馬の言うような、火事のような煙はもう出ていない  
 それでも3人は急いで寮に行ってみれば、その前で中之井と優さんの姿が見えた  
 優さんはその場に正座を強いられ、中之井はガミガミと叱っているようだ  
 「中之井さん、優さん!」  
 「おお、社長に陽菜くん、果歩くんまで」  
 「いったい、何があったんですか!?」  
 中之井が眉をひそめ、優さんの方をぎらっと見た  
 「・・・う〜、ごめん、皆!」  
 優さんが正座姿のまま、ぱんと手を合わせ謝って見せた  
 「うん、なんか実験で薬品の調合間違えたみたい。  
 で、軽い爆発の後、物凄い勢いでガスみたいのが発生しちゃって・・・」   
 「可燃性、人体に害毒があるわけではないらしいが、念のため、優くんの部屋だけでなく寮総ての部屋を今夜一晩換気することになったんじゃ」  
 「えぇっ!!?」  
 3人は驚いた、まさかそんなことになろうとは・・・  
 優さんは「ほんとごめん、次から気をつけるからっ!」と再び手を合わせて見せた  
 中之井はそれでも叱り続け、以後こんなことを起こさぬようと強く注意を続けた  
 「え、じゃあ、今夜は・・・?」  
 「優くんは当然、徹夜で寮とガスの見張りをしてもらう。こうなった以上、ワシも付き合うがの」   
 「えと、では・・・」  
 陽菜が慌てて、優さんに説教を続けていた中之井に声をかけた  
 と、この隙に・・・果歩と優さんの間で強烈なアイコンタクトがあった  
 その瞬間、果歩は総てを悟った  
 この事件は、優さんの総てを懸けた・・・『気づいたら・・・!?作戦・第三段階』の為のものなのだ  
 自分がいくら叱られようが、GHK悲願の為なら・・・つまりはそういうことだったのだ  
 「(ありがとうございます、優さん! この行為、決して無駄にはしません!)」  
 陽菜が中之井に「では、私も(徹夜に)お付き合いします」と問答をしているところに、果歩は声をかけた   
 「あの、もし良かったら、陽菜さん、ウチに今夜だけ泊まりません?」  
 果歩のごく当たり前のような提案に、陽菜は意外にも強い拒否を示した  
 流石にここまでくると、果歩の押しにも厳しいものがある   
 だが、味方は優さんだけではなかった  
 「おお、では、ワシからも陽菜くんのことをお願いして宜しいですかな?」  
 「中之井さん!?」  
 陽菜が「どうして」と詰め寄ったが、中之井はあくまで冷静に言った  
 「最近、陽菜くんは何か思い詰めているようじゃからの。普段の仕事ぶりを見てれば、すぐにわかる」  
 「しかし、私だけそんな・・・」  
 中之井はぽんと陽菜の肩に手を置いた  
 「悪いことはいわんから、今日ばかりは果歩くんの厚意に甘えなさい。寮から離れ、少しばかり気分を変えると良い」  
 「そうですよ。ウチは全然平気ですから!」  
 「社長も宜しいですかな?」と中之井が聞くと、我聞は「はい」と答えた  
 それらの中之井や果歩の言葉に、陽菜は相当迷い悩んだようだ  
 どうしても、陽菜は周りに逃げようのない袋小路に追いつめられ誘導されているような気がしてならないのだった  
 しかし、ここで折れるべきなのはどちらの方か・・・・・・陽菜にわからないはずがない  
 「・・・わかりました。では、すみませんが、ここはお願いします」  
 「ウム。優くんやワシに任せなさい」  
 中之井が睨むと、優さんは手製のガスマスクを付け、そそくさと再び寮の中へ入り、ガス濃度を調べに行った  
 実際にこの作戦の為だけにこれだけの量のガスを使ったとは周りは知る由もないが、それにしても恐ろしい・・・  
 
 「では、今夜一晩だけお世話になります」  
 陽菜は深々とお辞儀をすると、果歩は上機嫌で「いえいえ〜」と応対した  
 それから中之井と別れ、寮から工具楽家に戻る途中で、我聞が果歩に訊いた  
 「なぁ、ところで國生さんはどこで寝るんだ?」  
 「え、それは・・・」  
 「なんでしたら、私の寝るところはコタツでも構いません」  
 「駄目だよ、國生さん。それじゃ本当に風邪を引くって」  
 陽菜や我聞がそう言うので、果歩は慌てて「布団はちゃんとありますから!」と言った  
 「(・・・ぐ、しまった)」  
 肝心なことを忘れていた  
 この作戦の肝、要の第四段階である『堅物2人を1つの部屋に押し込める』にはどうしたらいいのか、考えていなかったのだ  
 大体、2人が堅物でなくとも、これは普通に躊躇われることだ  
 「きゃ、客間があるじゃない」  
 「あ、そっか。普通に考えれば、客間だよな」  
 言葉の通りだ、さなえや今回のような客人を泊める時はいつも1階の客間を使用している  
 だが、我聞は普段自室で寝ている為、他の部屋で寝ることは・・・ましてや客間で寝ることは普通はない  
 「(・・・・・・こうなったら、多少、強引でも・・・!)」  
 果歩は「あ、そうだ!」と思い出したように、慌てた様子を見せつつ振り返り我聞達に言った  
 「今日はお兄ちゃんも客間で寝てもらう予定だったんだ!」  
 「は?」  
 我聞と陽菜の目が点になる、果歩は続けた  
 「えっとですね、今日・・・お兄ちゃんの部屋を大掃除しまして、しかもまだ終わってないんです」  
 「おいおい、聞いてないぞ」  
 当たり前だ、本当はやっていないのだから  
 だが、そんなことはおくびにも出さない辺り、果歩は心得ている  
 「別に年末年始じゃ大掃除は当たり前だし、隠すようなことはないでしょ?」  
 果歩の言葉に、我聞はむぅと唸るしかない  
 確かに今朝、仕事に向かい午後帰ってきて陽菜に勉強を見てもらっている間、我聞は自分の部屋に足を踏み入れていない  
 勉強道具は昨日からコタツのある部屋に置きっぱなしだったし、特に戻る理由も無かったのだ  
 果歩もそれを知っていたから、こんな大胆な嘘がつけたのだった  
 「じゃ、じゃあ國生さんは?」  
 「やっぱり、私は寮に戻った方が・・・」  
 「と、とにかく、先に家に帰って、急いでお兄ちゃんの部屋を寝られるだけのスペース空けるように頑張ってみるから!」  
 そう取り繕うふりをして果歩は猛ダッシュで工具楽家に戻っていくのを、2人は呆然と見送った  
 勿論、果歩が急いで戻ったのは、これから我聞の部屋を寝られるスペースもない程に荒らしてくるからだ  
 取り残された2人だが、果歩の必死な言葉も虚しく無視されたようで陽菜は踵を返し、寮へ戻ろうとした  
 それを、我聞が陽菜の腕を取って止めた  
 「・・・果歩もああいってることだし、とりあえず家に行こう」  
 「でも、やっぱりご迷惑にしか・・・」  
 「大丈夫。アイツはいざって時は凄いから」  
 我聞は笑って言うのに、陽菜は戸惑いながら、また・・・歩く方向を工具楽家に戻した  
 ちなみにその頃、果歩はそのいざという力で散々に我聞の部屋を荒らしまくっていた・・・  
 「それに、もしオレの部屋が片付かなかった時は、廊下に布団でも敷くよ。國生さんはそのまま客間で寝ればいい」  
 陽菜が「客間というと、以前さなえ様が寝ていたあの?」と念を押すように聞いた  
 「うん、そうだけど」  
 「・・・・・・。・・・そうですか。でも、それこそ社長が風邪を引かれます」  
 「いや、大丈夫! なんせ鍛えてますから」  
 我聞はぐっと腕に力を込めて見せ、陽菜を納得させようとした  
 が、次に出た言葉は意外を通り過ぎて、耳を疑った  
 
 「別に、私は同じ部屋で構いませんよ?」  
 我聞の目がまた点になり、口は半開きになった  
 「・・・え? それはどういう・・・」  
 「社長秘書としては、社長に風邪を引かれたら困ります。ましてや、この季節に廊下で寝るなど・・・。それなら、私と同じ客室で寝てもらいますので」  
 陽菜の冷静な言葉に、我聞は慌てた  
 「な、な何言ってるんだよ、國生さん!」  
 「別に、あの客室は広いですし、同じ部屋と言っても、離れて寝ることは可能なはずですが?」  
 「で、でも・・・!」  
 陽菜は「万が一、果歩さんが寝るまでに社長の部屋の片付けが間に合わなかった時の話ですし」と言い、更に自分の胸元に手を当て言った  
 「それとも、社長はただ同じ部屋にいるだけの私に、何かする気なんですか?」  
 陽菜の目は、本気そのものだった  
 我聞ははっきりと、強く言った  
 「・・・そんなことはしない。國生さんの信頼を裏切るような真似だけは、絶対にしない」  
 「なら、大丈夫ですよね」  
 売り言葉に買い言葉、2人の目の中には異様で強固な意志が輝いていた  
 
 ・・・・・・  
 
 我聞の部屋を一通り荒らし終えた果歩はぜいぜいと肩で息をしつつ、帰ってきた2人を出迎えた  
 しかし、どうも様子がおかしいことに気づいた  
 「果歩、オレの部屋の片付けは終わった?」  
 「う、ううん。まだかかるかも」  
 「そうか。じゃ、夜も遅いし、片付けはもういいから、布団だけ運ぶぞ」  
 果歩は「いいけど・・・どこに?」と我聞に訊いたが、何も答えず部屋に行ってしまう  
 陽菜に「何かあったんですか?」と聞けば、「いえ、ちょっと」と言った  
 同時に、陽菜は玄関先で果歩に再度深々とお辞儀した  
 「改めて、お世話になります」  
 「い、いえ、こちらも不準備なのにすみません」  
 何か変だ、そう思った時、我聞が「凄いな、どういう片付けをしたんだ?」と言いながら、布団を持ってきた  
 果歩はしまったと思った、部屋から布団さえ持ち出せば、居間でもどこでも眠れるではないか  
 これでは優さんがあそこまでやり、押し進めてきた計画が肝心なところで駄目になってしまう   
 「? 何してんだ、冬休みだからって、夜更かしはいかんぞ」  
 我聞は果歩に早く寝るように言うと、自分の布団を廊下に置いた  
 どうやらここで寝る気らしいと判断した果歩は、必死に「ここじゃ風邪引くって」と言った  
 「・・・・・・。心配するな。ちゃんと別の部屋で寝るから」  
 「へ? あ、そうなの・・・」  
 となると、やはり居間か・・・・・・果歩はがっくりと項垂れた    
 「あ、國生さんに布団の場所教えてあげて」  
 「・・・えーと、もう敷いてありま〜す」  
 項垂れたまま、果歩はそう教えた  
 折角、先の先まで準備・・・客間に布団を1組だけ敷いておいたのに、と悔しがった  
 どうせ、2組の布団を敷いたって、今夜使われるのは1組なんだから・・・と思ったからだ  
 陽菜が客間を覗き、「あ、敷いてありますね」と我聞に言った  
 「そっか」と我聞は答え、布団をまた持ち上げ、陽菜がいる客間の中へ入れた  
 ・・・その何の不自然さもない行為に、危うく果歩はそれを流しそうになった  
 「・・・・・・へ?」  
 「社長、では寝間着に着替えてきます」  
 「うん。あ、洗面台の下に歯ブラシの買い置きがあるから、好きなの使って」  
 陽菜が「はい」と言うと、優さんが持ってきたパジャマを腕に抱え、洗面所に行った  
 果歩は目を疑い、いったい何の幻を見ているのかと幾度も目を擦った  
 客間の戸が閉まってしまい、果歩は戸越しに会話することとなった  
 「・・・えっと、お兄ちゃん・・・?」  
 「何してんだ、早く歯磨いて寝ないと、明日がきついぞ」  
 「そ、そうじゃなくて・・・・・・えと、陽菜さんと一緒に寝るの?」  
 「部屋が同じだけだ。布団も別々、離して寝るから、何の問題もない」  
 我聞はそう言うが何の問題がないわけがない、いったいどういうわけだろうか  
 しかも、話や2人の行動から、お互いが同意の上でのことらしい  
 果歩は計画が無事に進行していることの喜びよりも、2人の変化の速さにただ唖然と驚いているばかりだった  
 「社長、お待たせしました」  
 陽菜がすっかり着替えた状態で言うと、客間の戸が開き、此方も着替え終わった我聞が見えた  
 そして、陽菜は普通にその中にするりと入っていった  
 果歩が「待って」と言う前に、ぴしゃんと客間の戸が閉まった  
 「・・・・・・えぇ・・・」  
 果歩はその展開についていくことが出来ず、1人廊下に取り残されて・・・・・・ただ呆然としていた  
 
 ・・・・・・  
 
 果歩には布団を離して寝ると言ったが、実際は2人の布団は10cmと離れていなかった  
 どちらかがそうしたのではなく、ただ自然とそうなってしまった  
 広い客間に2人が離れて寝ることが、非常に物悲しく、寂しすぎたから・・・かもしれなかった  
 
 2人は電気を消し、それぞれの布団の中に、互いに背中を向けて潜り込んだ  
 互いに「おやすみなさい」と言い、それからギュッと目を瞑った  
 それでも、決して心地よい眠りは訪れることなく、意識は完全に覚醒したままでの沈黙が続いた  
 
 ・・・・・・そんな状態から、30分は経った時、我聞がむくりと布団の中から起き上がった  
 陽菜もまだ眠ることが出来なかった為、それにすぐ気づいた  
 「・・・駄目だ。やっぱりオレは廊下で寝る」  
 我聞は隣の陽菜に呟いた  
 「國生さん、起きてるんだろ? やっぱり、オレには無理だ。  
 何もしない、オレは絶対に國生さんに何もしないけど、周りはそう思わない。そんな風に思われるの、嫌だろ?」  
 「・・・周りは周りです。本人達は本当に何もなかったと主張すれば良いんです。たとえ、そう信じてもらえなくとも・・・私は構いません」  
 陽菜は静かにそう返した  
 「でも、やっぱり駄目だ」  
 「どうしてですか? やっぱり、私に何かしてしまう・・・そんな気がするからですか?」  
 陽菜の言葉をゆっくりと頭の中で反芻させながら、我聞はゆっくりとはっきりと言った  
 
 「・・・國生さん、オレのこと試してない? こんなの、絶対におかしいよ」  
 「試してなんかいません。それにおかしいって、何がおかしいんですか?」  
 あくまでも陽菜の声は冷静でおだやかなものだが、言っていることは無茶苦茶に近い  
 売り言葉に買い言葉、流され流されここまできてしまったが、ようやく我聞の頭は冷えてきた  
 「なんで、こういうことをしたの?」  
 「・・・・・・」  
 「答えたくないなら、答えなくて良い。とにかく、今日の、今の國生さんはおかしいんだ」  
 我聞は布団から出ていこうと、やっと温まってきたそれから足を引き抜こうとした時だった  
 陽菜が、ゆっくりと言った  
 「じゃあ、社長に訊きます。なんで、社長は私に手を出さないんですか?」  
 我聞は天井を仰いだ、これはいったい何なんだ・・・  
 遠回しに誘っているのだろうか、朴念仁の我聞にははかりかねた  
 それでも、そう問いかけた陽菜の方を、我聞は見て言った  
 
 「國生さんがオレにとって大事な人だから」  
 陽菜は答えない、我聞は続けた  
 「社長としても人間としても頼りないオレを励ましたり、傍で支えてくれた。  
 間違った道を進もうとした時はそれを正してくれた。いつも、その身を挺して、オレについてきてくれた。いくら感謝しても、足りないくらいだ。  
 ・・・・・・でも、正直言って、今の國生さんは好きになれない。  
 こんな、人を試すようなやり方、はっきり言って間違ってる。もっと、何をやるにしても別の方法があったんじゃないかとオレは思う」  
 我聞の言葉に陽菜は何も言わず、ただ布団の中でじっとしている  
 「・・・オレは、國生さんが本当に大事な人だから・・・こんな形で手は出さない。  
 そりゃ男の子だし、ふっと触れてみたくなることだってある。今日だって、本当に危なかった。  
 だけど、こんな・・・自分を棄てるようなやり方は、絶対に違う。悪いけど、そんな國生さんは見たくないんだ・・・」  
 我聞はここまで言うと、何か小さな声が聞こえるのに気づいた  
 そっと、陽菜の布団を覗き見た  
 
 陽菜は泣いていた  
 
 陽菜は最悪の形で、爆発してしまったのだ  
 
 そして、我聞の言葉で・・・・・・目が覚めたのかもしれない  
 小さくぽろぽろと涙を流す陽菜の頭に、我聞はそっと手をのせた  
 優しく、赤子をあやすように、いつかの珠や斗馬にしたように  
 と、その手がのった瞬間、陽菜は布団から上体を起こし、我聞の胸元にしがみつくように飛びついた  
 その勢いに我聞はどさっと布団の上にまた倒れ、わわっと慌てた  
 起き上がろうとあがいた時、陽菜が小さく何か言い続けているのに気づいた  
 「・・・んなさい、ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」  
 ゆっくりと、譫言のようにそれを何度も何度も繰り返して言っていた  
 それを聞いた我聞は驚くと同時に安堵した  
 「(・・・良かった、いつもの國生さんだ)」  
 他人のことを優しく思いやってくれる、いつもの陽菜がそこにいた  
 ぽんぽんと優しく陽菜の頭の撫でてやると、我聞は陽菜が落ち着くのを待った  
 
 しかし、先程までに陽菜を追いつめたのは・・・・・・他ならぬ我聞なのだ  
 
 ・・・・・・  
 
 陽菜の父・武文の言葉に、我聞は動揺を示した  
 そして、同時に怖くなった  
 自分はこうして陽菜のことを想ってはいるが、向こうはどうなのだろうと  
 もし、自分のことをどうとも思っていなかったら?  
 それだけに我聞は囚われ、今まで陽菜への感情を抑え続けてきた  
 無意識に、それが溢れることはあっても、それをいつも別の形で正当化していたのかもしれない  
 陽菜にはそれが出来なかった、いつまでも溜め込み続け・・・今、一気に爆発してしまった  
 
 互いが親愛とも恋愛とも傾けず、また言えば今までの関係までもが崩れてしまいそうで・・・・・・  
 相手のことを気遣っているつもりだった、そしてそれは陽菜も同様にそう考えていた  
 しかし、それは間違っていたのだ  
 
 陽菜が落ち着いてきたのか、少しずつ声が小さくなっていった  
 それから、もう一度しっかりした声で陽菜は「すみませんでした」と告げた  
 「・・・いや、オレの方こそ、本当にごめん」  
 「そんな・・・社長が謝ることなんて・・・」  
 陽菜の言葉に、我聞はううんと首を振った  
 「・・・相手のことを本当に思いやるなら、自分のその気持ちから逃げずに本気でそれに、相手にぶつかっていくべきだったんだ。  
 ・・・・・・だから、オレ達は多分、2人共間違ってたんだと思う」  
 そして、そうやって相手にぶつかってこられたら、同様に逃げずに、答えはどうであれ必ず相手に応えてあげなければならない  
 
 「オレは、1人の人間として、國生さんのことを・・・異性として、本当に好きだよ」  
 我聞の優しい声に、陽菜は声が出なくなった  
 それを感じたのか、我聞は続けて言った  
 「今答えてくれなくても良い。オレは、いつだって、どんな答えでも受けとめるから」  
 「・・・・・・」  
 こんな爆発をしてしまった自分を、こんなにまで・・・・・・好きでいてくれる  
 陽菜はまた涙が出そうになった、でもそれだけじゃなかった  
 我聞の言葉で気づいたわけでもない、もっと前から言いたかった言葉が、今なら自然に出せる気がした  
 ぎゅっと我聞の服を強く掴み、我聞の顔を見上げるように互いの目と目を合わせ、はっきりと言った  
 「・・・私も、しゃちょ・・・工具楽くんを、・・・・・・」  
 今ならまだ引き返せる、親愛の情を持ったお友達でいればいい・・・そんな声が陽菜の頭のどこかで響いた気がした  
 しかし、陽菜はもう恐れなかった  
 たとえ、今の関係が壊れてしまおうとも、その先に何が待っていようとも、決して後悔しない  
 今、この気持ちを伝えなくて、いつ伝えるというのだ  
 
 「ずっと傍にいたいです。こうして、ずっと・・・離れたくありません。誰よりもあなたが好きだから」  
 とうとう言ってしまった、同時に陽菜の胸の奥の何かが崩れ落ちていった気がした  
 グッと陽菜は我聞の胸元を引き寄せそのまま顔を隠してしまうと、我聞はそっと彼女の背中に手を伸ばし・・・・・・かけたがやめた  
 「(2人共間違って、そしてようやく始まったばかりなんだ)」  
 急ぐことは何もなかった  
 もっとお互いのことを知ってから、改めて少しずつ進んでいこう  
 正直言えば、このまま目の前の相手のことを抱き締めたい衝動にかられている  
 だからこそ、慌てる必要はないのだと、我聞は思う  
 改めて少しずつ進んでいけば良い、急ぐ必要は何もないのだから  
 「(それに・・・・・・)」  
 我聞はちらりとその相手を見た  
 安らかにすぅすぅと眠りに就いた彼女の寝顔を見れば、そんな邪な考えも何も総て吹き飛んでしまった  
 ぎゅっと握られたその手は我聞から離れることなく、お互いの身体の温もりを感じ合っていた  
 我聞は掛け布団を自分の方に寄せ、陽菜の顔にかからず苦しくないようにかけてあげた  
 
 そして、2人は1つの布団で眠りに就いた  
 穏やかで温かい眠りに  
 
 ・・・・・・  
 
 陽菜は毎朝の習慣で、早朝に目が覚めた  
 すっと顔を上げると、そこにはまだ眠っている我聞の顔があった  
 そこでようやく、ここが我聞の家の客間であること、あの後すぐに眠ってしまったことを思い出した  
 総てが夢ではないかと思えるぐらいに幸せな気分に浸るが、ふっと我に返った  
 すぐ隣には自分が入っているべき布団があり、昨夜果歩へ向けた言葉を思い出した  
 「(・・・隣の布団に移って、2組の布団を引き離さないと・・・・・・)」  
 陽菜は我聞の傍を離れようと、隣の布団に手足を入れてみた  
 が、そのあまりの冷たさにすぐ引っ込めてしまった  
 それから、陽菜はまた我聞の胸元をつかんだ  
 「(もう少しだけ、この幸せの温度に触れていよう・・・)」  
 我聞の吐息が聞こえる、心音が聞こえる  
 
 その心地よさに、陽菜は再び我聞の胸の中で眠りに就いた  
 
 ・・・・・・  
 
 おまけ 

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