夏休みのある日。 母親の呼び声にボクは読みかけの本を閉じた。
「何? 母さん。」
「女の子から電話よ。 桜月さんって方から。」
(え? って事はユラちゃん?)
「うん。分かった今行く。」
ボクは電話機の置いてある部屋へと向かった。 ボクは受話器を手にとった。 だが受話器から聞こえてきた声の主は予想外だった。
「え、 あれ? 若しかしてその声キラちゃん?」
「ハイ。 へぇ、私たちのこと電話越しの声で聞き分けられるなんてスゴイわね。」
そりゃまぁ、好きな女の子の-ユラちゃんの声と、双子の姉妹であるとは言え別の女の子の声と聴き間違える訳無いしね。 当然口には出さないけど。
「うん。 それより君が電話してくるなんて珍しいね。」
ユラちゃんとは大分親しくさせてもらってるが(とは言えあくまでも親友としてだが…)、双子の姉のキラちゃんとはそれほど話した事はなかった。
「ハイ。 突然で申し訳ないんですけど、明日は何か予定ありますか?」
「いや、特に無いけど…」
事実夏休みに入ってから、少なくともここ数日は予定らしい予定は無かった。
「それでは明日、お話したい事があるので会って頂けますか?」
「うん、構わないですけど…」
特に断わる理由もないし。 キラちゃんが来るならユラちゃんも来るかもしれないし。
「そうですか。では…」
ボクはメモ用紙に彼女の言った場所と時間をメモし、そしてキラちゃんが受話器を置くのを確認してから電話を切った。
「一体何の用だろう?」
そして日付も変わって当日。 僕は指定された喫茶店を中へと進む。 キラちゃんを探すと手を振ってくれたので直ぐ分かった。 どうやら一人だけでユラちゃんはいないらしい。
「わざわざお呼び立てして申し訳有りませんね。」
キラちゃんは軽く会釈をした。 ボクも軽く会釈し返し席についた。
席に着くとキラちゃんは直ぐに口を開いた。
「単刀直入に用件を申し上げます。 申し訳ありませんが今後ユラちゃんと会うのを止めていただけませんか。」
「な!?」
ボクはキラちゃんの言ったそのセリフに驚きの声を上げた。
「ちょっと待ってよ! いきなりそんなこと言われても解からないよ!」
ボクは食って掛かるようにキラちゃんに問い返す。
「貴方と会い続ける事がユラちゃんの為にならないから…、いえユラちゃんを傷つける事になるからです。」
そのように言われても納得いかない。
「どういう事なの? 理由を言ってください。 そうでなければ、いくらユラちゃんの双子のお姉さんの言う事とはいえ聞けません!!」
訳を聞いたところで食い下がるつもりは無いが、ボクはキラちゃんを睨んでそう叫んだ。
「理由…ですか。 その前に貴方、ユラちゃんが好きですね?」
ボクは言葉に詰まった。 図星ではあるがこのことは誰にも言った事が無かったのだから。
「はぐらかさずにちゃんと答えて下さい。 勿論クラスメイトとしてではなく、一人の女の子としてユラちゃんが好きですね?」
「あ、ああ。 そうですよ。 す、好きですよ。 ユラちゃんのことが誰よりも…。 でもそれが逢っちゃいけない事とどう…」
言いかけたところで言葉は遮られた。
「ユラちゃんと私がお付き合いしてる男性がいる事は知ってますね?」
キラちゃんの言葉にボクは言葉を詰まらせる。
「し、知ってるよ…。 だから決して本心を明かさず、あくまでもクラスメイトとして…」
ボクは振り絞るように言葉を吐き出す。
「確かにそうですね。 ユラちゃんも表面的には貴方の事を親しいクラスメイトとしてだけ思ってるようです。 でもね、心の中では少しづつ貴方に惹かれ始めてます。」
「え…? ユラちゃんが…?」
ドキッとした。 だがこのような状況で告げられても…
「もしこのまま貴方への想いが大きくなれば、あの娘は二人の男の子への想いで苦しむ事になります。 …いえ、もう既に苦しんでます。」
「ユラちゃんが…。」
胸が痛んだ。 大好きな女の子が…ユラちゃんが自分のせいで苦しんでる。
「解かって頂けますね?」
「で、でも… だけど…。」
解かってた筈だった。
ユラちゃんに彼氏が居る時点でこんな日がいつか来るんじゃないかって事は。
所詮報われる事の無い切ない片思いだって事は。
ユラちゃんと過ごした日々がどんなに楽しかろうと、所詮いつか覚める夢に過ぎない事を。
そう…、覚悟してたはずだった。 なのに何でこんなにも胸が痛いんだ。 張り裂け、千切れ、バラバラになってしまいそうだった。
言葉が出てこない。 悲しみが込み上げてくる。 胸が痛くて、苦しくて… 涙まで滲んできた。
「それでもまだ逢いたいですか?! ユラちゃんを傷つけ苦しめると分かって。 貴方の好きと言う気持ちは、愛はそんな我儘で身勝手なものなんですか?!」
キラちゃんの言葉が胸に突き刺さる。
「…ボクじゃ、…ボクじゃ、ユラちゃんを幸せにしてあげられないの…? 彼女を傷付けてしまう事しか出来ないの…?」
既にボクの両の目からは涙が溢れ始めてた。
「ユラちゃんのことが本気で好きなんですね。」
キラちゃんは静かに口を開いた。
「ごめんなさい。 先程は少々言葉が過ぎました。 でも、だったら尚更解かって下さい。 お願いします。私はあの娘の姉として、ユラちゃんに辛い思いをさせたくないんです。」
キラちゃんは深く頭を下げた。
辛くて悲しくて、もうこれ以上席に止まってられなかった。
ボクは席を立った。
大好きな女の子を傷つけてでも自分の我儘を貫き通す-そんな事ボクには出来無かった。
「解かって頂けたと受け止めて良いんですね?」
ボクはキラちゃんに背を向けたまま黙って頷いた。 そして涙をぬぐいながら喫茶店を出た…。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「キラちゃん!!」
ユラは目に怒りと非難の色を示しキラを睨んだ。
「話は全て聞いたわね。ユラちゃん。 あと…」
キラはそう言うとユラの傍らに立つ執事に向かって声をかける。
「剣持さんもご苦労様でした。」
剣持と呼ばれた執事の老人は恭しく頭を垂れた。 キラとクラスメイトの少年が話してる間、キラ達の直ぐ側の死角に当たる席にユラとこの執事の老人はいたのだ。(補足すると念の為ユラは帽子等で簡単な変装もさせられていた)
話の途中にユラが割って入らないよう彼が押さえてたのである。
ユラは店の外へと駆け出そうとした。 だがその前を執事の老人が阻んだ。
「退いて下さい!! 剣持さん!!!」
だが剣持は黙って首を横に降り通そうとしなかった。
「ダメよユラちゃん。 ココで彼を追いかけたら、彼がユラちゃんの為に決意したのが無駄になってしまうわ。」
キラはユラに言い聞かせる。
「勝手なこと言わないで!! 私はこんな事望んでなんかいないわ!!」
ユラは怒りを露わにして叫んだ。
「追いかけてどうするの? 中途半端な同情心は反って彼を傷付けるだけよ?」
「同情心なんかじゃ…」
言いよどむユラ。
「それにココで彼を追いかけると言う事は私たちの恋人を-《あの人》を裏切る事になるのよ?」
キラの言葉にユラは動きを止めた。
「ごめんなさい…。」
ユラは俯いて小さく呟いた。
「そう。 やっと分かってくれたのね。 大丈夫よコレで今までどおりの3人で上手くやっていけるから。」
そう言ってキラは優しく語りかけた。 だが…
「違うの。 そうじゃないの。 私、やっぱり彼の事が…。」
ユラは潤みかけた瞳でキラを真っ直ぐ見つめながら話した。
「ユラちゃん…。 言ったでしょう、同情心なんか…。」
キラは諭すようにユラに語りかける。
「違うの。 そんな同情心なんかじゃないの。 お願い…。 今は彼の側に居てあげたいの。 ううん、今だけじゃない…。 これからもずっと…。」
首を大きく横に振り尚も真っ直ぐ見つめながら言った。
「本気なの? ユラちゃん? でも…そうしたらもう2度と《あの人》には逢えないわよ? それで良いの?」
ユラの顔に一瞬躊躇いの色が浮かぶ。 だが
「確かにもう2度と《あの人》にあえないのは寂しい事だと思う…。 ううん、それ以上にそれは《あの人》に対する裏切りで、許されない酷い事だと言う事も…
でも…。」
ユラの瞳から涙が溢れる。
「彼と逢えなくなるのはもっと辛いの!! …彼が苦しんでると…、悲しんでると思うと胸が張り裂けそうなの!」
そう言った涙で滲んだユラの瞳には強い意志が現れてた。
「本気…なのね。」
キラは一瞬驚きで大きく目を見開いた。
「…うん。 気付いたの私…。 何時の間にかこんなにも彼の事が好きになっていた事に…。 だからお願い!!キラちゃ…」
涙を流しながら訴えるユラをキラは優しく抱きしめた。
「分かったわ。 早く行って彼の事追いかけてあげなさい。 大丈夫《あの人》のことは私に任せて。」
そう言って微笑んだキラの笑顔は今まで見た中で一際優しいものだった。
「キラちゃん…。 ありがとう私…。 …でも、《あの人》には私の口から伝えるわ…。 それが、けじめ…だから。」
「そうね…。 でも今だけは彼のことだけを考えていいのよ。 ほら、涙を拭いて早く彼を追いかけてあげなさい。」
「うん!」
涙を拭いながら駆け出したユラにはいつもの笑顔が戻っていた。
ユラは扉の手前で立ち止まるとキラを振り返り問い掛けた。
「ねぇ。 もしかして最初から全て分かっていた?」
「フフ…。さあねぇ?」
悪戯っぽく微笑むキラにユラも笑顔で返し駆け出していった。
「よろしかったのですか? キラお嬢様。」
剣持がキラに尋ねた。
「そうね。 確かに大好きな《あの人》と私とユラちゃん。 何時までも3人一緒に居られたら良いなと思ってたわ。」
切なげな表情でキラは言った。
「でもね、一番大事なのはユラちゃんの気持ち。 ユラちゃんが本当に好きなのは誰なのか。 そしてユラちゃんを最も大事に想ってくれてるのは誰なのか、って事。」
キラは剣持に向きにっこり笑って続けた。
「今日話して確信したの。 彼なら大丈夫、って。 彼がどんなに真剣にユラちゃんの事を愛してるか。 そしてユラちゃんも負けないくらい彼を大事に想ってるって事。 あと…。」
(ちょっぴり羨ましかったな。 二人ともあんなに泣くほど相手を想って…。 《あの人》は私の為にあんな風に泣いてくれるかな…)
そしてそんな考えを吹き消すかのようにキラは笑った。
(なぁんて比べたってしょうがないわね。 大丈夫、私が好きになった人だもの。)
「さてと…時間も経っちゃってるから、ユラちゃんも上手く彼に逢えるか心配だし。 剣持さん、 二人が無事逢えるか見届けてあげて下さい。 あと、若し必要ならこっそり助けてあげてね。」
「はい。 かしこまりました。 お任せ下さいませキラお嬢様。」
キラに一礼すると剣持も店の外へと駆け出していった。
「まったく、二人揃って手のかかるコ達なんだから。 フフ…」
席に戻ったキラは窓の外を見ながら呟いた。
燦々と輝く真夏の日差しに目を細める。
「ユラちゃんの事、ヨロシク頼んだわよ。」
そう言ったキラの顔には二人の前途を願う、優しい笑顔が浮かんでいた。