◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ゴメンナサイ……」
クラスメイトの少年が出て行った喫茶店の扉を見ながらキラは呟いた。
それは自分が傷付けた少年に向けての言葉か、或いは……。
暫らく後、キラが喫茶店を後にし帰路に付いていると突然の夕立に見舞われた。
キラは家の者を呼ぼうと電話を手にする。 だが……
ふと、この雨がまるで今自分が傷つけた少年の涙雨のように思えた。
そう思った瞬間、指の動きが止まり電話をしまう。
そして、降りしきる雨にその身を濡らしながら家に向かった。 まるでわが身にあえて咎を受けるかのように……。
長いようで短いような、そんな夏休みも終りを告げ2学期の始業式の日、ユラは密かに胸を躍らせていた。
夏休みの間はどういう訳か出逢う事のなかった親しいクラスメイト。 彼に出逢える事を、無意識に楽しみにしてたのである。
だが、学校に付いてみるとクラスメイトの姿はなかった。 不思議に思い先生に尋ねてみる。 そしてその答えにユラは思わず声を上げる。
「転校…ですか?」
「ええ、何でも夏休み中に急に引越が決まったらしく新学期に合わせて学校も移ってしまったの」
先生からの返事を聞くとユラの顔に悲しそうな表情が浮かぶ。 だが、直後思いついたようにユラは口を開く。
「あ、あの…。 彼の引越先の住所って、分かりますか?」
「ええ、勿論よ。」
先生が答えるとユラの表情がにわかに明るさを取り戻す。
「チョット待っててね。えっと……」
「ユラちゃん!!」
だが先生が答えを言おうとするのを遮るように不意にユラを呼ぶキラの声が聞こえた。そして
「すみません先生。私たち用事がありますので」
そう言うとキラはユラの手を半ば強引に引きその場を立ち去った。
「ちょ、ちょっと待ってキラちゃん。 一体……」
突然の事にユラは困惑の声を発した。
「ユラちゃん。 引越先の住所なんて聞いてどうするの?」
そんな困惑するユラに向かいキラは厳しい表情で語りかけた。
「どうするの、って…。 だって大切なお友達なのよ?」
「でも彼のほうはそう思ってるかしら。 だって何の連絡もくれなかったんでしょ?」
「そ、それは…。 き、きっと急なことで……」
「ユラちゃん!」
キラは突然大きな声を発した。 その声にユラは思わず身を竦ませた。 そんなユラに向かってキラは静かに口を開く。
「あのね、ユラちゃん。 出来ればこんな事言いたくないんだけど、私たちの彼の事も考えてあげて」
「え?」
「彼だって男の子なのよ? 自分の彼女が他の男の子と必要以上に親しくしてるのを良く思えるわけないでしょ?」
言われてユラは黙りこくってしまった。
そんなユラの表情にキラは胸がチクリと痛む。
「ゴメンね。 何だかキツイ事言っちゃって……」
「う、ううん。 いいの…、キラちゃんの言う通り……だから」
「大丈夫よ。 彼ならきっと転校先でも上手くやっていけるわ」
そう言ってキラはユラの肩をそっと抱いた。
◆ ◇ ◆ ◇
「おにいさん?!」
突然後ろからかかった声にボクが振り向くとそこには見覚えのある少女達の姿があった。
「えっ…と、確か双樹ちゃんと沙羅ちゃん……?」
双樹ちゃんと沙羅ちゃん。 ボクがこの二人と出会ったのは梅雨の明けた直後のある晴れた日曜日だった。
あの日ボクがいつものようにピアノを弾いてると母が再会した友人を連れて外から帰ってきた。
その時一緒に居た母の友人の娘さん達が双樹ちゃんと沙羅ちゃんの双子の姉妹だった。
突然の来客にピアノを切り上げ部屋に引き払おうとしたが母に引き止められた。 そしてお客さんに請われ一曲披露したのだった。
弾き終わると御三方とも満足していただけたようで、拍手を送ってくれた。
その後母とおばさんは昔話に興じたいらしいので、ボクは双樹ちゃんと沙羅ちゃんの相手をするように頼まれた。
3人分のお茶と茶菓をお盆に載せボクは二人を部屋に案内した。
部屋に入ると少しきつめの顔立ちの髪をストレートにした方の女の子-沙羅ちゃんは部屋のある一点に釘付けになった。
それは壁に貼られたイルカの絵のポスターだった。食い入るように見つめる沙羅ちゃんにボクは声をかけた。
「欲しければ上げようか? そのポスター。」
「い、良いのか?」
そう言って沙羅ちゃんは驚いた顔でこっちを振り向いた。
「うん、ポスターだったら何枚も持ってるし、たまに気分に応じて張り替えたりしてるしね。」
ボクは画鋲を抜いてポスターを壁から剥がすと、丸めて沙羅ちゃんに渡した。
沙羅ちゃんはちょっぴり照れながら、でもとても嬉しそうにポスターを受け取ると
「…アリガトウ」と照れくさそうにお礼を言ってくれた。
「良かったね沙羅ちゃん。」
そう言ったのはもう一人の-コチラは穏やかな顔立ちをした髪を緩やかに二つに結んだ女の子-双樹ちゃんだった。
「そうだ、一人だけってのもなんだし君にも何か…」
ボクはそう言って部屋を見渡し考え込もうとすると、双樹ちゃんはそれを遮るように口を開く
「あ、そんなにお気遣いいただかなくても結構ですよ。 沙羅ちゃんとは一緒の部屋で私もイルカ好きですし。」
「そう?何だか悪いね。」
「いえ、そんな事ないです。 ありがとうございます。 おにいさんって優しいんですね。」
双樹ちゃんは真っ直ぐな笑顔でボクに向かってお礼を言ってくれた。
何だか照れくさいが悪い気はしない。
「そう言えば君達って双子?」
ボクが問い掛けると
「ハイ。双樹が一応お姉さんで沙羅ちゃんが妹になります。」
「双子の割にあまり似てないと思ったか?」
「そうだね…。 でも双子って言ったってそんなもんだろ?」
双子と言うとやはりユラちゃん達の事が思い浮かぶ。
「ボクの知り合いにも双子の女の子がいるけど、確かに姿はソックリだけど性格は大分違うしね。」
そうして暫らくボク達3人はボクの部屋でお喋りに興じた。
しばらく時が経つのも忘れ話し込んでたらおばさんが双樹ちゃん達を呼ぶ声が聞こえた。
どうやら向こうのほうは話が終わったらしい。
「今日はとっても楽しかったです。 あの…また逢えますか?」
「そうだねぇ。 そう言えば君達の家ってどの辺なの?」
「えっとですね。 双樹たちのお家は…」
「結構遠いね。 電車で1時間ぐらいって所かな。」
「そうですね。言われてみればそれぐらいですかね…」
そう言って双樹ちゃんはすこし顔を曇らせた。
「でも親同士も知り合いだし、その内また逢えるよ。 若しかしたらその時ボクの方から出向くかもね。」
ボクがそう言うと双樹ちゃんは顔を綻ばせる。
「わぁ、若しそうなったらその時は歓迎しますね。 ね、沙羅ちゃん?」
そうして初めて出会った時の事を思い返し、ボクは改めて二人を見つめた。
「そうか、ここって君たちが通ってる学校だったんだ。」
「ハイ! おにいさんどうしてココに? あ、若しかして…」
「うん、転校してきたんだ。」
そう、夏休みも半ばも過ぎたあの日、急遽引越を告げられた。
転校ではなく時間を掛けてもとの学校に通い続ける道もあった。
だが転校する事に迷いは無かった。 ユラちゃんと友達としてすら会えない学校に通い続けるぐらいなら……
「わぁ! じゃぁこれからは毎日でも会えるんですね。 えへへ、何だか運命的です」
回想に耽ってたボクは双樹ちゃんの声に引き戻された。
見れば双樹ちゃんは嬉しそうに笑顔を輝かせてた。
「運命……か。 そんなもの本当にあるのかね……」
「? オイ、オマエ?」
ぼそりと洩らしたボクの呟きに沙羅ちゃんは怪訝な表情を見せた
「ん? ああ、いや何でもない。コッチの話だから」
そして数日が流れ新しい学校にも慣れ始めたある日、ボクは双樹ちゃんと沙羅ちゃんに大事な話があるからと呼ばれた。
出向いたボクに双樹ちゃんから告げられた話、それは告白だった。ボクと付き合って欲しいという。
正直驚いた。 まさか双樹ちゃんがボクをそんな風に思っててくれてたなんて。
そう言えば少し前に沙羅ちゃんに付き合ってるヒトがいるかと聞かれたが、そう言うことだったのかと理解した。
そして皮肉なものだと感じた。 ユラちゃんとの恋に破れ、そして失恋の傷もいえないまま転校した先の学校でこんな出会いが待ってるなんて。
誰かが言ってた言葉が脳裏に浮かぶ――失恋を癒す一番の特効薬は新しい恋だと。
ボクは頬を赤らめ黙って答えを待ってる双樹ちゃんを見た。 改めて見ると其の愛らしい顔立ちも、優しげな瞳も、淡く柔らかな髪も小さく華奢な体躯を今更言うまでもないほど異性として魅力的だった。
勿論性格だって文句なしだ。 以前出会ったときも、転校してきてからの数日間も、話してて感じてた。 優しく思いやり溢れる女の子だと言う事を。
そう、付き合う上で非の付けようなど無い。 むしろボクなんかに不釣合いで勿体無いほどのいい娘だった。 このままOKすることこそ双樹ちゃんにとってもボクにとっても良いはずだ。
OKだよ、と。 ありがとう、とそう言おうと思った。 だが…
「ゴメン……」
口から出てきたのはそれとは全く正反対の言葉だった。
ボクの言葉を耳にした双樹ちゃんの顔は悲しみの色に染まり、そして次の瞬間沙羅ちゃんは物凄い剣幕でボクの胸倉に掴みかかってきた。
「オイ!オマエ!! 双樹の何が不満なんだ!!」
沙羅ちゃんの怒りももっともだ。 こんなイイ娘が告白してくれたのにそれを断わって悲しませてしまったのだから。
沙羅ちゃんのもう片方の手を見れば固く握り締められていた。
(当然だよな……殴られても仕方ないよな……)
そう思いボクは覚悟を決めた。だが次の瞬間、襟元を掴む力が緩み沙羅ちゃんの顔から怒りの色が消えた。
「殴らないの? ボクはそうされても仕方ない事を言ったんだよ?」
「わたしも始めはそうしてやろうと思ったさ。 だがそんな顔したお前を殴れるわけないだろ」
自分では意識してなかったがどうやらボクは酷く沈んだ顔をしてたらしい。
「訳ぐらい聞かせろ……。 双樹の告白を袖にしたんだ。 私達にもそれぐらいの権利はあるはずだ」
「……好きな娘がいるんだ」
ボクは口を開いた。
「告げたのか? そのヒトに好きだ、って」
沙羅ちゃんの問いにボクは首を横に振りそして続ける。
「その娘には付き合ってる……ヤツがいるんだ」
僕の言葉を聞いて沙羅ちゃんの表情が曇った。 聞いてはいけない事を聞いてしまったとでも思ったのだろうか。 そして一瞬躊躇いの表情を浮かべそして言葉を続けた。
「だ、だったら双樹と付き合ってくれたって……」
「ゴメン……、忘れられないんだ。 いや、忘れたくないんだ。 叶わない恋だと……。 破れた恋だとわかっていても……」
そうしてボクの返事を聞いて沙羅ちゃんは黙りこくってしまった。 そしてややあって口を開く。
「済まない……。辛い事思い出させてしまって。 双樹、行こう……。って双樹?」
立ち去ろうとする沙羅ちゃんとは反対に双樹ちゃんは一歩コチラに歩み寄りそして口を開く。
「ごめんなさい、おにいさん。 あ、あのだったらせめて友達としてで良いんです。 今まで通り……それも駄目ですか?」
双樹ちゃんは今にも泣き出しそうな瞳でボクを見つめてた。
ここでOKしてもそんなのは優しさでも何でもないことは解かってる。 だけど断われなかった。好きなヒトと友達ですらいられない事がどれだけ辛いかボク自身理解してたから……。
そして月日は流れる。 セミの鳴き声が消えさるのと共に残暑も過ぎ去り、木々の葉は深緑から紅色にその色合いを変えてゆく。
季節が移ろうようにボクの心もそれに合わせて変わってくれたのならどんなに楽だったろう。
双樹ちゃん達はその事を理解した上でボクを慕ってくれてた。 とてもいじらしく思えた。 報いてあげたいと思う事もあった。 だが、それでも付き合う気持ちにはなれなかった。
忘れられないから、諦めきれないから、ユラちゃんへの想いを……
◆ ◇ ◆ ◇
「コレでよかったのよ、コレで……」
キラは自分に言い聞かせるように呟く。
キラは2学期に入ってからは、1学期までのように二人っきりで少年と逢うようなことはしなくなった。
どのような事であっても必ず三人で会うことを心がけた。 ユラが都合がつかないときはキラもまた出会わないようにした。
そして努めた。出会った当初の3人に戻れるように、と。
その甲斐があってか少しずつ元の関係に戻りつつあるように見えた。
少年が肩を抱くなどの行動に未だ身をこわばらせるものの、それでも自然に会話したり手を繋いだりするようになった。
転校してしまったクラスメイトに逢えない寂しさも少しずつ紛れてるようにも思えた。
このまま全てが良い方向に向かってる。3人で付き合う事こそ自分にとっても恋人にとっても、そして何より自分の大切な半身――双子の妹のユラにとっても良い事だと、キラは思っていた。 双子の姉である自分以上にユラのことを想い理解してるものなど居ない、と。
だが――
「ユラちゃん!!」
ユラが倒れた。それは突然の事だった。
そして診察を行った主治医からキラは診断結果を聞く。
「心因性……ですか?」
「ハイ。解かりやすく言えばストレスによるものです。 何か辛い事などを溜め込んでいたり、或いは我慢なさってたり、悩んでおられたり。 キラ様、何か思い当たる節はございませんか?」
言われてキラは押し黙ってしまった。
「なんにせよ悩みやストレスの原因を取り払って差し上げる事です。情けない話ですが、それができるのは医者である私ではなくユラ様の姉であるキラ様だけなのですから」
主治医の先生が帰った後キラはユラの枕もとへ寄り添う。 薬のおかげだろうか、今は静かな寝息を立てている。
「ゴメンね……ユラちゃん」
そう言ったキラの瞳には涙が滲んでいた。
◆ ◇ ◆ ◇
「おにいさん。今帰りですか?」
学校の玄関でボクが靴を履き替えてると双樹ちゃんが話し掛けてきた。
「うん。まぁね」
「あ、あのこの後予定ってありますか?」
「いや、特に無いけど」
「でしたらこのあと双樹達と一緒に来てもらえますか? 夕方から駅前でクリスマスツリーの点灯式があるんです」
そう言えばもう直ぐ12月。 クリスマスまで1ヶ月を切り、季節は冬に移ろおうとしてた。 ココに転校してきてもうそんなに経つのか。
転校してから――言い換えればユラちゃんに逢えなくなってから……。
「きっととっても綺麗ですよ。ね、だから行きましょうよおにいさん」
感慨に耽っていたボクは双樹ちゃんの声に引き戻された。
双樹ちゃんは真っ直ぐに僕を見つめ答えを待ってる。 其の横では沙羅ちゃんもそんな僕たちを見守るように見つめていた。
「いいよ」
実際予定も無く断わる理由も無かったのでOKした。 返事を聞いて双樹ちゃんの顔が輝く。 只素直で真っ直ぐな笑顔。
だがボクは本当の意味でこの笑顔に応えてはいない。
双樹ちゃんはボクの元に駆け寄り手を伸ばしてきた。 だがボクは其の手が届くより先に自分の手を半ば無意識にポケットに突っ込んだ。 瞬間双樹ちゃんの顔が曇る。
そしてそんなボクに向かって掴みかかってきそうな勢いの沙羅ちゃんとそれをなだめ制する双樹ちゃん。 我ながら自己嫌悪に陥る。
付き合う事も出来ない。 かといって拒絶しきる事も出来ない。 いつまでこんな曖昧な関係が続くんだろう……。
そんなボクらの耳にざわめきが飛び込む。 それは校門の方からだった。 見れば立派な高級乗用車が停まってる。
其の高級乗用車には見覚えが合った。 だが、まさか、そんな訳は無い。
そう思ったが其の推測は当たっていた。 車から降りてきたのは僕にとって見覚えのある少女だったから。
それは出来るなら二度と出会いたくないと思ってた相手――桜月キラ。
To be continued...