しいなはたっぷり三十秒ほど逡巡して、差し出した手は受け取らずに歩み寄ってきてくれた。
 所在なさげに垂らした腕を取ってゆるく引き寄せる。やや強引に向き合う形で膝上に座らせて、間近で視線を合わせた。
「こ、今度はなんだいっ」
 未知の出来事に警戒心を剥き出しにしながらも、押さえ込んだ肩と腰には必要以上の力は加えていない。位置を保つために支える程度のそれだから、振り払う気になればいくらだってできるはずだった。
 「直後」ではないのだし、そこそこ体力も回復しているだろうに、それをしないということは、まあつまり。
「期待してんの?」
「なにが――」
 待ちきれなくなって反論を塞ぐ。水ですすいできたからか、その咥内は随分とひんやりしていて、絡め取った舌は特に冷たい。それに自身の熱を分け与えるように擦り付けて絡ませる。
 くぐもった吐息と、こちらを掴んでくる腕は肺活量的な限界を訴えかけてきていたが、とにかくこの冷えた部位をどうにかしないとな、とそればかりが頭にあって、無視した。
 肩を掴んでいた手は引き剥がそうとするのを早々に諦め、何かに耐えるようにきつく握られた。それもしばらくすると力が入らなくなり、ろくな反応も返らなくなる。
「っは、っあ、っはぁ、は……!」
 酸素を取り入れるのに夢中な彼女を力づくで自分に向けさせると、囁くように聞いた。
「どうして欲しい?」
「なに、を」
 頭まで酸素が回りきっていないのか。幾分ぼんやりした調子で聞き返される。
「だから、この後。しいなはどうして欲しい?」
「――な」
「できるだけ具体的に言ってもらえると助かるなあ俺さま」
「ば……ばか言ってんじゃないよっ、そ、そんなの」
「そんなの、何?」
 離れていく手をぱしりと掴んで、口元に引き寄せる。手の平の中心を一度口付けた後に舐め上げて、びくりと痙攣する指先をくわえ込み舌でその輪郭をなぞった。丁寧に、人差し指から一本ずつ。
「なにしっ……!」
 しいなは顔を真っ赤にして、羞恥からかそれとも他の何かか、涙目になりながら己の右腕を取り返そうとする。きつく掴んだ手首を支点にして、力比べが始まった。
 どちらかというと皮の厚い指の腹。しなやかな関節。表面がつるつるしていない爪。舌先でそれらを確認しながら、中指から薬指に移動する。
「や、やめないかいこっ……のアホゼロスっ!」
 腕を取り戻すのではなくこちらを引き剥がすことに切り替えたらしい。本気で怯えたような目で、しいなは残った左手をこちらの頭に押し付けた。
 少しばかり拮抗が続いた後、咥えた薬指の先を吸い上げるようにしてすぽんと指が抜ける。ちぇ、と舌打ちしつつ、
「で。どうして欲しい?」
「しなくていい!」
「そんじゃ続きっと」
「それもやめ!」
「じゃあどうすりゃいーのよ俺さまは」
 まさかこのまま何もするなってことはないよな?と覗きこむと、うっ、と息を詰まらせた。
 うーん、愛いやつめ。
「……別に、その……あ、あんたの好きにしたらいいだろっ」
「じゃあさっきの続き」
「それだけは却下!」
「矛盾しまくりじゃねえの」
 苦笑すると、うるさいだめなもんはだめなんだよと睨まれる。
(――まったく。わかってやってんのかねこれは)
 凄みを出そうと下から睨み上げているつもりなんだろうけれど、真っ赤な顔して、ついでに瞳をちょろっと潤ませながらってのは全然逆効果だってのに。毎度毎度参るぜ。
「そんなこと言ってほんとにいいのか? 知らねえぜ?」
 茶化すように言う。九割くらい間違ってないし。
「今だって好きにやってんじゃないか! だいたいいつも好き勝手しといて何を今更……」
 そこまで言い切ると、強張っていたしいなの体からゆるゆると力が抜けていく。しおらしい、というよりは、諦念をもって状況を受け入れてしまったようだ。
 未だメイドの姿をしていることで、特異な雰囲気にのまれているのかもしれない。
「そんじゃ、好きにさせてもらおっかな」
「……あんまり変なことしたら殴るよ」
 なんて、低めの声で顔全体を真っ赤にして釘をさしてくる格好だけのメイドに、
「善処しましょ?」
 誓いの意をこめてただ触れるだけのキスをした。



 ひとつひとつを確かめるように、指でなぞり舌を這わせ肌の感触を味わっていく。
 いつもより抵抗は少ないものの反応は良く、それに気を良くしてそこかしこに紅い痕を残した。もちろん、俺さまでないと見ることができなさそうな位置に。
「ん……っ、は、っあ」
 脱ぎ着しにくいメイド服を全て剥ぎ取るのは諦めて、必要な箇所だけを露出させた。腕だけが通されてはだけられた上着と、捲くり上がったスカート、ガーターだけを残した下半身。カチューシャはそのままだが、髪の毛は解いた。
 肩にかかる艶やかな髪色と肌の白さが目に付いてくらりとする。肩と腕に紅が多く見られるのはそのためだ。
 しばらく胸で楽しんだあとに、胸の下にもきつく口付けた。筋肉のついた脂肪の薄い肌に舌を滑らせる。
 くすぐったいのか、位置を下方にずらすほど腹筋が固くなるのを舌先で感じた。窪みに差し入れると、びくりと体が跳ねる。
「や、っひゃ……! ぜろ、すほんとにやめ……っ!」
「よくない?」
「くすぐったいんだよっ!」
「そりゃあ先入観てもんだろ。目ぇ閉じて、集中してみ?」
「誰がするかっ」
「仕方ねえなあ。好きにさせてもらお」
 ゆっくりと体を起こして位置をずらし、素早く左手でしいなの目元を覆う。
「え、なっ」
 指の間はきっちり閉じて光を入れないように。驚いて暴れようとする肢体を片方の手で押さえ込みながら、もう一度そこへ舌をなぞらせた。
「――っ!! ひゃ、や、やめ……ぃ、やだっ、た……!」
「集中して。くすぐったいのでなくて、違うやつ」
「わか、んない……よ、っんな――ひ……っ!!」
 喉の奥からひくつくような声が漏れて、やたら大げさにしいなの体が跳ねた。お、脈あり、と思った瞬間、
「がほぉッ!」
 こっちの喉が詰まった。
 上半身にばかり気をとられて、下半身を押さえ込むのが疎かになっていたらしい。
 しなやかな筋肉をまとわりつかせた足は膝が折られ、こちらの腹に膝頭をめり込ませている。
「っい、いいかげんに、しろ……っ!」
 力任せに押し退けられた。ごろりと力なくベッドに転がされ、げっほがほっ、と不規則に咳き込む。
 同情を誘う痛ましさを表現したつもりだったが、しいなは荒い呼吸を整えながら冷たい目線を送ってくるだけだった。
「……好きにしろって言ったのに」
「あたしは、変なことしたら殴るとも言ったよ」
「今のはどう考えても蹴りだった気がすんだけどなあ」
「下らない揚げ足取ってんじゃないよ」
 ぺしんと叩かれる。引っ込めようとしたその手をすかさず掴むと、にこやかな俺さまと冷徹なしいなの視線が絡み合う――というか、睨み合った。
 先に動いたのはしいなだった。予動なしで腕が引き戻される。突然の動きに掴んだ手が外れることを狙ったのだろうが、そんなものは予想の範疇内だ。
 実際、ほんのわずかに手の力を緩め出したところの動作だったから、こちらも狙い済ましたように手を握りこんで、その動きを止める。
「……」
「……」
 しいなは強く掴まれ、おそらくは動かせない右手をちらりと見やった。そうして、自分と同じくにこやかな表情を向けてくる。前髪に隠れた額には青筋でも浮かんでいそうだが。
「ていうか、何で抵抗するワケよ」
 好きにしていいって言ったくせにと繰り返すと、しいなは気まずそうに視線を逸らした。
 都合の悪いことをすぐうやむやにしようとしないのが、俺さまとしいなの決定的な違いだった。
 何に対しても真摯に対応しようとする、その様は確かに大衆にはウケがいい。それに比例する形で、精神的負担が増えていくのだが。
 いいかげんそのへんの線引きをしっかりさせないとだな――と心の隅で思いつつ。
 けれど今は、付け入る隙やらからかうネタやらを存分に提供してくれる、いつまで経っても初心な相手を、自然とにやつく表情を制御せず見つめ続ける。
「言ったけどっ……やっぱ、あんた変なことしかしないし」
「あっれ、よくなかった?」
「いいわけあるかっ!!」
 しいなの左手が固めた拳で襲い掛かる。片手を掴んでいるせいでかわせず脳天に受けた。目の前がちかちかするほど痛い。いや冗談抜きで痛すぎる。
 今度こそ本気で痛がっているにも関わらず、自業自得だよと吐き捨てたしいなは、強引にこちらが掴んだままの手を引き剥がした。
「……や、マジで痛いってこれ、頭ガンガンしてっし」
 俺さまが必死で訴えるのをしいなは完全に無視してくれた。乱れた着衣を全部とはいかないまでも心持ち隠せる程度に直しながら、ぼさぼさの髪に指を入れている。悔しいので痛い痛いとうめき続けてやった。
「ったく。……大げさなんだよ、あんたは」
 もう一度ぺしりと頭が叩かれる。
 意識してのろのろと不満たっぷりの顔を上げてやると、多少なりとも罪悪感を受けたらしい。う、と息を呑まれたのがわかった。
 そうしてしいなは大きくため息をついて、苦笑交じりに呟く。
「どうすりゃいいんだい」
「お詫びの熱〜いキッス、なんてどーお?」
「……一回きりだよ」
 その分深ぁーく頼むな、と付け加えたら物凄い捻りを加えて頬を抓られた。

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