彼の足がソファの下部を強く叩いたのだと、そう思った。
けれど実は足先で取っ手のようなものを引き出していた、らしい(暗くてよく見えなかった)。
次の瞬間、がたたん、という音と共に大量の埃が舞う。彼の腕は私をかばうように抱え込んでいたけれど、それでも随分と煙くて私は何度か咳き込んだ。
唇が離された途端――悪いけどちょっと立ってくれる?とムードもへったくれもなく立たされた結果がこれだった。
「……何なの、一体」
「あのソファじゃ狭っ苦しいだろ?」
濛々とした空気が引いた後には、ソファと同じ生地で出来たベッド――のようなものがあった。
どうやらあれはただのソファではなく、ソファベッドというやつだったらしい。
さっきも言ったけど、と彼は前置きした。
「あのでっかい天窓も含めて、この小屋は観測用だったらしくてな。おかげで仮眠用の品も揃ってて有難いの何の」
「……っ」
改めて、これから起きるであろう出来事を眼前に見せ付けられると、さすがに、腰だって引ける。
(だって、はじめて、……なんだから)
「まー大きさはシングルだけど、ソファよりはマシだろ?」
素直に頷いておいていい質問なのか図りかねて、私は視線を逸らす。
「そんじゃ」
「えっ、ちょっ――」
ふわりと抱き上げられて、暴れる間もなくそこへ寝かせられた。軋むベッドの音に逐一反応してしまう自分が情けない。
唇が塞がれて、ぬるりとした侵入を許して、彼から与えられる全ての感覚におぞましさを覚えながら、拒否しそうになる己を律する。実際にはもう、拒否できるほどの力は体に残っていなかった。
何もかもから耐えるべくかたかたと震えるその度に、力が失われていく――そんな感じ。
「っぁ……」
喘ぐように呼吸をする私にもう一度唇を押し付けたかと思うと、それと同時、どこまでも無遠慮に胸をまさぐられた。
「――!」
さわさわと探るようだった動きは気がつけば掴む動作に変わっていて、シャツ越しに彼の指が食い込むのがわかる。
痛い――のではないけれど、それにひどく酷似した悪寒が全身に走っていく。それに耐えようと歯を食いしばろうとして、当然できない。咥内で絡め取られた舌にダイレクトに伝えられる熱が、私の思考を麻痺させていった。
息苦しい。
おぞましい。
けれど、目の前にいるのは彼で。
私のことを――いつもみたいに遊びとか、からかうのではなく――惚れた、なんて、言ってくれた人で。
「……っん、ふ……っ」
だから私は、いやらしい水音を立てるそれに、恐々と反応を返す。
といっても実際どうすればいいのかわからなくて、ただ触れ合うそこを押し返すとか、その程度でしかなかったけれど。それだけでも、私にとっては精一杯の応対だった。
特に、羞恥がその行為を止めさせようとする。何度も何度もその誘惑に負けそうになって、でも耐えた。反応を返すようになってから、彼の動きがより深くなってきたから。
私の行為は間違ってはいない、ということ、だろうか。そうだといいのだけれど。
こんなこと初めてだ。
こんな――心臓が破裂しそうな、行為は。
――熱い、と思う。
けれどなんだか気持ちいい。何でだろう。
ああそうか、肌に当たる空気が冷たくて、気持ちいいんだ。
どうりで胸のあたりが――
(っ……!?)
気がついたときには、私の衣服のほとんどははだけられていた。
おまけに下着の中へと彼の手が入り込んですらいる。
この上なくダイレクトに、彼の手指と私の肌が触れ合う。
「ぁ、あっ……」
信じると言った手前、やめて、とは言えない。けれど恥ずかしいしくすぐったい感じがするし、できることなら止めて欲しい。そんな相反する心地にパニックになりそうな自分を必死で宥める。
輪郭をなぞっていたそれが押し込むように触れてきて、私はびくりと硬直した。
「やっ、あ、っ!」
羞恥とか嫌悪とか未知の感覚とか、色々がないまぜになって歪んだ私の顔を、彼はただちらりと眺めやって、そして楽しそうに口元を歪めた。
そのまま何も言わず、胸を掴んだ手で下着を押し上げたかと思うと、彼の上体が沈んだ。
次の瞬間、先ほどまで咥内を蹂躙していた感触がいきなり右の胸に発生する。
「っん……! ぁ、っふ……は、っあ」
ゆるく当たっている固いものは彼の歯なのだろう。噛み付きそうで噛み付かず、舌だけが皮膚を舐っていく。
そうして当然のように吸い上げられた。
「ぴ、ピエールっ……あ、赤ん坊じゃあるまいしっ……!」
あまり力が入らない両手を彼の頭に添えた。
押し返そうとして、けれど随時伝わってくる感覚に彼の歯や舌の位置を把握して、強引な真似はできないと判断。ひどく中途半端な力だけを彼の頭部へ送り込む。
当然、意味なんてない。
「っは、あ……!」
しばらくそうして耐えていると、突然、かくんと手の位置がズレた。
涙でぼやけた視界の中を彼の頭が後退していく――肌をなぞりながら。
「ひ……!」
胸と同じく、普段から服の下に隠れていて外気に触れるどころか粘性のものを触れさせる機会すらない腹部を、彼の舌は遠慮なく這い回った。臍にまで差し入れられた瞬間、反射的に私の体は跳ね上がっている。
そうして腰を浮かせたその瞬間、彼の手がベッドと私の間に入ったことなど、一切の余裕を無くしかけていた私が察知できるはずもなく。
「――っ!!」
その完全な不意打ちの、背中をつっと撫でていくたった一本の指。
私は声にならない声をあげ、必死で取り押さえていた逃げ出したい心地を解放してしまった。目前の敵から命からがら逃げるように、体は勝手に、それも力任せに暴れだす。
「ちょ、こらクロエ落ち着けって――」
彼は全身で覆い被さるように私を押さえつけた。それで私も我に返る。
荒くなった呼吸を何度も繰り返して、まだ鮮明に思い出せる瞬間の感覚に、やはり勝手に体が震えてしまう。
「落ち着いた?」
何故か怖くて彼のほうを向けずに、ただ明後日の方を向いて頷く。
「もしかしてクロエ、……背中弱い?」
最後だけを耳元で囁かれる。声に含まれる彼の感情を理解して、即座に否定しようと首を振り向かせて。
目が合った瞬間、しまったと思った。
私は己の表情でこれ以上ないほど如実に、答えを返してしまっていた。その通りだ、と。
ふーん?と彼の顔がにやりと歪められて。
「ち、ちがっ……!?」
ころん。まるで何かおもちゃでも転がすように私の体はあっけなく腹這いの状態にさせられていた。
慌てて起き上がろうとするも、後方から覆い被さられる感覚に背筋が粟立った瞬間、元の位置へ押し付けられる。
「ピエ――」
文句の前に名前を呼んだのは失敗だった。思ったときには当然、遅すぎる後悔でしかなく。
「っひ、ゃ……――っ!?」
ぞわりと全身が粟立つ。
触れているのはたった一点でありながら、そこから物凄い速度で全身に言い様のない感覚が広がっていく。
それに何かを壊されないように耐えるべく、数分前までソファだった生地に爪を立て強引に握り締めた。しかし力をこめればこめるほど生地が指の間から逃げていく。
「あ、っや……めやっ、ひぁ……!」
ぬるり――たぶん生まれて初めて、その感覚をそこで感じた。のだと、思う。
くすぐったいとかもうそういう次元ではない。嫌悪に程近いおぞましさ。
触れているものがどんなものかもわかっていたし、先ほどまで胸だの腹だのを舐めまわしていたそれと全く同じものであると、理解はしている。
しているのに。
「ぃや、っぁ、ピエールやだやめっ、ぇ……っ!!」
背中が他の部位に比べて敏感なのは自覚していたが、首や腋の下など、通常くすぐられて弱い箇所のそれと同じだと考えていた。
だからこれは珍しいことでも、まして鍛えなければいけないものでもない、と。
そう思っていたのは、間違いだったのだろうか。
「や、ぁ、……っあ、――っ」
見えないから、だろうか。
彼の所作が見えないから、次に何が起こるかを予測できないから、
「やめ、っい、やピエ、……ル、っ」
こんなにも怖いのだろうか。
与えられる感覚はとてもじゃないけれど素直に受け入れるには程遠い部類で。
与えてくる犯人はこんなにも近くにいるのに、とても遠い場所に居る気がする。
(いや、いやだ)
そして自分は逃げられない。
彼の与えてくる感覚と、彼が触れてくるという夢ではない現実と、彼が逃がさないようにと伸し掛かっている事実、その全てから。
(こんなのはいや……!)
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